イタリア紀行19 「一期一会が似合う」

サン・ジミニャーノⅢ

滞在時間は3時間と少し。フィレンツェ⇔ポッジボンシ⇔サン・ジミニャーノ往復に要した時間とほぼ同じ。街が小さいのに加えて自慢できる知識などまったくないから、何が見所なのかもよくわかっていない。おまけにシーズンオフだ。正直言って、3回にわたって書くだけの話題を持ち合わせていない。

四十いくつの数の世界遺産を誇るイタリアにあって、サン・ジミニャーノは1990年に7番目の早さで登録されている。城壁に囲まれた街。石畳と古色蒼然とした壁の間から中世以来生き延びてきた塔が背伸びをしてみせる。よく目を見張ると、石畳や壁が修復されているのがわかる。石の文化は強靭だが、それでもなお数百年の年月は街を劣化させる。

錆びたような黄土色の建物、時には寒々しいグレーの石畳や赤っぽい石畳、くすんだこげ茶色の屋根、窮屈そうで人影もまばらな通り。この街に決してマイナスイメージを抱いたわけではないが、見るもの感じるものすべてが寂寥の色合いに染まる。ルチアーノ・パヴァロッティが歌いあげるイタリア民謡、たとえば『はるかなるサンタ・ルチア』が流れてきたりすると、哀愁がただよい感傷的な気分になること間違いない。

世界中から観光客がやってきてこの小さな街がにぎわう季節なら、哀愁や寂寞に襲われることはないだろう。ガイドブックの教えにしたがって名物の白ワイン“Vernaccia di San Gimignano”も楽しみ、土産物もしこたま買い込んでほろ酔い気分で帰路につくかもしれない。しかし、それはそれ。旅は季節によって街の顔を変える。それを一期一会の縁と受け止めるのが潔い。 《サン・ジミニャーノ完》

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足の向くまま街外れへ。
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城壁の外はさらに閑静な風情。
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城壁外の田園風景。
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塔の上からの風景。
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一戸建て住宅。ホテルが少なく、民家が部屋を貸す、いわゆる民泊が多い。
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聳える塔を後景に置く住宅地。街に絵になる躍動感を与えている。

イタリア紀行18 「オンリーワン体感」

サン・ジミニャーノⅡ

トスカーナ州の都市を一ヵ月ほどかけて丹念に周遊すれば、それぞれの個性を繊細に感知できるだろう。同じ中世の佇まいであっても面影の残り方は異なっている。西洋中世の時代の建築や都市の専門家なら現場で即座に街の差異を認知できるに違いない。

ぼくなんかはそうはいかない。万が一細い通りが交差する街角に突然投げ出されたら、そこがフィレンツェかシエナかピサか即座に判断できる自信はない。もっと知識を深めたいと思っているものの、残念ながら、トスカーナ地方全般、とりわけ都市の歴史や建造物に関してぼくはまだまだ疎(うと)い。しかし、投げ出された場所がここサン・ジミニャーノなら、おそらく言い当てることができる。それほど、この街はトスカーナにあってオンリーワンの様相を呈している。

地上にいるかぎり、煉瓦の建物や壁の色や石畳をじっくり眺めても街の特徴はよくわからない。わからないから、高いところに上って街の形状を見たくなる。だから、塔があれば迷わず上る。高いところに上るのは何とやらと言うが、塔は無知な旅人の視界を広くして街の全貌を知らしめてくれる。

だが、現存する塔のほとんどは700年以上の歳月を経て老朽化している。市庁舎の博物館と並立するトーレ・グロッサは安全を保証された数少ない塔の一つだ。高さはわずか54メートルなのでトーレ・グロッサ(巨塔)とは誇張表現だが、小さなサン・ジミニャーノの街全体はもちろん、周辺の田園や丘陵地帯を一望するには十分な高さである。そこの切符売場でもらった『サン・ジミニャーノの宝物』と題されたB5判一枚ものの案内。何となく気に入っているので額縁に入れて飾っている。

見所を一ヵ所見逃した。と言うか、見送った。中世の魔女裁判をテーマにした『拷問・魔術博物館』である。当時使った拷問装置がそっくりそのまま展示されていると聞いた。残酷・残虐のイメージを前に好奇心は萎えてしまった。「生爪剥がし」や「鉄釘寝台」を見ては、その日の夕食に影響を及ぼしかねない。ここはパスして城壁周辺を散策することにした。

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トーレ・グロッサの塔から眺める三本の重なる塔。
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現存する塔の数は15本、14本、13本と資料によって異なる。教会の鐘楼も数えるのか。
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いびつに形を変えた鐘が無造作に置かれていた。
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 光景におさまっているのはわずか3本の塔だが、13世紀の頃には72本あったとされる。現在の高層ビル群になぞらえて、天へと聳立を競った塔の街を「中世のマンハッタン」と呼ぶ人もいる。
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トスカーナの田園地帯という言い方をするが、平野部は少なく、牧草地も起伏の波を打っている。この写真のような風景が街の周辺の丘陵地帯でよく見られる。
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塔のほぼ真下に見える広場と住宅。
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中央やや下に井戸の見えるチステルナ広場。街のすぐ背後に緑が迫っている。古色蒼然と言うしかない。

イタリア紀行17 「世界遺産の塔の街」

サン・ジミニャーノⅠ

以前、NHK衛星放送がイタリア各地の世界遺産をシリーズで生中継していた。季節がいつだったのか覚えていないが、その番組を見たかぎりサン・ジミニャーノは賑わっていた。街の入口になっているサン・ジョヴァンニ門をくぐると同名の通りが街の中心チステルナ広場へ延びるが、大勢の観光客がテレビの画面に映し出されていた。

サン・ジミニャーノはトスカーナ州に位置する、辺鄙な街である。すでに紹介したシエナ県に属している。フィレンツェからバスで行くが、直行便がない。途中ポッジボンシという場所でで別のバスに乗り換える。バスの連絡が悪いと30分ほど待たされるので、フィレンツェからだと都合2時間近くかかることもあるようだ。

それにしても、この閑散とした世界遺産、いったいどうなっているのだろう? NHKで見たのと、いま目の当たりにしている光景には天地ほどの差がある。土産店で尋ねたところ、2月の下旬はほとんど観光客は来ないらしい。ツアーコースでシエナのついでに立ち寄るくらいなので、滞在時間は1時間かそこらとのことだ。あまりにも暇そうだし親切なオーナーだったので、置き物を一つ買った。街の模型である。そこには、お粗末なしつらえながら塔も立っている。

この街は小さい。南北が1キロメートルで東西500メートル、住民は8000人にも満たない。日本なら過疎の村である。だが、今も品質のよいサフランで有名なサン・ジミニャーノは、サフラン取引で富を得て、金持ちたちは競って塔を建てた。まさしくステータスシンボルだったのだ。かつて72本も建っていた塔は、今では15本。その15本のお陰で世界から注目される遺産になっている。

これまでの紀行文で「中世の面影を残す」という表現を何度か使ったが、サン・ジミニャーノには使えない。「面影」ではなく「そのまま」だからだ。123世紀の中世の騎士映画を撮影するためにこしらえられたセットではないかと錯覚してしまう。ここは「今に生きる中世そのもの」である。人気のない季節が中世の重厚で硬質な印象を際立たせた。

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サン・ジョヴァンニ門から街に入る。
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門をくぐり振り返るとこんな光景。
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サン・ジョヴァンニ門から広場までの道すがら。曲がりくねる通り、建物の間から一つ目の塔が見えてきた。
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さらに通りをくねっていくと、別の形状をした塔が現れる。
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通りが交差する街角に出る。
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チステルナ広場。“Cisterna”とは「井戸」 のこと。
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チステルナ広場の井戸。取り囲む建物や広場に敷き詰められた煉瓦は中世の色そのままだ。この井戸が水汲み以外の用途で使われたことは想像に難くない。
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博物館の塔から見る対面の塔。
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サン・ジミニャーノのほぼ全貌。この規模の街にかつて72本の塔が建っていたとは驚きだ。さぞかし圧巻だったに違いない。現在では15本の塔すべてを見渡せる場所は空以外にはない。