人工知能と専門性

ぼくのたしなみの一つに将棋がある。二十代の頃にプロに少し教わった短期間を除けば、独習ばかりで実戦経験も多くなく、腕前のほうはたかが知れている。決して強くはないと自覚しているが、まわりにいる将棋好きには負けた記憶がない。今も時々詰将棋や次の一手問題を解いて自己満足している。

最近は無料でダウンロードできる将棋ソフトが何種類もある。決して侮れない。強弱はいろいろあって、初級ソフトには勝てる。中級ソフトだと五分になる。ところが、最強ソフトになると十回のうち1回勝てれば御の字だ。もちろん、ぼくが遊んでいるソフトは、将棋のプロ棋士と互角に戦っているのとは違う。その手の最高峰とは何度対局しても、未来永劫勝てることはないし、惜しいという場面も一度も訪れないだろう。

つい最近、囲碁の人工知能「アルファ碁」が話題になった。人間が将棋で負けても囲碁で負けることはないと言われてきた。なにしろ囲碁の組み合わせは、将棋の何兆倍、いや、数字の単位の名称さえない圧倒的な桁数に到る。ところが、アルファ碁を相手に現役最強とされる韓国の棋士イ・セドルが5局戦い、14敗と惨敗した。これまでの人工知能は膨大なデータを単純計算するだけだった。しかし、囲碁は先の先までの変化を読むだけでは強くなれない。読みを支えるのは大局観である。アルファ碁はこの大局観を身につけた史上初の囲碁ソフトである。人の脳に近いシナプス回路のネットワーク技術を組み込んだという。もし大局観が互角なら、天文学的な手数を読む人工知能が人間よりも強くなるのは必然の結果なのである。

しかし、人の脳のシナプス回路は人工知能の比ではないほど複雑だと言われている。にもかかわらず、この結果になったのはなぜか。以前、人工知能と将棋のプロ棋士が対戦しているのを見て思ったことがある。人間はトイレに立たねばならない。眠くもなり疲れも出てくる。昼食休憩があれば食事もする。一息ついてお茶を飲む。将棋に専念しているようでも、諸々の雑用や人間関係や明日のことを吹っ切ることはできない。昨日読んだ本の一節も浮かぶかもしれない。ところが、人工知能のほうは一切の雑念とは無縁。当面の対局に完璧に集中できる。ただ一つの専門テーマに「全脳」を使い果たし、無関係なことには見向きもしない。


雑多なことが頭をよぎり、あれもこれもと考えてしまうのが人間らしい。日常生活も仕事も本来そういうものではないか。ところが、企業では専門性が加速している。専門性は、社会がグローバル化し多様化し複雑化する現象に対応する上で、必要不可欠な分化現象なのだろう。だが、その見返りとして、人工知能が人まねで身につけた大局観、つまり、全体を構想したり知を統合したりする人間固有の資質を犠牲にしてしまった。人間社会の専門性の様子と人工知能の方向性を並列的に眺めてみれば、あることが見えてくる――一見高度に思えるビジネスや研究分野の専門性は、その道一途であればあるほど、人工知能で代替されてしまうのではないかという点だ。専門性プラス構想力の人工知能に軍配が上がる日はそう遠くはないと思われる。

専門性の危うさはジリアン・テットの近著『サイロ・エフェクト』の主題でもある。まぐさを発酵させたり農産物を貯蔵するあのサイロは、「縦割り」を思わせる建造物だ。「窓がなく周囲が見えない状態」を暗示する。専門性と言えば聞こえはいいが、一点集中の危うさをつねに秘めている。他分野に目配りせず、専門分野だけを扱っていれば、個性が色濃くない人から順に消えていくだろう。たとえば、テキストを棒読みするような教師。それを専門家と呼ぶなら、eラーニングを高度化した人工知能を持つロボット教師のほうがよほどいい。ついでに、そのロボットにユーモアセンスが備われば、教壇に上がるのが人間でなければならない理由はなくなる。

知層と知圏

人工知能を使いこなす側に立つか、それとも人工知能に代替されない人間固有の能力を発揮するか……これが人の生きる道の二つの選択肢になりそうだ。しかし、前者の人は下剋上に怯えて生きるだろう。近い将来、仕事人としての出番を確保するには、人工知能に「この人間にはかなわない」と思わせるしかない。そのためには、膨大な専門知識をサイロ内に縦に格納するような〈知層〉の発想を放棄し、構想力や統合力に支えられた広がりのある〈知圏〉を生かすことである。人工知能よりも複雑だとされる脳のシナプスを生かすことに活路を見出すべきだろう。

投稿者:

アバター画像

proconcept

岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です