諺に関する諺

諺、金言、格言、箴言しんげん……いろいろな類義語がある。このようなことばで呼ばれる名言は無尽蔵だ。知らないことばが多すぎるとこぼすに及ばない。知らなくても困ることはないのだから。

句に出合えば考えのヒントになり気づきを促してくれるきっかけになる。下手な考え休むに似たり。オフィスにも自宅にもそれぞれ十数冊の辞典や書物を備えていて、よくひも解いている。最近ではウェブでもかなりの程度まで検索できるので、わざわざ座右に本を揃える必要もなさそうである。

それにしても、諺、金言、格言、箴言などのニュアンスの違いが鮮明ではない。諺がおよそ土着的で日常生活的な教訓だということは承知しているが、金言と格言の線引きがむずかしい。たいていの辞典では生き方や真理や普遍らしきものを唱えるものとしており、金言と格言の意味がかなり重なっている。格言のうちゴールドメダル級を金言と呼んでおくことにするか。なお、箴言は、金言や格言のうち、戒めの意味合いの強いものと考えればよい。

諺と石碑

古代に遡ってみれば、石に刻まれた文言にもいろいろあって、公的なメッセージ性の強い内容もあれば、PRや宣言文もあるし、当時の時事記録もある。ひっくるめて呼ぶなら「碑文」と言うしかない。石に刻まれてこそ、パピルスに書いてこそ、格言・金言となって後世に伝えられた。口伝くでんのみのリレーではこぼれ落としてしまっただろう。わが国にも稗田阿礼と太安万侶以前に名言もあったと推測するが、いかんせん、そらんじるだけでは記録は残りづらかった。


適当に辞典を繰って「諺に関する諺」を調べてみた。金言、格言、名言などをキーワードにするとかなり増えるが、諺だけに限定したら、ぼくの検索の技では十指にも満たなかった。いくつか抜き書きして少考してみた。まずはポジティブなもの。

諺は一人の才知、万人の知恵。(ラッセル)
諺は民衆の声、ゆえに神の声。(トレンチ)

多くの諺を発信源まで遡ることはできない。無名の誰かがつぶやいた後に広まったか、民話のように人々の間で語り継がれたか、そんな感じなのだろう。二つの諺には帰納推理という共通点がある。おそらく個別で特殊だったものが一般普遍としての価値を得た。万人の知恵、神の声とは力強い。他方、ネガティブなニュアンスのものもある。

諺は言い訳にならない。(ヴォルテール)
諺は蝶に似ている。蝶を幾匹か捕らえても、他のは飛び去ってしまう。(ヴァンダー)

「急いでくれと言ったのに、遅かったじゃないか!?」と文句を言ったら、相手が「急がば回れを忠実に実行したんですがねぇ」と諺を盾に取って言い訳をする。遅くなったのは諺の仕業じゃないから、当然本人を咎めるしかない。諺は万人の知恵か神の声かもしれないが、社会規範の上に君臨する法ではない。それに、複数の諺を対比してみれば、相容れないものが必ず出てくる。ある諺に従うと別の諺に背くことになるのである。ヴァンダーの言う通り、いくつかの諺を座右銘扱いすると、他の諺への意識が希薄になることもある。

時機にかなえば、諺はいつも耳を傾ける値打ちがある。(プラウトゥス)

古代ローマ時代の作家のこの諺がもっとも古い。条件付きでポジティブ、条件が落ちたらネガティブという例である。耳を傾ける値打ちがあるのなら、行動指針にしてもいいはず。但し、チャンスやタイミング次第というわけだ。いつでもどこでも誰にでも絶対ではない。時機にかなっているかどうかと自分で斟酌しなければならない。

明けても暮れても「石の上にも三年」などと胡坐をかいたり、「酒は百薬の長」とほざいて連日飲み明かすのも考えものである。諺は字句通りに実践するものではなく、己の言行や考えをチェックする素材と見るのがいい。ケースバイケースの付き合いをする分には、諺は味わい深いと言っておこう。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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