おおつごもり雑感

年内四日、年明け四日の八日間、仕事は休業である。仕事はしないが、自宅の本棚を片付けると、ついつい本を読んでしまい、整理がはかどらない。気がついたら仕事のネタを探している。さて、今日からは超難解な哲学の本を毎日数時間読むことに決めていた。ゆるんでアバウトになりそうな脳に気合を入れるため。哲学なんて正月早々無粋な話だが、テレビを観ておせちを食らって初詣もいまいち芸がない。


欄干橋虎屋藤右衛門、唯今は剃髪いたして円斎竹しげと名のりまする、元朝がんちょうより大晦日おおつごもりまで各々様のお手に入れまするは此の透頂香とうちんこうと申す薬……。

外郎売ういろううり』の冒頭である。透頂香とは気つけ、二日酔い覚まし、食い合わせ、喉に効くオールマイティな妙薬。これが昼夜を問わず毎日売れて売れてしかたがない。だから元朝(元旦の朝)から365日間商売繁盛というわけである。妙薬は無理だが、妙案をひねり出すべく見習わねばならない。


本棚に見つけたのは岩波の『いろはカルタ辞典』。「いろはカルタ」なのに五十音順で検索する。それもそのはず、「いろは順」で引ける世代が圧倒的に少なくなっているのである。カルタに採用される諺・慣用句などの語句は大きく上方系と江戸系に分かれるらしい。しかし、驚いたのは「い」だけであるわあるわの18種。てっきり「犬も歩けば棒に当たる」か「石の上にも三年」くらいしかないと思っていた。

急がば回れ。一を聞いて十を知る。一寸先は闇。井の中の蛙大海を知らず。居食いぐいをすれば山でもむなし。砂子いさごも遂にいわおとなる。石臼箸で刺す。石原で薬罐やかん引く。医者の不養生。一心岩をも通す。芋の煮えたもご存知ない。いやいや三杯。祝いは千年万年。鰯の頭も信心から。言わぬは言うに勝る。

最初の四つは「なるほどあるかもしれない」と納得もするが、その他はなかなか教養を要するではないか。いろはカルタ侮るべからず。「ろ」以下にざっと目を通して、レベルの高さに驚いた。決して子どもオンリーの遊びでなかったと見当がつく。


この辞典の最後は「わ」である。

我が田へ水を引く。我が身をつめって人の痛さを知れ。わからず屋に付ける薬はないか。禍は口から。

ややネガティブで教訓的なものが続いたあと、やっと定番が登場――「笑う門には福来たる」。嫌というほど見慣れ聞き慣れした常套句だが、しかめっ面する奴よりも笑っている人間のほうが福に恵まれる可能性は大きい。やっぱり難しい哲学など読み耽らずに、お笑い番組で正月気分に浸るのが正解か。