今日の主題は〈コンセプチュアルスキル(conceptual skill)〉、すなわち、概念化能力です。一睨みするだけでは理解しにくい術語で、多義性も帯びています。元を辿れば、アメリカの大学で創案されたマネジメント能力の一つであり、この能力を説明するために、遂行能力である〈テクニカルスキル(technical skill)〉と対人関係能力に関わる〈ヒューマンスキル(human skill)〉と比較することがあります。
マズローの欲求五段階説と同様に、これら三つのスキルも段階論として展開されることがありますが、冷静に考えれば、あるスキルが達成された後に別のスキルを学ぶなどということは不自然です。これらのスキルは並行して身についていくと考えるべきでしょう。とは言うものの、仕事や業務によってテクニカルスキルは変化します。つまり、専門性の色合いが強くなります。これに対して、コミュニケーションの能力を含むヒューマンスキルや思考力に関わる概念化能力のほうが汎用性が高いと言えるかもしれません。
日本人は概念化能力が苦手だと言われてきました。苦手と言うよりも、実際にアカデミックの場で十分に訓練していないからなじんでおらず、なじんでいないから食わず嫌いになっているというのが現実です。学生は試験のために勉強する癖が抜けないので、学んで覚え、やがて忘れます。覚えていても、断片のまま放置するだけなので、知識や情報が体系的に統合されていません。統合の過程では必ず抽象化も必要になります。また、統合の反対の分類能力や要素化能力も欠かせません。手っ取り早い方法は、圧倒的な量の読書をこなすことです。そして、読みっぱなしにせずに、インプットしたものについて考え、共通しそうなテーマを見つけ、コンテンツを作ったり長文を要約したりする練習を積むのです。
概念化能力のうち特に重要な抽象化について考えてみます。よく「具体的に述べよ」と言いますが、具体的であることがいつも歓迎されるわけではありません。具体的とはその事例についてのみ言えることで、他のことについては言えるか不確実です。他の事例についても言い得るためには、一般化したり普遍化せねばならず、そこに抽象化の出番があります。哲学書を難しく感じるのは、哲学が一般性や普遍性を扱うからであり、具体的な事例や固有名詞が少ないからです。哲学や思想はケースバイケースを嫌います。概念化能力は全体像や本質を理解するためのスキルなので、匿名的でなければならないのです。「むかしむかし、あるところにおじいさんとおばあさんがすんでいました」という昔話のつかみは、物語を普遍的に綴るための手法にほかなりません。
AとBとCという要素を統合したり共通性を抽象したりして概念化する作業と、概念化されたものを逆にAとBとCという要素に分解する作業は、論理学の帰納と演繹に通じます。帰納は「特殊から一般へ」、演繹は「一般から特殊へ」と推論します。
さて、概念化の中身を知るために、便宜上、「思考力」「共通性」「再構築」という三つの要素を取り上げます。定説ではなく、あくまでもぼくなりの概念化の捉え方です。
思考力 日々の仕事や生活場面でぼくたちは少なからぬ新しい情報に出合います。目の前の一つ一つの具体的な情報を認識して理解すると同時に、その事柄からどんな普遍的なことが言えそうかを考えます。具体的な事柄と一般概念の往復運動が思考することと言えるでしょう。
共通性 概念化は枝葉末節へのこだわりをほぐしてくれます。複数の事柄の共通性を見極め、個々の細かな情報を切り捨てていくと、細部に囚われていては見えない重要な共通点や法則に気づきます。
再構築 わざわざぼくたちが概念化しなくても、すでに概念が出来上がっていることもあります。そこで、従来一括りにされていた事柄を新しい概念によって再グループ化してみるのです。そうすると、それまでのものの見方とは異なる発想が生まれる可能性があります。ある種のパラダイムシフトと言ってもいいでしょう。
《続く》