必読書考

一般論として「誰もが読んでおくほうがいい本」はあるかもしれない。しかし、誰にとっても「必ず読まねばならない本」が存在するとは思えない。もしあるとすれば、特定のテーマを究めようとする研究分野においてだろう。つまり、そのテーマについて必要最小限知らねばならないことがあり、それを知らなければそのテーマについて意見が交わせないなどの不都合が生じる場合である。

何らかの目的があるから読む必要が生じる。たとえば、テストに出題されるかもしれないから、そして、テストに受かりたいから、本やテキストを読むのである。なるほど、読んだ結果として具体的な成果が生まれるなら必読本と言えるだろう。では、よく耳にする「万人必読の名著」や「青少年時代に読んでおくべき世界文学名作選」などは、いったい何のために読むのか。良き大人になるため? 教養を身につけるため? 人生を充実したものにするため? いちいちそんなことを考えて読んでいるはずがない。何を読んだらいいかわからないから、必読や推薦に寄り掛かっているのが実情ではないか。

501must read books

“501 MUST-READ BOOKS”という図書推薦の本がある。超特価だったのでロサンゼルス郊外のモール内の書店で買った。分厚い500ページ超の解説書である。さしずめ『必読書501冊』というところだ。文学ジャンルは、不思議の国のアリス、ピノキオ、赤毛のアン、千夜一夜物語、ロビンソン・クルーソー、罪と罰、戦争と平和、赤と黒、審判……など多彩に網羅されている。シェークスピアの作品は一冊も挙がっていないが、まあいいとしよう。

しかし、他のジャンル――歴史、伝記、現代文学、SF・ミステリー、紀行――の大半は初耳の本で、ぼくから見ればかなり偏っている。もっともアメリカ人によるアメリカ人向けの英語の必読書紹介だからやむをえないか。思想や哲学関係は編集方針として除外されたのかもしれないが、「世界にありえないものとしてアメリカの哲学」がジョークのネタになるように、その分野は上位501には入らなかった可能性もある。


必読書とは、つまるところ、学識経験者や職業的読書家や教育者らが自らの読書遍歴で印象に残っている本、あるいは、彼ら自身が先人の推薦するところに従って読み感銘を受けた本などである。そして、他の人たちも読むに値する作品であると彼らが判断したのである。必読書は推薦者が決めるものであるから、本来万人が差し障りなく愛読できる書でなくてもいいはずだ。にもかかわらず、最終的にはほぼロングセラーやベストセラーが選ばれ、癖のありそうなものは除外される。一般的に必読とされるのは、将来の人生に教訓的であり生きることのヒントになりそうな本に落ち着く。

もし必読書を参考にしたいのなら、読者は誰が必読書を推薦しているのかを気にすべきである。そして、推薦している知識人を誰が指名して選任しているかにも気を配るべきである。さらに、指名し選任している人を誰が決めたのか……という具合に気にしていくとキリがないことにも気づくだろう。そう、必読書決定に至る背景を遡ると無限連鎖に陥るのだ。

こうして考えてみると、人それぞれに読みたいと直感する本があるように、人それぞれに必要に応じて読まざるをえない必読書があり、人それぞれに他人に紹介したい推薦書があることがわかる。万人が読みたいと思う本などが存在しないように、万人が読まねばならない必読書や推薦書を最大公約数化できるはずがないのである。必読書に振り回されて読書ノイローゼを患うのは馬鹿げている。どこかの偉い人が薦める本などはしばし棚上げして、読みたいと思う本を読めばいい。そして、権威に頼らずにそういう本を見つけるには、足繁く書店や図書館に通って自ら「読書」なるものを結ぶしかないのである。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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