商店街の敗北が意味すること

仕事柄出張が多い。行動エリアは縮まったものの、数年前までは「北は北海道から南は沖縄まで」だった。たいてい懇親を兼ねた食事会があるので、その後にホテルにチェックインすることもある。余裕があれば別だが、翌朝はなるべく早い時間に帰阪する。研修が23日になる場合は、毎日の研修後はだいたいフリーである。いったんホテルに戻ってから、ぶらりと夕食に出掛ける。一人ではアルコールを口にしないので、食事のみ。ついでに軽く散策してみる。

15年くらい前までは、珍しいご当地名産の土産を買っていた。しかし、荷物が重くなったり増えたりする。また、せっかく買って帰ったのに、よく似た物産が大阪でも売っていたということが後日わかる。どこの名産かは書かないが、ちょっと名の知れた珍味が住まいの近くのスーパーで売られていた時は、もう二度と土産を買うまいと誓ったものだ。自分で買うのは今では弁当だけになった。

便利な駅前のホテルに滞在するので、必然交通量の多い駅周辺を歩くことになる。そして、少し歩けば、どこの街にもたいてい「商店街らしき」風情が見えてくる。残念ながら、「これぞ商店街!」と格付けできる通りや一角にはめったに出くわさない。たいていは「半商店街」であり、よく言われる「シャッター商店街」であり、まだ午後7時だというのにアーケードが薄暗い「消店街」である。がいよりも「骸」と表わすほうがピッタリだ。


商店連合会も個々の店の主人も好き好んで落ちぶれさせたはずがない。しかし、勝手に沈滞化したわけでもないだろう。近くにスーパーができたり市街地から離れた郊外にショッピングモールが立地したりという環境の変化は理解できる。だが、大手の競合他店が出店したから寂れてしまったなどという因果関係は成立しないし、そんな言い訳をしながらしかめっ面して商売してもマイナスオーラを醸し出すだけだ。外的な不利係数をいつまでも放置しておくから、問題はいっこうに解決しない。

シャッター商店街は何に負けたのか? 別のプロフェッショナルに負けたのだが、実は「自分に負けた」。具体的に言うと、伝統的な「買物の楽しさと会話」が、現代的な「時間効率と無言」に負けたのである。相手が強くて負けたのではない。自らの強みを喪失してしまったのだ。それゆえに、この敗北は決定的な終焉を意味しない。つまり、首の皮一枚の危うさかもしれないが、再生可能なはずである。

スーパーやモールにないものを見直すべきなのだ。長く延びたアーケード、通路を隔てて左右に店舗が並ぶ。これこそが、巨大な立方体の空間を四角く区切った大型店にない構造である。この構造が原点だから、まずそこに戻る。しかし、最大の構造問題は店主である。商店街からスーパーやモールへとショッピング習慣を変えた人々は異口同音につぶやく。「スーパーの品物と同じ、しかも割高」、「無愛想」、「品揃えがすくない」……ここにすべてのヒントがある。

商店主はこう言う、「お客さんが来ないから店を閉める(7時頃)」と。お客は言う、「(7時半頃に行ったら)すでに閉まっている」。選択は一つあるのみ。顧客の声を優先して店を開けておく。次に、スーパーにない商品を揃える(少々割高でもよい)。自店の商品だけでなく、他店の商品も勉強する。そして何よりも、愛想と会話だ。高齢化など関係ない。愛想と会話が空気を変える。少数の元気な商店街はそうして生き残っている。