恒例を変えてみた

儀式や行事をいつも決まって同じようにおこなうこと。それを恒例という。だから、変えるともはや恒例ではなくなる。「変わりゆく恒例」など本来ありえない。

今の居住地に引っ越してから14年。元日には毎年高津宮こうづぐうに詣でて神籤みくじを引いてきた。今年も同じく詣でる〈儀〉を執り行ったが、神籤は引かなかった。過去13回引いて、吉が出たのが一度、あとは凶や小凶や大凶の類ばかり。吉の出た年を除いて、過去13年はまずまずの好日の日々だった。神籤? もういいだろうという気分で引かなかったのである。つまり、枝葉末節的に恒例を変えてみた。

二日後にたまたま天満宮近くを通りかかったので、ついでなので境内を横切ることにした。元日ほどではないが、大いに賑わっている。人混みを避けて歩いていたら「おみくじ所」の前に出た。高津宮で引かなかったから今年はここにするかとふと思ってしまい、美人の巫女の列が空いていたので引いた。変えた恒例がまた変わった。 

番号札は第十五番。いつもの通り「凶」だった。よほど凶との相性がいいようだ。けれども、凶に特別な嫌悪感はない。くにがまえならメ(×のつもり)が格納されているみたいだが、幸いにしてメが入っているのはうけばこである。上部が開いているからいつでもメを取り出せばいい。


引いた手前、凶の文字だけ見て終わらない。律儀に全文に目を通す。願事、学業、恋愛、探物、健康、旅行、商業、家庭……どれも良くないことが書いてある。とりわけ、健康は身体ではなく心の養生をせよと。精神に問題を抱えているのか。縁談は時期尚早、良縁を待てとのお達し。もうとうに手遅れだ。

吉方のみ、良いも悪いもなく、「北の方」が良いと告げる。遠方の出張では西方面多く、北にはほとんど縁がない。但し、近場なら、自宅から事務所は北の方向、月に一、二度行く梅田も北。吉方が北だからと言って、北ばかりに行くわけにはいかない。行った手前、帰ってこなければならないから、同じ数だけ南へ戻ってくることになる。

総評または概要として【ただ祈るべし】という見出し。神社仏閣に詣でても祈ることはないし、神仏の信仰心も浅いことが見抜かれたようである。祈るべしと命じられたら祈ることはやぶさかではないが、そもそも「何をどう祈るのか」を知らない無粋者である。