大大阪という時代

かつて大阪が「大大阪だいおおさか」と呼ばれた時代があった。大正末期から昭和初期にかけての頃である。そう誰かが命名したのだろうが、当時の人々も自ら生活する街をこぞってそう呼んだのである。戦後の高度成長時代と比べても遜色ない繁栄ぶりがうかがえる。その昔、父親から聞いた話だが、昭和一桁時代に「一圓」あれば、二、三人で通天閣あたりに行って芝居を見て晩飯にご馳走が食べられたらしい。

その通天閣、かつての威風堂々の雰囲気はすっかりくすぶってしまい、おまけに同じ地域にハルカスが誕生して俯瞰的にもかすんでしまった。地上に降りれば観光客で賑わってはいる。けれども、ぼくの少年時代からのイメージは、土地柄とも相まって、通天閣は垢抜けしない存在であり続けている。庶民的ではあるが、その姿も周辺の飲食店も場末感が強く、しかも風紀的にも好ましい印象からはほど遠い。

通天閣 歡樂の大阪 十里一望を標榜せる新世界の通天閣

『大大阪「絵はがき集」』が手元にある。大阪に華があった当時の勢いを示す写真24景が原色のまま収められている。もちろん通天閣は24景の一つで、「歡樂の大阪 十里一望を標榜せる新世界の通天閣」という一文が添えられている。誰かが言っていた、「スマートな東京タワーに比べたら、通天閣はコテコテ。えらい違いや!」と。通天閣を設計したのは内藤多仲だが、驚いてはいけない。「塔博士」と称せられた内藤、実は東京タワーの設計者でもあるのだ。


大阪大好き大阪人もいる。しかし、大大阪時代の誇らしげな心情が100パーセント残っているなどと言い切る自信はない。「やっぱ大阪好きやねん」と言いながらも、大半の大阪人の内には二律背反的な価値観が潜んでいる。自画自賛する一方で、自虐的であったりする。観光客が大阪城や通天閣に詰めかけるのを見てあほらしいと薄ら笑いを浮かべ、ミナミなどは怪しいディープな匂いがするなどと貶されると、「気さくでフレンドリーなんや!」と意固地になって反論する。

絵はがき集の冒頭で橋爪紳也が大大阪時代のことを次のように書いている。

大阪は「水の都」の愛称を得る。「東洋のベニス」と呼ばれた都市の中之島には、パリを想起させる美しい公園が整備され、市民の憩いの場に変容する(……)「煙の都」という異名ももらう。東洋のマンチェスター(……)

引用はこのくらいでいいだろう。東洋のベニスの中にパリの公園があって、ちょっと離れるとマンチェスターのような工場地帯が乱立していたのが大大阪時代なのであった。いったいここはどこ、ベニス? パリ? マンチェスター? 観光客が増えたと手放しで喜ぶ向きもあるが、何のことはない、大阪のアイデンティティの乱れは今に始まったものではないのである。カオスを個性とする現代の大阪は大大阪時代からのDNAをちゃんと受け継いでいるかのようだ。「幸か不幸か」と付け加えざるをえないが……。

タレですか、塩ですか?

ことばの扱い一つが社会の文脈の中で決定的になることがある。軽い発言が思わぬ波紋を広げたり、表現が誤解されて致命傷になったりする。対話では、双方が織り成す文脈において、議論が合意に向かおうが対立に向かおうが、波長を合わせる努力は欠かせない。何についてどう感じているのか、そして何を言うのかに怠慢であってはならないのである。

なにも社会的文脈などと大仰に構えることもない。もっと身近な日々の生活、たわいもないやりとりの中でも実感する。ロジックということばを持ち出したりすると、難しい話だと思われるが、即興の会話の中でも底辺にロジックが横たわる。きみがそう言うからぼくがこう応じ、ぼくがこう応じたからきみが次にこう言う……というのは、最初の発言が前提となってつながる様子そのものではないか。即興とは特殊であり、一回きりのものである。相手が誰であるかに構わずいつでもどこでも同じことを言うのはアルゴリズムであって、そんなものは文脈を読まない音声合成マシーンか、社交辞令好きに任せておけばいい。

もっとわかりやすく言えば、相手のことばを今まさに生まれ出たことばとして取り扱わねば、自分が発することばにも〈いのち〉がこもらないのである。若者に「きみには尊敬する人がいるか?」と尋ねたら、彼は「人生、出合う人はみんな師です」と答えた。そんなことを聞いてはいない。そんな答えを返されると、それ以上ことばを継げないではないか。「尊敬する人ですか。ええ、いますよ」「それは誰?」「吉田兼好です」「へぇ、渋いところに行くねぇ。それは、またどうして?」……という具合にロジックが通ってほしい。


焼鳥屋

二十数年前になるだろうか、大阪の郊外に住んでいた頃の話。地下鉄からJRに電車を乗り継ぐ時に焼鳥屋に寄ることがあった。場末ということばがぴったりの路地裏の店である。一度目は店主の手際のよい仕事ぶりが印象に残った。二度目にはその手際の良さが客とのやりとりの中から生まれていることに気づいた。

ある客が「キモと皮を一本ずつ」と注文する。店主は間髪を入れずに返事しない。絶妙のがあって、「キモはタレですか、塩ですか?」と聞く。客が「タレ!」と発し、次いで「皮はタレですか、塩ですか?」とつなぎ、客が「塩!」と答える。三種類注文すれば、三回聞き返されるのである。

店主は「手羽はタレ? 塩?」などと手抜きせず、相手が常連なのに「手羽は塩ですか、タレですか?」とていねいに聞く。常連もちゃんと心得ている。「塩でお願いします」などと野暮は言わず、まるで合図のように「塩!」と威勢よく答える。「せせりはタレですか、塩ですか?」「塩!」……ト書きを省いて書けばこんな具合になる。これをぼくはロジックと表現したまでである。そう、ロジックにはリズムがあるのだ。

ある日、「ロジック崩し」をしたくてたまらなくなった。タイミングを狂わせたり、ことばをオーバーラップさせたりという程度のお茶目ではない。「ハートとキモ一本ずつ。ハートは塩、キモはタレで」と一人で完結するという暴挙に出たのである。店主はぼくに視線を投げ、うつろなまなざしのままフリーズした。その後の店主の調子はいつもとは違った。ロジックの崩れかたはぼくの想像以上であった。ロジックはたぶん折れたのだった。そして、その日がこの店にお邪魔した最後の日となった。

食を巡る栄枯盛衰

風土や食性に合った定番メニューは、人気の上昇下降や頻度の高低などの変化にめげずに、時代を経て口に運ばれる。しかし、食にもはやりすたりがある。食材の過剰や不足によってメニューが変わる。マスコミや噂に煽られて人気メニューが登場する。一時的に貪られても、徐々に飽きられ、やがて表舞台から消えていく。世界の食材・料理を柔軟に取り入れてきたこの国の人々は、食性の広さに関するかぎり世界一である。何でも食べる。そして、食のトレンドに敏感である一方で、食べ飽きるのも早い。

食文化の歴史を辿れば、日本人は近年急速に食べるものを多品種化してきた。一昨日は天ぷら定食、昨日は豚の生姜焼き定食、だから今日はパスタセット、明日はたぶん和定食……などという食習慣は世界に類を見ない特殊だ。和洋中に加えて麺類専門、カフェ系、エスニックなど店の顔ぶれが多種多様である。つまり、それだけ競争も激しいのである。

会社を興して2年後に今の場所に移転した。以来25年間、ぼくのオフィスは動いていない。つまり、ぼくはオフィスが立地する地域、とりわけ食事処によく通じているのである。たまに弁当を食べるが、ランチはたいてい外に出る。したがって、休日や出張で不在の日を除けば、約200食×25年、合計で五千食以上どこかの店で昼食をしてきたことになる。オフィスを中心に見立てると、「食事圏」は南北800メートル、東西で600メートル。おそらく二、三百軒の食事処に足を運んだはずである。


店の数が常時二百も三百もあるわけではない。看板やのれんが変わったから、合算するとそのくらいになるのである。たとえば、二つ隣りのビルの地下の食事処は現在で6店目である。大衆居酒屋、創作居酒屋、鯨肉割烹……などと代替わりし、今は洋風レストランになっているらしい。覗いたこともないから、看板から類推して「らしい」と言うしかない。このような現象が圏内にあまねく見られる。そして、25年間に及んでぼくが目撃し、実際に食事をした店のうち、屋号もメニューも立地も変わらぬ食事処はおそらく十指にも満たない。

健闘しているのは、リーズナブルで味がまずまずの店であり常連客がついている。他に、家内営業的であることだ。夫婦二人で営んでいる喫茶店がそうであり、親族経営の和食の店がそうである。もう一つ加えると、週に一、二度通っても飽きがこない、定番系のメニューを揃えていることである。創作系やヌーベル系はことごとく消え去った。さらにもう一つ加えるなら、アルバイトを過剰雇用していないことである。暇そうなパートがいる店も負け組である。

ビフカツ大

栄枯盛衰の食事処シーンを回顧するにつけ、飲食業の難しさを痛感する。パスタと洋食でまずまずの人気を集めていた店がある。イタリア語で綴られたメニューの三ヵ所にスペルミスがあって気になってはいたものの、その店には月に二度は足を運んでパスタランチかビフカツの大を注文していた。まずまず気に入っていた。ある日、その店先に移転のため何月何日に閉店すると貼り紙が出た。

閉店前後に何度か前を通ったが、移転先を告知するような貼り紙はついに出ずじまい。おそらく移転というのは廃業の口実だったに違いない。ランチタイムはかなりの賑わいだったのに、なぜ? とも思うが、オフィス街特有の事業継続のもう一つの絶対条件を見逃してはならない。夜に人が入らないと採算が合わないのである。昼にやって来る客が、仕事が終わって近くの洋食店で一杯引っかけたりしない。わがオフィス圏内で飲食業を始めようと思う経営者は、不動産屋で店を探す前に、ぼくの証言に耳を傾けるべきである。

ジョルジオ・モランディのこと

ボローニャ モランディ

本の仕分けと所蔵のことでずっと頭を痛めている。美術関係の図録や海外で買い集めた街のガイドブックなどは分厚く重い。雑誌もかさばる。これらが幅1メートル、3段の棚を占めている。何とかしようと整理にかかると、珍しいものに出くわし、座り読みして作業が渋滞する。昨日ぼくの手を止めたのは20055月号の芸術新潮。特集は『モランディのまなざし』である(写真がその雑誌とモランディの作品のポストカード)。

ジョルジオ・モランディ。回りに知っている人はほとんどいない。ぼくも12年前は知らなかった。1890年イタリアのボローニャで生まれ、1964年に73歳で亡くなるまでほぼ生涯をボローニャで過ごした。20043月、ぼくはボローニャに滞在し、マジョーレ広場へ出掛け、敷地内にある市庁舎を訪ねた。その市庁舎内でモランディ美術館の存在を知り、モランディ作品を鑑賞する縁があった。

とにかくモランディは静物画ばかりを描いた。静物画の主役はほとんどがびんである。いろいろな壜を描いたが、まったく冴えない同じ壜でさえ執拗に繰り返し描いた。美術館で作品を眺めながら、「静物画だけに静かだ……おとなしくて上品だと言ってもいい……けれども凡庸だ……この程度なら……」と感じていた。これがぼくの第一印象である。鑑賞する作品のほとんどに〈静物〉という題がついている。静物、静物、静物……絵画にもタイトルにもちょっとうんざりした。


おもしろいものである。あまり感心をしたわけではないのに、見終って出口近くのミュージアムショップに寄ると、ふとジョルジオ・モランディが近い存在に思えてきた。見た目にあまりパッとせず口あたりもよくない料理だったけれど、食べているあいだに癖になり、舌の上で食味の余韻が残っているような感じがしてきた。立ち去りがたく、しかし、いつまでも佇んでいてもしかたがないから、ポストカードを数枚買って市庁舎を後にしたのである。

冒頭の芸術新潮にモランディのことばが紹介されている。

「人が実際に見ているものほど抽象的で非現実的なものはない(……)客観世界について見てとることのできるものは、私たちが主観であり客観でない限り、それを見て分かったと思うとおりに存在しているわけでは決してないのです(……)私たちに知ることのできるのは、木は木、コップはコップであるということだけなんです」

要するに、壜は壜なのである。モランディは、何の変哲もない壜を、描くのと同等かそれ以上のエネルギーをかけて観察したという。脱主観の境地に達するまで見つめ続けたのだろうか。

EPSON MFP image

翌日、ボローニャ名所の一つである斜塔の木造階段を恐々上り、マジョーレ広場と市庁舎を見下ろした。ボローニャはめったにツアールートに入らないが、個性ある街という点ではミラノ、ヴェネツィア、フィレンツェ、ローマにひけを取らない。それどころか、ここでしか感応できない対象がある。モランディ美術もその一つと言えるだろう。もちろん、タリアテッレのボロネーゼも忘れられない。

大賞・最優秀賞の意味

金メダル4個.jpg一つだけが群を抜いており異口同音の評価が下されれば、それを選べばいい。だが、評価すべき対象が拮抗することもよくある。優れているものが複数存在することは珍しくないのである。それでも審査や選考という仕事は、大賞や最優秀賞に値するものを、甲乙つけがたい苦悶の末に一つに絞ってこそ任を果たす。選ぶのが難しいからと言ってすべてを選んでいくとキリがなく、また本来の大賞・最優秀賞の値打ちも下がってしまう。

洋服にしても食事にしても何を着て何を食べるかに迷う。迷った挙句、すべてを購入したり食べたりしていては節操がない。そんなことができるのは特殊な人間に限られる。ぼくたちは、小から大に到るまで、日々選択の岐路に立って一つに絞る。決断とは一つの責任の担い方であり、外へ向かっては意思の表明である。悩み抜いた結果一つだけを選ぶのか、悩み抜いても決心がつかず複数を選ぶのか……後者は優柔不断に陥る。たった一度の例外を作ってしまうだけで、それが日常化し、無責任を正当化してしまうことになる。


こんなことを書いた理由はほかでもない。今年の流行語大賞の話題が先週あたりから出始めたのを知り、ふと昨年の『2013年新語・流行語大賞』のことを思い出したのである。大賞を受賞したのは四語。まだ記憶に新しいだろう。

「今でしょ!」
「お・も・て・な・し」
「じぇじぇじぇ」
「倍返し」

今年の審査員の面々が誰なのかは知らない。昨年は、やくみつる、姜尚中、鳥越俊太郎らであったことを覚えている。彼らはこれら四つの大賞に落ち着くまでに相当選考に苦しんだはずである。そうでなければ、金メダルを四個も出すことはなかったはずだ。

ところで、ぼくはネーミングという任務をたまに授かる。商品のコンセプトをよく吟味し、市場からの目線も踏まえて十いくつかの案を出し、三つ四つに絞り込む。絞りきれないからその商品の名前を複数にしてしまおうなどという乱暴な決断には陥らない。甲乙つけがたくても、一つに絞る。この種の作業において何かを一つだけ選ぶというのは、別のものとの決別でもあるのだ。そこには潔さが求められるし、その潔さによって選考した理由を自信をもって論うことができる。選べないから全部などというのは、審査員の役割をまっとうしていないのである。

と、硬派な意見を述べたが、一企業が企てている新語・流行語大賞ごときに本気でいちゃもんをつけているのではない。まあ、どうだっていいのである。ぼくがいまお手並み拝見したいのは、すでにノミネートされた今年の新語・流行語の50候補から、一つだけの大賞が選ばれるのか、はたまた今年も複数が選ばれるのか、という一点である。

この小文、読者をおもてなしするものでも読者に倍返しするものでもなく、じぇじぇじぇとつぶやきながら書いたものでもない。書くなら発表前の「今でしょ!」というつもりでしたためた次第。

単一問題と問題群

何事も考えず、どんなことにも気づかなければ、問題などは生起しない。幸か不幸か、あいにくぼくは問題に知らん顔できる神経を持ち合わせていない。職業的な性かもしれないが、いつも問題を抱えながら、あるいは問題を突き付けられながら生きてきた。問題を問題としない、あるいは問題を見ないことにする人生もあれば、他方、別にそこまで問題にしなくてもいいことまでを『問題群』(中村雄二郎)として徹底的に考察する人生もある。

問題がたった一つであるのと、問題がおびただしく集合して群を成すのとでは天と地ほどの差がある。問題の数の単なる足し算が問題群になるわけではない。問題群を見てしまったら最後、解決に向けて集中と統合というエネルギーを費やすことを運命づけられる。これが現実だ。そう、生きている世界は問題群世界なのである。ところが、問題群の渦中にあるにもかかわらず、「問題などないさ」と言ってはばからないP君がおり、たった一つの問題しか見えないQ君がおり、一見平穏無事の状況の中からでさえ現象を抽出しエキセントリックに問題に仕上げてしまうR君がいる。

落葉群

ふと以上のようなことを考えたきっかけは、一枚の落葉をしげしげと眺めた後に、落葉群に巡り合った時だった。ぼくは落葉を問題に見立てて上記のようなことを考えたのである。落葉と問題、落葉群と問題群を類比してしまうのは、ぼくの内にR君があるからだろうと思う。一枚の落葉を見るのとおびただしい落葉の集まりを見るのとでは、落葉の印象が激変する。同様に、単一の問題に気づくのと問題群に気づくのとでは雲泥の差がある。思考にコペルニクス的転回が起こるのだ。


「左右」ということばがある。「左」について思いを巡らす時には「右」が前提され、「右」について意識する時には「左」が前提される。では、古代人がある日、ある概念に基づいてそれを「左」と命名した……しばらくして、別の概念を思い浮かべてそれを「右」と呼んだ……そうして共同体で「左右」という概念と名称が完成した……などということがありえただろうか。左と右は二項対立的関係にある。左と右は対立しながらも、左は右に、右は左にもたれかかっている。別々の日に生まれたなどとは思えない。同時に生まれなければならない。

左右という二つの概念のセットに限った話ではない。すべての基礎概念は、少なくとも個々の共同体が育んできたカテゴリー内にあって、複雑に絡み合って類似と差異のネットワークを形成しているのである。概念とことばがそうであるように、一見異なって見える問題もこんなふうに影響し合い関わり合っている。ある一つの問題は他の大小様々な問題から孤立して発生したり露出したりしているわけではない。

ちょうど一本の木から一枚ずつ葉が剥がれて地上で落葉群になるように、同一カテゴリーの問題は同じ根から派生した枝から落ちてくる。問題を単独にとらえ、その問題の原因だけを明らかにしていくというのは、机上の便宜上の方便に過ぎない。楽そうだからそうしているだけの話で、結局は解き切れないのである。単一問題だけを炙り出しているかぎり、一過性の対処療法の愚を繰り返すばかりだ。すべての問題は問題群の中で発生している。だからこそ、問題群としてとらえてはじめて根腐れが見つかるのである。

落葉と孤独

「落ちる」ということばを聞いて歓喜して小躍りしたくなるか。決してならない。「恋に落ちる」を唯一の例外として、落ちたいなどと思う人はいない。同音の「堕ちる」も「墜ちる」も字姿が危なっかしい。葉は芽吹いて青くなり、季節が巡ってやがて紅葉し、枯れて落ちる。せつない。落ちるよりはでるほうがいい。墜ちるよりは翔ぶほうがいい。

落葉はやるせなさを募らせるし、別に悲しくもなんともないのに、まばらに路肩に撒かれたような落葉を見ると感傷的になってしまう。それらの落葉は公園通りで掻き集められ、大量に袋に詰め込まれて清掃車を待つ。このように扱われると、せつなさもやるせなさも漂ってこない。もはやただのゴミである。

パリの落葉 2011年もの

子どもたちが落葉を拾っている。黄色、赤色、褐色の葉を集めてはしゃいでいる。その嬉々とした姿を見ていると、落葉の光景から哀愁が消える。3年前の今頃、ぼくも子ども心に戻って十数枚の落葉を拾っていた。場所はロダン美術館のある庭園。その時の落葉は、今では水分をすっかり失って枯れ切ってしまい、おそらく乱暴に扱うとパリっと割れるか粉々になるだろう。


ロダン公園

ロダン美術館はロダンの邸宅だった。1917年に没するまでロダンは10年間ここで過ごした。美術館には多数の作品が展示されているらしい。「らしい」というのは、足を運んだのに美術館に入館していないからだ。ぼくはまず庭園を歩いた。広大な庭園内を歩きながら、青空を眺め、深呼吸し、落葉を拾い集めた。その合間に屋外に置かれている『考える人』や『地獄の門』を鑑賞した。美術館に戻ってきた時、もう十分に芸術とパリの秋に堪能していたのである。

パリから持ち帰った落葉を見るたびに、半月ほどの滞在の日々をかなり濃密に回想することになる。この時期に振り返る街角、広場、舗道、カフェなどのシーンには物悲しいシャンソンがお似合いだ。孤独に陥る寸前の自分に別の自分が視線を投げて少々陶酔している図も見えてくる。

ロダンは名声を得る前、孤独だった。だが、やがておとずれた名声は彼をおそらくいっそう孤独にした。名声とは結局、一つの新しい名の回りに集まるすべての誤解の相対にすぎないのだから。
(リルケ『ロダン』)

孤独とは厄介な心理である。無名であろうと有名であろうと人は孤独に苛まれる。孤独から逃げ出すために群衆に溶け込もうとしたものの、意に反して強度な孤独に襲われて眩暈に苦しむ。一、二枚の落葉も孤独の誘因になりうるが、大きな孤独を招かないためのワクチンだと考えればよいのである。

バッハから……ブッダまで

今日のことば、あれこれ。ただ書くがまま思うがままである。他意はない。

バッハのすべて編集

『バッハのすべて』を読む。もちろん、この一冊でバッハのすべてがわかるはずもないし、わかってやるぞと思うわけではない。バッハは作曲家であり演奏家であり教育者であった。すべてに超のつく「めい」がつく。加えて、楽器、とりわけオルガンの名鑑定家としても知られていた。18世紀当時、オルガンと言えば教会。響きには北ドイツ系、オランダ系、フランス系などがあったという。オルガンは製作されるものではなく、「建造」されるものであった。そんなプロジェクトにバッハは関わってもいたのである。

「音楽は精神の中から、日常の生活の塵埃じんあいを除去する。 」
ヨハン・セバスチャン・バッハ)

三年前の今頃、パリはサン・ジェルヴェ・サン・プロテ教会。そこで最古のパイプオルガンの響きを体感した時、音楽の奇跡的な浄化作用を確信した。塵埃が積もり過ぎてしまう前に、精神、つまりは脳の自浄作用が働くように音楽サプリを摂取しておくのがよい。


柿が好きだ。昨夜も京都でほどよく熟した柿のデザートを堪能した。今夜も食後に柿を食した。酸味のある果物が苦手と思われているのだが、そんなことはない。ただ、口あたりのよいほどよく甘い果物のほうが好きだというだけのことである。それにしても、果物はえらいと思う。八木重吉にこんな短詩がある。

 果物

秋になると
果物はなにもかも忘れてしまつて
うつとりと実のつてゆくらしい


昨日花園大学に行った際に『ブッダのおしえ  「お経」のことば』という小冊子が廊下のテーブルの上に置いてあった。「自由にお持ち帰りください」とは書いていなかったが、持って帰っていけないわけがない。と言うわけで、今手元にある。

八正道はっしょうどうの話が書いてある。煩悩の根本を滅ぼして執着しゅうじゃくを離れれば苦しみがなくなる……そのために修めるべき八つの正しい道がある。

正見  (正しい見方)
正思惟    (正しい考え方)
正語        (正しいことば)
正業        (正しいおこない)
正命        (正しい生活)
正精進    (正しい努力)
正念        (正しい思い)
正定        (正しい心の統一)

実は、数年前からぼくの企画の演習の中にも取り入れている。上記の八正道を紹介した後に「八正道を九正道にしたい。あと一つ何を付け加えるか?」という演習。やさしそうだが、すでに存在している八正道との折り合いもあるから、やや骨が折れる。正食、正縁、正聴などが加わってもよさそうだ。正笑や正遊も候補に挙がるかもしれない。

文具ダンディズム考

具は飾り物ではない。高価であるとか安価であるとかも文具の必須条件ではない。文具は使うものであり、長年に及んで使い込めば愛用品と呼ぶにふさわしい一品に仕上がる。使う愛用品であって、決して飾り棚やケースに収納して愛蔵するものではない。専門の蒐集家ならいざ知らず、ぼくたちにとっては日々の実用品にほかならない。

紳士の文房具

粋やダンディズム、知性やことばについて造詣が深かった評論家の板坂元の著書を何冊か読んでいる。その中に『紳士の文房具』という一冊がある。題名が示す通り、いろいろなジャンルの文具についての考え方が披瀝されている。万年筆へのこだわりなどは、他の万年筆愛好家同様に尋常ではない。ぼくも万年筆には並々ならぬ想いがあるが、特段の造詣があるわけでもなく、周囲の知人友人を驚かせるほどの薀蓄を傾ける域には達していない。

使わないからどうぞと言われ、厚かましく頂戴したモンブランがぼくの愛用する万年筆の最高値である。10万円を下らない。パーカー、シェーファー、パイロット、セイラー、ペリカン、ラミー、ウォーターマンなど、二十代から自腹で10本以上買っているが、どれも1万円から2万円前後のものばかり。頻繁に愛用しているのは34種類だが、たまに手に取っては、どのペンにも出番を与えるようにしている。


先日、新聞の夕刊に万年筆について書かれた記事を見つけた。話は、大人の男の流れから万年筆へと及んでいたのだが、記者の取材した相手がダンディズムを売りにしている有名人らしい。「40歳過ぎて万年筆を使ってないヤツは子ども。大事な人へのお礼状は万年筆がベストだよ。字が多少下手でも雰囲気が出る」というくだりにちょっと首を傾げたが、目くじらを立てるほどのことはない。問題はその後だ。「5万円以上のものを使ってほしいな」。

手紙を書かない字の下手な男でも万年筆を買うか貰うかするかもしれない。しかし、断言してもいいが、使うとなれば三日坊主に終わる。ものを書くだけなら、万年筆以外のどんな筆記具でもいいわけだ。しかし、若い頃から万年筆を使ってきた者は、万年筆でなければならないと考えた段階で、すでに書く中身にこだわったはずなのである。誰にだって稼ぎに応じた懐の状況があるのだから、いきなり5万円以上から入門できる者などめったにいない。

5万円以上の万年筆を持てという時点で、文具ダンディズム失格と言うべきだろう。人にもらった10万円超のあのモンブランは、ペン先を調整すればよくなるだろうが、使いこなすにはまだ時間がかかる。手に馴染み筆感に優れ心地よくペン先を走らせることができるのは、1万円台の万年筆ばかりである。どのインクでどの紙に何を書くか、そしてどのペンを使うのか……万年筆を取り巻くソフトとハードは、価格などでは計れない長い歳月を経て決まる。愛蔵や見せびらかしなどとは強い一線を画するダンディズムに裏打ちされるものなのだ。縁あって手に入れた文具、せいぜい愛用すべきである。

うんめい【運命】

『広辞苑』は「運命」を次のように定義している。

人間の意志にかかわりなく、身の上にめぐって来る吉凶禍福きっきょうかふく。人生は天のめいによって支配されているという思想に基づく。めぐりあわせ。転じて、将来のなりゆき。

運命とサイコロ

「なあんだ、それならサイコロと一緒じゃないか」とつぶやく向きがあるかもしれないが、これを低次元だと一喝するわけにもいかない。サイコロの目は天の命に支配されていないことを反証するのが厄介だ。とは言え、サイコロを転がそうと思う時点で人間の意志は働いている。そして、2個のサイコロの目の合計は2から12に限定されるから、吉凶禍福と言ってもさほど複雑ではない。しかも、たかがお遊びである。


ぼくたちは運命そのものだけを単独で語りがちだが、西洋では古今を問わず、運命を扱う名言・格言のほとんどは「女神」とセットになっている。紀元前のギリシアの哲学者テオフラストスは「人生を支配するのは運命の女神であり、人間の知恵ではない」と言い、古代ローマの喜劇作家プブリウス・シルスは「運命の女神はガラスでできていて、輝きが頂点に達すると壊れてしまう」と言った。『デカメロン』を書いたボッカチオ(14世紀)にも次の格言がある。

運命の女神はほほえみをたたえて、胸もあらわな姿を見せるが、一度だけのことである。

一度とは残念であるが、いいように解釈すれば、一度は胸をあらわにして微笑んでくれるのである。この歳になるまでお目にかかったことがないので、ボッカチオが正しければ、まだチャンスがあるはずである。

何を今さら運命の話をしているのかと言えば、40年前の古いノートに悪魔の辞典風に運命を綴った断片を見つけたからである。当時、運命については諧謔を弄しており、かなり冷笑的であった。次の通り。

運命。それは……

      • 否定的言辞である。
      • イソップ物語の犬が、川の中に肉を落としてしまった時に、心中ポツリとつぶやいたことばである。
      • 過失による過去の汚点を一瞬にして消し去ることのできる、荘厳にして重厚なる消しゴムである。
      • 歴史上著名なかの音楽家が、それなくしても著名であり得たにもかかわらず、それなくしては自己完結できなかったところの不可解な概念である。
      • 定まらぬ道から抜け出て、意識的に生き方を定めようと喘ぐ男が、命を運ぶことによって自己を定める墓標である。
      • 万能のはさみである。
      • 昨日までの怠惰を肯定するために今日の怠惰を否定し、その結果、明日からの怠惰を肯定し得る魔法の杖である。