辞書で「時代」を引いたことは一度もない。よく知っているからである。ほんとうによく知っているか、それとも知っているつもりなのか、自己検証するために『新明解国語辞典』を引いてみた。
「移り変わる時の流れの中である特徴を持つものとして、前後から区切られた、まとまった長い年月」
こんなふうに説明はできないが、だいたいそんな感じだとわかっている。但し、ちょっと物足りない。あることばの意味を何となく知ろうと思えば、そのことばを使って文を作ってみればいい。いくつか作ってみた。
・AI時代の到来が告げられ、IT時代の印象が古めかしくなった。
・西部劇に古き良き時代のアメリカを感じる人たちがいる。
・時代の流れには、逆行するのではなく、身を任せるのが無難だ。
・時代がどう変わったのかよくわからないが、新しい時代を迎えつつあると思う。
昔の時代もあるが今の時代もあり、古い時代もあるが新しい時代もあることを最後の一文で気づく。以前、『時代劇の「時代」は何を指す?」とチコちゃんが出題した。ゲストが何と答えたか忘れたが、「ボーっと生きてんじゃねーよ!」とチコちゃんに叱られていた。チコちゃんは正解を知っていたが、実はぼくも知っていた。この問いに関するかぎり、「つまんねぇやつ」である。
ぼくが子どもの頃、大人たちは当時の流行や風俗や若い世代の生き方を見て「時代だなあ」とつぶやいていた。ここでの時代は明らかに「新しい」というニュアンスを帯びている。出題された『時代劇の「時代」』も元々は新しい時代を切り拓くという文脈で使われた。
時代に昔の意味を込めようとする時は、平安時代とか室町時代とか江戸時代というふうに固有名詞をくっつけたのではないか。少年時代や青年時代と言うと昔を懐かしがっている感じがする。他方、単に時代と言えば、そこに「今」という意味がともなう。
中島みゆきのこの歌はずばり『時代』であり、修飾語をまとわない。歌詞一行に一枚の絵で構成された本を古本屋で見つけた。
「あんな時代もあったねと」は振り返り。「まわるまわるよ時代は回る」と「めぐるめぐるよ時代は巡る」は時代のリメークと繰り返し。時代は錆びついた日々の面影ではない。古びた懐かしい過去の記憶ではない。今という時代、時代としての今を皮肉っぽく揶揄するばかりが能ではない。幸いなるかな、最前線で時代を迎える我々。