観光ブームの光と影

観光の専門家でもなければ都市論に精通しているわけではない。それでも、行政で政策形成の研修に何百回と携わり、二千以上の企画案を指導し評価してきた。そのうち、観光をテーマにした企画は少なく見積もっても500事例はあったはずである。きわめて偏った視点かもしれないが、観光について私見を披歴する資格はあると思う。と言うのも、外国人観光客が増えて本格的ブーム到来との声高らかであるが、実際に観光都市に赴くと残念な場面に遭遇するからだ。

観光客のための街づくりという考え方にぼくはくみしない。旅人だけに指向して整備された街はやがて飽きられるし、俄か観光地の振りをするにとどまる。そうではなく、住民がふつうに日常生活を送っていなければならない。彼らの生活と固有の歴史文化がケレン味なく融合して観光資源になっているのがいい。フィレンツェ、ボローニャ、ウィーン、パリ、バルセロナに滞在してみれば、生活空間と観光価値が自然発生してきたことがわかる。もちろん、これらの都市でも観光客を対象にした政策やビジネスは存在する。けれども、その都市ならではの固有の特性までは損なわれていない。土産物通りが出しゃばって主役の歴史を食うなどということがないのである。

わが国はどうか。残念ながら、観光に強いと言われる都市にさえ、観光客向けの強い作意を感じてしまう。観光客のための意匠が歴史地区の持ち味を土足でけがしているのである。魅力ある街のほとんどは、観光地である前に、歴史的文化的キャンバスの上で生活を営んでいるものだ。

日常〉にない〈異種体験ハレ〉を求めるのが旅の本質だろう。ふだん見慣れた光景とは異なる印象を刻み、思い出を振り返る。観光とは「光を観る」。旅人たちは珍しい光を観に来るのである。ここまでは、パッケージツアーでも個人旅行でも変わらない。観光の質に雲泥の差が出るのは、現地での行動の裁量と自在性である。ツアーならどこに行って何を見るか、何を食べてどこで泊まるかに意を払わなくて済む。個人旅行は自由度が高いが、何から何まで自前で調べ決めなければならない。事前知識と現場での情報が食い違っても、自己責任で対応しなければならないのである。


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個人旅行者は見知らぬ観光地にあって的確な情報を求める。ガイドブック、地図、交通路線図、そして観光案内所は不可欠である。観光案内所が近くになければ住民らしき通行人か店で尋ねることになる。ぼくのヨーロッパの旅のほとんどは、目新しい光を観るばかりでなく、わからぬことを人に尋ねる旅でもあった。国内の出張時でも、下手に邪推などせずに人に聞く。ご当地の人はある意味で権威なのだから。今年の一月、広島の県北で研修を依頼され、初めての地に赴いた。JR広島駅までは何の手引きもいらなかったのは言うまでもない。

大阪を出る前に電話で問い合わせておいた。備北交通の高速バスで美土里バスターミナルへ行きたいと言えば、JR広島駅の南口を出て右手に手前からABCとターミナルがあり、14:05発はCから出発すると説明してくれた。心強い。さて、Cターミナルに行けば、行先が5つほどに分かれていた。何度も行先と時刻表をチェックするが、ぼくの目的地の表示が見当たらない(後でわかったことだが、微熱でぼうっとしていたぼくの見落としだった)。不安になりバス待ち人に尋ねるも、同じ行き先の人はおらず、「知らない」。誰に聞いても「知らない」。最後に尋ねた人は「もしかして北口では」と言う始末。もし北口が正しいなら、もう間に合わない。階段の上り下りがあるし、手ぶらで速足でも7、8分はかかるから。

焦ってもどうにもならない。冷静さを取り戻して、向かいのBに停まっているバスまで行き、運転席の窓ガラスをノックして運転手の注意を引いた。面倒臭そうな顔をして運転手が窓を開ける。行き先を告げCで合っているのか確認した。すると、運転手はこう言ったのである、「これはH電バス。お宅が乗る高速バスは他社だし、その路線はよくわからない」。最終手段である専門家に聞いてもわからないならしかたがない。腹をくくってCで待った。案ずるより産むが易しと言うべきか、ぼくは無事に現地に着いた。

別に怒り心頭などしなかったが、観光ブームの影のほうを目の当たりにして呆れ、がっかりした。広島の良識ある人々がどんなに観光都市宣言をしても、交通や地理についてプロの運転手たちが自社以外に関して「情報鎖国」をしているかぎり、旅人は満たされることはない。観光地に到着する前に、ぼくたちは公共交通を使うのである。そこでの印象が旅全体に、ひいては街の印象に及ぼす影響は少なくない。バス会社間の連携はおろか、情報共有すらできていない状況でどんな観光都市を目指すのか。観光でメシを食っているプロたちが自らの商圏にとどまる。問われても、それ以外のことはわからないで済ませる。ちょっと調べてあげよう、誰かに聞いてみようと思わない。瑣末なことだと言うなかれ。名所旧跡だけが観光ではないのである。

PR、サービス、魅力」が観光立国の3要件であるとはよく知られているが、サービス向上は未だに道険しと言わざるをえない。別に言わなくてもよかったのに、世界に向けて「おもてなし」と有言してしまった。今のところ、理想と実態の格差を浮き彫りにした恰好である。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

「観光ブームの光と影」への2件のフィードバック

  1. こんにちは、岡野先生

     上記のブログを読ませて頂き、忘れていた気づきと耳の痛いお話しを聴かせて頂き、ありがとうございました。

     岡野先生のように上手に表現は出来ませんが、確かに広島の地に限っては、観光名所旧跡は点の存在ですね。
    若干の取り組みとして、原爆ドームのある川の畔から40名乗りの水上バスが行程45分くらいで宮島まで就航していますが、これもほとんどガラガラで点と点を結んで線にもなっていません。
    健闘しているのは、H電の電車部門において、路面電車が広島駅から原爆ドーム経由で宮島まで60分くらいで結んでいるくらいです。
    これも行程における見せる工夫や楽しませる工夫がありませんので、線としての機能は不十分だと思います。
    今、弊社では40年くらい前からの市内観光に加えて、数年前から外国人を対象として英語観光に取り組んで、原爆ドームと広島市内の短時間(車窓観光)サイトシーイングと宮島も含めた市内観光に取り組んでいますが、これも点と点を結ぶ観光であり、面白みが無い理由が分かったような気がします。
    イタリアのフィレンツェのように街全体が名所観光地で立体的な空間を提供しているのに比べ見劣りするのは当然ですが、せめて線にくらいまでは格上げ出来るような工夫が必要だと思いました。
    ありがとうございます。

     また、都市の玄関口を守り、一番最初に遭遇する公共輸送機関に携わる者、企業の責任として、単なる輸送従事者ではなく、その都市の一番最初の印象を与える立場にある者としての価値観教育が全く為されていない事に大いに恥じ入る次第です。
    せめて「平和都市広島」と自負するなら、平和という言葉に相応しい「優しさ」や「温かい心」という観点から、例えば「人(旅人)に優しい街」というキャッチコピーなどを創り、価値観教育をする事は大切ですね。
    そうやって影の部分を少しでも小さくする努力をしないと悪い評判はあっという間に広がるSNS社会ですからね。
    市内全体の公共輸送機関には行き届きませんが、せめて我が社からでも、「旅人に優しい街(企業)」創り宣言をしていきたいと思いました。

     いつも新たなる気づきをありがとうございます。
    また、改めてご指導を頂ける日を楽しみにしています。
    季節の変わり目、お身体、ご自愛下さい。

    感謝合掌 山内 恭輔

    1. 山内さん、ごぶさたしています。現場にお詳しい方のコメントとして興味深く読ませていただきました。また、拙いぼくの分析に対して速やかに快く響いていただき感謝申し上げます。
      行政で研修を始めてからまもなく四半世紀になります。縁あって、一番長いのが広島県です。広島県の県職員、県域の市町職員にのべ1000人以上話を聴いてもらい、実習を通じて企画案にフィードバックさせていただいたことになります。
      広島県の職員の取り上げるテーマのうち半分が観光、地域活性化、地場産品のPR・ブランディングです。最近では中山間地域問題、空き家問題なども増えてきました。今年の企画研修では、呉市の観光、江田島の名産きゅうりの拡販、芸北の活性化、地酒のPRなどのテーマが取り上げられました。
      ご指摘の「点を線に」という考え方は観光の基本のようになっています。しかし、近年の観光は「あれもこれも」から「あれかこれか」に徐々にシフトしていると思います。移動する際の交通の便利性は必要ですが、たとえば、イタリアのパッケージツアーのように、ミラノ→ヴェネツィア→フィレンツェ→ローマと線でつないでも、慌ただしいばかりで生涯の記憶に残ることはないでしょう。それよりも何よりも、地域のもっとクローズアップした魅力の掘り下げと知名度アップが重要だと思うのです。2007年、ぼくは約10日間、フィレンツェだけに滞在しました。そこを拠点にしてトスカーナの個性的な街(シエナ、サンジミニャーノ、ピサ、ルッカ、アレッツォ)へ日帰りでバスまたは列車の旅をしました。大きな荷物を持って移動しなくても、どこかを拠点にして毎日廻ればいいのです。
      旅人がかぎりなく現地に暮らす人たちと同じ感覚・目線で街歩きができること。これがぼくの理想の旅であり、これからの成熟時代の一つの形だと思います。パリに行けば、ホテルではなくアパルトマンです。市場に買出しに行って朝と昼は部屋で食べる。夜はちょっと奮発してレストランへ。買物に没頭するような旅ではなく、パリ市民と同じように生活の一部を短時日でもいいから経験するというわけです。
      ターゲットがツアー客なら、この営業努力はプロですからさほど難しくないでしょう。これからは二度目、三度目の広島という観光客、あるいは広島は初めてだけど旅慣れた個人旅行者が重要なターゲットになると思います。
      ホテルでも短期アパルトマンでもいいですが、数日間滞在してもらえる努力が必要ではないでしょうか。「広島。3泊する価値のある街」という具合にです。その拠点から三つ四つの定番コースを作る。夕方以降は市内を歩き食べて楽しむ。
      ぜひ知恵を絞ってください。年に三回は広島に行っていますので、機会があれば意見を交えることもできるでしょう。

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