街中の「雑景」

目的地に応じて交通の手段は変わる。外国に行くなら飛行機に乗る。乗らざるをえない。飛行機は目的地到着という結果だけを重視する手段。窓側に座れば、離陸直後と着陸直前に風景は見える。しかし、大半の移動時間中は窓外の雲か決まりきった客室光景を眺めることになる。飽きるから眠るか音楽を聴くか映画を観るという、お決まりの過ごし方をするしかない。飛行機は離着陸の地点を結ぶデジタル的装置にほかならない。つまり、移動手段としては、つまらない。

それに比べれば、列車の旅では目的地に向かう途上でいろんなものが見える。『世界の車窓から』と題した番組が成立したのは列車だったからで、飛行機なら長寿番組になりえなかった。飛行機のようにまっしぐらの一目散でないところに列車の旅の値打ちがある。いや、もっとよそ見を楽しみたければ、列車や車ではなく、歩くのに限る。エリアは限定されるものの、四囲の様々な対象が視界に入ってくる。見たくないものまで見えるが、それも目的至上主義から脱線する妙味だと思えばいい。

情趣不足気味の都会暮らしの身だから、街歩きしていると情報過多を肌で感じる。情趣の代わりに情報が氾濫している。情報は「雑景」にこびりついていて、時には土着的な匂い、また時にはおかしみを醸し出す。いつもの散歩道なのに新しい発見があるし、何度も見ているのに居直ったような陳腐さに異常なまでに感心する。雑景を通り過ぎた後も、振り払おうとして振り払えない滑稽な余韻を引きずることもある。今日は看板という雑景を拾ってみた。


けつねうどん

「きつね」は、そう発音した本人の思惑と違って、他人には「つね」に聞こえることがある。ローマ字表記上では[kike]の変化で、[i]をなまくらに発音して[e]になったに過ぎず、この変化に大それた秘密はない。

上方落語の噺家ははっきり「つねうどん」と言っている。しかし、文字で「けつね」と表わし、それを派手な看板に仕立てるところが大阪的だろう。この手の仕掛けに地元民は慣れている。しかし、地元民と言えども、「飽きがくるほどアゲガデカイ!」には少々意表を衝かれる。ふつうは何度食べても飽きがこないとPRするところだ。味がワンパターンで飽きるのではなく、けつねのアゲが大きくて飽きるのである。「アゲガデカイ!」というカタカナの表記がばかばかしさを増幅している。

看板2 男性かつら刃物とぎ

ピンクのテントに白抜きの文字。遠目には目立たない。店舗はいかなるカラー戦略を目論んでいるのだろうか。

それはさておき、日本語であるから、文字が伝えている内容はわかる。理美容の器具を扱っていて、化粧品も扱っている。行間を読まなくても――そもそも行間などないが――一般向けではなく業務用だということもわかる。この店は理美容店向けの商材を扱うディーラーである。カミソリやハサミを扱っている手前、二行目の刃物とぎサービスにもうなずける。

と、ここまで理解しても、独特の空気を放つ「男性カツラ」の文字が虚勢を張っているように見える。シャッターの落書きが店じまいを暗示している。

ベルギービールと焼き鳥

焼き鳥をつまみにビールを飲む。ハイボールでも日本酒でも合うけれども、ビールで何の不思議も不満もない。週に二度も三度も店の前を通り過ぎる。そして、いつもつぶやく、「焼鳥屋らしくない」と。

“BELGIAN BEER & YAKITORI”のアルファベットにヨーロッパのどこかの街の、日本人以外のアジア出身のオーナーが経営する店が重なってしまう。鶏肉が不器用に串に刺され、あまり舌に快くないタレが想像できる。

もう一度書くが、ビールと焼き鳥の組み合わせに文句はない。では、このぼくの居心地の悪さはどういうわけか。ベルギービールのせいである。ベルギービールがうまいことは知っている。しかし、ここは単純に「ビールと焼き鳥」でいい。ベルギービールと焼き鳥がハモっていないのである。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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