不味と美味を隔てるもの

食べることについて語れるのは、具体的な〈実践知〉がいくらか備わっているからだろう。ほんとうのところは、「生きること」について堂々と語りたいのだが、日々生きているくせにつかみづらく手に負えない。と言うことで、食べることは生きることの一部であると考え、食べることを語って生きることを語ったことにしてしまおうという魂胆である。


意外に思われるだろうが、人生史上ダントツに不味かったパスタは本場イタリアで食べた一品。ミラノのブエノスアイレス通りから路地へ入った、場末の大衆食堂だ。「おそらく美味うまくない」という直感が働いたが、パリから移動して投宿したばかりのホテルから近く、妥協した。パスタは直感通りの不味まずさだった。茹でおきしていた麺を皿に盛って熱々のトマトソースをかけているのが客席から見えた。しかし、店構えも客層も1960年代のイタリア映画を思わせる雰囲気があり、食べているうちに「愛すべきマズウマ」に変化して救われた。

あれから十数年、つい最近救われないパスタを専門店で注文してしまった。オフィス近くのモールで用事のついでに初入店。あまり時間がなかったので、「本日のおすすめ」を告げられるままに選ぶ。ランチの名は忘れたが、見たままに言えば「芽キャベツとシーフードのレモン風味のスパゲッティ」。きれいに盛り付けられ、見た目は美味そうだった。

不幸にして、口に運ぶごとに不味さがつのった。失望した。パスタも具材も個々には悪くない。具がスパゲッティを、スパゲッティが具を拒否したまま皿に盛ったのが問題なのだ。あくまでも類推だが、別途下味をつけて用意していた芽キャベツとシーフードを、茹でたてのスパゲッティに「載せた」だけのようである。つまり、えていない。

では、和えさえすれば美味くなるのか。いや、そうではない。具材を混ぜることと、具材を和えて味を合わせることは別なのである。芽キャベツという案外難しい食材を使いこなせなかったのかもしれないが、和風パスタという何でも具材に使ってしまうジャンルがあるように、上手に調理すればパスタは具材を選ばない。以前タケノコとベーコンを合せて自作したことがあるが、アルデンテによく合った。

もし芽キャベツが難しいのなら、生のトウモロコシで作るパスタはもっと扱いにくいかもしれない。足繁く通うわけではないが、年に数回寄るお気に入りのイタリアンで、リングイネのパスタを食べた。大胆にも素材はトウモロコシだけ。仕上げに黒胡椒とパルミジャーノのみ。これだけなのに調味の加減とえ具合が絶妙だった。これぞ調和である。不味ふみ美味びみを隔てるものを一つ選ぶとすれば、それは〈和える〉という料理、つまり「理のはかりよう」だと思われる。

アマトリチャーナとナポリタン

アマトリチャーナ

トマトの身も入っているトマトソースのパスタ。グアンチャーレという、豚のホホ肉の塩漬けがこの一品の味の決め手。パスタの名は〈アマトリチャーナ〉。ローマと同じラツィオ県の街、アマトリーチェ生まれのパスタと言われている。

おなじみのスパゲッティ〈ナポリタン〉が、ナポリではなく、日本生まれというのはよく知られた話。和製パスタのナポリタンは、味は違うが見た目はアマトリチャーナによく似ている。この一品にヒントを得て生まれたと言われることもあるが、仮にナポリタンの起源がアマトリチャーナだとしても、レシピを知らずに仕上がりを見て独自に解釈して創作したのだと思われる。

ナポリタンでは、高価なグアンチャーレに替えて、ハムかソーセージを使う。タマネギとピーマンとマッシュルームが入り、仕上げに粉チーズがかかる。茹でたての麺をフライパンで具材と和えるのが本場のパスタ。決して炒めない。他方、ナポリタンは茹で上げてから時間の経ったゆるい麺と具材を炒める。炒めて熱々の鉄皿にのせる。ナポリタンはケチャップ味の具だくさんの焼きうどんである。


レシピ無き自家製のナポリタン

年に何度かナポリタンを自作する。店で食べるならノスタルジーも一緒に食べたいからゆるい麺は大歓迎だが、自宅ではアルデンテの麺を使う。正統ナポリタン派からすれば、わが一品はナポリタンもどきなのだろう。

いつぞやスパゲッティ談義をしていて、話がナポリタンに移った。誰かが「ナポリタンの本来あるべき姿」と口走った。「なぜナポリタンに本来あるべき姿を求めるのかね?」と普段のぼくなら言いそうなものだが、黙っていた。後日、「人はなぜ『本来の姿』や『起源』を探りたがるのか?」と少し考えた。本来の姿や起源は個人の知識によって決まるのであって、唯一絶対のものではないと。

アマトリチャーナまで遡ることはない。学生時代に通った喫茶店で、タバスコの置いてあるテーブルに鉄皿で運ばれてきたあのスパゲッティこそがナポリタンの始まり。決して「あるべき姿」ではない。あの時代が起点となってナポリタンの系譜が今に続いている。「昭和の」とか「昔懐かしい」と形容されながらリメイクされるナポリタンは、すっかり垢抜けしていて味もグレードアップしている。麺好きとしては、創作性豊かな未来のナポリタンに大いに期待するところである。

ナマコを最初に食べた人はえらいか?

チーズケーキ
ある日、あるカフェにて。
「こちらケーキセットのチーズケーキになります。カロリーも甘さも控えめの手作りケーキでございます」
う~ん、おいしさもかなり控えめだった。

ガツとセロリ
めったに手に入らない豚の第一胃、ガツ。すでに茹でてあるものを買う。一口サイズに切って塩・コショウ・酒で下味をつけ、片栗粉を混ぜ合わせて炒める。次いで、適当に切ったセロリを――セロリのみを――加える。おろしにんにくを好みで足すが、他の野菜はガツの邪魔になるので一切入れない。火が通った頃を見計らって、あらかじめ合わせておいたナンプラー・オイスターソース・酒・水を少しずつまぶしながら炒める。調味料はすべて目分量。

ナマコ
「ナマコを最初に食べた人はえらいと思う」という声をよく聞くが、最初に食べた人を特定するのは不可能。何千年か何万年前か知らないが、ネットも新聞もない時代にナマコを最初に食べたのが自分であるという自覚ができたはずがない。

ある者がナマコというものを見つけた。手に取った。食べられるものかどうかはわからないし、他の人間が食べているのかどうかもわからないが――いや、こんなことすら考えもせずに――とにかく腹が減っていたので口に運んでみた。うまいと思ったわけではないが、食って食えないものではない。その者が、その後、誰にも言わずにこっそりナマコを一人で食べ続けたとは考えづらい。おそらく集団とシェアして食ったはずである。こんなことが、ナマコが棲息する各地でシンクロニシティのごとく起こったと思われる。

しかし、ナマコはメジャーにはならなかった。今のわれわれのナマコとの付き合いを見ればわかる。集団でナマコを常食するような食習慣は世界のどこにも見当たらない。小料理屋で旬の季節に、オヤジが一人、ナマコの酢の物を酒のつまみにする程度の消費である。

ともあれ、「ナマコを最初に食べた人」の、食べた勇気をえらいと称えるには及ばない。食べるものに困った人類は、躊躇したり気持ち悪がったりせずに、後先を考えずに貪ったのである。

トウモロコシとパスタ
ぼくの「飲食店応援アクティビティ」のイタリア料理部門で優先上位の店。パスタはリングイーネ。使う具は生トウモロコシのそいだ実だけ。イネ目イネ科の共演である。これで勝負するのは勇気がいる。「なんだ、コーンだけか……」と言われかねないからだ。

しかし、パスタとはパスタという主役を食べる料理であって、パスタの顔を潰すような具沢山の脇役はよろしくない。ランチを注文すると、この店は野菜やハムや魚をふんだんに盛り合わせた前菜を出す。だから、パスタはシンプル。仕上げにチーズと黒胡椒を振る。

鶏のカラアゲ
めったに待たないが、揚がるのを待つことにした。待っている間に脳裏であの曲が流れた。

♪ ジョニーが来たなら伝えてよ 
2時間待ってたと
割と元気よく出て行ったよと
お酒のついでに話してよ
友だちならそこのところうまく伝えて

遅まきながら「ジョニーのからあげ」の初体験。替え歌を作ってみようと思ったが、そんなに時間はかからなかった。

“Eats Journal” 創刊号

食に関する記事カテゴリーがなかったので新規で作ってみた。そして、最初の記事をそのカテゴリー名と同じ、“Eats Journal”イーツ・ジャーナルと題して書くことにした。気ままな「食日記」のことである。


飲食店応援アクティビティ  

店も客も自粛が続いた。店の自粛が解除されても客にはまだ余韻が残っている。どこの店も客の入りはかんばしくない。

と言うわけで、5月に入ってから週末にはランチを――稀に夕食も――外食するようにしている(週末の外食は今に始まったわけではないが……)。手当たり次第に応援するわけにはいかないので、チェーン店ではない、何がしかの所縁ゆかりがある、徒歩圏内の近場という条件で絞り込む。税込み1,500円以上の貢献という条件も考えたが、ランチは千円前後が多いし、980円のうまそうなメニューを見つけてしまうと悔しいのでやめた。

今では年に一度か二度しか行かないが、かつてお世話になった店。不義理にしているのに、店じまいされると一抹の寂しさを覚えてしまいそうな店。どなたかをお連れしたくなる店。今でも交わした会話を覚えている店、等々。料理のジャンルは問わない。


会社を創業した33年前から毎月一度は通った鰻屋。時を経て値段は何度もうなぎのぼりしたので、ここ15年は年に一度か二度という具合。以前の上うな丼は赤だし付きでたしか1,500円だった。それが300円か400円刻みで何度か値上がりし、今は2,800円。ちなみに、上客と一緒の時のみ注文する特上うな重は4,000円。

いつぞや久しぶりに行ったら、すでに先代が退いていて、30年前に出前担当していた若手が店を継いでいた。その若手も白髪交じりで貫録十分。傘寿をとうに過ぎた女将は現役続行中。ぼくはもうすっかり忘れられた存在なので、一見感覚でのれんをくぐる。

汁物には吸い物と赤だしがある。吸い物には肝が入っている。いわゆる「肝吸い」。かつてよく通っている頃に併せ技の裏メニューを知り、以来「キモアカ」を注文する。肝入りの赤だしである。これを注文すると、顔に見覚えはないが、この店に来たことのある客だと古株の店員なら察するはず。

上うな丼を注文すると、女将は誰にでも決まってこう言ったものだ。「半分くらいお食べになったら、身を細かくほぐしてどうぞ」。その日もいつものルーチンをこなした。鰻の並だと小さな身が二切れということがあるが、ほぐして食べるとかさが増して食べ応えを感じる。財布事情が並しか許さない人にはいきなりのほぐしをおすすめしたい。