このブログの名称は〈Okano Note〉である。別によそ行きにすまし顔しているわけではなく、日々気になったことや発想したことを書き綴る〈本家オカノノート〉があって、その中から特に考察したものや愉快に思ったことを紹介しているのである。この意味では、ぼくの普段着のメモの公開記事ということになる。
一日に二つや三つのメモを書き留める日もあるから、一年で500くらいの話のネタが収まることになる。あまりにもパーソナルな視点のものはブログの対象外。それでも積もり積もってノートは飽和状態になる。飽和したから適当に吐き出せばいいというものでもないが、不条理や不自然や不可解への批判的な目線で書いたページが増えてくると、つい放出したくなってくる。たぶん精神的エントロピー増大の危うさを感じて自浄作用が起こるのだろう。
たとえばこんな話が書いてある。ふと小学校時代の転入生のことを思い出した。彼が「ぼくの名前は鎌倉です」と自己紹介したとき、なぜかクラスの中の半数ほどが笑った。彼が山本や鈴木や田中であったなら誰も笑いはしなかっただろうが、なにしろ鎌倉だ。大阪の小学校高学年の子らにとっては歴史で勉強した時代や大仏と同じ苗字が妙に響いたのは想像に難くない。不思議なことにぼく自身が笑ったかどうかを覚えていないが、話し方や苗字からこの男子が関東出身であることが推測できた(その後、彼とは結構親しくなった)。
紹介が終って担任が彼に尋ねた。「鎌倉君、きみは神奈川県出身やろ?」 「はい」と彼は答えた。「やっぱりな」と言って先生は鼻高々になっている。そりゃそうだろう、鎌倉という地名は神奈川なんだから、ふつうに考えればそう類推するものだ。たまたまピンポーンと正解になっただけで、たとえば「ぼくは松本です」と名乗っても、「きみは長野出身だな?」が当たる確率はさほど高くない。
先生、まことに失礼ですが、鎌倉で神奈川出身が当たったからと言って自慢にはなりません。おまけに、あなたは彼の前の在籍地や出身地が事前にわかる立場ではありませんか。
焼肉の食べ放題・飲み放題の話。二十代の若者が言った、「金がないので、オレたちはもっぱら2,980円の焼肉食べ放題・飲み放題のセットなんですよ。」 おいおい、金がなければ焼肉は贅沢だろう。食も酒も控えるのが筋ではないか。
まことに失礼ですが、きみたち、金がなくて、それでも焼肉と酒を時々楽しみたいのなら、一皿300円のホルモンと一杯280円の生ビールの店で粘り、それでも腹が一杯にならないのなら、小ライス150円を追加して合計730円で済ますのが分相応ではないですか。
目的・手段不在の話。気をつけないとつい聞き過ごしてしまう誰かの所信表明。「得意先のニーズに応えていきたい。それを実現するために頑張りたい」――よく若手の営業マンが会議で決意の程を語っている。ゆるいアタマの課長など、メッセージの論理構造よりも彼の毅然とした声の大きさに相好を崩してしまう。
課長、まことに失礼ですが、彼のメッセージに「目的と手段」はないのに気づいておられないようですな。「単なる二つの願望」になっていることがお分かりになりませんか。
ぼくのノートには「まことに失礼ですが……」で締め括らざるをえない、バカバカしいノンフィクションがいくらでもある。