翻訳ソフトの腕試し

ソーシャルネットワーク上にノートルダム寺院の写真が掲載され、フランス語と英語の説明文が付いていた。

Notre-Dame de Paris, un lieu que l’on ne présente plus!
Notre-Dame de Paris: this place needs no introduction!

意味は明らかだが、翻訳アイコンがあったので試しにクリックしてみた。フランス語の訳は「ノートルダムドパリ、私たちはもはや提供していない場所です!」。「私たち」がパリ市か旅行代理店のことか知らないが、もはやノートルダム寺院が見学できなくなったかのようである。英訳のほうは「ノートルダム de Paris: この場所は導入は必要ありません!」  寺院に何かを持ち込もうとしたが、それはわざわざいらないという感じ。仏英の原文ともに「あらためて紹介(説明)するまでもない場所」と書いてあるのだ。この翻訳ソフトなら人間が勝つ。

これと前後して、Googleの翻訳ソフトのAIがかなり進化したという話を小耳に挟んだ。お手並み拝見とばかりに試してみた。なるべく平易で自然な文章を即興で作って入力した。

四方八方からやってくる話題や時事をニュースという。ニュースの情報量は日々ますます増大しているが、何も知らずに日々過ごすよりはニュースに触れるほうがいいかもしれない。【A

入力しているのとほぼ同時進行で英文が現れてくる。その早さに正直驚く。出来上がった英文がこれである。

The topics and current affairs coming from all directions are called news. The information volume of news is increasing more and more from day to day, but it may be nice to touch news rather than spend days without knowing anything.

わかりやすい英語で日本語を過不足なく見事に訳している。正直言って、学生アルバイトが初稿で書く英文よりもよくできている。なにしろ瞬間芸だから、コストパフォーマンスでは翻訳ソフトのほうが上だろう。ちなみに、この英文を同じソフトで和訳させてみた。アワビを干しアワビにして、それを戻せば元のアワビとは違うだろう。そんなふうになると思ったが……。

すべての方向から来るトピックと時事はニュースと呼ばれます。ニュースの情報量は日々増えていますが、何も知らずに日々を過ごすのではなく、ニュースに触れるのはいいかもしれません。【B

話題を「トピック」にしたのには違和感はあるが、「である調」を「ですます調」に変え意味もきちんと伝えていて合格だ。英語を経てもなお、ぼくの書いた【A】とソフトの【B】はほぼ同じ表現、同じ内容を伝えている。以上の日→英→日……の動作を何度か繰り返させたところ、from day to dayday by day、時事→時事通信、current affairs newslettersなどの小さな変更は見られたが、原意はおおむね踏襲されていた。これは侮れないと思った。


この調子でAIが進化していけば、翻訳ソフトは十年、いや数年以内に、囲碁や将棋のソフトのようにプロが舌を巻くレベルに達するのか。そんな想像がよぎったが、ぼくが書いた文章が案外素直で訳しやすかったかもしれないと考えた。そこで、もう一題試させることにした。冒頭のノートルダムのようなでたらめ翻訳文で馬脚を現すかもしれない。

ぼくは一人称単数の表現を状況に応じて使い分ける。

一文目だけを入力したら、瞬時に“I use the first person singular expression according to the situation.”と翻訳された。完璧である。しかし、実はこれに続く次の文章に難しい仕掛けをしたのだ。

ぼくは普段「ぼく」と言うが、友人に対しては「俺」と言う。目上の人や得意先の前では「私」と言う。たまに冗談っぽく「わし」と言ったりもする。

この三つの文章も瞬間芸であった。

Usually I say “I”, but to a friend I say “I”.  I say “I” in front of superiors and customers. Sometimes I say “I” like a joke.

最終文の「時々私はジョークのように私と言う」はおもしろすぎる。いや、全文が冗談になっている。予想通りだった。意地悪されたソフトは、どんなシチュエーションでも自分のことを“I”と言うほかないのである。これは翻訳ソフトの「誤訳」ではなく、今のところ「推論の限界」または「異文化の壁」と言うべきか。ソフトは「ぼく」と「俺」と「私」と「わし」を正しく訳した。しかし、英語の一人称単数は“I”の一つしかない。日本語のそれぞれのニュアンスを伝えるには、英語の表現を増やすか、日本語の表現を、たとえば「私」一つに限定するしかない。すなわち、文化の修正である。それは無理な話。この一例から、人間がAIに追い越されない最後の砦がどこにあるのかがわかるような気がする。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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