帯に「この一冊 余白はあなたのために! 現代日本のすぐれた知性がそれぞれ400字の中に圧縮されています」と書いてある。書名は『街頭の断想』(共同通信社発行、1983年)。表紙にはAPHORISM(アフォリズム)の文字がデザインされている。
錚々たる56人×400文字である。「アフォリズム=80年代へ・街頭の断想」というタイトルのもとに1980年9月から1983年4月まで綴られた。まず12名分が地下鉄千代田線「明治神宮前駅」のプラットフォームに掲示された。次いで、残りの著者分が新宿センタービル地下1階「水の広場」の4本の柱に順次掲示されていった。ちょっと考えにくい公開方法だ。
巻頭で本書への思いを書いた中村雄二郎は、56人の400文字の文章が〈アフォリズム〉だと言う。しかし、普段訳される「警句」や「箴言」というもったいぶった表現から受ける印象ではなく、「簡潔な圧縮された形で表現された人生・社会・文化などに関する見解」という広くて深い意味を感じさせる定義である(と、中村雄二郎はアフォリズムを捉えている)。
ここで引く一例選びに悩んだ末、作曲家、武満徹の400字アフォリズムを選ぶことにした。難解だが、じっくり文章を追ううちに刺すように響いてきたからである。「電話」と題された一文。
窓を開ける。陽光が溢れる。変哲もない一日が始まる。この区切りもない棒状の文脈に、不意に電話のベルが不規則な律動を付け加える。黒いビニール・コードで被覆された線の覚束なげな接触を通して齎らされるものは、確かな死の告知である。
陽光で満たされた部屋に、真空の亀裂が太陽の黒点のように存在しはじめる。
だが、生に韻律をあたえるのは、実はこのような、不意の電話であるのだ。
静寂が支配する部屋に、感覚では把え難い超越的な意識の海が、光の飛沫となって充溢するのを感じる。
この世界に、この部屋に、死によって明瞭に縁どられた生の形容である私は、電話の声に耳を傾ける。
ツイッターの140文字以内では「線状の思い」を書くのは難しいと考えて、ブログで平均1,000文字を費やしていろいろと書いてきた。しかし、線はある程度表現できても、断線あり脱線ありで、未だにベストの文字数を割り出しあぐねている。本書は刺激になった。メッセージと表現の凝縮、ひいては意図された自在なアフォリズムの語りかけが、懐かしい「四百字詰原稿用紙」の響きを新たにしてくれた。おそらく400字は子どもの頃から刷り込まれてきた基本形なのだ。