アメリカのことを思い出した

英語の勉強に熱心だった1970年代に比べると、世界におけるアメリカの影響力はだいぶ弱まった。アメリカに関するニュースもめっきり少なくなった印象がある。発信情報が減ったわけではなく、受信側――他の国々や人々――がアメリカ情報の格付けを下げたのではないか。オフィスの蔵書は70年代~90年代に揃えたものが半数以上を占めるが、アメリカと名の付く書籍だけで450冊は下らない。しかし、最近に限って言えば、アメリカに関するテーマの本をほとんど買わなくなった。今世紀に入っても海外広報の仕事をずいぶんしてきたから、必要性がなかったわけではない。しかし、書棚の本の色褪せた背表紙を見ていて、何につけてもアメリカという歴史の終わりの始まりを感じる。

日本もぼくもアメリカを価値軸の中心に据えた時代があった。経済も文化も政治も外交も軍事もアメリカは世界の舞台で代役を必要としない不動の主役であった。今では、もうそんな気はまったくしない。テレビでオバマ大統領を見、新聞で大統領選や政策の話を読むが、響きも反応も地味である。TPPや安全保障で日米の関係が云々されても、かつての安保や沖縄返還や通商交渉などの関心には遠く及ばない。多様性の世紀というようなことばで片付けるのは粗っぽいが、受発信情報のみならず、実際の存在面でもアメリカ的価値の希釈はかなり進んでいると言わざるをえない。

アメリカ50州記念切手

こんなことを思い巡らしたのはほかでもない。某所で処分しようとしていた書籍や小物を適当に何点か持ち帰った中に、アメリカ50州の記念切手を見つけたからだ。切手を見た時点では、鳥と花の記念切手だとはわかっていたが、ろくに文字も読まずに彩りだけで選んできたので、そうとは気づかなかった。一枚一枚がばらではなく、ちゃんとミシン目の入った50枚揃いの切手シートだ。ArabamaからWyomingまで50州がアルファベット順に並んでいる。この切手を見ながら、学生時代に州名をすべて覚えたことなどを懐かしく思い出した。


かつて本多勝一は“The United States of America”はアメリカ合衆国ではなく「アメリカ合州国」でなければならぬと言い、「衆」に替えて「州」と表記し、『アメリカ合州国』という名の本も著わした。当時のぼくは、合州国が当を得ているように思い共感した。後になって、これはどうも「states=州」という概念の彼我の認識が違うのではないかと考えるようになった。つまり、州は日本の都道府県と同じ位置付けや感覚ではないということだ。州は国家に近いのである。国家が集まったアメリカだから、意味としては「アメリカ連邦共和国」なのではないか……。

アメリカは日本の国土の約25倍である。その国土が50州から成っているということは、平均化すると一つの州が日本全土の半分の大きさに相当する。もはや都道府県という行政区画とは次元が違う。明らかに国家と呼ぶにふさわしい。本多勝一は衆を「民」と考え、英語名には民のニュアンスなどはないから「合州国」が適切と考えたようである。『広辞苑』を引いてみた。「合衆」という見出しはなく、あるのは「合衆国」だけで、「①連邦国家に同じ。②アメリカ合衆国の略」」と書かれている。『大辞林』には合衆の見出しがあり、「いくつもの物や多くの人などが一つに集まること」と説明されている。その後も少し調べていたら、福沢諭吉の『文明論之概略』に次のくだりがあるのを見つけた。

初め羅馬ローマの国をたつるや幾多の市邑しゆう合衆ごうしゅうしたるものなり。羅馬の管轄、処として市邑ならざるはなし。此衆市邑の内には各自個の成法ありし、自から一市一邑の処置を施して羅馬帝の命に服し、集めて以て一帝国を成したりしが、帝国廃滅の後も市民会議の風は依然として之を存し、以て後世文明の元素と為れり。

ローマ帝国はもともと市や村の連合だった……帝国内を構成するのは市と村であって、それぞれ独自の法律があり政治をおこなっていたがローマ帝国の指示には従っていた……帝国が滅びた後もなお市政は続き、これがその後も国家の基本となった……というような大略だろう。ここに「主役は都市で、複数の都市のまとめ役が概念としての国家」という構図を見る。欧米の政治の基本概念は都市国家なのだ。アメリカの州は、州という名の都市国家と見立てればいいのだろう。合衆とは民衆を集合するのではなく、市と村を連合するもの。よって、アメリカ合衆国とはきわめて適切な訳語だったのである。そのアメリカ合衆国、話を書き出しに戻せば、やっぱり影はずいぶん薄くなったと痛感する。意志ある脱米なのか、自然の成り行きとしての脱米なのか……これは一考に値するテーマである。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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