勝ちと負け

一度や二度やった覚えのある心理診断のYES/NOのチャート。質問にイエスかノーかの二者択一で答えていくと、最後に性格や将来の診断が出る仕掛け。あのチャートの選択と分岐に似た勝ち負け(WIN/LOSE)の岐路が人生の大小様々な場面にもあると考えられる。

生きていく上で勝ち負けはつきものであり、勝ち負けの決まる過程や結果をシミュレーションするゲームがいろいろ存在する。勝敗があるからゲームが展開する。スリルとサスペンスを欠く引き分けばかりだとゲームは動かない。サッカーでは決勝トーナメントで引き分けになると、何が何でも決着をつけるために延長戦をおこない、それでも決着しない時はPK戦をおこなう。他のスポーツやゲームもおおむねそうなっている。

勝敗の意味について知らない子どもや意味をわかっていても潔くない大人は、ゲームで負けると極端に悔しがる。ゲームボードを引っくり返したりルールがおかしいなどと言いだしたりする。負けを認めようとしないのだ。勝敗という決着の方法や「勝って奢らず負けて倦まず」の意味を理解するには、ある程度の成熟が求められる。


勝ち負けと言えば、2016年の米国大統領選挙を思い出す。大統領選挙はゲームではないが、あの時、米国の若い世代の一部はゲームのように見ていた。ドナルド・トランプの支持者は自分がゲームを勝った子どものように歓喜し、ヒラリー・クリントンの支持者はゲームで負けた大人のように絶望し、トランプの勝利を受け入れられなかった。そして、ゲームのリセットを要求し反トランプデモを繰り広げた。

選挙直前も開票時も、専門家もメディアも選挙をスポーツ観戦するかのように見ていた。大方の良識は戦う前からヒラリー推しだったし、トランプはゲームの未成熟なキャラとして扱われ、選挙では勝ち目がないと考えられていた。隠れトランプが大勢いた? それもある。意見には隠れているものと露わになるものとがあるのが常。ホンネとタテマエの二重構造はどの文化にも誰の価値観にも潜んでいるものだ。

閑話休題――。人間も含めた生物界には勝ちと負けがある。原則は優勝劣敗だが、稀に「劣勝優敗」が起こる。勝敗が決するのを嫌がる向きも少なくないが、勝ちも負けもつかず、ずっと来る日も来る日も引き分けばかりの人生を想像してみればいい。退屈でしかたがなく、こんなことならいっそのこと負けてしまいたいと思うに違いない。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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