もう15年も前の話である。人間ドックで「健康心得ガイド」なるものをもらった(もちろん、そんな古い小冊子はすでに手元にはない)。しっかりと記憶に残っているのが、紹介されていた英国のジョーク。「牛乳を毎日飲んでいる人よりも、牛乳を配達している人のほうが健康である」。
ともすれば運動よりも栄養指向に傾きかけていたぼく自身への警鐘と受け止めた。それにしても、なかなかの命題である。このジョークは「ことばの階層」について、二つのことを教えてくれている。
1.具体性
だれが読んでも、「運動>栄養」という図式を自嘲気味に納得してしまう。もし、階層上位の「運動は栄養よりも健康体をつくる」となっていたら、「ちょっと待てよ」と保留者が続出し、是非論にまで発展しかねない。「環境保全か社会貢献か?」というような四字熟語を用いると、二項対立してしまうのだ。
ある企業では、「環境保全 vs 社会貢献」とご丁寧にも“vs”を入れたため、排中律の激論になってしまった。階層下位の「自然を守る」と「ゴミを拾う」にしておけば、「森へ行って空き缶を集める」という折衷もありえただろう。
2.軸移動
飲料を「配達物」として機敏にとらえたユーモアの味付け。軸をずらされて苦笑する。牛乳は飲料のみにあらず、運ばれるものでもある。牛は草を仕入れ、体内で乳を生産し、その乳を人間が盗み、水増しして売りさばき、瓶に詰め込むという一連の別シナリオが見えてくる。
事物には人間が意図した特性と、意図はしたが忘れかけている特性と、まったく意図していない特性がある。これら三つの特性を冷静に眺めれば発想も豊かになるに違いない。