「何々屋」の誇らしげなまなざし

昨日は軽い風邪だった。大事をとって在宅勤務とした。体調不良のせいか、集中力に欠けブログも尻切れトンボだった。告白すれば、まだ書き続けるつもりだった。かつての「代書屋」、そしてぼくの提唱する当世「企画修繕屋」と「文書推敲屋」から、実は「何々屋」という話へと展開したかったのだ。あまりにも話が長くなるのでいったん終えた。今日も在宅。昨日の風邪を、やや悪い方向に引きずっている。別の日に書いてもいいのだが、もうアタマの中で話が出来上がっている。


風呂屋、散髪屋、金物屋、駄菓子屋などの「何々屋」が現代人の耳にどう響いているか。見下したようなニュアンスがあるのか。呼び捨てにしてはいけないから「さん」でも付けておこうかという感じか。言っておくが、「さん」を付けても尊敬の念が込められるわけではない。「馬」→「お馬」→「お馬さん」と同様、「風呂屋」→「お風呂屋」→「お風呂屋さん」という順番で愛嬌が増し、可愛く聞こえるだけである。

「何々屋」についてぼくは次のように考えている。かつて何々屋は町内に密着していた。住民は親しみのまなざしで接し、何々屋は誇らしげなまなざしで応じた。さすが職人という、技と個性が見えた。お客さんの無理を聞き、信頼関係が生まれた。何々屋は原則として町内に一職種一軒であった。いや、一職種一人というのが正しい。何々屋は店ではなく職人そのものだったのだ。

それだけではない。何々屋は街並みに風情を添えた。仕立屋、庖丁屋、道具屋などが軒を並べる街には落ち着きがあった。自然に乏しい密集地の路地であってもかまわない。視線の先にある軒先の屋号や看板が、職人のいい仕事ぶりの代名詞であると同時に、絶妙の格好をつけていたのである。

まだある。「エコ」という便利なことばのお陰で環境へのマクロな関心は高まったかもしれない。だが、地球をどうするか以前の身近なエコは、かつて何々屋がお手本を示してくれていた。何々屋は、新品を売ったり注文に応じてくれもしたが、同時に修理屋であり、古物屋としても機能していた。「これはまだ使えるよ」――このことばが商いの節度と矜持を表していた。


ここからは一つの仮説である。商売を承継しなくなった風潮を背景に、便利のみを求める住人が何々屋を潰してしまった。「屋」が「店」と呼ばれるようになり、その「店」が会社組織になった頃から、「町内経済」が狂い始めた。一職種一軒の原則が崩れる。商売人どうしが共生論理から競合論理に走る。かけがえのない職人が消え、いつでも交代可能な人材で店が構成される。「酒屋」は自動販売機を設置する。酒のみならず、商品一般や暮らしの知恵にまつわる会話を交わさなくなった。何々屋が消え外来種の資本が幅をきかせるようになり、地域社会の生態系に狂いが生じ、まったく異質のものになってしまった。

フィレンツェの「蛇口屋」には何百何千という、中世から今日までの水道蛇口が在庫されていた。懐古的な蛇口のモデルに固執する客も客だが、品揃えしている職人も職人である。イタリア半島の踵にある街レッチェで仕立屋をガラス越しに覗いていたら、「ウゥ~、ワン!」と犬のマネをして睨みつけられ、あっちへ行けと手で追われた。偏屈なオヤジなんだろうが、眼鏡の奥の目は誇らしげに笑っていた。何々屋の復権。まずは自分自身からなのだろう。 

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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