時間の不思議、不思議の時間

時計を見て、「午後3時」と確認する。別に何時でもいい。毎日何度か時計を見る。いったい何を確認しているのだろうと思う時がある。そうなると少しまずいことになる。

二十歳前後を最初に、数年に一度の割合で「時間とは何か」に嵌まってしまう。誰もが一度は宇宙や人生に思いを巡らすらしいが、考えているうちに脳に何がしかの異変が起こるのを感じるはず。若い時に脳のキャパシティ以上の難しい命題を多く抱え込まないほうがいい。とか言いながら、若気の至りのごとく、ぼくはかつてその方面に足を踏み入れてしまった。そして、宇宙や人生以上にぼくの頭を悩ませたのが、この時間というやつである。しかも、宇宙や人生とは違って、時間を意識することなしに日々を過ごせない。

時間は曲者である。歴史上の錚々たる哲学者が軒並み「不思議がった」のだ。ぼくの齧った範囲ではカントもフッサールもハイデガーも時間の不思議を哲学した。ずっと遡れば古代ギリシアのヘラクレイトスが、「時間が存在するのではなく、人間が時間的に存在する」と言った。少し似ているが、「人間が存在するから時間が存在する」とアリストテレスは考えた。そして、時間特有の自己矛盾のことを「時間のアポリア」と名づけた。アポリアとは行き詰まりのことで、難題を前に困惑して頭を抱える様子を表わしている。それもそのはず、時間という概念は矛盾を前提にしているかもしれないからだ。

〈今〉はあるのだが〈今〉は止まらない。感知し口にした瞬間、〈今〉はすでにここにはない。では、いったい〈今〉はどこに行ったのか、どこに去ったのか。それは過去になったと言わざるをえない。では、過去とは何なのか、そして未来と何なのか……という具合に、厄介な懐疑が次から次へと思考する者を苦しめる。途方に暮れるまで考えることなどさらさらない。だからぼくたちは疲れた時点で思考を停止すればよい。だが、世に名を残した哲学者たちはこの臨界点を突き進んだ。偉いことは偉いのだが、思考プロフェッショナルならではの一種の「意地」だとぼくは思っている。


ちっぽけな知恵で考えた結果、今のところ(と書いて、すでに今でなくなったが)、未来に刻まれる時間を感覚的にわかることはできないと考えるようにした。未来を見据える時と過去を振り返る時を比べたら、やっぱり後者のほうが時間を時系列的に鮮明に感知できているからである。そして、どんな偉い哲学者が何と考えようと、ぼく自身は「時間は〈今〉という一瞬の連続系」と思っている。〈今〉という一瞬一瞬が積まれてきたのが現在に至るまでの過去。過去を振り返れば、その時々の〈今〉を生きてきた自分を俯瞰できるというわけだ。未来にはこうしたおびただしい〈今〉が順番に並んで待ち構えていると想像できなくもない。

もちろん、感知できている過去は脳の記憶の中にしかない。記憶の中で再生できるものだけが過去になりえている。記憶の中にある過去に、次から次へとフレッシュな〈今〉が送られていく。時間の尖端にあるのは現在進行形という〈今〉。それは、一度かぎりの〈今〉、生まれると同時に過去に蓄積される〈今〉である。ぼくたちは、過去から現在に至るまでの時間を時系列的に感知しながら生きていると言える。なお、記憶の中にある過去は体験されたものばかりではない。知識もそこに刻まれている。

もうこれ以上考えるとパニックになりそうなので、都合よくやめることにする。まあ、ここまでの思考の成果を何かに生かそうと思う。人生における〈今〉は一度しかなく、誕生と同時に過去になる――これはまるで「歴史における人生」の類比アナロジーではないのか。こう考えてみると、月並みだが時間の価値に目覚めることになる。いや、煎じ詰めれば〈今〉の意味である。つまらない〈今〉ばかりを迎えていると、記憶の中の過去がつまらない体験や情報でいっぱいになる、ということだ。 

直観は有力な方法か

「直感」と「直観」という表記を使い分けるのはやさしくない。正しく言うと、これは表記の問題ではなく、そもそも意味が違っている。意味が違うから、わざわざ二つの用語がある。ぼくなりには使い分けているつもりだが、人それぞれ。読み方、聞き方は一様ではない。

ぼくなりの使い分け。「直感」の場合は、「直」を「ぐに」と解釈する。つまり、「直ぐに感じる」。現象なり兆候を見て、瞬時に感覚的に何かを見つける――これが直感。他方、「直観」は哲学用語でもある。こちらの「直」は「じかに」ととらえる。観察や経験の積み重ねにより、何かの本質を直接的に理解すること――これが直観。直感を「ひらめき」と言い換えてもさしつかえないが、意地悪く「思いつき」と呼ぶこともできる。直観は、ひらめきでもなく思いつきでもない。

もう一つ付け加えると、直感で気づいたことはいくつかの選択肢からポンと飛び出してきたのではなく、それ自体独立したものだ。だから、「なぜ?」と問われると理詰めでは答えられない。「何となく」と返すしかない。「直感ですが、Aはどうですか?」に対して、「他に何かない?」と聞いても、BCを吟味した上でのAという選択ではないので、聞き返された人も途方に暮れる。


他方、直観には観察や経験を通じて培われた暗黙知が働く。直観で決めたことには、直観で決めなかったことが対比される。直観にはなにがしかの選択がともなう。複数の選択肢からもっとも本質的なAを取り上げている。直観で選んだAにオンのスイッチが入り、その他の選択肢BCDEにはスイッチが入らずオフのままなのだ。では、その直観作業ではBCDEも実際に検討したのか。いや、検討などしていない。暗黙知が機能するので、検討対象から外しておけるのである。

スポーツであれ将棋や囲碁であれ、プロフェッショナルは「ありそうもないこと、おそらくなさそうなこと」をわざわざ思索して排除しなくても、「勝手に」除外できるようになっている。その結果、押し出され式にあることを直観的に選ぶ。その直観によって選択したことが、だいたい理にかなった行動や手になっているものなのだ。

行動パターンや手の内が豊富だからこそ直観が可能になる。本質を洞察するためには、観察や経験の絶対量が欠かせない。もし直観したことに問題があっても、暗黙知には別の選択肢が蓄えられているから、論理的検証をしたり再選択したりすることもできる。プロフェッショナル度とすぐれた直観力はほぼ比例する。ゆえに、直観は単なる一つの方法などではなく、きわめて有力な方法になりえるのである。

リアルとバーチャルの逆転

駅のコンコースなどにある小さな書店を想像してほしい。規模は小さいが大手書店が出店している。そこでは文庫にしても新書にしてもビジネスパーソンに向けた売れ筋の本と新刊本が平積みになっていたりする。あとは店頭に雑誌類を買い求めやすく並べてあったりする。昨日、そんな書店をいくつか覗く機会があって、気づいたことがある。高度情報化社会などと相変わらず世に喧伝されているにもかかわらず、表題に「情報」ということばを含む本がほとんど見当たらないのである。

大きな書店のITコーナーへと出向けば、おそらく話は別なのだろう。しかし、ノンカテゴリーの一般書のタイトルから、もしかして情報というキーワードがきれいさっぱり消えようとしているのではないかと思えなくもない。もしそうだとしたら、ちょっと待てよ、今月の私塾の大阪講座のテーマは『情報の手法』なのだ。ぼくは情報の読み方・選び方・使い方・結び方をいつも気に止めながら仕事をしているのである。そして、なんだかんだと情報をうまくこなす趣向を凝らしているのである。こんなことは、もはや時代遅れなのではないか。

情報と言えば、「希少」と「貴重」によって修飾される概念に思えるような時代があった。その頃の若き証人だったぼくの世代には特有の情報観がある? そうかもしれない。それを否定することはできない。今となっては、いちいち情報などということばを振り回さなくても、そこらじゅうを飛び交っている。バーチャル空間の情報が、日常茶飯事の情報のやりとりを凌駕してしまっているのは間違いない。いや、すでにwebでの情報がリアルで、ぼくたちがアナログ的に操作している「微量情報」こそがバーチャル化あるいはバーチャル視されているのかもしれない。


初めてグランドキャニオンに旅した女子大生たちが、実物を見て「わぁ~、絵葉書みたい!」と叫んだという。この話を何かで読んだ20年程前、すでに絵葉書がリアルで眼前のグランドキャニオンがバーチャルになって逆転してしまっていたのか。かつて間接的に見たものが目の前の実景を支配している? その意識はいったい……何がなんだかわからない、まるで映画『マトリックス』のよう。いや、この類比の仕方すらが、適切なのかどうかも判然としなくなってくる。

そう言えば、ぼく自身の中でもリアルとバーチャルの逆転体験が起こることがある。たとえば、世界遺産のテレビ番組で高画質な映像を見る。その遺産をローマのコロッセオだとしよう。ハイビジョン映像は周囲をくまなく舐め、遠近微妙に調整しながら、人間の眼では体感しえない光景をあたかも実像のごとく映し出す。カメラの目線が俯瞰になれば、鳥にはなれないぼくたちの視力・視界・視線を無力化するように、上空からのパノラマが広がる。

そんな映像を何度も何度も視聴して、実際にローマに旅立ってコロッセオに対面する。あのアングルはどうすれば得られるのか。あの一番上の色褪せた外壁はどこから見るのか。ましてや、あの上空からの雄大な競技場跡の全貌はヘリコプターをチャーターしないかぎり拝むことはできない。眼前にしているコロッセオに失望しているのではない。がっかり感などもさらさらない。しかし、自力では見ることができない映像のほうがリアルで、いま自分が体験していることがバーチャルに思えてくる。見えないイデアが真で、実際に見えているものが偽のような感覚……。プラトンは正しかったのか。


リアルとバーチャルの逆転現象をある程度認めざるをえない。だが、旅の光景に関するかぎり、ぼくたちに適わないのは「構図体験」だけである。たしかに鳥瞰図には太刀打ちできない。高速で光景の中を走り抜けることも無理である。しかし、どうだろう、テレビで見る映像が絶対にできないことがある。映像は、光景を目の当たりにしている自分をそこに含めることができないのだ。旅に出る。その場所に行く。それは自分自身が光景の一部になることを実感することなのである。リアル体験がバーチャル体験に屈しない唯一の方法は、対象に近づくことなのかもしれない

打たれ強い無難主義

先週末の私塾のテーマは『解決の手法』。そのテキストの第2話「現実、理想、解決型思考」の冒頭を次のように書き始めている。

漠然と考えたり意識が弱かったりすると、問題に気づくことなく、無難に日々を過ごしてしまう。ゆえに、そういう人は問題解決の経験が少ないため、方法を変えることもない。現代人は目先にとらわれた、単発で短期的な思考に偏重している。時代を象徴する新しい問題や状況に対して、人間らしく対応することができない。(後略)

迅速に意思決定をしたり問題解決をしたりするのは「ある種の戦闘」だと思う。もちろん戦闘には規模とリスクの大小はある。たとえば、洋服のボタンが一つ取れた程度の「マイナスの変化」を迅速な意思決定の対象とし、なおかつその変化を「ゆゆしき問題」と見なしてタックルすることはない。だが、理不尽なクレームを突きつけられたりしたら本能的に戦うべきだろうし、負けないための戦術も練らねばならない。意思決定から逃げてペンディングにしても問題は勝手に解けてはくれない。


巣立ちをして社会に飛び出すのを躊躇したり遅らせる人たちをモラトリアム人間と呼んだ時代があった(1970年代後半)。この頃に大学生をしていた連中がいま五十歳前後である。彼らがモラトリアム世代と呼ばれたフシもあったが、わが国ではいつの時代のどの世代でもモラトリアムは多数派を占めている。ぼくよりほんの三歳ほど上の団塊の世代にだってモラトリアム人間が大勢いる。世代ごとに特徴はあるのだが、日本人には無難主義の精神が備わっており、その精神はすべての世代に浸透している。

企画研修で演習をおこなう。現実離れをしてもいいから、思い切った企画案(問題解決案)を期待するが、十中八九無難に終わる。やさしいテーマと難しいテーマがあれば、ほぼ全員が前者を選ぶ。問題と向き合わない、睨み合いしない、したがって戦うことはない。まるで「かくあらねばならないという絶対的な知の法則」に支配されているかのようだ。

学校時代に一つの正解を求めなければならない難問に苦しめられたために、実社会では〈アポリア〉という、解決不可能に思える超難問を避けようとする。あらゆる妙案も打たれ強い無難主義の前では無力の烙印を押されてしまう。誰もが無難であることに気づいていないから、その無意識の強さは鉄板のごとしだ。「マイナスの変化」にプラスのエネルギーを注いでやっとプラスマイナスゼロなのに、無難主義はマイナスの大半を受容してしまう。その変化の次なる変化は次世代へと先送りされる。

差異は類似によって成り立つ

類似は「よく似ていること」を表わす。「違いがわからないほどとてもよく似ていること」を酷似と言ったりもする。さて、了解しておくべきことがある。類似や酷似ということばを使うかぎり、いくら頑張っても「同一」ではないのである。似ていることは認めるものの、ごくわずかながらも差異があるということだ。

自社の商品が他社の商品と同一視されたり混同されないために、特徴に固有の工夫を凝らしたりマーケティング上の訴求点を変えたりすることを〈差異化〉という。言うまでもないが、誰も好んで短所によって差異化しないだろう。他商品にない優位性によって差異をつけなければならない。

しばし商品から離れて、ことばの差異を考えてみる。ことばの差異はもはや古典的な哲学命題になるのだが、いま存在して使われていることばの間には差異がある。いろいろな概念や事物も、それらが存在しているのは別の何かで代替できないからだ。ことばには同義語や類義語がおびただしいが、たとえ言い換え可能な表現があっても、意味もニュアンスも重なることはない。仮に二つのことばが完全に重なり、いずれかの頻度が異様に高くなれば、もう一方が存在している必要はない。やがて消滅することになるだろう。ことばはこのようにして生成消滅を繰り返してきたはずだ。


商品の差別化に戻る。ある洋菓子店〔A〕のケーキが優位で、同じ町内の別の洋菓子店〔B〕が苦戦しているとする。わざわざ想定しなくても、実際によくある話である。B店がケーキで競合するのをやめて、和洋折衷の新しい菓子を作れば、これは差異化と言うことができる。しかし、この差異化、勝負を避けた差異化である。そして、類似点のきわめて少ない差異化なのだ。これも差異化には違いないのだが、カテゴリー違いの差異化で競合はしないかもしれないが、ケーキでの劣勢は相変わらず続く。

なぜ差異化ということばでなければならないのか。カテゴリーはもちろんのこと、商品もA店とB店で酷似しているからこそ、差異に意味があるはずだ。類似したり共通したりする特徴が多いからこそ、ほんのわずかな差異が優劣を決するのである。

B店が和洋折衷の菓子で地元の市場を創れれば、それはそれでよし。しかし、A店が類似商品でその分野に参入してくるかもしれない。結局は逃げることができないだろう。同じ洋菓子店として、生きるか死ぬかは大げさだとしても、日々一喜一憂の勝ち負けを体験し続けなければならない。

あまり似ていない兄弟だが、たとえば眉毛の形がそっくりという類似を発見したことがあるだろう。但し、こういうのをあまり差異化とは言わない。むしろ、うり二つで見分けのつかない双子の間に、一点決定的な違いを見つけるほうが真性の差異化なのである。   

選択の向こうにある選択

別に難しい話を書くつもりはないが、難しい話になりそうな予感もある。

出張に行く時、2冊の本のどちらを持っていくか。悩むほどではないが、少し迷う。しかし、そんな迷いに意味がないことがすぐにわかる。文庫本ならどちらも鞄に入れればすむからである。次に店に入る。A定食かB定食か。まったく内容が違っていれば迷うことはない。しかし、焼鳥店のランチで8種類も鶏料理の定食があると選択は容易ではない。それでも、迷わない方法がある。メニューの最上段のみがこの店の定食であって、残りの7種類を「なかったこと」にすればよい。


一昨日松江で講演して、夜遅くに米子に入り深夜まで気心の合う人たちと談笑した。翌日、午前10時前にスコールのような集中豪雨があり、駅に行けば特急が20分遅れているという。岡山で乗り継いで新幹線で新大阪へ帰るつもり。岡山での乗り継ぎ時間が10分ほどなので、手持ちの切符ののぞみには間に合いそうもない。

ここで一つ目の選択の岐路に立つ。どうすればいいか? この米子駅で駅員に尋ねるか(A)、それともそのままにしておくか(B)。特急が遅れているから時間がある。〔A〕を選択した。「岡山発ののぞみには間に合わないが、別の列車の指定に変更してもらえるのか」と尋ねた。若い駅員は「はい」と答え、「特急が何分遅れるかわかりませんから、とにかく岡山に着いてから変更手続きしてください」(C)と付け加えた。そうすることにした。

名物あごの竹輪を2本買ったものの、手持ちぶさたなので改札を通ってホームに入った。ホームの最後列に行くと、遅れている特急にこの駅から交代する車掌が立っていた。念のためにこの人にも聞いてみた(この人に聞くか聞かないかも選択の一つ)。同じような答えならそれでよし。ところが、「支社が違うので連絡や調整に時間がかかる。岡山での乗り継ぎ列車もすぐには決まらない。まだ特急が来ないから、今すぐ「岡山-新大阪間」の切符を変更されたほうがいい」(D)と、まったく別のアドバイスが返ってきた。

ここで二つ目の二者択一の岐路。岡山で手続きするか(C)、それとも今すぐに変更するか(D)。〔C〕だと変更を先送りすることになる。〔D〕なら余計な心配は無用だ。しかも、さらに遅延するようなことがあっても、もう一度岡山で変更することもできる。〔D〕は〔C〕の対策をも含んでいる。ゆえに〔D〕を選択した。改札を出させてもらい、みどりの窓口で変更手続きをした。もちろん、同じ特急に乗車する人たち全員がその選択をしたわけではない。

結論から言うと、どっちの選択でもまったく問題はなかったのである。倉敷あたりで車内放送があり、乗り継ぐ新幹線の列車が告げられた。その列車はぼくが変更したのと同じであった。新大阪には当初予定よりもおよそ30分遅れで到着した。


別に命にかかわるようなことでもないのに、いったい何を選択しようとしていたのかと、ぼくは考えたのである。あることをを選択して別のことを捨てるのは、何か根拠があってのことだ。切符変更を今すぐにするのか、あるいは乗り継ぎの時点でするのか――この選択にあたっての根拠は何だろう。安心? 面倒回避? 時間があるから? いや、そもそもこの二つの選択に対峙するのは、いったい何のためなのか。この選択の結果、ぼくは「どんな未来を選択」しようとしたのか。気恥ずかしくなるような表現だが、ちょっとでも先の未来を考えるからこそ人は選択するのだろう。

実は、「遅れるのはやむをえないが、なるべく早く大阪には戻りたい」という目的をぼくは選んだのだ。そんなことは当たり前のように思えるかもしれないが、「遅れてもいいか。岡山でメシでも食って帰ればいい」という、表に出てこなかった選択だってありえたのである。そして、「なるべく早く大阪に戻りたい」という選択の向こうには、おそらく何らかの思惑なり目的があって、その思惑や目的も別の選択肢を捨てて選ばれたものに違いない。こうして、選択の連鎖は続く。ちょっと先の視点からぼくたちは現在を選んでいるのである。

問いの意味と意図

先週の書評会では『足の裏に影はあるか? ないか? 哲学随想』という本を取り上げた。その中に『「問い」と「なぞなぞ」』という随想があり、次のようなくだりが興味を惹いた。

「問い」の意味は分かっていて、その「答え」を求めるというのが、普通の「問い」の場面である。しかし、なぞなぞの方は、まず「問い」が何を聞こうとしているのかが、よく分からない。いや正確に言うと、「問い」の表面的な意味(字義通りの意味)は分かるのだが、それがさらに何を意味しているのかが、よく分からない。意味の意味が不明なのである。なぞなぞでは、「答え」を探す前に、まず「問い」の意味を考えてみる必要がある。

発した問い自体がよくわからないというのは、なぞなぞにかぎった話ではない。問うている本人自身が何を聞いているのかをよくわかっていない――そんなことはよくある。なぞなぞでは答える側が問いの意味を出題者に聞くことはめったにないだろうが、ふだんの生活や仕事では「意味不明な問い」に義務的に答える必要はなく、意味がわかるまで聞き返すなどして確認すればいい。

意味と同等に大事なのは、問いの意図だろうと考える。問いの意味はわかる。しかし、意表を衝かれてうろたえたり、瞬時に動機がわかりかねる。そんなとき「この人、なぜこのことを問うているのだろうか?」と一考してみるべきだと思う。ついつい反射的に答えを出そうとしてしまうのは、問われたら答えるという幼児期からの学習癖のせいか、あるいは即答によって賢さと成熟を誇示しようとするせいか。問いの意味と意図の両方がわかるまで、問いへの答えを安受けしてはいけない。


ギリシア神話に出てくる巨躯のアトラス。両腕と頭で天空を支える図を見たことがあるかもしれない。戦いに敗れたアトラスがゼウスによって苦痛に満ちた罰を与えられる。世界の西の果てで蒼穹そうきゅうを支え続けなければならないのである。経緯はともかく、アトラスがそういう状況にあることを想像していただこう。そこで、次なる、別の本からの引用。

「アトラスが世界を支えているのなら、何がアトラスを支えているの?」
「アトラスは亀の背中の上に立っているのさ」
「でも、その亀は何の上に立っているの?」
「別の亀だよ」
「それじゃ、その別の亀は何の上にいるの?」
「あのね、どこまでもずっと亀がいるんだよ!

この話はぼくがアメリカで買ってきた本の冒頭に出てくる。「アキレスと亀」は有名な話だが、これは「アトラスと亀」なのでお間違いなく。ギリシア神話ゆかりのアトラスを引っ張り出して、ここに世界を支える亀を登場させると、なんだかインドの宇宙観に近いものを感じてしまう。

それはさておき、問いには答えられないものや上記の例のようにキリのないものもある。「何が支えているか?」「何の上に立っているか?」などは意味がとてもわかりやすい質問だ。だからと言って、真摯に必死で答えていくと、このやりとりは応答側に天空の重さの負荷をかけてしまうことになる。けれども、問いの意図を推し量れば、若干の好奇心に動かされた程度のものか、または、無理を承知のお茶目な悪戯心のいずれかだと値踏みできる。意図を見極めておきさえすれば、やがて答えの風呂敷を畳める。上記の例に一応の終止符を打つには、「亀がずっと続く」とするしかなかったに違いない。

問答が延々と続く「無限回帰」とも呼べる作業を、哲学の世界では古来からおこなってきたし、現在に生きるぼくたちもそんな状況に陥ることがよくある。だが、趣味ならばともかく、仕事にあってはいつまでも問いと答えを続けるわけにはいかない。どこかで問いを打ち切らねばならないのだ。この打ち切りを別名「潔さ」とか「粋」と呼ぶ。「どこまでもずっと亀がいるんだよ!」と答えるのもいいが、「アトラスの下に亀がいて、その下にも亀がいると答えた。もうそれで十分ではないか。それ以上問うのは野暮というもんだ」と答えてもいいのである。    

出る杭とアンチテーゼ

ごくわずかな人たちを除いて、ぼくの回りで「過激発言する人」がめっきり減ってきた。ちょっと過激で「ピー」の音を被せなければならないときは、シモネタ系に限られる。テーマが時事であれ教育であれビジネスであれ、あるいは人物や思想の話に及んでも、なかなかハッとする見方に出くわさない。さらに、意見や価値観の衝突を未然に避けるので、争点の起こりようもなく議論にすらならない。要するに、対話をしていてもあまりおもしろくないのである。

まあ、五十の大台に乗ったのなら意見が少々控え目に傾くのもやむをえないだろう。だが、その意見がこれまた無批判に同調されるとなると、まったくアンチテーゼが出てこない環境に置かれることになる。歳を取れば過激度は自然に薄まるもの。しかし、それでもなお、周囲がそこそこに安全圏に留まろうという気配を感じたら、年配者だからこそ、意に反しながらも〈デビルズ・アドボケート(devil’s advocate)〉として登場せねばならないのだ。敢えて苦言や反対意見を唱える「悪魔の提唱者」、くだけて言えば、アマノジャクの役割のことである。

二十代、三十代でありながら「よい子」に収束しようとする心意がぼくにはわからない。わからないけれども、その世代にしてアンチテーゼの一つも唱えないようなら、四十代、五十代になったら絶望的なほど無思考人間に成り果てるだろう。若い頃に下手に成熟するのではなく、しっかりと若さゆえの役割を演じておかねば、反骨エネルギーはこれっぽちも残らない。そんなもの残らなくていいではないかと反論されるかもしれないが、反骨エネルギーこそが新しい発想やアイデアの源泉なのだ。老齢を避けることはできないが、「老脳」はテーゼに対するアンチテーゼ精神によって遅らせることができる。


古典に属する考え方で申し訳ないが、テーゼとアンチテーゼの関係は弁証法的展開には欠かせない。正統と異端もしのぎを削る。与野党の関係もしかり。すんなりと何かが決まり大勢が一つの色だけで染まるのが組織の老化現象の原因なのである。ディベートにしても肯定側(テーゼ)と否定側(アンチテーゼ)との間の意見交流だ。そのディベートという一種のゲームにおいてさえ、アンチテーゼがきわめて脆弱で腰抜け。ゆえにサスペンスも感動もない。若い人ほど情報に依存するあまり、ありきたりの検証に終始する。

血気盛んとまではいかないが、ぼくのような万年青二才からすれば、ぼくよりも二十も三十も年下の人たちがとてもお利口さんぶっているように見える。人間関係上の衝突を未然に避ける術を身につけている。だから、打たれないと判断すれば杭を出すが、危ないと見るや杭は決して出さない。しかし、こんな小器用な調整作業を繰り返しているうちに、しっかりと出る杭になるチャンスを逃してしまう。「出る杭」とはアンチテーゼ能力である。その能力を凌ぐと自負するテーゼ人間が杭を打ってくれる。大いに打たれて鍛えてもらえばいいのだ。

ところで、何がテーゼで何がアンチテーゼかは一筋縄では語れない。ひとまずぼくは先行発言や先行価値をテーゼと位置づけ、それらに「ちょっと待った」というのをアンチテーゼと呼んでいる。したがって、アンチテーゼのほうがいつも過激というわけでもない。テーゼが過激かつ異端的で、それに穏健なアンチテーゼが絡んでもいいわけだ。とは言え、アンチテーゼはアマノジャクでなければ迫力に欠ける。そう、アンチテーゼの原点にある意気込みは、「丸く収まってたまるか」であり「他人と同じ発想をしてたまるか」でなければならない。   

食材を送ってくれる人はいい人

『徒然草』の七段にある「命長ければ恥多し、長くとも四十よそじに足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ」は、はたして兼好の本心か。「長生きしたら恥をかくことが多くなる」という説にはうなずける。しかし、「目安として四十歳までに死んでおくのがいい」が本気なら、ずいぶん勇気のいる極論だ。兼好自身がこの随筆を書いた時点で不惑にはなっていなかったようなので、たぶん冗談半分に違いない。ちなみに、生年・没年ともに不詳ながら、兼好は七十まで生きたと伝えられている。 

誰かが書いた文章をどう解釈するかは読者の勝手である。とりわけ、学者でもないぼくたちが、何百年もの後世になって徒然なるままに古典を読むに際しては、神経質なまでに厳密に解釈しなくても許されるだろう。ぼくごときのブログ記事と『徒然草』を同列に並べるつもりはないが、愚直なほどまじめに書いているつもりのブログ記事が、意に反してギャグや極論として読まれることがあっても文句は言えない。逆に、ギャグのつもりがホンネで伝わってしまってもいかんともしがたい。

兼好が『徒然草』に記したことを真に受けるか軽く読むかによって賛否が分かれる。たとえば、兼好は「物をくれる人、医者、知恵のある人」をよき友のベストスリーに挙げる。これに対して、医者と知恵者はさておき、物をくれるからいい友だちなどというのはけしからんという批判が下る。心でひそかに思うのならともかく、公然と唱えるとは厚かましいにもほどがある、というわけだ。はたしてこのイチャモン、適切なのだろうか。正直なところ、ぼく自身は物をくれる人をいい人だと信じて疑わない。


物をくれる人がいい人とは言っているが、「ゆえに、物をくれない人は悪い人」だなんて言ってはいない。それどころか、「物をくれる」はもらう人から見た客体の行為だが、同時に客体からすれば「物をあげる」行為なのである。つまり、「物をくれる人」は「物をあげる人」なのであるから、施しの精神の備わっているという賞賛にもなりうる。兼好の「良友論」は、決して己だけが得すればいいというエゴイズムではないのだ。 

いや、そんな生真面目な考察などどうでもいい。これはきっとセンス・オブ・ユーモアなのだ。この随筆を真っ先に読んだのはおそらく兼好の友人たちであり、次いで有閑階級の人々であっただろう。徒然草は、物をくれる友人、医者、知識人らを読者として想定していた。この読者想定の心理は手に取るようにわかる。医者を強く意識したことはないが、ぼくのブログは、ぼくと付き合いのある人、ぼくの話を聞く機会のある人、知的好奇心の旺盛な人らを読者対象にしている。そして、兼好同様に、想定する読者にはぼくに物をくれる人(くれた人)も含まれている。

連休に入る前から立て続けに物をいただいた。まず朝挽きの新鮮な豚肉。とても食べ切れない量なので半分ほど塩漬けにした。次いで徳島から「たらいうどん」が届いた。賞味期限まで時間があるので、吉日にいただくつもりにしている。この連休中には筍と蓮根のスペシャリストMKから筍を頂戴した。親切にも「筍を送ります」との電話。昨年は大量の筍に夢でうなされ、毎日レシピを変えながら10日間食べ続けた。まるで苦行する僧侶のような気分だった。「今年は少なめで」とお願いした。届いた筍は昨年の三分の一ほどだった。「ちょっと少ないな」とぼく。身勝手なものだ。

豚肉、たらいうどん、筍。くれた人たちには感謝している。みんなほんとうにいい人たちなのである。   

「考えないこと」を考える

知らないことを知る――これが昨日のテーマであった。考えてみれば、当たり前のことである。何も知らないまま生を受けてからずっとそうしてきた。知らないことは無限だから、生あるかぎり知るという行為に出番はある。けれども、人はわがままだ。「知らないことをわざわざ知ろうとしなくても、知っていることだけで十分ではないか。それで差し迫って困ることもなかろう」という具合に考えて、知ることを面倒だと思うようになる。

これと同じことが「考える」ということにも起こる。考えられる範囲でのみ考える、複雑なこと・むずかしいこと・邪魔くさいことは考えない。いつも考えている手順・枠組み・パターンで考える。つまり、「考えないこと」を考えようとしなくなるのである。

「考えられないこと」と言っているのではない。「考えられないこと」はすぐには考えられるようにはならない。考えた時点ですでに「考えられないこと」ではないからだ。ぼくが意味しているのは、「ふだん考えないこと」である。あるいは「めったに考えないこと」である。これが簡単なようで簡単ではない。よく自分の思考状況を振り返ってみればわかる。いつものテーマを常習的な言語体系と慣れ親しんだ道筋で考えている。テーマが新しいものに変わっても、思考の方法はあまり変わることはない。


たいていの場合、「考える」は「流用する」や「なぞる」や「調べる」などと同義の内容になっている。特に茫洋と構えて考え事をしていると、ほとんど考え事に値しない時間だけが過ぎていく。新しいアイデアが出ないのは、ある種の考え方の上塗りをしているからであって、その結果出てくるのは既存知識に一本毛の生えた程度のものにすぎない。

「物事を自力で考えよ」など、まったくその通りと共感する。この「自力」というところがたいせつだ。他人や世間がどうのこうのと気にせずに、従来とはまったく異なる手順・枠組み・パターンに挑戦すること――これが自力である。

たとえば「よく考えよ」と言われると、たいてい深く考えようとする。一つのことを掘り下げて考える癖が出る。あるいは熟考してしまう。しかし、その一つのことについては、いつもよく考えてきたのではないか。それ以上ほんとうに考えることができるのか。ぼくたちは行き詰まりを避けようとして、「いつもの考え方→いつもの熟考」を繰り返しているだけではないのか。

もっとも手っ取り早く「考えないことを考える」には、深堀などせずに、見晴しをよくして広く考えればいい。そうすれば、テーマも思考パターンも枠の外に出る。必然容易に手に負えなくなる。これが「考えないことを考える」出発点になる。つまり、「いつもの考え方→行き詰まり→別の考え方」を強制するのである。いつもの考え方で生まれるようなアイデアが楽しいか。それでプロフェッショナルなのか。そもそもそのアイデアを求めてくれる人が世間にいるのか。

ほとんどの仕事は「考えること」を基本とし必要とする。行き詰まりの傷が思考の勲章であることを忘れてはならない。