公私にいろいろ変化があった平成最後の一年。もうひと踏ん張りするには精神のリフレッシュが不可欠と思い、新年の初硯には、今さらながらの感がある「虚心坦懐」のつもりだった。但し、筆ではなく、昨年に続いて消しゴム篆刻。昨年途中まで彫っておいた。
元旦に届いた年賀状の一枚を見て予定変更した。その一枚は亡き人から。12月20日に訃報を聞いたのだが、おそらくその一週間か半月前にすでに投函されていたのだろう。例年宛名は手書きでいただいていたが、今年は筆ソフトである。もう書けなかったのに違いない。
いつも数百字で文を綴られる。今年もそうだった。文末にはこう書いてある。
老境になり、龍安寺の蹲踞に彫られた「吾唯足知」の禅語に救われている。身の丈に合った規範で矩を越えず、分相応のつづまやかな暮らしにこそ至上の満足があると。
十年近く前、とある寺に刻まれていた四字を見つけた。内蔵助良雄の座右の銘だった。「全機透脱」がそれ。調べ不足だったのか、そんな四字熟語は辞書で見当たらず、全機のほうを調べていたら『正法眼蔵』に辿り着いた。全機と透脱を別々に自分流で解釈したのを覚えている。
いま一枚の年賀状に生と死を見ている。昨日、全機透脱を「すべてのものの働きは、生も死をも越え、縛られることなく自由」と読み替え、書き初めすることにした。