イタリア紀行52 「アッピア旧街道へ」

ローマⅩ

雨が多かったこの年のローマ。あまり天気予報も当たっていなかったような気がする。ヴァチカンのサンピエトロ大聖堂見学の日は雨時々曇。コロッセオ見学の日も強めの雨。その翌日のオルヴィエートへの遠出は運よく晴天だったが、翌日の日曜日は再び雨。残る二日のうち月曜日にアッピア旧街道へ行くことにした。朝方の雨が止み好天になった。最終滞在日の火曜日は雨と雷で散々な日だったので、結果的にはラストチャンスだった。

アパートからゆっくり20分ほど歩いてナヴォナ広場へ。この一角に〔i〕のマークのついた観光案内所を探す。アッピア旧街道を巡るアルケオバス(archeobus)の切符を買うためだ。小ぶりなブースのような案内所にはすでに女性スタッフが一人いた。ドアには鍵がかかっている。ドアの前に立ったぼくに気づかない。ドアをトントンと叩いた。こっちに顔を向けたので「アルケオバスのチケットを買いたい」と言いかけたら、口を開こうとするぼくを制して、壁の時計を示し「まだ営業時間じゃない」とジェスチャー。「では、どこで買い求めればいいのか?」と聞こうとしても、あとは知らん顔で取り付く島もない。

皆がみなこうではないが、公務員や観光関係にはつっけんどんな女性が目立つ。一見さんには愛想のよくない振る舞いをするという説、クールに規則に従っているだけという説、いやイタリア女性は見た目は強そうだが、実はシャイなのだという説……いろいろあると聞いた。にこにこ顔のホスピタリティが目立ってしまうイタリア人男性だが、あくまでも女性と対比するからそう見えるのであって、イタリア人には男女ともに人見知りの傾向が強い。

しかたなくアルケオバスのルートになっているヴェネツィア広場の停車場へ行く。乗り放題一日券が13ユーロ(これが通常料金。ガイドブックには8ユーロと書いてあったが、何がしかの優待カード所有者のみ適用らしい)。しばらく待つと黄緑色のバスが来た。乗車時に配られるイヤホンで8ヵ国語のオーディオガイドが聞ける。固有名詞チェックも兼ねて、とりあえずイタリア語にチャンネルを合わせた。アルケオバスは真実の口の広場からチルコ・マッシモを経てカラカラ浴場へ。乗車時に少し会話を交わしたぼくと同年代の日本人男性は早速ここで下車した。

彼のように丹念にバスの乗降を繰り返し、そこに旧跡見学と散策を交えるのが正しいアッピア旧街道の辿り方なのだろう。あるいは、思い切ってレンタサイクルを借りて、まだ石畳がそのまま残っている旧街道を巡ってみればさぞかし満喫できるかもしれない。ぼくはと言えば、地下墓地(カタコンベ)や教会・聖堂などよりも、原始的な街道を紀元前312年から改修し延伸して敷設したこの旧街道そのものをこの目で見たかった。だからバスの周回だけで十分だったのである。それでもなお、衝動的に何度か途中下車することになった。

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城壁跡のサン・セバスティアーノ門をくぐると牧歌的風景が広がる。サン・カッリストのカタコンベ(墓)近辺。
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風景をそのままなぞるだけで絵になりそうな光景が続く。
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標識の“appia antica”が「アッピア旧街道」を示す。

コミュニケーションにおける問いの役割

研修で取り上げるテーマはいろいろあるが、どんな研修タイムテーブルも原則二日間で組み立てている。日本全国、毎年数千人の受講生に出会う。それでもぼくは人見知りをする。ぼくを知る人は、ぼくが「人見知りをする」などと言えば、戯言として受け流すだろう。その性格を見落としてしまうのは、人見知りしないときのぼくと付き合っているからである。人見知りをしていては講師業など務まらないと思われるかもしれないが、決してそんなことはない。むやみやたらに人なつこいよりは、人見知りのほうがいい。受講生理解にはクールな一線というものが欠かせない。そうぼくは思っている。

もちろん二日目になっても人見知りをしているようでは失格である。集団としての受講生や場の空気には一時間足らずで慣れる。だいたい9時か9時半にスタートして、午前中に30名近くの受講生一人一人の傾向と対策がわかってくる。講義内容への反応や受講態度は、本人たちが想像する以上に講師には見えているものだ。受講生も、ぼくの立ち居振る舞いや話しぶり、講義で取り上げる話題や素材を通じて、ぼくの性格や思想傾向、場合によっては習慣や嗜好まで察するだろう。

一応の人見知りはするものの、人間に対する好き嫌いはほとんどなく、たいていの人たちと温厚に付き合える。とはいえ、一年に数人の「やりにくい受講生」に出会う(確率的には数百人に一人くらいの割合だ)。やりにくい受講生の典型は、(1) 義務または強制によって研修に参加しており、(2) 顔なじみの仲間がいなくて人見知りをし、(3) 無愛想でどこかしらねた様子でメモを一切取る気配のない「30代、40代の男性」である。これは統計的経験値なので、根掘り葉掘り詮索しないでほしい。ちなみに女性にこのタイプはほとんどいない(女性でやりにくいタイプはまた別の機会に取り上げたい)。


とても不思議なのだが、この種のやりにくいタイプは同じ研修で複数存在しない。必ず一人なのだ。たぶん複数いたとしても、気になるほど目立つのは一人なのだろう。やりにくい受講生なのだが、ぼくもキャリア20年を超えた。処し方はわかっている。重点的に構ってあげればいいのである。「いやいや参加させられたが、知らない受講生ばかり。テーマにいまいち関心もないし馴染めそうにない。上司は何を考えてるんだ」と思っている。拗ねる原因の第一は「したくないことを外圧によってさせられている」という意識である。

休憩時間に狙いを定めて接近する。彼が自動販売機で缶コーヒーを買えば、続いてぼくも買う。一人休憩室の片隅でぼんやりしていれば、こちらから声をかける。初対面の講師であるぼくが構ってあげられる唯一の方法はコミュニケーション、とりわけ質問である。質問される―それは誰かが自分に関心を示している証だ(たとえ巡査から不審者への職務質問であっても、それは一種の関心の表明である)。

研修所の窓外に聳える山の名前を知っていても尋ねる。「えらくきれいな山だね。何という山?」という具合。眼前に水を湛える湖を「ここは何湾?」と、とぼける。最初は「そんなことも知らないのか」という感じでふてくされたように小声で答える。「地元の名産で何かうまいものある?」と、知っているけれど追い打ちをかける。「いろいろありますから」と無愛想。「たとえば魚だったら?」と続ける。彼、答える。「今夜、その魚を食べてみたいなあ。近くに料理屋はある?」と攻める。彼、答える。少し声が明るくなり顔の表情も変わってくる。

「いろいろありがとう。参考になりました」と礼を言う。礼を言って、その場を去らずにしばし間を置く。沈黙の時間。気まずさを感じる彼のほうから今度は質問をしてくる。「先生はどちらから来られたのですか?」 ぼく、答える。こうして午前中の休憩時間が終わる。昼休みにも一言二言交わす。午後の休憩時間、場合によっては彼のほうから近づいてくることさえある。そして、講義内容について質問なんてこともある。彼はもはや拗ねてはいないし、講義のメモも取っている。二日目、グループ演習では初対面の仲間と和気藹々討議をしている。

うまくいかないこともあるが、十中八九やりにくそうに見えた受講生は変わる。ぼくはカウンセリングもコーチングも本を読んだ程度で、あまりよく知らない。しかし、初対面であれ関係の修復であれ、人間関係はコミュニケーションそのものであり、その基本に問うという関与があると確信している。