食事や料理を主題にした映画が上映されると足を運ぶ。食べることは人類の共通の生命線であり関心事であるから、言語や文化が異なる外国の映画でも難なく筋が追える。ここ数年間では『バベットの晩餐会』(1987年のリマスター版; デンマーク映画)、『世界で一番しあわせな食堂』(2019年; フィンランド/イギリス/中国合作映画)が印象に残っている。
9月2日に公開されたフランス/ベルギー合作の映画、『デリシュ!』も出色のできばえだった。題名になっているデリシュはジャガイモとトリュフを使った手の込んだ料理。公爵主催の晩餐会に向けて気合を入れて創作した一品だが、期待に反して来賓の貴族たちに酷評された。ここから物語が始まり、そしてレストランの歴史が始まる。
店を構えて、老若男女や貴賤を隔てずに客に料理を提供する形態は、18世紀半ばにフランスで始まって今日に至る。レストラン(reataurant)の語源はフランス語の“restore”で、「回復する」を意味する。食べるとは疲れを癒して休憩することだった。
まずテイクアウトや仕出しによるごく簡単な料理の提供があったようだ。そして、もう少し先になってからテーブルと椅子を用意して店で食べさせるという、今と同じやり方が定着した。レストランはまたたく間に増えていった。なぜか。
「折しも、革命(1789~)によって貴族の邸にいた料理人が失業して、町にレストランを開いた。これがフランスで、上等の食事を供する食堂が一般化した始まりである」(柴田婧子著『フランス料理史ノート』)
舌の肥えた貴族を満足させていた料理がリーズナブルに食べられるのだからレストランは人気を集めた。ちなみに、同書によると、日本でも同じ時期に本格的な高級料理屋が次々に出現している。深川の升屋など多くの料理屋が寺社の門前に構えられることになった。
くだんの映画の話に戻る。レストラン誕生以前にも泊まりを基本として、簡単な食事が付く程度の旅籠はフランスでも日本でも存在していた。しかし、一般庶民はめったに外食機会に恵まれず、質素な食事でしのいでいた。他方、貴族は一流の料理人を雇って館に住まわせて「美味求真」の日々を満喫し、ハレの日には貴族仲間を招いての晩餐会に興じていた。しかも、料理人に献立を任せるのではなく、自分たちの食べたいものを20品、30品と用意させたのである。
晩餐会で不評を買って解雇された映画の主人公。失業すると新しいパトロンを探すしか料理人としての道はなかったが、周囲の人たちの助言もあって料理して供する場を作ろうと英断する。前菜、主菜、デザートのコースを決めて料理を提供したのはある種の革命だった。このレストラン革命がフランス革命と時を同じくしたことに偶然と必然の重なりを覚える。