以前、本ブログで『言論について(9)類比・ユーモア・パトス』と題してアナロジー(類比・類推)を取り上げた。その中で紹介した〈発展途上国:経済支援=がん患者:モルヒネ〉というアナロジーの例の説明がてら話を始めたい。
「AとBの関係がCとDの関係」に似ていたり類比したりできる時、〈A:B=C:D〉という式で表わすことができる。アナロジーの関係ではこの式が成り立つ。上記の〈発展途上国:経済支援=がん患者:モルヒネ〉は、「発展途上国への経済支援はがん患者にモルヒネを使うようなものだ」と読み下せる。類比した両者をつなぐのは「当面の苦しみ(痛み)には効くが、抜本的解決にはならない」。「何々とかけて何々とときます。そのこころは……」の「こころ」に相当する。なぞかけもアナロジーの一つだ。
つまり、あることをそのことだけで説明してもわかりにくいなら、別の情報をそこに重ねて理解を促そうとする試み。主題〈A:B〉に対比させる〈C:D〉は主題よりもわかりやすく身近であることが望ましい。とは言え、難易や親近感は人それぞれだから、アナロジーによる認知過程は誰にとっても同じというわけにはいかない。
模倣したものと模倣されたものもアナロジーの関係を結ぶ。有名なのは「液晶とイカの神経構造」。昔の液晶は軽く触れて押すとイカの表面のように赤くなったり青くなったりしたものだ。実際にイカの内臓を使ったタイプの液晶もあると家電メーカーの研究員に聞いた。液晶はイカの神経構造からインスピレーションを得た、先端技術のアナロジーの例である。
魚釣りの撒き餌とデパ地下の試食もアナロジー。マーケティングのアナロジーだ。撒き餌上手なら魚が釣れる。試食皿を絶妙のタイミングで差し出して一言添えるスーパーの担当者がいる。あのおばさんが売る粗挽きウインナーはほぼ買わされてしまう。他にも、成功する会議と成功する演劇がアナロジーになる。成功要因を探っていくと共通項がとても多いことに気づく。
〈A:B=C:D〉のような二項類比だけでなく、文章全体をアナロジーの型として見立てることもできる。
「文法」に先立って「言語」が存在し、「言語」は「社会において他者の用いることばを経験することによって習得され、社会の一員としての共通観念によって運用される」。「文法」は「言語」の習得と運用の高度化に資する役割を担う。
上記の文法と言語の関係式の型を借りて、法律と生活行動の関係式に書き換えてみよう。
「法律」に先立って「生活行動」が存在し、「生活行動」は「社会における他者の習慣を経験することによって見習い、社会の一員としての賢慮良識によって実践される」。「法律」は「生活行動」の規律の遵守に資する役割を担う。
アナロジーはすぐれた思考練習になると同時に、わかりやすい表現とは何か、粋な言い回しとは何かについてのヒントを授けてくれる。