思考と指向と嗜好

時代を反映する〈思考の指向性〉について書こうと思っていたら、「思考」と「指向」が同音異義語であることに気づいた。ついでに、もう一つの同音異義語である「嗜好」も付け加えてみた。他意はないが、数分思い巡らしているうちに、これら三つがつながってくるような気がしてきた。なんだか問題を解くような気分である。

気まぐれに思考の指向性を考えたわけではない。今年は1995年に起こった二大惨事の回顧報道によく巡り合う。阪神淡路大震災とオウム真理教事件である。そこでぼく自身のノートを繰ってみた。同年316日から515日までの二ヵ月分のメモが一冊のノートに収まっている。そして、メモの半分はなんと危機管理に関するものだった。これらのメモが当時のぼくの思考の断片であるなら、思考が時代を色濃く反映していることが手に取るようにわかる。

ある一件が生じる。それを「事態」と呼んでおく。その事態は破局へと向かうかもしれない。それを予測して収拾・安定策を事前に講じようとするのが危機管理である。ぼくたちは危険と安全の岐路に立てば、おおむね安全を取るものである。問題は、危険と安全の分岐点にいるのかどうかがわかりづらいということだ。いま岐路と分岐点ということばを使ったが、左が危険、右が安全のように標識が立っているわけではない。リスク要因と安全要因は混在するし、リスクの大小判断も容易ではない。危険と思った選択が安全、安全と思った選択が危険というケースが多発するからこそ、危機管理術は一筋縄ではいかないのである。


ノートの話に戻る。オウム真理教についてのメモが多いが、ところどころで食に関する危機管理について書いている。ここで、タイトルの「嗜好」の出番である。

飽食の時代が満足しない舌・・・・・・という危機を招く。地下食堂街に行って驚いた。中華弁当セット、イクラとウニの海鮮丼、米沢のこんにゃくそば、同じく米沢牛のタンのスモーク、ちぎり天ぷら、洋風エビカツ、特製稲荷寿司店……。どれもうまそうに見えて、結果的に決め手を欠いている。グルメの本質には、本来「この一品」という主義があると思うが、あれもこれものグルメブームはやがて舌を麻痺させるだろう。結局、薄味が濃厚な味付けに敗北するのではないか。

次いで、ぼくが招かれた立食パーティーの話。実は、同会場で提供されたサーモンによる食中毒が翌日に明るみに出た。ケッパと玉ねぎのスライスをスモークサーモンで包み込んだのが大好物だが、幸いにしてぼくは口にしていなかった。そこで、こう書いている。

何でもかんでも危機管理できるわけではない。自分で作った料理の安全性を極めるすべはあるだろうが、ホテルの立食パーティーの食事には信頼性があると決めてかかっている。シェフは毒味係も兼ねているが、傷んだサーモンは彼の検証に引っ掛からなかったようである。

ふと先々週の金沢での食体験を思い出した。ホタルイカもぼくの好物で、現地でなければボイルせずに生で食すことはむずかしい。ホタルイカの刺身には寄生虫が稀に見つかるらしい。ごく小さなリスクだろうが、それを覚悟するならお店が出すと言う。隣りに座っていた初対面の男性は、自身ホタルイカを獲りに行くらしく、えらく詳しかった。「しっかり噛めば唾液の力で大丈夫」と請け合ったので、よく噛んで数匹食べた。食べた後に「運が悪いと胃に穴が開きます」と冗談まじりで話していたが、そんな程度でおびえはしない。この歳になれば、すべての嗜好には悦楽と危険が潜んでいることくらい重々承知している。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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