『広辞苑』は「運命」を次のように定義している。
人間の意志にかかわりなく、身の上にめぐって来る吉凶禍福。人生は天の命によって支配されているという思想に基づく。めぐりあわせ。転じて、将来のなりゆき。
「なあんだ、それならサイコロと一緒じゃないか」とつぶやく向きがあるかもしれないが、これを低次元だと一喝するわけにもいかない。サイコロの目は天の命に支配されていないことを反証するのが厄介だ。とは言え、サイコロを転がそうと思う時点で人間の意志は働いている。そして、2個のサイコロの目の合計は2から12に限定されるから、吉凶禍福と言ってもさほど複雑ではない。しかも、たかがお遊びである。
ぼくたちは運命そのものだけを単独で語りがちだが、西洋では古今を問わず、運命を扱う名言・格言のほとんどは「女神」とセットになっている。紀元前のギリシアの哲学者テオフラストスは「人生を支配するのは運命の女神であり、人間の知恵ではない」と言い、古代ローマの喜劇作家プブリウス・シルスは「運命の女神はガラスでできていて、輝きが頂点に達すると壊れてしまう」と言った。『デカメロン』を書いたボッカチオ(14世紀)にも次の格言がある。
運命の女神はほほえみをたたえて、胸もあらわな姿を見せるが、一度だけのことである。
一度とは残念であるが、いいように解釈すれば、一度は胸をあらわにして微笑んでくれるのである。この歳になるまでお目にかかったことがないので、ボッカチオが正しければ、まだチャンスがあるはずである。
何を今さら運命の話をしているのかと言えば、40年前の古いノートに悪魔の辞典風に運命を綴った断片を見つけたからである。当時、運命については諧謔を弄しており、かなり冷笑的であった。次の通り。
運命。それは……
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- 否定的言辞である。
- イソップ物語の犬が、川の中に肉を落としてしまった時に、心中ポツリとつぶやいたことばである。
- 過失による過去の汚点を一瞬にして消し去ることのできる、荘厳にして重厚なる消しゴムである。
- 歴史上著名なかの音楽家が、それなくしても著名であり得たにもかかわらず、それなくしては自己完結できなかったところの不可解な概念である。
- 定まらぬ道から抜け出て、意識的に生き方を定めようと喘ぐ男が、命を運ぶことによって自己を定める墓標である。
- 万能のはさみである。
- 昨日までの怠惰を肯定するために今日の怠惰を否定し、その結果、明日からの怠惰を肯定し得る魔法の杖である。
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