名付けられたものには固有性がある。固有とは「他のものにはなく、そのものだけに特徴があること」や「他から付与されたものではなく、本からそのものにあること」と辞書に書かれている。
ところが、他の類似したものと区別したり差異を明らかにするために、人や土地や商品名に名を付与したのが固有名詞ではないか。固有と言いながら、同姓同名は決して珍しくないし、地名も、たとえば日本橋なら東京にも大阪にもある(前者が「にほんばし」、後者が「にっぽんばし」と読みは違うが……)。
大手町や本町(ほんまち/ほんちょう)などの地名は全国に数えきれないほど存在する。しかし、そうであっても、大手町や本町の地名に人々は各地なりの固有性を感じているはずだ。長年暮らしたり働いたり、また何度か訪れたりしていれば固有の度合が強くなる。同じ町名でも、自分の街のそれには親しみを覚え、他の街のそれへの感覚は疎遠である。
数年前にNHKの『ブラタモリ』が職場と自宅の付近をロケした。職場と自宅の距離は1キロメートルほど。いつも往復する通勤路の町名が次から次へと出てきたし、タモリが自宅マンションの裏手の路地を歩いて太閤秀吉の地下水道を紹介した。聞いたことはあるが未だ見ぬ土地の名とは程遠い、生活の場の名として強く再認識した次第だ。
『書斎の宇宙』という本に収められた里見弴の「朱き机の思出」に、大正二年十月に放浪の旅に出て大阪に落ち着くくだりがある。
大阪も道頓堀に近い繁華の地、――笠屋町三ツ寺筋をちょっと北へ行った西側のとある路次の奥の(……)
固有名詞をつないでみると、著者がどのあたりにねぐらを定めたのか、ある程度想像できる。他にもよく知る場所が出てくる。安道具屋の多い橘通り、玉造橋南詰の店、堂島裏町、心斎橋筋の賑いから諏訪町……。最後の諏訪町になじみがないので調べてみたが、昔も今もない。周防町の漢字間違いか著者の勘違いではないかと思われる。
同じエッセイの中に、赤坂檜町、四谷坂町、下六番町、麹町五丁目の裏通り、半蔵門の変圧所の裏手、山元町一丁目、四谷右京町などの東京の地名もいろいろ出てくる。赤坂も四谷も麹町もまったく知らないわけではないが、どうもピンとこない。地名の固有性とは、親しみを覚え、土地勘が働いて地図が浮かび、そして風情の記憶がよみがえることなのだろう。