差異は類似によって成り立つ

類似は「よく似ていること」を表わす。「違いがわからないほどとてもよく似ていること」を酷似と言ったりもする。さて、了解しておくべきことがある。類似や酷似ということばを使うかぎり、いくら頑張っても「同一」ではないのである。似ていることは認めるものの、ごくわずかながらも差異があるということだ。

自社の商品が他社の商品と同一視されたり混同されないために、特徴に固有の工夫を凝らしたりマーケティング上の訴求点を変えたりすることを〈差異化〉という。言うまでもないが、誰も好んで短所によって差異化しないだろう。他商品にない優位性によって差異をつけなければならない。

しばし商品から離れて、ことばの差異を考えてみる。ことばの差異はもはや古典的な哲学命題になるのだが、いま存在して使われていることばの間には差異がある。いろいろな概念や事物も、それらが存在しているのは別の何かで代替できないからだ。ことばには同義語や類義語がおびただしいが、たとえ言い換え可能な表現があっても、意味もニュアンスも重なることはない。仮に二つのことばが完全に重なり、いずれかの頻度が異様に高くなれば、もう一方が存在している必要はない。やがて消滅することになるだろう。ことばはこのようにして生成消滅を繰り返してきたはずだ。


商品の差別化に戻る。ある洋菓子店〔A〕のケーキが優位で、同じ町内の別の洋菓子店〔B〕が苦戦しているとする。わざわざ想定しなくても、実際によくある話である。B店がケーキで競合するのをやめて、和洋折衷の新しい菓子を作れば、これは差異化と言うことができる。しかし、この差異化、勝負を避けた差異化である。そして、類似点のきわめて少ない差異化なのだ。これも差異化には違いないのだが、カテゴリー違いの差異化で競合はしないかもしれないが、ケーキでの劣勢は相変わらず続く。

なぜ差異化ということばでなければならないのか。カテゴリーはもちろんのこと、商品もA店とB店で酷似しているからこそ、差異に意味があるはずだ。類似したり共通したりする特徴が多いからこそ、ほんのわずかな差異が優劣を決するのである。

B店が和洋折衷の菓子で地元の市場を創れれば、それはそれでよし。しかし、A店が類似商品でその分野に参入してくるかもしれない。結局は逃げることができないだろう。同じ洋菓子店として、生きるか死ぬかは大げさだとしても、日々一喜一憂の勝ち負けを体験し続けなければならない。

あまり似ていない兄弟だが、たとえば眉毛の形がそっくりという類似を発見したことがあるだろう。但し、こういうのをあまり差異化とは言わない。むしろ、うり二つで見分けのつかない双子の間に、一点決定的な違いを見つけるほうが真性の差異化なのである。   

選択の向こうにある選択

別に難しい話を書くつもりはないが、難しい話になりそうな予感もある。

出張に行く時、2冊の本のどちらを持っていくか。悩むほどではないが、少し迷う。しかし、そんな迷いに意味がないことがすぐにわかる。文庫本ならどちらも鞄に入れればすむからである。次に店に入る。A定食かB定食か。まったく内容が違っていれば迷うことはない。しかし、焼鳥店のランチで8種類も鶏料理の定食があると選択は容易ではない。それでも、迷わない方法がある。メニューの最上段のみがこの店の定食であって、残りの7種類を「なかったこと」にすればよい。


一昨日松江で講演して、夜遅くに米子に入り深夜まで気心の合う人たちと談笑した。翌日、午前10時前にスコールのような集中豪雨があり、駅に行けば特急が20分遅れているという。岡山で乗り継いで新幹線で新大阪へ帰るつもり。岡山での乗り継ぎ時間が10分ほどなので、手持ちの切符ののぞみには間に合いそうもない。

ここで一つ目の選択の岐路に立つ。どうすればいいか? この米子駅で駅員に尋ねるか(A)、それともそのままにしておくか(B)。特急が遅れているから時間がある。〔A〕を選択した。「岡山発ののぞみには間に合わないが、別の列車の指定に変更してもらえるのか」と尋ねた。若い駅員は「はい」と答え、「特急が何分遅れるかわかりませんから、とにかく岡山に着いてから変更手続きしてください」(C)と付け加えた。そうすることにした。

名物あごの竹輪を2本買ったものの、手持ちぶさたなので改札を通ってホームに入った。ホームの最後列に行くと、遅れている特急にこの駅から交代する車掌が立っていた。念のためにこの人にも聞いてみた(この人に聞くか聞かないかも選択の一つ)。同じような答えならそれでよし。ところが、「支社が違うので連絡や調整に時間がかかる。岡山での乗り継ぎ列車もすぐには決まらない。まだ特急が来ないから、今すぐ「岡山-新大阪間」の切符を変更されたほうがいい」(D)と、まったく別のアドバイスが返ってきた。

ここで二つ目の二者択一の岐路。岡山で手続きするか(C)、それとも今すぐに変更するか(D)。〔C〕だと変更を先送りすることになる。〔D〕なら余計な心配は無用だ。しかも、さらに遅延するようなことがあっても、もう一度岡山で変更することもできる。〔D〕は〔C〕の対策をも含んでいる。ゆえに〔D〕を選択した。改札を出させてもらい、みどりの窓口で変更手続きをした。もちろん、同じ特急に乗車する人たち全員がその選択をしたわけではない。

結論から言うと、どっちの選択でもまったく問題はなかったのである。倉敷あたりで車内放送があり、乗り継ぐ新幹線の列車が告げられた。その列車はぼくが変更したのと同じであった。新大阪には当初予定よりもおよそ30分遅れで到着した。


別に命にかかわるようなことでもないのに、いったい何を選択しようとしていたのかと、ぼくは考えたのである。あることをを選択して別のことを捨てるのは、何か根拠があってのことだ。切符変更を今すぐにするのか、あるいは乗り継ぎの時点でするのか――この選択にあたっての根拠は何だろう。安心? 面倒回避? 時間があるから? いや、そもそもこの二つの選択に対峙するのは、いったい何のためなのか。この選択の結果、ぼくは「どんな未来を選択」しようとしたのか。気恥ずかしくなるような表現だが、ちょっとでも先の未来を考えるからこそ人は選択するのだろう。

実は、「遅れるのはやむをえないが、なるべく早く大阪には戻りたい」という目的をぼくは選んだのだ。そんなことは当たり前のように思えるかもしれないが、「遅れてもいいか。岡山でメシでも食って帰ればいい」という、表に出てこなかった選択だってありえたのである。そして、「なるべく早く大阪に戻りたい」という選択の向こうには、おそらく何らかの思惑なり目的があって、その思惑や目的も別の選択肢を捨てて選ばれたものに違いない。こうして、選択の連鎖は続く。ちょっと先の視点からぼくたちは現在を選んでいるのである。

問いの意味と意図

先週の書評会では『足の裏に影はあるか? ないか? 哲学随想』という本を取り上げた。その中に『「問い」と「なぞなぞ」』という随想があり、次のようなくだりが興味を惹いた。

「問い」の意味は分かっていて、その「答え」を求めるというのが、普通の「問い」の場面である。しかし、なぞなぞの方は、まず「問い」が何を聞こうとしているのかが、よく分からない。いや正確に言うと、「問い」の表面的な意味(字義通りの意味)は分かるのだが、それがさらに何を意味しているのかが、よく分からない。意味の意味が不明なのである。なぞなぞでは、「答え」を探す前に、まず「問い」の意味を考えてみる必要がある。

発した問い自体がよくわからないというのは、なぞなぞにかぎった話ではない。問うている本人自身が何を聞いているのかをよくわかっていない――そんなことはよくある。なぞなぞでは答える側が問いの意味を出題者に聞くことはめったにないだろうが、ふだんの生活や仕事では「意味不明な問い」に義務的に答える必要はなく、意味がわかるまで聞き返すなどして確認すればいい。

意味と同等に大事なのは、問いの意図だろうと考える。問いの意味はわかる。しかし、意表を衝かれてうろたえたり、瞬時に動機がわかりかねる。そんなとき「この人、なぜこのことを問うているのだろうか?」と一考してみるべきだと思う。ついつい反射的に答えを出そうとしてしまうのは、問われたら答えるという幼児期からの学習癖のせいか、あるいは即答によって賢さと成熟を誇示しようとするせいか。問いの意味と意図の両方がわかるまで、問いへの答えを安受けしてはいけない。


ギリシア神話に出てくる巨躯のアトラス。両腕と頭で天空を支える図を見たことがあるかもしれない。戦いに敗れたアトラスがゼウスによって苦痛に満ちた罰を与えられる。世界の西の果てで蒼穹そうきゅうを支え続けなければならないのである。経緯はともかく、アトラスがそういう状況にあることを想像していただこう。そこで、次なる、別の本からの引用。

「アトラスが世界を支えているのなら、何がアトラスを支えているの?」
「アトラスは亀の背中の上に立っているのさ」
「でも、その亀は何の上に立っているの?」
「別の亀だよ」
「それじゃ、その別の亀は何の上にいるの?」
「あのね、どこまでもずっと亀がいるんだよ!

この話はぼくがアメリカで買ってきた本の冒頭に出てくる。「アキレスと亀」は有名な話だが、これは「アトラスと亀」なのでお間違いなく。ギリシア神話ゆかりのアトラスを引っ張り出して、ここに世界を支える亀を登場させると、なんだかインドの宇宙観に近いものを感じてしまう。

それはさておき、問いには答えられないものや上記の例のようにキリのないものもある。「何が支えているか?」「何の上に立っているか?」などは意味がとてもわかりやすい質問だ。だからと言って、真摯に必死で答えていくと、このやりとりは応答側に天空の重さの負荷をかけてしまうことになる。けれども、問いの意図を推し量れば、若干の好奇心に動かされた程度のものか、または、無理を承知のお茶目な悪戯心のいずれかだと値踏みできる。意図を見極めておきさえすれば、やがて答えの風呂敷を畳める。上記の例に一応の終止符を打つには、「亀がずっと続く」とするしかなかったに違いない。

問答が延々と続く「無限回帰」とも呼べる作業を、哲学の世界では古来からおこなってきたし、現在に生きるぼくたちもそんな状況に陥ることがよくある。だが、趣味ならばともかく、仕事にあってはいつまでも問いと答えを続けるわけにはいかない。どこかで問いを打ち切らねばならないのだ。この打ち切りを別名「潔さ」とか「粋」と呼ぶ。「どこまでもずっと亀がいるんだよ!」と答えるのもいいが、「アトラスの下に亀がいて、その下にも亀がいると答えた。もうそれで十分ではないか。それ以上問うのは野暮というもんだ」と答えてもいいのである。    

出る杭とアンチテーゼ

ごくわずかな人たちを除いて、ぼくの回りで「過激発言する人」がめっきり減ってきた。ちょっと過激で「ピー」の音を被せなければならないときは、シモネタ系に限られる。テーマが時事であれ教育であれビジネスであれ、あるいは人物や思想の話に及んでも、なかなかハッとする見方に出くわさない。さらに、意見や価値観の衝突を未然に避けるので、争点の起こりようもなく議論にすらならない。要するに、対話をしていてもあまりおもしろくないのである。

まあ、五十の大台に乗ったのなら意見が少々控え目に傾くのもやむをえないだろう。だが、その意見がこれまた無批判に同調されるとなると、まったくアンチテーゼが出てこない環境に置かれることになる。歳を取れば過激度は自然に薄まるもの。しかし、それでもなお、周囲がそこそこに安全圏に留まろうという気配を感じたら、年配者だからこそ、意に反しながらも〈デビルズ・アドボケート(devil’s advocate)〉として登場せねばならないのだ。敢えて苦言や反対意見を唱える「悪魔の提唱者」、くだけて言えば、アマノジャクの役割のことである。

二十代、三十代でありながら「よい子」に収束しようとする心意がぼくにはわからない。わからないけれども、その世代にしてアンチテーゼの一つも唱えないようなら、四十代、五十代になったら絶望的なほど無思考人間に成り果てるだろう。若い頃に下手に成熟するのではなく、しっかりと若さゆえの役割を演じておかねば、反骨エネルギーはこれっぽちも残らない。そんなもの残らなくていいではないかと反論されるかもしれないが、反骨エネルギーこそが新しい発想やアイデアの源泉なのだ。老齢を避けることはできないが、「老脳」はテーゼに対するアンチテーゼ精神によって遅らせることができる。


古典に属する考え方で申し訳ないが、テーゼとアンチテーゼの関係は弁証法的展開には欠かせない。正統と異端もしのぎを削る。与野党の関係もしかり。すんなりと何かが決まり大勢が一つの色だけで染まるのが組織の老化現象の原因なのである。ディベートにしても肯定側(テーゼ)と否定側(アンチテーゼ)との間の意見交流だ。そのディベートという一種のゲームにおいてさえ、アンチテーゼがきわめて脆弱で腰抜け。ゆえにサスペンスも感動もない。若い人ほど情報に依存するあまり、ありきたりの検証に終始する。

血気盛んとまではいかないが、ぼくのような万年青二才からすれば、ぼくよりも二十も三十も年下の人たちがとてもお利口さんぶっているように見える。人間関係上の衝突を未然に避ける術を身につけている。だから、打たれないと判断すれば杭を出すが、危ないと見るや杭は決して出さない。しかし、こんな小器用な調整作業を繰り返しているうちに、しっかりと出る杭になるチャンスを逃してしまう。「出る杭」とはアンチテーゼ能力である。その能力を凌ぐと自負するテーゼ人間が杭を打ってくれる。大いに打たれて鍛えてもらえばいいのだ。

ところで、何がテーゼで何がアンチテーゼかは一筋縄では語れない。ひとまずぼくは先行発言や先行価値をテーゼと位置づけ、それらに「ちょっと待った」というのをアンチテーゼと呼んでいる。したがって、アンチテーゼのほうがいつも過激というわけでもない。テーゼが過激かつ異端的で、それに穏健なアンチテーゼが絡んでもいいわけだ。とは言え、アンチテーゼはアマノジャクでなければ迫力に欠ける。そう、アンチテーゼの原点にある意気込みは、「丸く収まってたまるか」であり「他人と同じ発想をしてたまるか」でなければならない。   

食材を送ってくれる人はいい人

『徒然草』の七段にある「命長ければ恥多し、長くとも四十よそじに足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ」は、はたして兼好の本心か。「長生きしたら恥をかくことが多くなる」という説にはうなずける。しかし、「目安として四十歳までに死んでおくのがいい」が本気なら、ずいぶん勇気のいる極論だ。兼好自身がこの随筆を書いた時点で不惑にはなっていなかったようなので、たぶん冗談半分に違いない。ちなみに、生年・没年ともに不詳ながら、兼好は七十まで生きたと伝えられている。 

誰かが書いた文章をどう解釈するかは読者の勝手である。とりわけ、学者でもないぼくたちが、何百年もの後世になって徒然なるままに古典を読むに際しては、神経質なまでに厳密に解釈しなくても許されるだろう。ぼくごときのブログ記事と『徒然草』を同列に並べるつもりはないが、愚直なほどまじめに書いているつもりのブログ記事が、意に反してギャグや極論として読まれることがあっても文句は言えない。逆に、ギャグのつもりがホンネで伝わってしまってもいかんともしがたい。

兼好が『徒然草』に記したことを真に受けるか軽く読むかによって賛否が分かれる。たとえば、兼好は「物をくれる人、医者、知恵のある人」をよき友のベストスリーに挙げる。これに対して、医者と知恵者はさておき、物をくれるからいい友だちなどというのはけしからんという批判が下る。心でひそかに思うのならともかく、公然と唱えるとは厚かましいにもほどがある、というわけだ。はたしてこのイチャモン、適切なのだろうか。正直なところ、ぼく自身は物をくれる人をいい人だと信じて疑わない。


物をくれる人がいい人とは言っているが、「ゆえに、物をくれない人は悪い人」だなんて言ってはいない。それどころか、「物をくれる」はもらう人から見た客体の行為だが、同時に客体からすれば「物をあげる」行為なのである。つまり、「物をくれる人」は「物をあげる人」なのであるから、施しの精神の備わっているという賞賛にもなりうる。兼好の「良友論」は、決して己だけが得すればいいというエゴイズムではないのだ。 

いや、そんな生真面目な考察などどうでもいい。これはきっとセンス・オブ・ユーモアなのだ。この随筆を真っ先に読んだのはおそらく兼好の友人たちであり、次いで有閑階級の人々であっただろう。徒然草は、物をくれる友人、医者、知識人らを読者として想定していた。この読者想定の心理は手に取るようにわかる。医者を強く意識したことはないが、ぼくのブログは、ぼくと付き合いのある人、ぼくの話を聞く機会のある人、知的好奇心の旺盛な人らを読者対象にしている。そして、兼好同様に、想定する読者にはぼくに物をくれる人(くれた人)も含まれている。

連休に入る前から立て続けに物をいただいた。まず朝挽きの新鮮な豚肉。とても食べ切れない量なので半分ほど塩漬けにした。次いで徳島から「たらいうどん」が届いた。賞味期限まで時間があるので、吉日にいただくつもりにしている。この連休中には筍と蓮根のスペシャリストMKから筍を頂戴した。親切にも「筍を送ります」との電話。昨年は大量の筍に夢でうなされ、毎日レシピを変えながら10日間食べ続けた。まるで苦行する僧侶のような気分だった。「今年は少なめで」とお願いした。届いた筍は昨年の三分の一ほどだった。「ちょっと少ないな」とぼく。身勝手なものだ。

豚肉、たらいうどん、筍。くれた人たちには感謝している。みんなほんとうにいい人たちなのである。   

「考えないこと」を考える

知らないことを知る――これが昨日のテーマであった。考えてみれば、当たり前のことである。何も知らないまま生を受けてからずっとそうしてきた。知らないことは無限だから、生あるかぎり知るという行為に出番はある。けれども、人はわがままだ。「知らないことをわざわざ知ろうとしなくても、知っていることだけで十分ではないか。それで差し迫って困ることもなかろう」という具合に考えて、知ることを面倒だと思うようになる。

これと同じことが「考える」ということにも起こる。考えられる範囲でのみ考える、複雑なこと・むずかしいこと・邪魔くさいことは考えない。いつも考えている手順・枠組み・パターンで考える。つまり、「考えないこと」を考えようとしなくなるのである。

「考えられないこと」と言っているのではない。「考えられないこと」はすぐには考えられるようにはならない。考えた時点ですでに「考えられないこと」ではないからだ。ぼくが意味しているのは、「ふだん考えないこと」である。あるいは「めったに考えないこと」である。これが簡単なようで簡単ではない。よく自分の思考状況を振り返ってみればわかる。いつものテーマを常習的な言語体系と慣れ親しんだ道筋で考えている。テーマが新しいものに変わっても、思考の方法はあまり変わることはない。


たいていの場合、「考える」は「流用する」や「なぞる」や「調べる」などと同義の内容になっている。特に茫洋と構えて考え事をしていると、ほとんど考え事に値しない時間だけが過ぎていく。新しいアイデアが出ないのは、ある種の考え方の上塗りをしているからであって、その結果出てくるのは既存知識に一本毛の生えた程度のものにすぎない。

「物事を自力で考えよ」など、まったくその通りと共感する。この「自力」というところがたいせつだ。他人や世間がどうのこうのと気にせずに、従来とはまったく異なる手順・枠組み・パターンに挑戦すること――これが自力である。

たとえば「よく考えよ」と言われると、たいてい深く考えようとする。一つのことを掘り下げて考える癖が出る。あるいは熟考してしまう。しかし、その一つのことについては、いつもよく考えてきたのではないか。それ以上ほんとうに考えることができるのか。ぼくたちは行き詰まりを避けようとして、「いつもの考え方→いつもの熟考」を繰り返しているだけではないのか。

もっとも手っ取り早く「考えないことを考える」には、深堀などせずに、見晴しをよくして広く考えればいい。そうすれば、テーマも思考パターンも枠の外に出る。必然容易に手に負えなくなる。これが「考えないことを考える」出発点になる。つまり、「いつもの考え方→行き詰まり→別の考え方」を強制するのである。いつもの考え方で生まれるようなアイデアが楽しいか。それでプロフェッショナルなのか。そもそもそのアイデアを求めてくれる人が世間にいるのか。

ほとんどの仕事は「考えること」を基本とし必要とする。行き詰まりの傷が思考の勲章であることを忘れてはならない。 

巧速と拙遅のはざまで

半年とか一年という周期で「やっぱりこれか」と戻っていく場所、いや思想がある。周期と書いたのは、本ブログでも取り上げた覚えがあるからで、調べたらおよそ半年前に書いていた。「人を見て法を説け」がその思想だ。

そこに戻って再認識するのは簡単だが、実際に人の数だけ法を用意するのは至難の業。いや、十人十色のレベルまで細かく注文に応じることはない。それでも、異なる二つの処方箋をひねり出すだけでも荷は重い。一昨日のブログでも書いた「思い立ったが吉日」という、一見ほとんど真理と思えるメッセージでさえ、ある人にとっては法にはならないことがあるのだ。

誰が考えても、「巧速こうそく」にはケチをつけにくい。こんなことばは辞書にはないが、「上手で速い」というつもりだ。これに対して、これまた辞書には載っていないが、下手で遅いという意味の「拙遅せっち」を歓迎する人もいないだろう。これら極端な二つの概念の中間にきわめて現実的な「拙速せっそく」と「巧遅こうち」が存在する。いずれも辞書ではちゃんと見出しになっている。


スピード至上主義は拙速(ヘタハヤ)の原因になり、旬や期限を意識しない品質至上主義は「巧遅」(ウマオソ)につながりかねない。急いて事を仕損じてはいけないから、事をしっかりとやり遂げることを優先すると、たちまちタイムオーバーになってしまう。それならヘタハヤのほうがまだしもましだったかと悔やむ。孫子などは、「巧遅は拙速にしかず」と、出来がよくて遅いよりも、出来は悪くとも速いほうがいいと教えている。

しかし、この言をつねに金科玉条とするわけにもいかないのだ。「拙速>巧遅」を認めるにしても、巧遅と比較せずに拙速だけを見たらどうか。スピードに価値を置くぼくではあるが、みすみす手をこまねいて拙速の事態を招くことはないと思う。時間との相談になるが、そんな危険性を秘めた人にはいったん〈エポケー〉する法を説くべきである。

エポケーは文脈や使用者によって微妙に変わることばだが、「敢えて判断停止状態」をつくるという意味である。現象学では「括弧に入れる」というしゃれた言い方をする。仕事においてスピード優先が過ぎている? それならエポケーしよう、つまり「いったん留保して見直そう」という意味でぼくは使っている。現実をしっかりと認識し直してからでも遅くないのなら、独りよがりで稚拙な判断に「ちょっと待った」をかけるべきだろう。

孫子には申し訳ないが、この時代、「出来は悪くとも速い仕事」に全幅の信頼を置けない。ぼくは顧客の企画をお手伝いするにあたって、もちろんアイデアを出しコンセプトを創るが、ここぞというときはエポケーをかける。エポケーはぼくの利を遅らせる。場合によっては、相手が機会損失だと怒りだして利さえも失う。それでも、ぼくにとってエポケーは協働における欠くべからざるサービスなのである。  

二十四節気のごとく時は移ろう

指摘されて気づいたことがある。「最近、営業マンや店員のネタが少ないですね」。そう言われれば、そうかもしれない。指摘した彼は、ぼくのブログの営業マンや店員の話がお気に入りだそうである。ところが、ここしばらくぼくのテーマが小難しくて理屈っぽくなってきたと言うのである。

自分で書いているのだから、思い当たらぬこともない。昨年末からすれば今年、今からすれば3月、4月に向けてだが、ぼくはいろいろと考えているのである。つまり、現在は「観察モード」の時期ではなく、「思考モード」の時期なのである。いや、観察もしているのだが、目ぼしい観察対象に恵まれないし、ハッとする気づきもさほど多くない。感受性の劣化と言われればそれまでだが、ネタ(テーマ)がそこらじゅうに転がっているようには思えない。だから、ネタを考えて編み出さねばならない――そんな気分になっている。


年単位の発想が春・夏・秋・冬という四半期単位になり、最近では月単位、いや場合によっては、さらに単位を細かくして折れ線グラフの変化を見なければならなくなった。マクロなGDPから身近なレシートに至るまで、油断することなく上下変動に目配りする必要がある。かつて四季折々の気候や風情を表現した二十四節気という「目盛」をご存知だろう。

【二十四節気】 立春、雨水、啓蟄、春分、清明、穀雨、立夏、小満、芒種、夏至、小暑、大暑、立秋、処暑、白露、秋分、寒露、霜降、立冬、小雪、大雪、冬至、小寒、大寒。

人間社会が仕掛けた政治や経済現象が、人間が想像し予測する以上のスピードで、四季の単位では計れない移り変わりを見せている。じっくり腰を落として観察していては間に合わず追いつかないかもしれない。二十四節気の移ろいを肌で感じていた、かつての「動体体感」なるものを取り戻さねばならないのか。


また理屈を書いてしまった。要するに、ブログの記事内容に変化が生じたのは、観察環境が変わったからである。つまり、ここ二、三ヵ月の間に営業マンが飛び込みでやって来なくなった―ただそれだけのことだ。食事で店に行っても、店員の数が減っているような気がする。それが少数精鋭化を意味するのかどうかはわからないが、ぼくのネタになる失態や不躾にとんと出くわさなくなっているのである。

確約されたはずの仕事が翌週には「なかったことにして」となり、アポイントメントが当たり前のようにキャンセルされ、たしか先週そこにあったはずの店が今日は閉まっている。定休日だからではない。店を閉めたのだ。時が慌しく刻まれつつある。ボヤボヤしていてはいけない。感度のよいセンサーを増やさねばならない。しかし―だからこそ、目先の変化に一喜一憂しない「思考モード」があってもいいのではないか。たぶん、これからもしばらくの間は、小難しい理屈をほざくかもしれない。

米国というジレンマ

たしかソクラテスだったと思う。誰かに「結婚すべきか、独身であり続けるべきか?」と問われて、「いずれを選んでも、後悔する人生になるだろう」と答えたという話。三段論法の一つ、「ジレンマ」である。「もし結婚すれば後悔するだろう。また結婚しないで独身を貫いても後悔するだろう。人生は結婚するかしないかのどちらかである。ゆえに、「どちらを選んでも後悔する人生になる」という推論だ。

これは演繹的なアームチェア論理の結論である。可能性としては後悔しない結婚生活もバラ色の独身生活もありうるし、現にそうして生きている人々が大勢いるだろう。言うまでもなく、机上のジレンマが必ずしもそのまま実社会のジレンマになるわけではない。


歴史的事実として、あるいは現実として、米国が政治的、社会的、経済的、国際的にジレンマを抱えてきたかどうかは諸説分かれる。ぼく自身、米国のジレンマ性について政治的、社会的、経済的、国際的に考えることはあるが、めったに誰かと意見交換をしようとは思わない。ぼくにとって語るに値する米国のジレンマは、ぼくの青春時代から今に至る心象風景に浮かび上がるそれである。

「米国に期待したら裏切られる。また失望しても裏切られる。米国への心理は期待するか失望するかの極端な二択である。ゆえに、米国はぼくを裏切り続けている」――これが、ソクラテス的演繹による、ぼくにとっての米国というジレンマである。

小学校でのローマ字学習を英語学習と錯覚していた。日本語をローマ字(アルファベット)で書いたら、そのまま「外人」に通じると思っていた。ここでいう外人とはアメリカ人である。中学に入って、ローマ字と英語が違うことを知って愕然とした。何のためにローマ字を学んだのか。二歳上の姉は中学一年のときに鼻高々でぼくに英語を見せびらかした。どうせ“Are you a boy?” 程度のことだったのだろう。中学の遠足では、奈良公園に観光に来ていた外人に近づき、サインをねだる同級生がいた。外人は「アメリカ人」であって、英語は「英国人」の言語ではなく「米国人」の言語であった。

日本が米国の州になればいいとジョークを装いながら、実は本心でそう思っていた連中がいた。帰国子女のネイティブばりの英語に度肝を抜かれ、国際派商社マンでなく土着商人のオヤジを恨んでいた友人もいた。そうそう「ああ、いっそのことアメリカ人に生まれたかった」という嘆きも聞いたことがある。ぼくが二十歳前後の頃、急激なアメリカ化が進み、生活も街も文化もアメリカ色で彩られていた。米国至上主義で幸せかに見えた時代だった。


米国への期待と失望がいずれも裏切られるからといって、それは米国自体のジレンマではない。タイトルの「米国というジレンマ」は正しく表すと、「米国にまつわる、日本人のジレンマ」である。米国に夢や希望を一極集中させすぎたのである。ぼくのように英語とアメリカンカルチャーに精通しようと励んだ者ほど反動も大きい。自分勝手に期待して自分勝手に裏切られたのである。かつて米国に恋焦がれたぼくだが、未だにアメリカ大陸の土を踏んでいない。

米国に対してはやや失望気味のほうがジレンマに悩まなくてすむことをぼくは学習した。世界には多様な価値観が存在するのだ。大企業が苦戦するように大国も苦悩に喘ぐのである。警察官だって犯罪に手を染めるのである。正義も誤るのである。当たり前だ。

米国との関係性におけるジレンマにうろたえるよりも、そろそろ国家も個人も自分自身が直面している日本社会のジレンマを何とかすべきだろう。「欲望を強くすればやがて身を滅ぼす。また節度を守れば土足で踏みにじられる。欲望に走っても節度を守っても危うい生き方になってしまう」。さあ、どうする?

万歳! vs 頑張ろう!

オバマ大統領の就任演説を耳から聞いたのはニュース番組。もちろん、全文ではない。出張先のホテルでもらった夕刊に載っていた演説は25%くらいに凝縮した要約であった。あくる日、朝刊には全文が掲載されていた。翻訳のこなれ具合が気になった。その日、他の二紙も読んだ。微妙に翻訳文が違う。その二紙はいずれも英文も載せてくれていたので、英文も読んでみた。

ある大学教授が「具体策に乏しい」と批判していた。少し酷だ。所信演説なら方策が語られるべきだろうが、就任演説だからやむをえまい。むしろ、就任演説特有のステレオタイプな鼓舞がなく、真摯でさらりとした論理性を垣間見た。日本人にはなかなか共有しづらい多民族性、異質文化性を踏まえねばならないくだりにはやや高揚感を伴うことば遣いもある。だが、総じて冷静でありメッセージの論理は明快である。


ぼくが指摘するほど、オバマ大統領が冷静で論理明快だと思わない人もいるだろう。ぼくの受けた「静かな理性」という印象がずれているのなら、それには思い当たる原因がある。就任演説の前週の金曜日に開催されたわが国の二つの政党の党大会を見たからである。その日、自民党と民主党は同日に党大会を開催した。時代が変わっても、攻守それぞれ相変わらず紋切り型のシュプレヒコールで閉会していた。一方が「万歳」、他方が「頑張ろう」。どちらの党にも「政治時代劇」に嫌悪する若手代議士も大勢いるはずだが、仲間内でそんなに鼓舞し合って何を考えている? と首を傾げた。

万歳。それは大勢で両手を勢いよく上げる動作を伴う。そして大勢で唱えることばである。ぼくの言語的知識からすれば、祝福の表れ、または勝負に勝利したときの雄叫びである。いったい自民党は何を祝福したのか、あるいはどんな勝負事に勝利して「万歳! 万歳! 万歳!」と三唱したのか?

頑張ろう。余力を残さずに持てる力を十分に出して努力するときの決意である。前途に困難があるかもしれない、しかし、それにめげずに最後までやり通すという意志の表明だろう。チャレンジャーとしてはいいし、「万歳」よりはましかもしれない。でも、「頑張ろう! 頑張ろう! 頑張ろう!」などという三唱はスマートではないのだ。発想も体質も古いのである。


オバマ大統領の演説の締めくくりは、よく耳にする「神の祝福あれ」だった。だが、それに先行する最後のメッセージは感嘆符がつくような「空っぽのテンション」とは無縁だった。次のように自分流で訳してみた。

「子どもたちのそのまた子どもたちへも語り継ごうではありませんか――試練に直面しても、わたしたちは(建国以来の長い)旅路を終わらせなかったと。わたしたちは後戻りもせず、挫折もしなかったと。地平線と神の慈悲に目を据えて、自由という偉大なる贈り物を引き継いで、続く世代にしっかりと届けたと。」

どう解釈しても、そこに居合わせた200万人の人々に対する空元気なシュプレヒコールではない。「万歳! 頑張ろう!」なんて泥酔状態でも叫べるではないか。ぼくはアメリカのジレンマについてどちらかと言えば批判的だし、そのテーマについてブログで書こうと思っていた矢先だった。しかし、「万歳と頑張ろう」の国にとっては、お手本にせねばならないことがまだまだ多いと言わざるをえない。