食欲の秋に思う

食欲の秋、実際に食欲は増進するのだろうか。そして、摂取食事量も他の季節よりも増えるのだろうか。食材が豊富に出回るこの季節、みんなせっせと食べているのだろうか。いや、そうとはかぎらない。食欲の秋に食欲不振に陥る残念な人もいるはずである。

事実をどれだけ反映しているのかわからないが、“Amore, cantare, mangiare”(アモーレ、カンターレ、マンジャーレ)はイタリア人を象徴する三大動詞と言われる。「恋する、歌う、食べる」。彼らが惚れっぽいのは映画を観ていればうなずける。歌うのはゴンドラの漕ぎ手やレストランの流しの歌手を見て知っているが、猫も杓子も歌うカラオケ文化のわが国に比べたらさほどでもないような気がする。

ボンルパわいん家2

食欲旺盛な大食漢ぶりは日本人がイタリア人を凌いでいると断言できる。かつてフルコースという概念に振り回され、日本人観光客はヨーロッパに出掛けると、前菜、スープ、魚料理、肉料理、デザートをまめに注文した。もちろん、イタリアでも前菜、第一の皿(パスタ類)、第二の皿(魚料理・肉料理)、デザートというカテゴリーは今もある。ぼくもそんなふうに生真面目に全品注文したことがある。実際のところ、ハウスワインの安いのとつまみとパスタだけ、またはサラダとピザだけという現地の客が多い。日本人観光客のようにハムとチーズの前菜、パスタ、肉料理、デザートとコーヒーなどは例外と言ってもよい。


閑話休題――。時はまさに天高く馬肥ゆる秋である。食欲旺盛になって体重を増やすのは馬のみにあらず。ぼくたちも、豊富な食材や美酒にそそのかされ、気が緩んでしまうとつい鯨飲馬食しがちである。ぼくのささやかな知識の中には、秋の食欲旺盛ぶりにちなむ外国語の諺や格言はない。但し、食べることと恋することに関しては、イタリア語に次のような常套句がある。

Chi non mangia ha già mangiato, oppure è innamorato.
(食事の進まない者は、今しがた食べた者か、恋する者である)

大食いを除けば連食・・などはできない。したがって、今しがた食べた者の食事が進まないのは当然。では、恋する者は食事が進まないか。これには異論が出るだろう。「恋して、歌って、食べる」がイタリア人の特質ならば、恋と食は仲違なかたがいしない。それどころか、恋心が食を旺盛にすることもありうる。

おそらくここで言う恋とは叶わぬ片想いの恋か、すでに失恋間近の、成就しそうにない恋なのに違いない。フォークとナイフを動かしている割には、口の中に食べ物をあまり運んでいないうわの空状態。そのような恋ならば、食欲どころか勤労意欲も遊興欲も活発にならないだろう。恋以外の何がしかのストレスも食欲減退の要因だと言われるが、この歳になっても未だに食欲不振に陥ったことのないぼくには無縁な話である。しかし、このことは食欲の秋にはかなり大きなリスクを秘めることになる。

投稿者:

アバター画像

proconcept

岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です