インプット量に見合った成果がコンスタントに得られればいいが、なかなかうまくいかない。以前、かなりの読書量を誇る知人がいた。しかし、博覧強記にはほど遠く、また読書は日々の仕事にもあまり役立っていないようだった。「学び多くして知識身につかず、また機智少なし」という結果が常である。
むやみに本を読み他人の話を聴くだけでは、後日再現したり活用したりする取っ掛かりになりにくい。しかし、インプットの時点で、ほんの少しでも考えるとか単語や文章を記すとかしておけば事情は変わってくる。つまり、インプット過程にアウトプットを内蔵させる一工夫。インプットとアウトプットを切り離さないようにするのである。
たった一つのことばが記憶をまさぐるきっかけになる。いま読書室の企画を依頼されているが、〈読書〉というありきたりな一語から知識や経験の扉を開くしかない。一つのことばからイメージを広げるというのは企画の基本である。そして、ことばから導かれた印象的なイメージを起点となったことばの中に折りたためば、ことばとイメージが一体化する。インプットとアウトプットが一つになる。
今はもう廃業してなくなったが、じいさん一人だけの自転車修理専門の小さな店が近くにあった。具合の悪い自転車が持ち込まれると、何はともあれ、じいさんは大きな木箱を持ち出してくる。その中には、自転車の古い部品や、おそらく自転車以外の大小様々な部品が、整理整頓されずに雑然と入っていた。じいさんはその中に手を突っ込んで指先で使えそうな部品を探し出した。
その姿を見ていて、レヴィ⁼ストロースが着眼した〈ブリコラージュ〉という概念を思い出した。「器用仕事」と訳される。深慮遠謀して何かを作るのではなく、ひらめくままに「そのつど主義」で作ったり繕いに使ったりする。いつか使えるかもしれないと思って残しておいたものといま手に入れたものを直感的に組み合わせて試行錯誤する。
あのじいさんの木箱には、いつか使えるかもしれないと思って貯め込んできたおびただしい部品が入っていた。何に役立つかはわからないが、気になったものや縁を感じたものを手元に置いてスタンバイさせていたのである。どんなアウトプットになるかを深く考えずに、気になるものをひとまずインプットするやり方は、情報のインプットとアウトプットの関係――ひいては、ことばがイメージを広げる様子――にも当てはまる。
最後に。今日の話は「ことばがイメージよりも優位」という主張ではない。ことばがイメージを広げるのと同様に、イメージもことばを広げる役を果たす。しかし、「イメージがことばを広げる」と題して書けばまったく別の話になる。
インプットをしないアウトプットは無駄になってしまう。物を書くのは苦手ですがアウトプットを戒にしていこうと思いました。今日から。2022.6.9
いつぞやメッセンジャーでやりとりして以来ですね。お会いしていないので、「ごぶさたしています」もちょっと変。ネットでつながっている若い人たちは独自の言語体系をお持ちなのでしょうかね? さて――
人は、インプットしてからアウトプットしているのではなく、インプットとアウトプットを交互に、または同時におこなってコミュニケーションをし知的活動をしています。赤ん坊を見ればよくわかることです。ずっと聴くだけ聴いてから喋り始めるのではなく、聴くたびに何かわけのわからない音を出してアウトプットしようとしています。英語学習で聞き流すだけという教え方がありますが、あの方法で学んだ人に上手な人はほとんどいません。聴いて話す、ことばを繰り返すということが欠かせないのです。
と言うわけで、講演でも研修でも読書でも、聞きっぱなし読みっぱなしはインプットしかしていない状態なので、いずれすべてが無になります。インプットの過程で狩猟民のように攻めないといけないのです。それが書き留めること、書き留めたことを再読すること、そして触発されて考えたことを加えることです。
ここに書くとキリがありませんので、また別の機会にブログで書ければと思います。
数年前に日創研宇都宮経営研究会で「インプットとアウトプット」の講演をしています。その時のパワーポイントスライドを探してみます(その後PCを2度ばかり変えているので、どこかに保存しているはずです)。見つかることを半分期待しておいてください。
岡野先生
早速のご返信、どうも有難うございます。一度のやり取りを覚えていてくださり、嬉しいやら、たいへん恐縮です。
岡野先生の文章は知的刺激があり心地よいです。また読んでみたくなります。
アウトプットするのには、その10倍以上のインプットが必要なのかなとも。とにかく、書くこともディベートもとても苦手です。
日創研宇都宮経営研究会での「インプットとアウトプット」の講演のスライドが見つかることを秋の遠足を楽しみにする子供のように期待しながら過ごします。
この素的なブログを見つけましたので、また参ります。