五輪(1)~ライブと記録と記憶

東京五輪が開催された1964年は中学生だった。学校が斡旋した「五輪記録ノート」を買った。全競技全種目が開催日別に印刷されており、ページごとにメダリストと国名を自分で記録していくという体裁になっていた。

後日新聞記事なり開催終了時に掲載される一覧を見ればわかることだが、そのつど結果を記入していくとページたりとも空白のまま残せなくなってしまう。開催期間中はテレビ中継に釘付けになった。録画ではダメで生中継に意味がある。競技終了後に書き込むのが正統で、どうしても記録が追いつかなかったりして翌日新聞で確認して穴埋めするときは少し情けない気がしたものだ。

二学期の中間テスト前だったが、勉強はほどほどにしておき、全種目の金メダリストや日本選手の成績はほとんど覚えた。そんなもの覚えてもしかたがないことはわかっていたが、一種のオタクだったのだろう。しかし、自己弁護しておきたいが、開催期間の約半月は一億総五輪オタクのニッポンであった。


五輪のみならず、サッカーでも野球でもそうだが、録画はつまらない。結果を知らないで見る録画はまだしも、結果を知ってからの録画は話にならない。現場観戦が一番いいだろうが、それが叶わぬならばせめてライブだ。ただし、国内に居ながらの時差ボケというツケを払わねばならないが……。

1970年代以降夏季五輪はもちろん観戦したが、冬季もよく見た。印象に残る冬季大会は1994年リレハンメルだ。スキージャンプは、原田選手の失速に日本じゅうが悲鳴をあげた。観衆も一緒に自分の腹筋に力を入れて1メートルでも先へと足腰を浮かせてみたが、結果は団体銀メダルに終わった。

さらに印象的なのが4年後の長野大会。ラージヒル団体戦の当日、ぼくは講師として大手企業の合宿研修の最中だった。立派な研修センターでロビーには大型テレビがある。最終ジャンパーの跳躍だけでもライブ観戦したいとの思いから、卑しくもその時間帯を自習させることはできないかと画策していた。

結果的には卑しくならずに済んだ。というのも、企業の研修担当課長が「研修していても気が入らないでしょう。ぜひ30分ほど休憩してみんなで観戦しませんか?」と申し出てきたのだ。ここで相好を崩すわけにはいかない。ポーカーフェースで「う~ん、やむをえませんね」とぼく。

4年前の雪辱を果たす原田選手のウルトラジャンプに全員拍手と感激の嵐。金メダルに酔った。気がつけば、ロビーは他のコースの研修生も含めて人で溢れていた。やっぱりライブだ。ただ、受講生のテンションの余燼がくすぶり、その後の研修の調子は失速していったのを覚えている。   

経験の差は優位性とはかぎらない

「経営に口をはさむのは10年早い!」と、社長にたしなめられている社員がいた。よく聞いてみると、想像ではなく経験でものを言えということらしい。

ある対象を理解するうえで、対象の中に入れという「同化思想」や「経験主義」が幅をきかせる。それはそれで一目を置くに値する。しかし、決して唯一の理解方法ではない。「古代ローマ人を理解するために、古代ローマ人でなければならない」のならば、歴史など存在しなくなる。

もしかすると間違った引用をしているかもしれないが、20014月のノートに「シーザーを理解するために、シーザーである必要はない」というメモがあって、引用がマックス・ウェーバーの『理解社会学のカテゴリー』となっている。この本は学生時代に読んでいる。なぜ、7年前のノートに書いているのか思い出せない。

さて、このことば、裏返せば、「シーザーでなくても、シーザーを理解することができる」というメッセージだ。冒頭のように社員を叱るのは、「経営者でなくては、経営を理解することができない。もっと経営の勉強してから話せ」と言っているに等しい。


経験は「餅は餅屋」というプロフェッショナルをつくる。だとしても、そのプロ自身が未経験の周辺世界をどう理解すればいいのだろう。想像力を使わなければどうにもならないはずではないか。

社員を理解するためにもう一度社員に逆戻りした経営者は、ぼくの知り合いにはいない。社員に逆戻りしなくても社員の気持が理解できるという自信があるからだろう。なかなか虫のいい話である。それならば、「経営者でなくても、経営を理解することができる」という意見も受け入れるべきではないか。

経験の差をかざしていれば安泰。だから、上に立てば立つほど、経験至上主義に走ってしまう。何十年の経験、何百年の歴史を一気に縮めてしまう可能性が想像力にあることも認めておきたい。そのほうがもっと広い視野で経営を理解できるだろう。