グリーンを通して感じる移り変わり

四時しいじ」と言えば、一般的には春夏秋冬の四季のこと。四季という用語は一年にしか使えないが、四時なら一日の分節にも使える。すなわち、一日のうちの朝・昼・夕・夜をそう呼ぶことができる。

ついでながら、一ヵ月の中にも四時があることをつい最近知った。かいさくげんぼうがそれ。月が出ていない暗い日が晦。朔は新月のこと。弓を張ったような月が弦。望は望月もちづきのことで、満月の別称。これらは月の満ち欠けの姿かたちを現わしている。

四時は文字にして書けばそれぞれが分断されたように見えるが、実は切れ目なく緩やかに流れている。頭で捉えようとするかぎり、緩やかな流れを日々刻々と感じるのは容易ではない。


捲るのを失念していて、オフィスのカレンダーは今日87日まで7月のままだった。明日が立秋の始まりだと言っても、感覚は秋とはほど遠いし、外気の温度や天候は天気予報任せ。これほど暑い日が続けば室内で冷房漬けになり、身体は季節の節目に戸惑う。

ここ数年のうちに、オフィスのグリーンが大小様々およそ30鉢になった。生育させるのにかなりの手間暇がかかる。グリーンに水をやり霧吹きを使い、時折り軽く剪定したり新しい鉢に植え替えたりしていると、季節の移り変わりに気づかされることがある。頭のデジタル知覚としてではなく、体感的な――あるいは触覚的な――アナログ的変化が、朝夕の時間差のうちに確認できることもある。

都会に暮らすということは、こういうことなのだろう。自力では知識や情報に頼るばかり。他力的な手助けなくしては季節の移り変わりが感知できない。感度が極端に鈍らずに済んでいるのは、グリーンの成長具合や日々の様子のお陰なのである。手間暇の恩返しだと思う。