五月の断章

何か月も誰にも会わなかった日々が続いたが、春先から月に一度は他人に会って談笑するようになった。自分目線や読書視線の断章に加えて、他人目線の話が少し加わりつつあるように思う。近過去や今との向き合いをいろんな目線でとらえて振り返ってみることにする。

 長野の陰惨な事件に抑止力や防御力の非力さをあらためて痛感する。個としての人は、時に残忍になり狂暴化する。それを未然に防ぐ確実なすべはない。

人間が最もひどいことをするのは、「自分が正しい」と思い込んだ時である。それは、正しくない者に対する徹底した非寛容となって現れる。加えて、「正しくなければならない」という過度の要求は強迫観念となって、自分自身をも攻撃するだろう。

先週読了した『ベストエッセイ 2016』に収録されている、吉村萬壱の「規則破り」という一文。この一文通りの「シナリオ」に驚愕してしまう。

 先週からオフィスで水出しアイスコーヒーを作っている。ホット用にはパプアニューギニアの豆を買った。ふと藤浦こうという著名な作詞家の「一杯のコーヒーから」という歌を思い出した。

一杯のコーヒーから
夢の花咲くこともある
街のテラスの夕暮れに
二人の胸の灯が
ちらりほらりとつきました

一杯のコーヒーで胸の灯がついた記憶はない。そのシーンで「いま、胸に灯がついた?」と相手に聞いたこともない。しかし、夢の花か話の花は何度も咲いたと思う。コーヒーは手持ちぶさたな空間に味と香りを添えてくれる。

 秘密。誰もが知っている二字熟語。「秘」も「密」も書けるが、どちらの漢字にも「必」という部位が含まれていることに、遅まきながら気づいた。

「きみにヒミツを教えてあげるから、ず内緒にしてね」という願いを込めているのだろうか。ところで、わずか五画の「必」の書き順を間違えて覚えていたので、直すのに時間がかかったのを覚えている。

 好き嫌いに二分される料理がある。中華料理ならピータンや豚のミミがそれだ。好き嫌いの多い人と会食すると、その種の皿は丸テーブルの中心からぼくの目の前に置かれるようになる。

食べ物の好き嫌いは人の好き嫌いの度におおむね比例し、好き嫌いの価値観は「したいこと/したくないこと」につながる。さらに、したいかしたくないかで過剰に分別すると、得か損ばかりを考えるようになる。「すべきか、すべきでないか」で価値判断する大局観になかなか出番がないと残念なオトナになってしまう。気をつけたい。

たそがれの時間と風景

20072月–3月、イタリアのトスカーナ地方を旅した。フィレンツェに拠点を定めて、近隣の街へ日替わりの日帰りの旅を目論んだ。おそらくフィレンツェはこれが最後、そう思って8日間滞在することにした。

日帰りで出掛けたのはシエナ、サン・ジミニャーノ、ピサ、ルッカ、アレッツォ。その気になれば2都市は行ける。しかし、1日に巡るのは一つの街だけと決めた。出掛けない日はフィレンツェ市街の街歩き。人口38万人が住む比較的大きな街だが、コンパクトにできているので余裕で歩ける。

最初の34日はアパートを借り、その後に歴史地区のど真ん中、シニョリーア広場に面する古色蒼然としたホテルに4泊した。アパートはアルノ川左岸のサント・スプリトという地区にあり、このあたりはツアーコースではないので、生活感が滲み出ている。生活に密着した店が立ち並ぶ。レストランには観光客はおらず、地元の常連ばかり。入りにくいが、入ってしまえば違和感は覚えない。

日が暮れる頃に夕食目当てにそぞろ歩きする。道路から見えた路地が雰囲気があったので、行き止まりまで歩いてみた。アルノ川が流れ、川岸から右の方に目を向けると、ポンテヴェッキオが見えた。目と鼻の先だが、あちらは観光客が押し寄せている。日本と違って午後8時前はやや明るめのたそがれトワイライトである。トワイライトは日没後の薄明かりのこと。以前、本ブログで『夜のそぞろ歩き』と題して一文を書いたことがある。その冒頭。

日が暮れて夕闇が迫りくる黄昏時たそがれどき。変な表現だが、「軽快な虚脱感」と「神妙な躍動感」がいっしょにやってくる。人の顔の見分けがつきにくくなり、「そ、かれは」とつぶやきたくなる時間帯を「たそがれ」と呼んだのは、ことばの魔術と言うほかない。英語の“twilight”(トワイライト)という語感もいい。

たそがれは、イタリア語では“crepuscolo”と言う。発音は「クレプースコロ」。これが「暮れ伏す頃」と聞こえる。出来すぎだが、言うまでもなく単なる偶然である。

夕方、夕暮れ、日没、たそがれ……と、同じような薄明かりと雰囲気を別の言い方をする。このうち、たそがれだけが見たままではなく、心のありようを反映しているように思える。「たそがれに飲むワイン」は、たぶん「夕方に飲むワイン」よりも上等に思えるし、おいしく感じる。たとえ同じワインであっても。「フィレンツェはこれが最後」と思ったせいか、再訪の機会もなく、あれから16年が過ぎた。

他人の「感覚」はわかるのか?

言語は思いを正確に・・・他者に伝えてくれているかなどと考えていたら、書いたり話したりできなくなる。だいたい通じ合えていると呑気に構えているから、「おいしい」とか「うれしい」とか「痛い」で済ませている。感覚がどの程度伝わっているのかはわかりえない。実は、これは哲学が扱う重要なテーマにもなっている。

先日のこと。クリニックで帯状疱疹の予防接種をすすめられた。とりあえずパンフレットだけもらった。表紙には「痛みは徐々に増していき、夜も眠れないほど激しい場合もあります」と書いてある。夜も眠れないほどの激しい痛みはかなりきついと思うが、具体的にどんな痛みかはっきりしない。チクチクと刺す痛み、ズキズキと脈打つ痛み、シクシクと鈍く繰り返す痛みなどと言ってみても、ことばと感覚はイコールではない。

もう10年以上も前のこと。帯状疱疹で苦しむ父親に付き添って病院に行ったことがある。同居でなかったから詳しいことはわからないので、医者の問診に耳を傾けるばかりだった。

医師 「痛みますか?」
父  「(力なく)痛い……です」
医師 「どんな痛みですか?」
父  「(ことばをまさぐっている様子)……」
医師 「たとえばナイフで刺されたような感じはないですか?」
父  「(その感じを想像している様子)……」
医師 「雷に打たれたような感じですか?」
父  「(首を傾げる)……」

痛みのニュアンスはことばにしづらい。「痛みは孤独な感覚」というヴィトゲンシュタインの話を思い出した。「先生、うちの父親はナイフで刺されたことも雷に打たれたこともないんですけど……」と言いかけたが、やめた。自分が医師でもオノマトペを使って、「どんなふうに痛みますか? ピリピリ、ズキズキ、チクチク、ジーンジーン、キリキリ……?」と聞くのが精一杯に違いない。

言語と感覚は大雑把にシェアできるが、精度の程はわからない。多様な感覚を表現できるほどの語彙がないし、仮に表現できたとしても、相手に伝わる保証はない。痛みだけでない。酒の味なども微妙に違うが、言い得るのは「うまい」「辛口」「甘口」「のど越しがいい」「つまみに合う」「沁みる」……せいぜいこんな程度ではないか。

未経験でも想像で答えることはできるが、痛みに苦しんでいる老人に冷静に分析させようとするのは酷である。この医者はとてもいい人だった。この人をあざ笑うことはできない。けれども、言語の限界で苦悶したとしても、それでもやっぱりその限界に挑戦してみるしかない。その結果、適材適所の言い回しを思いつくかもしれない。これまで目玉が飛び出したことは一度もないが、「目玉が飛び出るほどの激辛げきから」がよくわかるのは、工夫のある感覚言語だからに違いない。

抜き書き録〈2023年5月〉

「風景」という響きと文字が気に入っている。風景の類語はいろいろあり、意味もニュアンスも微妙に違い、使い分けが難しい。

「情景」と「景観」は人の思いや感情とつながっていて、対象を「すぐれている」とか「きれい」というふうに眺める。自然の眺めは一般的に「景色」という。風景は景色よりも上位の概念で、自然の他に街や人の活動も含めた眺めを含む。「光景」は風景や景色に比べてやや無機的で、目の当たりにしている状況、場面、様子は何でも光景になる。

古来、風景は考察の対象になってきたが、もちろん人が自然を意識してからずっと後に創られた概念である。風景をテーマにした本を3冊、読み比べてみた。

📖 『風景との対話』 東山魁夷(著)(「日月四季」の章より)

太陽や月、雲や山が幾度となく浮動して位置を変えた。それは、金色の幻想となって、夜昼となく私の頭の中にあらわれた。春の山、太陽、夏の虹、秋の山、冬の山、月、それらを連ねる雄大な雲の流れ――  

東山画伯は実際に風景を見たのではない。ある主題に対して風景が浮かんだのだ。浮かんだ風景は自分にしか見えないから、便宜上ことばでスケッチ・・・・する。宮内庁が、1960年代に新築中だった東宮御所の壁画制作を画伯に依頼したエピソードである。

「風景画的な主題」という題材だけが唯一の条件で、あとはお任せだった。画伯は実際の壁を見に行く。その時、「日月じつげつ四季図」の構想がひらめいた。壁の大きさは横22.5メートル、高さ2メートル。一目では目配りできないその長大なスペースに、動く風景があぶり出されるように見えたに違いない。

📖 『風景画論』 ケネス・クラーク /  佐々木英也(訳)(「象徴としての風景」の章より)

われわれの周りには、われわれが造ったものではなく、しかもわれわれと異なった生命や構造をもったもの、木々や花や草、川や丘や雲がとりかこんでいる。幾世紀にもわたって、それらはわれわれに好奇心や畏怖心を吹きこんできた。歓びの対象ともなってきた。われわれはそれらを、自分たちの気分を反映させるよう、想像力の中で再創造してきた。  

地球規模の自然ではなく身近な自然の場合、ぼくたちは雲や樹々、起伏のある山なみ、浜辺などを想起する。人々はこの自然を畏れ多くも自分なりに解釈し、想像上の自然を作り上げたり再構築したりしてきた。それが風景画を生みだしたというのである。「風景画は、人間が辿ったさまざまな自然観の段階をしるす指標である」と著者は言う。

自然の中に風景を見出したのは西洋ルネサンスの頃だという説がある。その話を――まったく偶然だが――次の一冊がリレーしてくれる。

📖 『風景の誕生――イタリアの美しき里』 ピエーロ・カンポレージ/ 中山悦子(訳)  (「土地の姿から風景へ」の章より)

風景を描いた絵画の黄金時代はおそらく、まだ風景というものが自立した形としてもジャンルとしても存在しなかった時代ではなかったか(……)
風景はまだ背景に追いやられる「習作」の段階にあって、観察と解釈の対象に過ぎなかった。(……)
十五世紀また十六世紀初期の美術や論考において、風景はまだ十分な自立に達しておらず、絵画としての美的規律ももたされていない。 

「まだ十分な自立に達しておらず」というのだから、概念としての風景は中世ヨーロッパでは未熟だったのである。当時の人々はあるがままの自然を拒否していた。他方、自分たちの生活に役立つ自然には大いに関心を示した。すなわち、金や銀などの鉱物と農産物を産出し、牧畜を可能にしてくれる利用価値の高い「土地」こそが自然だったのである。

ルネサンス以降、野性の自然(土地)から風景を導き出すのに時間がかかった。今、自然と風景の関係はどうなっているのだろうか? 功利優先の土地や戦場で風景画が描かれるとは思えない。

ランチのついでにプチ歴歩

先々週に続いて先週も土日が雨。昨日は昼に何を食べるか定まらず、先週に食べたものを振り返ってみたら中華料理を食べていないことに気づく。自宅から歩いて78分の店を思い出して行ってみた。数年ぶり。

鶏とカシューナッツ炒め定食を注文。出てくるまで少々待たされたが、まだマシだったようだ。ぼくより先に入店したのにまだ料理が出てこない客が何組かあり、キャンセルが相次いだ。「厨房スタッフが一人休みなので、料理をお出しするまで15分ほどかかりますが、よろしいですか?」と先に聞いておけばいいのに。要領と段取りが悪い。

店を出て、ちょっと寄り道して「歴歩れきほ」することにした。大阪のこのあたりは観光客も来る歴史地区だが、住んで17年も経つのに、まだ地元感覚が熟さない。よく街歩きしていると思うが、今も知らないことばかり。空堀からほり商店街から南へ下る狭い路地がいくつもあり、そのうちの一つ――7年位前にタモリがブラタモリした――北田島地区に入ってみた。

鉄砲方同心てっぽうかたどうしんの住まいが何十軒もあった所だ。武家の兵卒には与力と同心があって、与力が騎馬兵で同心が歩兵。同心は与力の部下として雑務や警備の任にあたっていた。ここ大阪城下では敵が侵入した際には壁の内で鉄砲を構えたらしいが、それは有事の話。平時は鉄砲の研究、砲術、制作、修理をおこなっていたらしい。

お屋敷を再生したりインバウンド対応したりして店や通りが垢抜けし、さあこれからと言う時にコロナに見舞われたが、今はかなり賑わいを取り戻している。空堀は高台の上町台地に位置し、ここから西への道はどれも坂である。水は高い所から低い方へ流れるから、水は空堀には溜まらなかった。文字通り「水のない、っぽの」だったのである。

このあたりは大阪城の惣構え堀の跡。城下町全体を堀や堰などの城壁で囲んでいた。城壁の一部が今もあちこちに残っている。堅守防衛していたのは天守閣のみならず、攻められてもまち全体で長期間こもれるようにしていたのである。史実的に言えば、功を奏したことにはならなかったが……。

南方面すぐの所が瓦町で、かつては土の採取場だった。瓦用の土であるが、人形作りにも用いられた。その土のおかげで、すぐ近くを南北に走る松屋町筋が日本有数の人形問屋街になった。ここ十数年凋落が著しいが、一部の人形屋はマンション経営とネット販売で何とか生き残っている。

空堀商店街→田島北ふれあい広場(南惣構え堰)→再生長屋「惣」→直木三十五邸跡複合施設→観音坂→再生町家「練」→高津原橋→榎大明神→熊野街道のルートをゆっくり半時間ほどかけて帰宅した。参考までに、大阪城本丸、真田丸、南惣構え堰の位置関係は下記の地図の通り。三ノ丸の文字の「ノ」のあたりが自宅、西ノ丸の文字の「丸」のあたりがオフィスである。

本の帯文をじっくり読む

稀に帯文が本を買うきっかけになるが、所詮「PRのうたい文句」だと内心思っている。本体の書物以上に真剣に読むことはない。図書館では本の函を捨て表紙カバーも取っ払う。帯文を付けたまま本が棚に並べられることはない。

本を買って帯文を付けたまま読むこともあるし、読む前に外すこともある。先日、十数冊溜まった読書に関する本に目を通した折りに、数冊に帯文が付いたままだった。「そうだ、帯文をじっくり読んでみよう」とふと思った。

📘 『本の世界をめぐる冒険』(ナカムラクニオ)

なぜ、本は生き残り続けたか
日本一、詳しい著者が「つながり」でひも解く教養としての本の世界史
2時間で読める! シリーズ累計16万部

本の生き残りを問うのは「本が読まれなくなった危惧」ゆえだろう。本を救済し絶滅させないために世界史や世界観が必要になった。読書論だけでは本を語ることにならない。本は紙であり印刷であり書店であり教養であり世界なのである。なお、2時間で読めるとかシリーズ累計16万部といううたい文句には惹かれない。

📘 『読書からはじまる』(長田弘)

自分のために。次世代のために。
「本を読む」意味をいま、考える。

読書から「何が」はじまるのだろうか? 意味深であり、それゆえに読書の意味を考えるというわけか。アマノジャクなので、ぼくは「本を読まない」意味も考えたことがある。本は読む対象だけではなく、買って棚に入れて読まない存在にもなりうる。読む本にも読まない本にも意味があると思うのだ。

📘 『読書とは何か 知を捉える15の技術』(三中信宏)

本を読む、それは「狩り」だ――

読書は狩猟に似ていると思ったことがある。情報や知識は獲物で、読書をする時に人は狩人になるというわけ。狩猟民族としての読書人は、獲物をさばいて知欲を満たす。読書を狩りとするなら、獲り損ないも少なくない。したがって、上手に読むためのワザは、たぶんあるほうがいい。

📘 『私の本棚』(新潮社編)

私の本棚は、私より私らしい。
23人の愛書家が熱く綴る名エッセイ!

誰が言ったか忘れたが、「きみの読んでいる本を言いたまえ。きみの性格を言い当てよう」というような文言があった。背表紙が見えると、自分の本性が見透かされるような気がするので、外から見えない本箱に格納していた読書家の知人がいた。最近読んだ10冊の書名を聞けば、興味の傾向が見え、ある程度性格がわかるかもしれない。しかし、本棚が自分よりも自分らしいのなら、類推は外れることになる。ぼくの本棚はあまりぼくに似ていないと思うが、似ていると言う人もいる。

📘 『読書会という幸福』(向井和美)

わたしがこれまで人を殺さずにいられたのは、本があったから、そして読書会があったからだと言ってもよいかもしれない。

本を所蔵し読書をしていた殺人者はいくらでもいるはずだから、一般論ではない。本があるがゆえに賢くなった人もいれば、バカになった人もいる。本には功罪があるのだ。ぼくが主宰していた読書会は、メンバーが最近読んだ本の書評をおこない、出席者から質問を受ける。みんなが別々の本を読んでくる。他方、よくある読書会では、みんなが同じ一冊の本を読んできて感想を言い合う。感想が食い違ってケンカにならないかと心配する。大人は読書感想ではなく、本の批評をするべきだというのがぼくの自論である。

連休は近場で食べ歩き

連休中の大阪は、キタもミナミも観光客で溢れかえり、繁華街は思うように歩けなかった。キタとミナミの中間に住んでいる。それぞれの中心街へはメトロで2駅だが、急ぎでなければたいてい歩く。半時間以内で行ける。観光客が並ぶ店を避けて、近場の食事処を一日に一店訪ねてみた。


人気店のようだが、たまたま二階の席が空いていた。自宅から徒歩10分と近いが、初入店。和洋数種類のランチメニューがある。店のしつらえも名前も和風なので、日替わりの和定食を指名した。この種の「いろんなおかずをちょっとずつ」という盛り付けは女性好みのはやりなのだろう。合格点のおいしさだが、当世、どこにでもありそうなランチだ。

自宅から徒歩5分。お気に入りのピザとパスタの店だ。その割には年にランチ3回、ディナー1回程度。コロナだったのでやむをえない。毎日4種類のピザを用意している。定番の「マルゲリータ(写真)」かチーズ4種トッピングの「クワトロフォルマッジ」のどちらかを注文する。昼前から20人以上並ぶ超人気の蕎麦屋が近くにある。ひいきにしている店だが、小一時間待って2,000円の天ざる定食なら、待たずに済み、1,000円でサラダとドリンクの付くピザにする。

いわゆる一般的な色とりどりの酢豚とは違う、満州酢豚。これをメニューに載せている中華料理店は多くない。薄切りの豚肉にささやかに千切りの野菜が添えてある程度で、とにかく大量の豚肉をいただくのがコンセプト。醤油を使わない、透明の甘酢液をかけてある。周りは食べたこともなく名前すら知らない人ばかり。この酢豚を食べないのは人生の一大機会損失だと思う。これまで4店で食べたが、それぞれ微妙に食感と味が違う。

カウンターだけの店。旬の魚を料理する。鰻丼、まぐろ丼、穴子/野菜天丼など丼が売り。時々ブランド牛のステーキも出すが、少考せずに、漬け丼か煮付けを選ぶ。この日の海鮮漬け丼は、まぐろの中トロ、カツオのたたき、ヒラメ、天然真鯛、剣先イカ。複数の魚を盛った漬け丼は、名前と食材を照合させながら食べるのが作法。カツオとイカとヒラメをいっしょに頬張ってはいけない。

たこ焼きをテイクアウトしてみた。何年ぶりかわからない。聞くところによれば、最近では8個で730円というのがあるらしい。B級どころか高級食である。9個で450円という店がある。これが相場らしい。この店、焼いたのはいいが、思い通りに客が来ず、売れ残ったたこ焼きを100円引きの350円で売っている。容器に入っているので端っこのほうが変形している。当然めているが、「アウトレットコーナー」という立て札に笑わされ、つい買ってしまった。

「あるある」と「ないない」

自分にとっての「ありそうでない・・」ことを、他人が「いやいや、なさそうだがある・・よ」と否定する。その逆もある。人それぞれの経験が反映される。

「ありそうでない・・か、なさそうである・・か」をチェックし、次に「ない・・ある・・か」の推論を経て、最後に「あるある」という全肯定または「ないない」という全否定に到る。

✅ 文具店で付箋紙を買い忘れないようにメモしようとしたが、付箋紙の箋が思い出せず、「ふせん」と書いたことがある。

✅ 書類に氏名を漢字で書く。次いでカタカナを振る。漢字の自分とカタカナの自分を別人だと感じたことがある。

✅ フェースブックの投稿欄に出てくる、「○○○○さん、その気持ち、シェアしよう」という誘いに、余計なお節介だと思ったことがある。

✅ 券売機の扱いがややこしいので、敬遠している店がある。

✅ 旅先でタクシーの運転手に尋ねたおススメの店は十中八九おいしくない。


✅ 中華料理と言えば、「酢豚」か「八宝菜」の二択だった頃がある。

✅ 酢豚のタレを、スープに付いているレンゲスプーンですくってライスにかけて食べたことがある。

✅ 「〽 今日の贅沢 酢豚のランチ ライスおかわり 安上がり」という都々逸の歌詞の思いはわかる。

✅ 都々逸のあの「〽」という記号の名称を調べたことがある。


✅ この時期の大型連休をゴールデンウィークと書く時、「イ」か「ィ」のどちらにするか迷ったことがある。

✅ 「凹凸」の書き順を覚えたことがあるが、しばらくして忘れていた。

✅ 手紙の「○○の候」という時節の挨拶は、誰もが調べている。