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2010年 203回
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2012年 51回
2013年 33回
(2013年12月27日現在)
タグ: Okano Note
まことに失礼ですが……
このブログの名称は〈Okano Note〉である。別によそ行きにすまし顔しているわけではなく、日々気になったことや発想したことを書き綴る〈本家オカノノート〉があって、その中から特に考察したものや愉快に思ったことを紹介しているのである。この意味では、ぼくの普段着のメモの公開記事ということになる。
一日に二つや三つのメモを書き留める日もあるから、一年で500くらいの話のネタが収まることになる。あまりにもパーソナルな視点のものはブログの対象外。それでも積もり積もってノートは飽和状態になる。飽和したから適当に吐き出せばいいというものでもないが、不条理や不自然や不可解への批判的な目線で書いたページが増えてくると、つい放出したくなってくる。たぶん精神的エントロピー増大の危うさを感じて自浄作用が起こるのだろう。
たとえばこんな話が書いてある。ふと小学校時代の転入生のことを思い出した。彼が「ぼくの名前は鎌倉です」と自己紹介したとき、なぜかクラスの中の半数ほどが笑った。彼が山本や鈴木や田中であったなら誰も笑いはしなかっただろうが、なにしろ鎌倉だ。大阪の小学校高学年の子らにとっては歴史で勉強した時代や大仏と同じ苗字が妙に響いたのは想像に難くない。不思議なことにぼく自身が笑ったかどうかを覚えていないが、話し方や苗字からこの男子が関東出身であることが推測できた(その後、彼とは結構親しくなった)。
紹介が終って担任が彼に尋ねた。「鎌倉君、きみは神奈川県出身やろ?」 「はい」と彼は答えた。「やっぱりな」と言って先生は鼻高々になっている。そりゃそうだろう、鎌倉という地名は神奈川なんだから、ふつうに考えればそう類推するものだ。たまたまピンポーンと正解になっただけで、たとえば「ぼくは松本です」と名乗っても、「きみは長野出身だな?」が当たる確率はさほど高くない。
先生、まことに失礼ですが、鎌倉で神奈川出身が当たったからと言って自慢にはなりません。おまけに、あなたは彼の前の在籍地や出身地が事前にわかる立場ではありませんか。
焼肉の食べ放題・飲み放題の話。二十代の若者が言った、「金がないので、オレたちはもっぱら2,980円の焼肉食べ放題・飲み放題のセットなんですよ。」 おいおい、金がなければ焼肉は贅沢だろう。食も酒も控えるのが筋ではないか。
まことに失礼ですが、きみたち、金がなくて、それでも焼肉と酒を時々楽しみたいのなら、一皿300円のホルモンと一杯280円の生ビールの店で粘り、それでも腹が一杯にならないのなら、小ライス150円を追加して合計730円で済ますのが分相応ではないですか。
目的・手段不在の話。気をつけないとつい聞き過ごしてしまう誰かの所信表明。「得意先のニーズに応えていきたい。それを実現するために頑張りたい」――よく若手の営業マンが会議で決意の程を語っている。ゆるいアタマの課長など、メッセージの論理構造よりも彼の毅然とした声の大きさに相好を崩してしまう。
課長、まことに失礼ですが、彼のメッセージに「目的と手段」はないのに気づいておられないようですな。「単なる二つの願望」になっていることがお分かりになりませんか。
ぼくのノートには「まことに失礼ですが……」で締め括らざるをえない、バカバカしいノンフィクションがいくらでもある。
ノルマという強迫観念と習慣形成
親愛なる読者の皆さん、どうか透明な心でお読みいただきたい。ぼくにはまったく悪意などないし、誰か特定の方々に向けて嫌味を言うのではない。ブログでは当たり前のことだが、もし気に入らないくだりに差しかかったら即刻退出していただいて結構である。今日のテーマは、ブログに関する「観念と習慣」の話。
気が向いたら毎日、そうでないと一ヵ月も二ヵ月も空くブログ。こんな気まぐれと付き合う気はしない。規則正しい頻度なら週刊でもいいが、月刊は間が長すぎる。「待ちに待った」というほど読者は期待していないだろう。
この〈Okano Note/オカノノート〉は、自分なりにはリズムはあるものの、不定期更新である。しかし、月平均20日くらい更新しているので週に5日の頻度で記事を書き公開し、一ヵ月のうち60から80パーセント「埋めている」ことになる。書くテーマがあっても書く時間がないときがあるし、時間がたっぷりあってもテーマがさっぱり浮かんでこないこともある。もちろん、テーマ・時間ともに豊富であっても「その気」にならないこともある。ぼくに関して言えば、テーマも時間もないのに自分だけが「その気」になって書くことはない。
「毎日ブログを書く」にもいろいろある。数日間更新しなかったが、後日まとめて記事を書いて抜けた日々を埋めていくやり方―この場合、更新されたその日の分はしっかり読んでもらえるかもしれないが、その二日、三日前のはざっとしか目を通してもらえない可能性が高い。毎日日付が入っているという意味では「日々更新」というノルマは達成されてはいるが、意地と強迫観念が見え隠れする。
毎日一つの記事を更新する――これが純正の「日々更新」なのだろう。強迫観念だけではやり遂げられるものではない。もはや朝の歯磨きに近いほど習慣が完璧に形成されていないとできない。ある意味で、歯磨き以上の習慣力が必要だ。なぜなら歯磨きは3分間で済むし、毎日異なったテーマを求めてこない。ブログのエネルギーは歯磨きの比ではない。
数日間空いたのを後日穴埋めすることもなく、毎日更新する――それは感嘆に値する習慣形成である(たとえば、テレビでお馴染みの脳科学者・茂木健一郎のブログ「クオリア日記」がそれだ)。
昨年6月からブログを始めたが、ノルマを公表しなくてよかったとつくづく思う。ぼくは三日坊主の性分ではないが、毎日と決めるとアマノジャク的に嫌になってしまう。「気の向いたときに書いてみよう」という軽い動機くらいのとき、ぼくは結構マメにこなす。さほど暇人でもなく出張が多い身で、週4、5回更新していたら一応合格ではないかと思っている。
ここで話を終えてしまうと、「なんだ、やっぱり毎日更新しているオレに対する嫌味じゃないか!?」と思われてしまう。そうではない。ブログは一種の観念であり習慣であり、場合によっては意地であり修行である。そんなブログを毎日更新している方々に敬意を表しておきたい。マラソンにたとえると、ぼくの前を走るペースメーカーのようだ。背中を見ていると何とかついていけそうな気がする。しかも、強迫観念の風はぼくには当たらないのが何よりである。