小麦粉から麺類へ

ランチがすべて麺類だった某年某月のある1週間。次のようなラインアップだった。

月曜日、つけ麺。火曜日、上海焼きそば。水曜日、割子わりご蕎麦。木曜日、皿うどん。金曜日、トマトソーススパゲッティ。土曜日、鶏魚介ラーメン。日曜日、肉うどん。

昼に3段の割子蕎麦を注文するとサービスでもう1段付いてくる。

この週の前後の週でも、ビーフン、冷麺、フライ麵などを食べていた。まるで小麦が主食かのような食生活だった。

小麦が麺になるには手間がかかる。まず小麦を粉にして水で溶き、こねて圧して生地状にし、さらによく延ばしよく打ち、適当な長さに切り揃えたり押し出したりして麺が出来上がる。小麦粉を水で溶くと、2つのたんぱく質が結合する。一つは伸びのあるグリアジン、もう一つは弾力のあるグルテニン。結合して形成されるのが粘弾性ねんだんせいの強いグルテンだ。

グルテンに食塩を加えて生地に圧力をかけると、さらに粘りが増して延ばすことができる。こうして、小麦粉はすでに約1万年前に古代メソポタミアでパンに加工されていた。麺ができるのはパンのずっと後である。麺はいつできたのかをいろいろ調べてみた。諸説あり過ぎて素人の手には負えない。

麺の痕跡と思われるものが紀元前中国の遺跡で見つかっている。本格的な麺の歴史は唐の時代らしいが、朝鮮半島経由で日本に伝わったのはそうの時代で、わが国では平安時代と鎌倉時代に当たる。麺には手で延べる方法と手で打つ方法があり、手延べの代表がラーメンと素麺そうめん。手で打つのは板状の生地を作るためで、それを包丁で細さと太さを切り揃えて麺の形にする。うどんと蕎麦はこうして作られる。

押し出し方式という第三の製法がある。パスタの作り方がそれ。パスタの起源や伝来も諸説ある。やっぱり中国からイタリア半島に伝来したというのが一説。いや、東アジアと東南アジアに広まった中国の麺がインドに伝わっていないぞ、インド抜きにしてイタリアまで達するはずがないというのが他説。

イタリア半島にいた(古代ローマ時代前の)エトルリア人由来だろうというのが別説。ぼくはと言えば、中世の時代に中国と交易していたアラビア商人がイタリアに伝えたという説にくみしたい(但し、ポンペイの遺跡にはパスタに似た料理の壁画が発見されている)。以来、パスタは全世界に広まり、パスタは現在500種類以上あると言われている。

麺類の起源は定かでなくても、連続7日間食べてもうまいと思えるほどの恩恵を享受している。どこかのラーメン店が作ったスローガン、たしか「人類はみな麺類」だったと思うが、なるほどと頷ける。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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