ちょっと先のこと

一ヵ月先であれ、一年先であれ、おおむね未来は見えづらい。一ヵ月も一年先も人生の長さからすれば、ちょっと先。ゆえに「一寸先は闇」と形容するのには一理ある。

いつぞや「一寸先は白紙」と自虐した川柳を見た。本家の闇に対してパロディの白。仕事が減り人付き合いも少なくなると、数ヵ月先の手帳のページが白紙状態。それどころか、来週も明日も、いや今日ですら白紙という話も聞く。

一寸は便利なことばだ。「ちょっと」とも読む。元は約3センチメートルという長さのことなのに、時間にも分量にも形にも使える。ちょっと先が白紙、つまり、まったく何もないのは、見方を変えれば、何でもありうるということでもある。白紙ゆえに何かが書かれ何かが刻まれる可能性がある。ふと何かを思い出したり、ふと何かに気づいていれば、その何かが別の何かにつながり、未来が埋まる。

若い頃に比べると、夏場が身体に堪えるようになった。おまけに、夏が長いのである。最近の夏は仕事熱心なサラリーマンのようだ。5月頃から早出して10月頃まで残業する。勤勉にも程がある。秋が11月にならないとやって来なくなった。幸いなことにその月は白紙でない未来になりそうだ。

ふと物思いに耽る。意識して耽ろうなどとは思わない。気づいたら耽っている。ふと、「ふと」という語の不思議に囚われる。わけもなく「ふと」なのである。こんなたわいもない物思いからでも、時の流れを感じる。時の流れの向こうに、おそらく、未来はある。

雨が止んで、ふと空を見上げる。雲が同じ方向に細長く伸びている。まるで尻尾がなびいているかのよう。鉛筆か絵筆を手にした気分になって、脳内キャンバスにささっと薄く線を走らせる。こんな安上がりなバーチャル体験をしてみようと思っているあいだは、たぶん、未来がある。

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proconcept

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岡野勝志(おかのかつし) 1951年大阪生まれ 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター 岡野塾主宰 ヒューマンスキルをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。 マーケティング、コミュニケーションにまつわる企業や人

「ちょっと先のこと」への2件のフィードバック

  1. 真っ白の画用紙て良いですね!幼稚園児は、白紙の紙と絵具を渡されると、なんでも良いから、色んな色を塗りまくる。色の変化を楽しみ、その中に園児の心理が現れているそうです。子供、大人になるに連れて、白紙の紙に構えてしまい、何にも書けなくなります。幼稚園児は未来が無限に有り、歳を経るに従い未来が書けなくなるのでしょうか?歳を取っても白紙の紙な何か描ける様に成りたい。この前は、有難うございました。

    1. 十何年ぶりに会っているどころじゃないですよね。狭い日本、その気になればいつでも会えるでしょう。大それた舞台装置など不要で、思い立てば軽やかに会うようにしましょう(昨日、上杉さんが梅田の帰りに立ち寄られました)。
      闇は「見えない状態」ですね。何かがあるのかどうかもわからない。他方、白紙は「見えている状態」ですね。しかしコンテンツがない。そんな高齢者が大勢います。でも、白紙というのは、老子の「空っぽ」と同じでして、空っぽゆえの可能性があるわけです。コンテンツが先の先までぎっしり詰まっていれば身動きが取れず、歳取ってもなお不自由です。ほどよく白紙の上に何かを刻む。それは紙の上に文字を書くことでもいいけれど、ささやかな社会との、他者との、世界とのつながり感覚の具体化だと思いますね。この歳になって、そういうチャンスが与えられていることに感謝しています。

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