大局観と細部観察

残念ながら、すぐれた企画力とは何かを今もなお一言で語ることができずにいる。企画力が特別な訓練によって磨かれる特殊な能力なら、一言で表現することもできるだろう。あるいは、天賦の才であるならば、遠回りせずにそう呼んでおけばいい。だが、企画力に特別な要素など何もないのだ。企画力の成分は、日常茶飯事の良識にかぎりなく近いヒューマンスキルで構成されている。このために、あれもこれもと欲張った定義になってしまうのである。

一般的な企画研修の冒頭、1. 小さなことの繰り返しと積み重ね、2. 時代への目配り、3. コミュニケーション力、4. 迅速な意思決定、5. 新しさへの挑戦という、企画の心得を紹介する。そして、直後に「企画書よりも企画、企画よりも発想。そして、発想に先立つものが、日々の観察と着眼」ということを強調する。ゆえに、研修テキストの第1章を素直に「観察力と着眼力」から始める。その章で「大局観と細部観察」という小見出しをつけて、次の文章をテキストで綴っている。

小部分の集合は必ずしも大部分にならない。森を見る努力が、やがて枝葉・幹を見るクローズアップ能力を育む。但し、道端の石ころの文様に見入るようなものの観察方法も忘れてはいけない。

要するに、全体と部分のいずれにも目配りすることを説いている。ところで、「木を見て森を見ず」はよく知られた慣用句で、細かなことばかりに気を奪われていると全体を見渡せなくなるという教訓を導く。しかし、実際問題として、ぼくたちに森を見る機会などない。ヘリコプターに乗って鳥の目を持たないかぎり無理な話である。森との間に距離を置いても、地上から森を眺めることなどできない。地平線上でぼくたちが見るのは、数本の木が重なり合った、森の断片にほかならない。


上記の引用で「森を見る努力」と書いているのは、森を現実的に俯瞰することではない。森をイメージするということ、つまり、大まかな構想というほどの意味である。木をいくら集めても、ぼくたちに森は見えない。むしろ、森をイメージするからこそ個々の木々や幹や枝葉が見えてくるのである。他方、「森を見て木を見ず」も起こりうる。したがって、構想とは別に、石の文様をじっくり眺めるような視点も軽視してはいけないという但し書きが必要になる。

企画のステージは「拡散的な構想」と「立案内容の収束」に分けられる。おおむね「あれもこれも(AND)」から「あれかこれか(OR)」に向かうが、ORからANDへと一時的に可逆させねばならない場合もある。そう、あるテーマの企画のみならず思考一般に関して、大局か細部か、マクロかミクロか、ロングショットかクローズアップかの岐路でつねに迷う。だが、いずれかが他方の優位に立つのではない。柔軟に双方を行き来できる人もいれば、いずれもできない人もいる。いずれもできないからと言って、何も見えていないわけではない。森を意識した瞬間木が見えず、木に目を凝らした瞬間森から目線が逸れてしまうのだ。要するに、拡散と収束を二者択一的に作業化することが問題なのである。

間違いなく言えることは、精細に枝葉を論理的に分析することから始めてはいけないということだ。枝葉を知り、幹や根を知り、一本の木を知り尽くしてもなお森を見晴らしよく眺望することはできないし、細部観察を条件とした構想などそもそもありえないだろう。部分的にどんなにラフなスケッチであってもよい、大局観に立脚してはじめて企画も思考も起動するのである。大局観と細部観察に優劣はない、しかし、初動は大局観でなければならない。

日本人の国際感覚

「日本人の国際感覚」などの素朴なテーマほど厄介なものである。昨日や今日になってこのテーマに触発されたわけではない。それどころか、ずいぶん長く付き合ってきた。英語や比較文化に関心を寄せた頃からなので、かれこれ40年にはなる。さらりと日本人の国際感覚と言ってのけるほど、対象とする日本人が単一でも同質的でもないのはわかっている。しかし、さほど神経質になって多種多様に類型化することもないと最近思うようになった。

国内に引きこもろうが世界を舞台に活躍しようが、環境や状況とは無関係な日本人的国際感覚がありそうだ。国際感覚のしっかりしたコスモポリタンだと思っていたら、国際感覚とは名ばかりのローカルジャパニーズであったりする。頻繁に海外に出掛けたり長く海外に駐在したりしていたにもかかわらず、変わらぬ日本人的脆弱さを引きずっている人たち。ぼくには「国際度偏差値」の高い友人や知人が大勢いるが、彼らが外国人とほんとうに丁々発止のコミュニケーションをしてきたのだろうかと、大いに疑問を抱くことが少なくない。

曖昧でしっくりこない表現だが、敢えて「平均的日本人」ということばを使うなら、自他ともに認める国際派日本人でも、平均的日本人の国際感覚しか持ち合わせていなかったりする。世界で活躍するお偉方たちのほとんどが日本的感覚に縛られた「現象的国際人」にすぎないのである。日本的な国際人はいくらでもいるのだが、国際的な日本人にはめったにお目にかかれない。したたかな国際感覚を磨いておかなければ、真に強い国際適応力ないしは国際競合力を備えることはできないだろう。


では、国際感覚とは何だろうか。世界の人々と仲良くビジネスをして交流していれば身につくものなのか。答えは明白にノーである。誰も他人ともめたくないだろう。他人が日本人であれ外国人であれ、できることならいがみ合わず、衝突が起こりそうならば未然に防ぐべく寛容であろうと努め、必要ならば妥協もする。しかし、このような融通無碍の振る舞いは、やがて無難へと傾き、仲良し友達であろうとするあまり差し障りのない方途を選ぶ結果となる。このような感覚は、実は国際感覚の小さな一部にすぎないのである。

ぼくたちの国際感覚に徹底的に抜け落ちている資質、それは有事における交渉を通じてのソリューションだ。この能力を仲むつまじい国際交流で養うことはできない。もちろん、ここで言うソリューションは、何でもかんでも「ノーと言える日本人」になることではない。勇気をもってノーと言えても、問題や交渉事が解決する保障などない。問題解決こそがゴールであって、ノーかイエスかばかりにこだわっていても功を奏さないのである。

管直人が「会談」と称する首脳どうしのトークを胡錦濤が「会話」と片付ける。わが国首相は手にペーパーを携えて一言一句神妙に発言し、中国の主席はいかにも軽妙に談話する。完全にいなされているように見えたのはぼく一人か。関係好転に向けての努力だけで事が片付かないのが国際舞台の常識である。たとえ雲間に光が射し込む気配を感じても、折り畳み傘の一つくらい用意しておかねばならない。雨はいつ降ってもおかしくない。雨で済めばいいが、嵐が吹き荒れ雷も落ちてくる。のっぴきならぬ事態に直面して逃げ腰になっているようでは真の国際感覚とは言えまい。問題は発生するものであり、いったん発生したら何が何でも解決へと矛先を向けなければならない。問題を水に流し、棚に上げ、なかったことにするような仲良し国際感覚の日本人ばかりでは、早晩舞台の袖から落っこちてしまうだろう。

届かなくても背伸び

以前『背伸びと踏み台』というタイトルでブログを書いた。背伸びを自力、踏み台を他力としてとらえた話である。よく「お前は背伸びしすぎだ。分をわきまえろ」などとお説教している人がいるが、少し酷ではないか。分をわきまえているからこそ背伸びをしているのである。自分は力不足だ。期待されている「そこ」に手が届かない。だからこそ、不安定になりながらも、爪先を立てて精一杯手を伸ばす。いったいこの努力のどこに問題があるだろうか。何もない。たしかに彼は無理している。だが、たとえ爪先と言えども、自分の足が地に着いているのである。

ぼくは背伸びする人たちをずっと評価し、背伸びのお手伝いができないかと考えてきた。今も変わらない。背伸びは自助努力である。自力を用いようと踏ん張っている様子である。そう、上げ底と取り違えてはいけないのだ。上げ底は見せかけである。そこに実体などない。正味60点の力量に架空の20点をどこかから持ってきてトータル80点の振りをしているにすぎない。背伸びして80点というのは、正味の力量である。たとえ20点分に無理があろうとも20点分が束の間の足し算であろうとも、彼の潜在能力が発揮された結果にほかならない。


マルボロの広告で有名な広告界の巨匠レオ・バーネット(1891~1971)は味わい深い名言をいくつか残している。「商品には固有のドラマがある」ということばから、どんなありふれた商品にも誕生したかぎり隠されたドラマがあり、それを掘り起こし使いこなすのがコンセプト開発者の仕事であることを学んだ。「テーマに没頭し、考え抜き、そして自分の予感を愛し、尊び、それに従うこと」という企画者の姿勢にも大いに共感したものだ。

今もなお、ぼくには「できること」と「できないこと」を分別する合理的精神の趣が強い。「一見できそうもないこと」は場合によっては「一見できそうなこと」でもあるから何とかしようと試みるが、努力が徒労に終わりそうな、「明らかにできないこと」はパスするのである。しかし、二十数年前にレオ・バーネットの一文を知るにおよんで、「できないこと」に向かって背伸びして得られる副次的なメリットにも開眼した。

“When you reach for the stars, you may not quite get one, but you won’t come up with a handful of mud either.”

「(つかもうと)星に手を差し伸べても、一つだって首尾よく手に入れることなどできそうもない。だが、(そうしているかぎり)一握りの泥にまみれることもないだろう」という意味である。ぼくはここに背伸びの効用を見て取る。背伸びは必ずしも目的への到達だけを目指すのではなく、落ちぶれないための、あるいは能力を減じないための歯止めでもあるのだ。背伸びをしなければ現状維持さえおぼつかない。肉体のみならず知力のアンチエイジングのために自らの心身によって背伸びする。上げ底ではエイジング対策にならないのである。

アイディエーティングという位置どり

最近、企業コンセプトや広告コンセプトの〈アイディエーティング〉の機会がとみに増えてきた。ぼくが発案したこのアイディエーティングとは、企画のためのアイデアを提供するコンサルティングの一種である。依頼主の企業規模も業種も問わない。念入りな調査もおこなわない。依頼されてから一週間か半月以内に顔合わせをし、事前に提示された課題について半日をかけて集中的議論と二次記憶の棚卸しをおこない、その場でアイデアとアイデアを触発させる。深慮遠謀せず、少々軽薄気味であっても量を求めることを主眼とする。意思決定を急ぎ、いちはやく全体構想を俯瞰する。このプロセスでは日常生活感覚、雑学、賢慮、良識、想像力、それにほどほどの企画ノウハウが求められる。

時間をかけて調査をおこない論理的に精度を高めたつもりが、肝心のアイデアが出なければ話にならない。また、アイデアというものは必ずしもそのようなプロセスを経て醸成されるものでもない。むしろ、集中と脱線、統合と分解、論理とアバウト、ことばとイメージ、ねらいとハプニングなど、相反する作業や精神作用によってアイデアはおびただしく頻繁に生まれる。ある程度の知識と経験にたくましい想像力を融合させれば、〈偶察力セレンディピティ〉のご褒美にあずかることができるのだ。

依頼者の業界についてどれほど詳しいかはあまり重要ではない。常識的に少々知っておかねば箸にも棒にもかからないが、敢えてにわか知識を仕入れるには及ばない。こんなことをあけっぴろげに言うと、「餅は餅屋じゃないか。素人に餅はわからないだろう」と反発を食らう。これに対して「紺屋こうやの白袴」とか「医者の不養生」などと切り返す? いや、それには及ばない。実際のところ、業界を知るために当該業界の専門家である必然性などないのだ。マックス・ウェーバーが言うように、「シーザーを理解するのにシーザーである必要はない」のである(『経験の差は優位性とはかぎらない』参照)。


専門家が専門分野を因数分解するときの危うさを嫌というほど見てきた。餅は餅屋と過信しているかぎり、理解幻想の枠から抜け出すことができないのである。専門家が経験によって理解することと門外漢が想像によって認知することは本質的に異なっている。両者を優劣で計るのは適切ではないが、敢えて想像側から優位性を一点取り上げるなら、対象を対象のエリアだけで捉える経験に対して、対象をより広範な文脈で捉える可能性が大きいという点である。この一点において、いや、まさにこの一点においてのみ、業界の専門家はぼくのアイディエーティングに期待を寄せてくれる。

英国の宰相チャーチルは玄人はだしの絵筆の使い手であった。絵の達人チャーチルならわかってくれるだろうと、ある人物がこう切り出した。「一度も絵を描いたこともないくせに、ただ有名人というだけで美術展の審査員におさまっている連中がいます。これはおかしいですよね」。てっきり「もちろん」という返事をもらえると思っていたが、チャーチルは次のように言ってのけた。

「いや、別にかまわんじゃないか。私はまだタマゴを生んだことはないが、タマゴが腐っているかどうかくらいはちゃんとわかるからね」

ぼくの仕事はまさにこれなのである。依頼主とぼくが共同して考え抜いても、何が最善かはわからない。有力なアイデアや方向性を絞るところまでは到達できるが、その先は決断あるのみだ。しかし、依頼主が従来から独自で実施してきた企画案が功を奏していないこと、少なくともその案よりもすぐれたアイデアがありそうなことは即座にわかるのである。「あなたの業界に一歩も足を踏み入れたことはないし、商品を売ったこともないけれども、ぼくは現状よりも有効なアイデアを捻り出す自信があります。但し、それがベストであると自惚れているわけではありません」――これがアイディエーティングの根底にある姿勢である。対象と距離を置き、依頼主と消費者の中間に立つコンサルティングと言ってもよい。

腕組みよりもペン

諺にはさまざまな含みがあるから、どんな場合にでも「その通り!」と納得するわけにはいかない。たとえば「下手な鉄砲も数打てば当たる」。このセオリーに一理を認めるものの、下手は何度やってもダメだろうとも思う。下手を少しでも改善してから場数を踏むほうがいいような気がする。

同じく「下手」を含む諺に「下手の考え休むに似たり」がある。これにも頷く時と首を傾げる時がある。大した知恵のない者が考えても時間ばかり経つだけだという意味だが、たしかに思い当たることが多い。しかし、それなら下手な者に思考は無用ということになってしまう。よく考えるよう努めれば下手が上手になることもあるのではないか。

ほとんどの諺に対して共感と反発が相半ばする。だが、一種の法則のように容認できる諺も、数は少ないが存在する。その一つが「案ずるより産むが易い」だ。あれこれと想像して心配するくらいなら、さっさと実際にやってみるほうが簡単だというこの教えは、他人を見ていてもぼく自身の経験を踏まえても、かなり信頼性の高い鉄則である。ただ残念なことに、とりとめのない時間が無駄に過ぎてしまった後に、この諺を思い出すことが多い。その時はたいてい手遅れになっている。


案ずると産む。案ずるがビフォーで産むがアフター。失敗したらどうしようと遅疑逡巡していても時間だけは過ぎていく。失敗しようが成功しようが決断を迫られた状況にあれば動くしかない。下手も上手も関係ない。考えてもしかたのない対象に執着せずに、その対象そのものを体験してみる。これは、〈莫妄想まくもうぞう〉に通じる教訓である。

ニュアンスは若干変わるが、案ずると産むを「幻想と現実」や「計画と実行」などと読み替えてもよいだろう。ぼくは「腕組みとペン」に置き換えている。物事は考えてからおこなうものと思っている人が大勢いる。考えてから書くのもその一つだ。アイデアが浮かんでからそのアイデアを書き留めるというわけだ。しかし、考えたからといってアイデアは易々と浮かばない。ほとんどの場合、腕を組んだまま時間が過ぎていく。

一本のペンをハンマーのように重く感じることがある。いや、ペンを手に持つ気さえしないことがある。すぐ目の前の机の上の一枚の紙への距離がはるか彼方の遠景に見えることもある。そこへ辿り着こうとしても足腰が動いてくれない。やむなく腕を組んで、ひとまず考えようとする。しかし、実は、これが逆効果で、苦しさから逃れても重苦しさがやってくるだけ。産むよりも案ずるほうに逆流してしまうのだ。産むとは、軽やかにペンを握り颯爽と紙に向かうことである。そこに諄々と文字を書き連ね付箋紙の一片でも貼れば、脳が刺激を受ける。行き詰まったら「腕組みよりもペン」なのである。

創意工夫の教え方

またやってしまったか、教諭さん。「はしゃぎすぎる先生」が定期的に新聞紙上で話題にのぼる。実際、今回の一件に関しては毎日新聞が「先生、やりすぎです」の見出しを付けた。

調べたらいろいろあるのだろうが、おかしくて情けない教師のやりすぎが二つ、ぼくの記憶に残っている。一つは、記入例にまつわるもの。市役所に行くと、書類の名前欄に「大阪太郎」などと書いてあるあれだ。氏名の記入例に「大庭嘉門」と書いた教師がいた。「おおばかもん」と読む。さぞかしお茶目な人なのだろうが、もちろん不適切だと注意を受けた。わざわざそんなふうにふざける必要があったのか。

もう一例は、「妻を殺す完全犯罪の方法を考えよ」の類の出題をした先生。生徒に考えさせて、いい方法があったら実践しようと思ったのか。そうではなく、多分に遊び心であったのだろう。しかし、「殺人問題」は教育の現場では常識的には具合が悪い。生徒にとっても荷が重い難問だったはず。相当なミステリーファンでもないかぎり即答は容易でないだろう。しかも、この先生、「二つ考えよ」と出題したそうである。

そして、冒頭の一件だ。小学5年生の道徳の授業で、新聞から文字を切り抜いて、なんと「身代金を要求する脅迫文」を作らせたのだ。よくもこんなテーマを考えるものだと感心するやら呆れるやら。「グループ作業によって友達と協力するのを教えるのが目的だった」と弁明したらしい。この教諭、ごていねいにも黒板に自らの実名入りのお手本を書いた。「〔教諭の〕身柄を確保した。返して欲しければ、ちびっこ広場に8000円持ってこい。一秒でも遅れると命はない」というような文面だった。道徳の時間に脅迫文である、そしてちびっこ広場に8000円……。やれやれ。


「学校教育に教師の創意工夫を」と、親も生徒もみんな望んでいるに違いない。まじめに授業をして欲しい。けれども、型通りな出来合いのレッスンだけでは退屈するから、一手間をかけてわくわくして考える実習もして欲しい。こんな要望に応えたのかどうか知らないが、創意工夫を履き違えてはいけない。上記の三つのいただけない「事件」はいずれも義務教育の現場で発生したものである。リベラルなぼくなど大目に見てやりたいとも思うが、題材のセンスが悪すぎる。いずれも一人よがりで空回りしている。

そんなふうにお茶目に遊び心を発揮してふざけたいのなら、義務教育の舞台から去るべきだろう。いや、子どもに向けた教育にあっては、遊びと学びを融合させるのはまずくはないが、ここぞというときにはしっかりと一線を引かねばならない。自由奔放な題材を使って綱渡りさながら大胆に極論するこのぼくでさえ、行政での研修にあたっては一線をわきまえる。愉快でなければならない、しかし度を越してふざけてはならないのである。

「おおばかもん」も「完全犯罪の方法」も「脅迫状」もぼくの私塾の演習ではオーケーである。この類に文句を言う人がぼくの私塾に入塾することはありえない。あからさまな差別用語はどんな世界にあってもご法度だが、度を越した言葉狩りをシニカルに笑いとばすことは私塾では許される。語り手も聞き手も柔軟なのである。校長先生から大目玉を食らった教諭たちは、大いに反省して学校教育に従事し続けるか、あるいは、ぼくのように私塾を立ち上げて「発想の自由」を謳歌すればよろしい。但し、後者に自由はあるが、下手をすると厳重注意で終わらない事態が発生する。すなわち、売れなくなれば食えなくなるのである。

「二、三」について

『二案か三案か』というタイトルで昨日文章を書いた。書いてから、何の変哲もない「二、三」という表現に妙に囚われている。ついでなので、「二、三」について少考してみることにした。「二、三」とは、文字通り「二つか三つぐらい」のことである。少々とか若干という意味にも使われるが、全体で五つしかないときに二、三と言えば、もはや少々や若干というニュアンスは削ぎ落とされている。数字表現のくせして、自在に変幻する雰囲気を持っている。

「二、三の点についておうかがいしたい」はいい。しかし、点を「論点」に言い換えて「二、三の論点についておうかがいしたい」となると、どうもしっくりこない。「論点」ということばの性質が二、三というアバウトを許さないような気がするのだ。この場合は、「二つの論点」または「三つの論点」とするべきではないか。「二、三人で来てください」。これはいい。二人または三人のいずれをも許容している。軽い約束なら「二、三日後」も問題ない。「もぎたての柿を二、三個分けてください」に対して、「二個か三個かはっきりしろ」と憤るのは筋違いである。

では、「二個ほど」はどうか。蕎麦屋で若い男性が「いなりずしを二個ほどください」と言ったので、注文を聞いた女性が困惑していた。二個ほどと注文されては、勝手に判断して一個や三個を出しにくい。まさか一個半や二個半はないだろうから、「二個ほど」は「二個」以外にありえない。日本語文法に詳しくないが、この「ほど」は「およそ」とか「約」ではなく、もの言いを婉曲的にやわらげているのだろう。しかしながら、「柿が百個ばかりあります」に対して「では、十個ほどお分けください」と言われても、さほど異様に響かない。やはり「二個」と「ほど」の相性の問題か。


英文和訳の授業で“a few days ago”を「数日前」と訳した。「数日」とは何ぞやと問われれば、恐々ながら「二、三日」と答え、心中ひそかに「五日くらいまで入るかも」と思ったものである。これを裏返すように、英作文の授業では「二、三の」を“a few”と訳した。そう訳すように強要した教師もいた。日英の単語を単純対応させる学校英語は無味であり無機的であった。「二、三の」と厳密に言いたいのなら“two or three”とすべきだとわかったのは、後年本格的に英語を独学するようになってからである。

英語の“a few”は断じて「二、三の」ではない。「少数の」であり「わずかな」であって、絶対的な数値を表すものではない。先にも書いたが、五つのうちの二つ三つは決してわずかではないのである。では、分母が十や二十になれば、二、三を少数と決めつけてもいいか。おおむねいいだろう。但し、必ずしも断定はできない。たとえば、まさかこんな本を読んでないだろうとタカをくくって聞いたら、意外や意外、二十人中三人が読んでいたとする。このとき、ぼくは「三人も!」と驚いたのであるから、これは決してわずかではない。この状況で“a few”を使うことはない。

ふだん五十人くらいの客で賑わっている居酒屋だが、今日は七、八人。このとき、「えらく少ないねぇ」と言えるし、英語でもこんなときに“a few”を使い、強調したければ“only a few”と言ってもよい。英語の“a few”2から9までの一桁なら平気で守備範囲にしてしまう。比較対象との関係で「少なさ」を強調したければ、どんな場合でも使えないことはないのである。

ちなみに、英米人にお金を貸して「数年以内(within a few years)にお返しします」と約束されても、ゆめゆめ「二、三年後」と早とちりしてはいけない。今から四十年も遡るその昔、「沖縄を“within a few years”に返還する」の解釈を巡って、日米はもめた。「二、三年」と解釈した日本政府に対して、アメリカ政府の想定はもっと長かったのである。

二案か三案か

わずか一案だけを会議にはかる、あるいは誰かに提案する。一案主義とは、採択か不採択かの是非評価だけを迫る方法である。進退を覚悟した、まさに勇気ある一案? 必ずしもそうとはかぎらない。単にその一案を過信しているだけかもしれないし、アイデアが出ないためやむなく一案だったのかもしれない。いずれにしても向こう見ずな話である。

できれば二案あるほうがいい。一案よりは二案のほうがよさそうである。しかし、この二案主義に対しても異論が出ることがある。二案をそれぞれA案とB案と称するとき、これはA案かB案かを迫る方法にほかならない。つまり、一案に対してイエスかノーを決めるのと同じではないかという見解だ。一案がノーになるケースと「A案かつB案」が却下されるケースは、いずれも不採択。一案がイエスになるケースと「A案またはB案」が容認されるケースはいずれも採択。二者択一的という点では、なるほど同じような意思決定のように見える。

ゆえに、せめて三案ということになるのか。三案主義は評価の基準を多様化してくれそうだ。そもそも〈案〉は計画や着想段階のものであり、ある種の「推量的習作」なのである。そうであるなら、実際行動に先立つ、蓋然性の高そうな選択肢は多いほうがいい。「多い」というのは、一案や二案に比べてより多いという意味だ。一案や二案よりも多い最小の選択肢が、三案というわけである。実際、「にぎりと上にぎり」のように二項対立しているよりも、「会席コース松、竹、梅」のほうが中庸があって選びやすい。


以上のことから、「二案よりも三案」と結論づけたいが、話はそう簡単ではない。選択肢の多さだけで案を評価するのなら、三案よりも四案を、さらに、四案よりも五案を歓迎することになってしまう。選択肢の多さは無責任に案を水増しすることにならないか。選択に幅があることによって安心感が得られることは認めよう。しかし、だからと言って、結局は絞らねばならないのだ。選択肢が多ければ多いほど、絞り込む過程のストレスは高くなる。

よく時代に目を配らねばならない。多様性の時代の自由は選択の苦悩をもたらす。際限なくオプションを追い求めるよりも、最初から「これかあれか」と方向性を見据えておくのはどうか。はじめにきつい選択をおこない、次いでその採択案の修正オプションを増やしていくという方法である。意思決定に迅速性が求められる今日、「三案よりも二案」という考え方のほうが有力と言ってもよい。

「二、三の」という慣用があるから、「二案も三案も同じではないか」という見方もありうる。しかし、ぼくの経験上、二案と三案は近似的ではなく、それどころか、大きく距離を隔てた関係にあると思われる。「二、三案で」と依頼された時点で、二案か三案かをはっきりさせるべきであり、できれば二案を説得するのがいい。二案と三案は、提案動機において根本的に異なっているのである。

愉しい本、美しい本

書棚のスペースに余裕がなくなってきたので、最近はかさばらない文庫と新書ばかり買っている。昔読んだが手元に残っていない古典の類を再読するためである。お手頃価格で買うハードカバーの古本もあるが、床に積んである状態だ。電子化すればさぞかしすっきりするだろう。電子書籍の是非はさておき、ぼくは紙のページを指で捲るのが好きなのである。しかも、2Bくらいの太い芯のシャープペンシルでマーキングしながら読む。

読んでためになる本よりも、読んで愉しい本がいい。本だから吟味するのはもちろん内容だ。しかし、かつて書物は貴重であり希少であった。そして、読む愉しみだけではなく、蔵書として愛でたり飾ったりすることにも意味があった。一種の芸術品である。グーテンベルクの活版印刷が普及してからも、印刷されたページが製本も装丁もされずに売られていた時期が長かった。わずかな発行部数を求めて、購入者は刷りっ放しのページを自分の好みに応じて装丁し製本していたのである。

以上のような、本にまつわる初耳のエピソードに感嘆しきりだった。実は、広島出張の機会に、ひろしま美術館で開催中の特別展『本を彩る美の歴史』をじっくりと鑑賞してきたのである。わが国の平安時代の経典の前でしばし立ち止まり、ルネサンスから近代までのヨーロッパの本、活字、装丁、挿絵に目を奪われた。『グーテンベルク聖書』(1455年)の文字組みの美しさは圧巻だったし、シャガールの挿絵の斬新さにも感嘆した。


ルネサンス期のお宝本の数々を超至近距離で見れるとは想定外だった。ユークリッド『幾何学原論』(1482年)、トマス・アクィナス『神学大全』(1485年)、ルター『ドイツ語新約聖書』(1522年)、コペルニクス『天体の回転について』(1543年)、デカルト『方法序説』(1637年)、レオナルド・ダ・ヴィンチ『絵画論』(1651年)……すべて初版だ。第2版ではあるが、ダンテの『神曲』(1487年)もあった。14世紀初めに書かれたこの作品は、ラテン語で書かれるのが当たり前の時代に当時のイタリア語(フィレンツェ方言)で書かれた。

「世界三大美本」も展示されていた。いずれも19世紀終りから20世紀初頭の書物である。解説のプレートには次のように書かれていた。

「産業革命の結果、本の世界も、安価であるが安直なものが多く出回るようになった。その動きに逆らうかのように出てきたのがプライベート・プレスで、営利を目的とせずに、手作りにこだわった本作りをおこなった」

プライベート・プレスは伝統工芸ないしは芸術としての書物への回帰にほかならない。下記がその三大美本。

ケルムスコット・プレス刊『(エリス編)ジェフリー・チョーサー著作集』.jpg
ケルムスコット・プレス刊『(エリス編)ジェフェリー・チョーサー著作集』(1896年)。タイポグラフィに装飾。何という凝りようだろう。
アシュテン・プレス刊『ダンテ著作集』.jpg
アシェンデン・プレス刊『ダンテ著作集』(1909年)。これほど余白の美しさを感じさせる見開きページ構成にはめったにお目にかかれない。
ダブス・プレス刊『聖書』(全5巻).jpg
ダブス・プレス刊『聖書』全5巻(1903-05年)。『創世記』の冒頭”In the beginning God created the heavens and the earth.”(はじめに神は天と地を創造された)の”In the beginning”が赤い大きな文字で見出しになり、しかも、アルファベットの”I”がテキストの頭を揃えるように長く縦に伸びて装飾効果を添えている。

豊かなアイデアコンテンツ

見聞きし思い浮かべることを習慣的に綴ってきて約30年。ノートをつけるという行為はある種の戦いだ。だが、無理強いされるようなきつい戦いはせいぜい一年で終わる。習慣が形成されてからは次第に具体的な戦果が挙がってくるから、戦う愉しみも徐々に膨らむ。

これまで紛失したノートは数知れないが、ここ十数年分は連続したものが残っている。誰しも休みなく戦い続けることはできないように、ぼくのノート行動にも断続的な「休戦期間」があった。それでも、しばらく緩めた後には闘志がふつふつと湧いてくる。そして、「再戦」にあたって新たな意気込みを書くことになる。次の文章は16年前に実際にしたためた決意である。

再び四囲にまなざしを向けよう
発想は小さなヒントで磨かれる
気がつくかつかないか それも縁
気づいたのならその縁を
しばし己の中で温めよう

決意にしては軽やかだが、ともすれば情報を貪ろうとして焦る自分を戒めている。縁以上のものを求めるなという言い聞かせであり、気づくことは能力の一種であるという諦観でもある。この頃から企画研修に本腰を入れるようになった。人々はアイデアの枯渇に喘いでいる。いや、アイデアを光り輝くものばかりと勘違いをしている。ぼくは曲がりなりにもアイデアと企画を生業としてきた。実務と教育の両面で役に立つことができるはずだと意を強くした。


アイデア勝負の世界は厳しい世界である。だが、何事であれ新しい発想を喜びとする者にとっては、アイデアで食っていける世界には天井知らずの可能性が詰まっている。そして、人は好奇心に満ちた生き物であるから、誰もが新しい発想に向かうものだと、ぼくは楽観的に考えている。

アイデアは外部のどこかから突然やって来て、玄関でピンポーンと鳴らしはしない。ドアや窓を開け放っていても、アイデアは入って来ない。アイデアが生まれる場所は自己の内以外のどこでもない。たとえ外的な刺激によって触発されるにしても、アイデアの誕生は脳内である。ほとんどの場合、アイデアは写真や動画のようなイメージあるいは感覚質クオリアとして浮かび上がる。こうした像や感じはモノづくりにはそのまま活用できることが多い。

ところが、アイデアの最終形がモノではなく計画や企画書の場合、イメージをそのまま書きとめるわけにはいかない。ことばへのデジタル変換が不可欠なのである。いや、イメージの根源においてもことばがある。ことば側からイメージに働きかけていると言ってもよい。したがって、アイデアが出ない、アイデアに乏しいと嘆いている人は、ことばを「遊ぶ」のがいい。一つのことばをじっくりと考え、たとえば語源を調べたり他のことばとのコロケーションをチェックしたりしてみるのだ。

言い換えパラフレーズもアイデアの引き金になる。よく似たことばで表現し、ことばを飛び石よろしく連想的にジャンプする。こういう繰り返しによって、文脈の中でのことば、すなわち生活世界の中での位置取りが別の姿に見えてくる。適当に流していたことばの差異と類似。ことばが繰り広げる一大ネットワークは、イメージのアイデアコンテンツに欠かせない基盤なのである。