説明書きがある。説明とは何か。文字通り「説き明かす」ことだ。しかし、これでは同語反復で、説明不足を否めない。「内容や理由や事情をわかりやすく言ったり書いたりすること」。これでどうだろう。ポイントは、説明しようとする者の意図が理解しようとする者に過不足なく伝わることである。いま「過不足なく伝わる」とさらっと言いのけたが、実はこの過不足の加減が一筋縄ではいかない。
スーパーで買物をした後、イートインコーナーがあるのを思い出した。そこでコーヒーが飲める。コーナーの突き当たりに説明書きとコーヒーサーバーを見つける。写真の①の箇所には④の取り扱い方法が説明されている――扉を開けてカップを置き、スイッチを押し、ランプが消えるまで待つ云々という情報。次に②を見る。次のように書かれている。
備え付けの注文のカードをサービスカウンターで渡し代金と引き換えてカップを受け取って下さい。
ぼくの飲み込みが悪いせいもあったのだろう。「備え付け」という表現がここから離れた別の場所だと勝手に思い込んだ。その場所がサービスカウンターではないことはわかる。いったいそのカードはどこに備え付けられているのか……そう言えば、さっきベーカリー近くを通り過ぎた時、コーヒー豆の棚の上にカードらしきものがあったような……いやいや、あればエスプレッソマシーンの注文カードだったはず……と思案すること十数秒。
結論から言えば、②の説明文のすぐ下の③が備え付けのカードだった。備え付けとはよそよそしい。どこか遠くの場所と思ってもしかたがない。「↓ こちらの」でいいのではないか。あるいは、②と③の配置を変えれば、自然とカードが先に目に入るはず。あらためてこのコーナーのレイアウトを見つめてみる。①の説明を最初に読む必要性がまったくない。カップを手に入れることが先決なのだ。カップを手にした者だけが④に向かい、そして、必要に応じて①を読むのである。
ぼくの改善案が採用されたとしても、説明が十分機能するわけではない。肝心のカップを買うサービスカウンターを探さねばならないのである。その場所が、まずいことに、イートインから50メートルほど離れている。ぼくはすでに買物をしている。大したものを買ったわけではないが、イートインのテーブル席に袋を放置して離れる気になれない。両手に買物袋を持ってぼくはサービスカウンターに向かった。この時点でコーヒーを諦めるという選択肢があったはずだが、少々意固地になっていたかもしれない。
ゲットするのに時間がかかった紙カップをマシーンに置いてコーヒーを注いだ。カップさえあればこっちのものなので、もう一杯飲むことにした。自販機ではないから、スイッチさえ押せばコーヒーは出てくる。
日夜説明文を考えるおびただしい人がいて、過剰だったり不足だったりする説明文がいろんな場所で掲示される。説明者はよく伝わるように文案を練る。わかりやすさも考慮に入れる。それでもなお、その説明を読むほうは大勢であり、十人十色の解釈をする。ぼくのように説明のすぐ下の箇所にさえ気づかない者もいる。伝わる時はどう書いても伝わるものであり、「伝わるという方法」は確かに存在する。他方、いくら頑張っても伝わらない時はとことん伝わらない。だから、「伝わらないという方法」も生まれる。説明者は往々にして伝わっていないことを知らないものである。