ネット時代のレファレンス感覚

喉元過ぎれば熱さを忘れる。喉元を過ぎるのは苦しみだけではない。歓び、感謝、恩義も過ぎていく。喉元とは体験のその瞬間の比喩である。熱さとはその瞬間の印象であり感覚である。喉元通過中は熱さをしっかりと感じるが、時間が経つと生々しい体験は思い出と化し、時には風化してしまう。それでも、自らの生に強く刻印されるような体験なら、思い出の中でも臨場感を伴ってよみがえる。つまり、時間の遠近を超越して言及できたり想起できたりする。体内時計に倣って、これを人それぞれの〈脳内レファレンス感覚〉と名付けたい。レファレンスとはものを考える際に知識を参照・照合することである。

関係のネットワーク

体内のレファレンス感覚がぶれなければ、ぼくたちは個性的な知のネットワークを構成できる。はるか昔に喉元を過ぎた情報であっても余熱を感知できる。その一方で、喉元通過中で世間が熱い熱いと叫んでいても、まったく自分にとってホットでない情報なら捨ててしまえばよい。プロタゴラスは「人間は万物の尺度である」と言った。ここで言う人間は人間一般ではなく、個人である。ある事件が、他人の尺度ではもはや冷めてしまっていても、自分の尺度では熱い状態のままであっても何ら不思議ではない。

他人が人間ならまだいい。しかし、現在では他人の役割をネットが担い、あたかも社会の標準尺度のように威張り顔をする。ネット上で日々発信される膨大な情報は、古きを捨てて新しきを拾うというスピーディーな更新が特徴だ。当然ながら、早々に水に流してはならないものが流される。蔵入りさせてはならないものが開かずの記憶庫に格納される。レファレンス感覚がネットに支配されてしまったらどうなるか。外界からの新陳代謝激しい情報に晒され続けて、知のネットワークの基本構成が揺らいでしまうのである。


ネットを情報源の中心に据えてしまうと、次から次へと押し寄せてくる目先の情報に軸足が移ってしまう。目先の情報には、本来公共社会的に共有する意味もさほどなく、また長きにわたって考察するに値しない「揮発性の情報」が多く含まれる。否応なしに衝動受信してしまうゴシップや事件の大半は、冷静に考えれば、取るに足らないものばかりだ。こういう類いの話題が高頻度レファレンスの中心になりかねない。重要だが遠い過去の出来事は薄くなり、記憶から消えていく。時間系列に忠実なネットに誘導されるレファレンス感覚は、お仕着せの関心事にしか興味を示さない思考パターンを招く。

直近情報ばかりが優先される借り物のデータベースとの付き合いをほどほどにして、自らの脳内に体験的な知のネットワークを築かねばならない。時間の遠近ではなく、記憶の濃淡をつけて重要な出来事をいつでも想起できるように配置しておくのである。あたかも昨日起こったかのように、いや、今もなお進行しているかのように、優先順位をつけるべき事象があるのだ。オウム事件、同時多発テロ、二度の大震災、数々の偽装事件……。今年1月のシャルド・エブリ襲撃テロ事件などは喉元過ぎれば熱さ忘れるの典型になっている。あの事件の生々しさは、当事者以外のどれほどの人の記憶に残っているのか。

急上昇ニュースばかり追いかけてはいけないのだろう。時事について数行で片付けるツイッターだけではいけないのだろう。将来展望もない今だけのコメントをシェアして左から右へ流すだけではいけないのだろう。誰もが同じレファレンス感覚に染まるのはおぞましい現象である。第一、十人一色ではつまらないではないか。シンクロしなければならない情報とそうでない情報を自分の尺度で精査したい。そして、「現在」のみならず、「現代」の生き証人として体験的に温故知新を心掛けるべきだろう。それが情報化社会に生きる一つのコモンセンスにほかならない。

大人の独学

英国首相だったウィンストン・チャーチルがおもしろいことを言っている。

「私としては、いつでも学ぶ姿勢をとっているつもりだ。ただ、教えられるのが好きじゃないだけなのさ。」

まったく同感である。ぼくの学校時代、生徒に自発的な学ぶ姿勢などはほとんどなく、ただ教えられることだけが習慣化されていた。学生からすれば教えられることが教育のすべてであり、教師からすれば教えることが教育の主眼であった。教え教えられるという単純な構造が教育であった。社会に出てこの構造から解放されたにもかかわらず、大人たちの大半は未だにこの習慣に縛られている。誰かに強制されているのではなく、勝手に自縛状態に陥っている。

独学

学ぶ意欲が横溢し学ぶ姿勢もスタンバイしているのなら、誰かに教えてもらうことなどない。「大人なのだから」というのは説得力のない理由だが、そう言うしかない。大人なのだから、いい加減に受動的・反応的に教えられる態度を改めて、能動的・主体的に学ぶ姿勢に切り替えるべきなのだ。言い換えれば、学びの他力から独力への転換である。独力とは、デカルトが言うように「理性レゾンの力」だ。この一点においてのみ、子どもの学習と大人の学習が峻別されるのである。

学校で解答を間違ってもペーパー上で減点されるだけである。減点、つまり成績が悪いことがその後の人生と無関係であるとは言わない。しかし、一枚の紙ごときで人生の何事が決められるのか、決められてたまるものかと意地を張ることはできる。他方、実社会で誤れば、減点はペーパー上ではなく、生活上や仕事上ひいては人生上に罰としてはねかえる。だからこそ、集団教育内の過ちから得るのとは比較にならないほどの教訓をぼくたちは社会での失敗から学ぶことができる。他力によって教えられる学校よりも、独力によって学ぶ社会のほうが、人生の真理に近いのである。


厳密に言えば、独学と独習は異なるが、ここでは一括りにして独学としておく。学校に通わず先生にもつかず、もっぱら本を頼りにして自分で内容とレベルを想定するのが独学である。自力がすべてであり責任も自己に帰着する。他方、脱権威の自在性があり自由裁量があり、他の誰かと異なる固有の、しかも非体系的・・・・な学習が可能になる。だが、独学は孤独である。その覚悟はしなければならない。社会に出てからのぼくはつねにそうしてきた。生活と仕事の現場と本以外の手段から教わったことは一度もない。だから物事の体系などあまりわからない。いっさいの資格を持たない。学者ではないからそれで困ったことはない。

大人になってからの集団学習は、必要悪とまでは言わないが、教育の創造性欠如による妥協策にほかならない。みんなで学ぶのは一人で学ぶよりも何となくいいのではないかという程度の認識で「集団共学」がおこなわれている。だが、これほど効率が悪いものはない。ある人は教わる事柄の何十分の一しか学ばず、仕事に役立てることもままならない。レベル分けされている資格系の学びを除けば、たいていの実学系講座は受講対象者を問わない。足りているものばかり教わって、足らざるものは依然として不足気味。教師や教材も選べない。強い学びの意欲があれば上位者と席を同じくして伸びる可能性があるが、その可能性が開かれた者は独学もできてしまうはずである。

己に厳しいハードルを課して高みを目指すなら独学に限る。しかも、効率的なのである。みんなと一緒に学ぶという心理的安心感に見切りをつけて独学すれば、教えられる共学などという甘えた精神で学ぶ者たちに負けることはない。彼らのほとんどは知らないことを学ばず、知っていることをただなぞるだけなのだから。朱に交わっても赤く染まらぬ。強い個人として思想を鍛える。本を読み、熟考し、意見を構築し、誰かをつかまえては対話をし、折りに触れて考えるところを書いてみる。このようなやり方で資格を取得するのは難しいが、資格などどうでもいい人間にとっては、独学は個性的な知性を形成する最上の方法であるとぼくは思っている。

「そう言うあんたは私塾や研修で教えているではないか!?」という反論が聞こえてくる。それは誤解である。ぼくは学校の先生のように教えていない。そもそも教えなどしていない。大した人物ではないが、独学してきた一存在として自分の経験と知識を教材として、あるいは語りとして提供しているにすぎない。学び手にとって一つの触媒になれれば本望なのである。

調べる、調べない、思い出す

経験や知識がどのように記憶されているかについて日々めったに気にすることはない。「今年一番印象に残っていることは?」と聞かれてはじめて、読んだ本の書名と著者名を思い出し、また旅先での印象を語ることができる。精度はともかく、少しでも語れるのは記憶に残っているからだ。

遠近法

経験や知識は、ある部分ではイメージとして、また別の部分ではことばとして記憶の複雑な体系を成している。但し、現物の書類やファイルのように整理整頓されているなら取り出しはさほど難しくないが、〈記憶の図書館〉ではディレクトリーがはっきりと決まっているわけではない。年月のラベルがでたらめだったり、いざと言う時に思い出が想起できなかったりする。

ぼくは36歳の時の1987年に起業した。その数年前から1995年頃まで香川県高松市に毎年二、三回出張していた。本四架橋である瀬戸大橋が開通したのが創業年の前後という記憶はあるが、正確な年度は(今この文章を綴っている時点で)思い出せない。十年以上の空白があって、ここ数年は再び高松からお呼びがかかる。その時代に比べて讃岐うどんがすっかり全国区になった印象がある。

さて、今は新大阪から岡山まで新幹線を使い、岡山から高松へは快速マリンライナーで大橋を渡る。その前は大阪の天保山から高松までジェットライナーの海路だった。さらにその前は、新大阪から岡山までは新幹線、岡山から在来線で宇野港まで行き、高松までは宇高連絡船というフェリーに乗っていた。当時は「大阪伊丹空港-高松空港」というフライトがあったので、一度予約したことがあった。あいにくひどい天候不良のため飛行機が飛ばず、急きょ伊丹からタクシーで新大阪へ向かった。得意先の幹部のどなたかに「大阪から高松に飛行機という発想がそもそも間違っている」というようなことを言われたような気がする。


記憶力を鍛えたいという欲求があり、その欲求に応えてくれそうな方法を喧伝するセミナーや書物がある。しかし、上記のように思い出を振り返りながら思うのだ。脳みそのひだに一度刻み込まれた記憶のことごとくをいつも正確に再現する必要などあるはずもない。心象やことばの一部が欠落するのは当たり前だろうし、その逆に、経験とかけ離れて誇張されるのもよくあることだ。年月や場所や経験をデジタル的に完璧に記憶再生をしても、その見返りとして、感覚の誤差や認識間違いという人間味は失われてしまうに違いない。思い出そうとする脳の自然な働きを封じ込めて何でもかんでも調べて確かめるというのは考えものである。

事実に関しては、調べればたいていのことがわかる時代になった。ある事柄を苦労して記憶した人と、ネットで即席的に検索した人との間に現象面での差はない。むしろ、しどろもどろになる前者よりも直近でコピー&ペーストした後者のほうが精度に優れているかもしれない。しかし、文を綴らせたり話をさせてみたらすぐにわかるのだ。点だけを拾い出した調べものと線の記憶を辿ろうと思い出したのとでは熟成度が違うのである。調べることが容易かつ日常茶飯事になった時代だからこそ、「調べるべきこと」と「調べたいこと」と「調べなくてもいいこと」を峻別しなければならない。この三つの棲み分けは、脳を無機的なコンピュータにしないための手軽なコツなのである。

仕事を合理的におこない、経験をかけがえのないものにしたいのなら、調査の役割や要・不要をしっかりとわきまえるべきだろう。ある知識については精度が必要であり、ある経験については精度などどうでもいいことがある。ここで、小林秀雄の『無常といふ事』の一節を思い出す。ちゃんとノートに書いてあるから、それをそのまま書き写す。

「思い出がぼくらを一種の動物であることから救うのだ。記憶することだけではいけないのだろう。思い出さなくてはいけないのだろう。」

調べて覚えることに躍起になる暇があったら、数値や客観的事実に縛られぬ原体験のさわりを思い出そうと努めるべきだろう。想起した事柄は曖昧かもしれない。しかし、曖昧な思い出がデジタル的に再現されたデータよりも劣っていると決めつける根拠などどこにもない。

知の統合と構想力

以前『断片への偏見』と題して書いたことがあるように、ぼくは必ずしも断片否定論者ではない。断片は創作と無縁ではないし、より大きな発想の起点になることさえある。さらには、日々の大半の行動は断片的に繰り広げられているのが現実だ。断片は決して軽視できない。この思いと相反しないという意味で、しかし、断片を断片のまま放置しておくことは知にとって機会損失を招くことになると思う。なぜなら、知は統合してはじめて断片の総和以上の結果をもたらすからである。

かと言って、知の統合のためにわざわざ断片を仕入れるには及ばないし、どんな統合知を構築しようかと予定を立てる必要もない。持ち合わせている断片を見直して、断片どうしをつなぎ、その活用の道を工夫するだけで、これまでにないまずまずの作業ができたりするものだ。レヴィ=ストロースのことばを借りれば〈ブリコラージュ〉のための手持ちの断片の活用である。「間に合わせの仕事」や「器用仕事」のことである。

知圏

スティーブ・ジョブズの“Connecting the dots”(点をつなぐ)にヒントを得て、数年前に〈知圏〉ということばを造語した。これは断片を垂直的に積み重ねる「知層」に対峙する概念である。知層は断片が統合された状態ではなく、硬直的に足し算されたもので、組み合わせの融通がほとんどきかない。この種の知のありようは、教育過程で形成した結果を象徴している。断片という〈点〉はつながっていない。層を成しているかのようだが、点は有機的に結ばれなどしていない。これに対して、知圏は水平的な広がりを持つ。脳のシナプス回路のように、異種の知の断片が融通無碍に統合されやすくスタンバイしている状態である。


ぼくたちは大人の世界で生きる上で必要な能力を一気に学ぶことができないので、全体を細分化するという方便に従ってきた。すなわち、国語だの算数だの理科だの社会だのと断片化して勉強してきた。大学というのはその中から一つの専門分野を深めると同時に、幅広く教養を身につけることを目的としたはずである。そんなふうにうまく学んできたとしよう。さて、ここで学舎から世界へと出る。その世界で期待されるのは、超専門性で深化を目指す一部の人たちを除けば、細分化して学んできた断片の統合である。すなわち、点と点をつないで自分独自の知のネットワークを創造や問題解決に生かすことである。

にもかかわらず、大多数の社会人は旧態依然として学校時代と変わらぬ、没個性的な断片の足し算のような学習を続けている。それは、点を結ぶという知圏発想からほど遠いと言わざるをえない。学校時代は十数年でよかった。その三倍にもなろうかという年月を性懲りもなく無限インプットに費やし、断片の在庫は膨らむ一方で、いつまでたっても臨機応変のアウトプットへと結実しない。教育機会の提供者は知を切り売りするほうが楽であり、学ぶ側は分断された知のほうが学びやすい。こうして実社会においても、知の統合に知らん顔して、教える側と学ぶ側が目先の断片ノウハウを弄ぶ。双方にとって都合のよいもたれ合い関係なのである。

よく似たものを一括りにし、異なるものをそのグループから排除するという、断片の分類作業にぼくたちは毒されてしまったかのようである。分けたのはいいが、統合することを二の次にしてしまった。ここで、1718世紀に生きたイタリアの哲学者ジャンバッティスタ・ヴィーコの構想力の論理に耳を傾けたい(『命題コレクション』)。

遠く隔たった観念を結合する能力としての構想力こそは、矛盾した概念を弁証法的に統合することを可能ならしめる。

えらく難しそうだが、知の統合のエッセンスがここに詰まっている。混迷する世界と時代にあって、断片や分類という作業からは新しい課題が生まれるはずはなく、問題も解決する見通しは立たないのである。一見して相互に無関係な点と点を結ぶ構想力が希求されている。そして、構想力こそが、先入観で無関係だと決めつけてその場を立ち去ろうとする足を踏み止めるのである。

小さなハレの儀

連休前後からずっと、オフィスでは創業以来の約30年分の書類、自宅では約45年分の書き物を総点検し、捨てるものは捨て、残すものは整理している。作業はまだまだ続く。

教師が板書したものを左から右へとノートに写し換えるようなことを、高校時代まではほとんどしなかった。その反動か反省かわからないが、18歳を境目にしてぼくはノートに文字を諄々と書き連ねるようになった。今では多弁であり饒舌であると思われていて、そのことは決して間違いではないが、ぼくが書いてきたくだらぬ文章を見れば、語ることよりも書くことの蕩尽ぶりに我ながら驚く。何冊かの著書と研修テキスト以外に、書いてきたものが直接何かに化けたわけではない。しかし、仕事のささやかなバックボーンになったことは確かだろう。

18歳ノート

ろくに受験勉強もせず、ひたすら拙く書いていたノートが数冊残っている。提出義務がなかったから好きなだけいくらでも書けた。大学ノートにびっしりと縦書きするのが当時のスタイルだった。やがて大学ノートは小さな手帳、京大式カード、コクヨの小型ノート、システム手帳、文庫サイズのノート、無印良品の各種サイズのノートへと変遷し、再び今年からバイブルサイズの6穴ルーズリーフのシステム手帳に落ち着いた。不揃いはよくない。一念発起してこれからノート習慣を始める人には、慎重にサイズや形態を決めることをお勧めする。


記憶を過信してはいけないと思う。老いたる者は当然ながら、若き者も自惚れてはいけない。外部の情報を取り込む視聴覚などの感覚器官そのものの不安定を考えてみれば、感覚器官経由で記憶することの頼りなさともろさを心しておくべきである。ぼくたちはどうでもいいことをよく覚え、千載一遇かもしれないたいせつなアイデアや教訓を忘れてしまう。忘却は年を追って深刻度を増す。歯止めをかけるには、忘れかけそうな事柄をメモ書きして再生可能な状態に保つしかない。手軽なノートに何かを綴ったり備忘のために記したりする。日常茶飯事の小さな習慣としてノートを活用しない手はない。

しかし、よく考えてみれば、よほどのマニアでないかぎり、習慣化はやさしくない。日々の諸々の事柄の多くは似たり寄ったりであり決まり事である。三日も書けば飽きてしまう。三日坊主とは言い得て妙である。ぼくもずっとそうだったが、ある日気づいた。ノートに記す内容が繰り返されるのは、流されるように生活を送っているからであり、自ら感受性を鈍らせているからであると。以来、小さなノートを開ける瞬間、ペンを持つ瞬間に、ほんのわずかに気を張るように意識してみたのである。

ノートをつける――あるいは、かつての日記をつける――という行為は、のっぺらぼうな日常の素顔の中に〈相貌〉を敏に知覚させてくれる。昨日と同じ今日はないと自らに言い聞かせ、いくばくかの緊張を感じて、新たに発見した些事や取るに足らない気づきを一本のピンで仮止めするような行為である。日常における「小さなハレの儀」と呼んでもいい。断片情報を明文化すれば、忘れやすい〈点の記憶〉に代わって、〈線の記録〉が生まれる。そして、その記録は記憶の再生を促してくれるのである。

コンセプトとしてのイルカ

「タカ」と「ワシ」を漢字で書けるか? 書ける人がいて、書けない人がいる。書けないなら、ワードで“taka”“washi”と入力する。「鷹」と「鷲」という漢字に変換される。ちなみに、英語なら“hawk”“eagle”だ。自分は書けないけれど、漢字を示されたら認識できる。
では、写真を見てタカとワシを識別できるか?

コンセプトとしてのイルカ タカ
この鳥の写真には一応タカというキャプションが付されている。しかし、タカもワシもタカ目タカ科だ。両者を比較せずに個体識別するのはかなり難しいらしい。一般的に大型のものをワシと呼ぶのだけれど、一般人だと真剣に観察しても区別はつきにくい。

このことからわかるように、はじめに「野生の生態としてのカテゴリー」があるわけではない。あくまでもコンセプトとしての、人為的な見立てにすぎない。

コンセプトとしてのイルカ イルカ
イルカとクジラという名称がある。イルカもクジラも哺乳綱クジラ目である。階級を一つ下ってマイルカ科に注目すると、ここに追い込み漁の対象となるイルカやクジラがすべて含まれる。体躯の大きさによって、イルカとクジラが分けられる。つまり、人が生み出したコンセプトである。

コンセプトとしてのイルカ 本
『イルカを食べちゃダメですか?』という書物がある。日本の捕鯨文化擁護論である。出版されておよそ五年。イルカを巡る世界世論はまたもや日本への新たな逆風となっっている。

イルカを食べたらダメですか?
イルカを追い込んだらダメですか?
イルカを生け捕りしたらダメですか?
イルカを飼い馴らしたらダメですか?
そして、やがてこうなるだろう。
イルカを見てもダメですか?

☆     ☆     ☆

『噴版  惡魔の辭典』というギャグの定義集がある。そこに【クジラ】という見出しがあり、編著者が定義を試みている。

地球上で最も巨大な生物であり、人類はこれに「食欲」を感ずる一派と、「愛」を感ずる一派に大別される。前者は間もなくこれの養殖を主張しはじめ、後者はこれの国際連合加入を主張しはじめるであろうと言われている。(別役実)

諸外国の人々が、日本人をいじめようと考える際、ひきあいにだすのにもっとも都合のいい動物。(横田順彌)

☆     ☆     ☆

何を食材としてきたか、そして今何を食材にしているのか。かつては人は選ぶことなどできず、風土的条件に支配されてきた。魚が好きだから、肉が好きだからなどという嗜好の前に、魚を、肉を食べざるをえなかった事情があったのである。そして、そういう食習慣が食文化を生み出した。

食文化とは民族固有のコンセプトなのである。どの動物を愛玩するか、または食糧とするか、どの動物を家畜とするか、または野生のまま生かすのか、あるいは見世物にするのかしないのか……。世界標準のものさしが必要なのか、ありうるのか……。重さや長さを測るような簡単な話ではない。

もっとひらめきたい

ひらめき

胸や心をときめかせるのにさほどの苦労はいらない。それに比べると、脳をひらめかせるのは厄介だ。ひらめくは「閃く」と書く。何かの本に〈闇-音=門、門+人=閃〉という式が載っていた。闇から音が消え門が残り、そこに人が現れてひらめくとは、ちょっと出来過ぎか。ともあれ、ひらめきとはいい考えが瞬間的に思い浮かぶことである。

ぼくのことをアイデアマンと思っている人たちから質問を受ける。「もっとひらめくようになるにはどうすればいいか?」という類。世の中にはひらめきの構造を明かし発想を指南する書物が五万とある。ぼくが最初に手にしたそのジャンルの本は、NM法でよく知られた中山正和の『発想の論理』である(1970年初版)。論理に縛られないのが発想ではないか、にもかかわらず、発想の論理とはこれいかに? というのが正直な印象だった。それはともかく、一節を引用してみる。

創造が、異質なものを必要とするならば、明らかにテープレコーダーのような、論理のつながりのワンセットからは、新しいことは生れない。そのテープをどこかで切断して、別の(異質の)テープとつなぎあわせるようなことを、おそらく何回も何回もくりかえさなくてはならないだろう。このテープはたくさんあればあるほどいい――ということは、創造するためにはたくさんの情報や知識をもっていたほうがいい、ということ。そして、それらは、任意に、どこででも切断することができるか、あるいは、はじめから切断されていることも大事だということである。


その後もいろんな本を読み、自分でも多種多様な発想法を試みた。上記で書かれているような「異質なものを組み合わせて新しい価値や働きをつくること、そして異質なもので知を膨らませること」がひらめきの基本であり、そして、ひらめくための環境づくりと習慣形成は可能である、というのがぼくの結論である。生産的な仕事にはひらめきは欠かせない。そして、意識的に異種融合させたり、本末転倒させてみたり、既存価値を破壊してみたり、常識と非常識を反転させてみたり……などの、半論理的な頭の使い方の工夫が必要になる。

テーマに行き詰まったら追いかけない。一度、その対象のもとを立ち去ってみる。こだわり過ぎるとものの見方が固定するのだから、わざと思考停止させてみる。あっちへ飛びこっちへ戻るなどしていると不安になるが、実は振り子のように大きく左へ、大きく右へと揺れてみる過程で異種情報がくっつきやすくなる。つまり、ひらめきの機会が増える。

空きテナントの多いビルを想像してみよう。活気がない。客がまばらで閑散としている。流れがない。売り手は客待ちするのみ。余力がありながら徐々にパワーダウンしていく。一度つかまえた客を逃さぬように店員は必死になる。もし脳がこんな状態だったら……ちっぽけな知識にかじりつく。アイデアは枯渇し、持ち合わせた知識も色褪せて錆びていく。

ひらめきはオーバーフロー気味の飽和した脳から生まれる。一滴の水が表面張力の壁を破って水をコップからこぼれさせるように、新たな刺激情報がアイデアを押し出すのである。

バス停が動く

「山が動く」という表現がある。何千万年、何億年の歳月が費やされれば山は動くし、実際に地球上にはそのような痕跡もある。噴火すれば山の形状は一瞬にして変わるが、それを山が動いたなどとは言わない。山が動くというのはあくまでも比喩的な表現である。変わらないと確信していた物事が、ついに変わろうとする局面で使われるレトリックだ。

現実の山は常識的には動かない。では、バス停ならばどうか。簡易な造作で立っているバス停の標識は強い風で倒れることがある。倒れたら誰かが元に戻すまでは倒れたままである。しかし、路線が廃止されたわけでもないのに、そこにあったはずのバス停の標識がある日忽然と姿を消すなどということはあるだろうか。ふつうはないが、数年前にこんな記事が新聞に載った。

「バスの停留所にある表示板を盗んだとして、岐阜県警は(……)不用品回収業者の容疑者を窃盗の疑いで逮捕した。自宅から約10基のバス停表示板が見つかったという。」

バス停の標識があるべき場所から消えた。それは盗んだからだ。バス停が勝手に動いたわけではなく、けしからぬ男が自宅へと動かしたのである。だが、もし、バス停が標識をつけたまま動き、しかも動いたことに利用者も通行人も気づかなかったとしたら、どうだろう。

バス停

自宅からバス停まで毎日約200メートル歩いて乗車している男がいた。何年もそうしていた。ある日ふと、男は何だか面倒だと思った。バス停が自宅のそばにあれば便利だろうと考え、バス停を動かそうと決心した。

一気に動かすのは不可能だし、ばれるに違いない、しかし、毎日少しずつ自宅のほうへと動かせばうまくいくのではないか……たとえば毎日20センチ程度なら誰も気づかないはず……ごくわずかな移動だが、それでも1年で73メートルになる……うまくいけば3年後には自宅マンション前のバス停が実現する……こう考えた。

この話が実話かフィクションだったか、ぼくははっきりと覚えていない。たぶん脚色された実話だったと思う。話の結論を書くと、バス停が10数メートルほど動いた時点でバスの運転手が気づいた。長年の経験から異変を察知したのである。こうして、「塵も積もれば山となる」あるいは「千里の道も一歩から」という故事ことわざの命題は道半ばにして挫折した。それでも、一気呵成に事を成そうとしたのではなく、西川きよしのように「小さなことをコツコツと」試みたところに、男の我慢強さを垣間見た気がした。

自分の都合に応じて外部環境を変えようとすれば、エネルギーを要するし時間もかかる。分かりきったことだが、愚かにもそういう方法しか見えない者も少なくない。うまく行けば革命と呼ばれるだろうが、そんな具合に容易に事が運ぶはずもない。バス停を動かして数年後に楽をしようと目論むくらいなら、これまでのように200メートル歩くほうが苦労は少ないし、もしそれが苦労だと思うのならバス停前のマンションに引っ越してしまえばいい。動かしえぬような対象を自分に近づけようなどと望んではいけない。こちらから赴けばいいのである。対象が動かなければ自分が動くというのは生き方の基本セオリーの一つである。

リンゴの種(ネタ)

リンゴ、りんご、林檎……どう表記しようか。ちょっと迷う。林檎はともかく、カタカナにするかひらがなにするか。英米人には“apple”しかなく、こんなところで逡巡しない。ひとまずカタカナにすることにした。ところで、30数年前の歯磨きのテレビコマーシャル、「りんごを齧ると歯茎から血が出ませんか?」というセリフを思い出す。台本は「りんご」か「リンゴ」のどっちだったのか。

サンふじ 巨大リンゴ

とてつもなく大きなサンふじが自宅に届いた。iPad上に二個並べられないサイズ。実に立派なリンゴだとまじまじ見ていると、リンゴにまつわる記憶がよみがえる。うろ覚えのものはちょっと調べてみた。暇つぶしのリンゴのネタ探し(ここは「タネ」ではなく、逆さ読みして隠語の「ネタ」がいい)。それはそうと、林檎の「檎」は何度覚えても忘れてしまう。どんなもんだいと書ける者も少なそうだから、カタカナかひらがなに落ち着くのもやむをえない。

英語では成句の“apple-polish”がよく知られている。日本語の「ごますり」にあたる。リンゴを磨いて先生にあげて喜んでもらうのだが、テストの点数に反映されたら贈収賄である。諺では“An apple a day keeps the doctor away.”も有名。「一日リンゴ一個で医者いらず」。リンゴ1個の箇所に、たとえばにんにく卵黄何粒などのサプリメント名を入れてみる。それで医者いらずとはいかないから、リンゴの効能も過信しないほうがいいだろう。


「リンゴと言えば?」と数人に何を連想するか尋ねると、必ずイブが出てくる。『旧約聖書』によると、イブは蛇にそそのかされて禁断の果実に手を出した。その禁断の果実がリンゴであるとは書かれていない。一応リンゴということになってしまい、それゆえにリンゴには誘惑だの不従順という、リンゴにしてみれば不本意な花言葉がついてしまった。

(……)
やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅の秋の空に
人こひめしはじめなり
(……)

島崎藤村の「初恋」の一節である。このシーンではリンゴやりんごは絶対にダメで、林檎でなければならない。なお、ここでもリンゴは誘っている。「和製イブ」の雰囲気が漂わぬでもない。

歯にあてて雪の香ふかき林檎かな    渡辺水巴

当然林檎でなければならない。リンゴのシャキッとした歯触りが伝わってくる。あの歯磨きのコマーシャルのように丸かじりなのだろうか、それともスライスした一片なのだろうか。ここは前者だからこそ香りが深く伝わってくるはず。もちろん歯茎から血が出ると様にならないから、歯周病とは無縁の健康の歯でなければならない。と言うわけで、リンゴからぼくは歯を連想することが多い。

原稿用紙5枚分の年賀状

大なるものに節目をつけたり、大なるものを小さなカテゴリーに分けたのは、分からないものを分かるためのようである。たとえば、一本の木を、根、幹、枝、小枝、葉、果実……と分けた。分からないから分ける、上手に分ければ分かるようになる。すなわち、分けることが分かるための方法であった。なるほど、「分ける」と「分かる」が同源だということにうなずける。但し、下手に分けてしまうと、ますます分からなくなって混乱する。

人類は何の節目もない時間の流れに印を刻んだ。一年という単位を考えて、それを365日に小分けした。一日を24時間に刻み分け、一時間を60分とし、一分を60秒とした。一年を春夏秋冬と四つに分節もした。わが国の陰暦では、四季をさらに細かく大寒、春分、冬至など二十四節気に分けた。

自然界では温暖寒冷などの変化はあっても、本来そこに1月だの8月だの12月だのと言うものはない。にもかかわらず、師走になると慌ただしいと人は言う。時はつねに一定で、12月になったからと言って、急いで流れることはない。師走に抱く観念が、人を慌ただしい気分にさせているにすぎない。「今月に入ってから時間が経つのが早いねぇ」と感じさせているにすぎない。


2014年年賀状 

師走は年賀状の文案や図案を考える時でもある。定番テンプレートの一つを選び、「賀正」、「あけましておめでとうございます」、「謹賀新年」、「初春のお慶びを申し上げます」などの、これまた定型挨拶を書き込んで、干支を配しておけば悩むことはない。毎年いただく半数の年賀状はそのような体裁のものである。それを芸がないなどと言うつもりもない。

ぼくの場合、公私両用の年賀状を同一形式で20年以上飽きずに続けている。四百字詰め原稿用紙に換算すると5枚分に相当する文字をはがきサイズにびっしり詰め込む。テーマは毎年違うが、新年の干支にちなむような内容ではなく、正月の色を醸し出すものでもない。

写真の年賀状は2014年のものである。オリジナル原稿はA4判、ワードで作成し、それを当社のスタッフがはがきサイズのデータとしてイラストレーターで仕上げる。この癖のある年賀状にはまずまずのファンがいるらしく、解読するために虫眼鏡を買ったとか、コンビニのコピーサービスでA4判に拡大するとかという人もいる。某大企業の部長などは、仕事始めの日の朝礼ネタにしているという。

本日、2015年度の年賀状原稿を書き終えた。来週早々に印刷が仕上がる。構想一年、執筆半日。テーマは読書だが、毎度バカバカしい切り口と展開である。