連想から回想へ

いつでもどこでも人は頑張れるわけではない。久しぶりにわが街の坂を自転車で上ると、太ももが言うことを聞かなくなる。もう少しの我慢だ、限界に挑戦せよなどと自らを叱咤しても、できないものはできない。8月初旬から続く毎週の出張でぼくの肉体はちょっと言うことを聞かなくなってきた。

体力だけにかぎらない。人はずっとまじめに勤勉であり続けることもできない。つい気が抜けて油断したり怠けたりしてしまう。ああ、また今日も無為な一日を過ごしてしまったと後悔もする。その後悔をバネに翌日は少し充実した一日にしようと意識を新たにする。

人間が本性的に勤勉であるのか怠け者であるのか……古今東西いろんな見方があったし、今もわからない。言うまでもなく、二律背反のテーマであるはずもない。ある時は勤勉であり、またある時は怠惰になる。後者が高じると無為徒食になり果てる。仕事もせず、何もせず、ただいたずらに時間を過ごしてしまう。一日の終わりに後悔すらしなくなる。


無為徒食と書くと、ワンセットのように放蕩三昧という四字熟語を連想する。ぼくの参照の枠組みがそうなっている。さらにアッシジの守護聖人でありイタリアの守護聖人でもあるフランチェスコ(1182? -1226年)につながる。聖フランチェスコはアッシジの裕福な家庭に生まれた。若い頃に放蕩三昧したあげく、神の声を聞いて聖職への道についた。どのような類の放蕩三昧かは知らないが、神の声を聞いたのはただの凡人でなかった証拠である。

神の声を聞けそうもないぼくたちは、どんなふうにして豹変できるのだろうか。過去に放蕩三昧した覚えはない。成人してからというもの、無為徒食とは縁遠い。そんな普通の人間が、願望があるにもかかわらず、それを実現しようと努力もせず、周囲の人たちや社会へのコミットメントを果たさない。やらねばならないと自覚して、しかし、先送りする。結果的に怠慢組の烙印を押される。


今週の週初め、大阪から鳥取に向かう車窓越しに辺鄙な風景に目を遣っていて、再びアッシジの回想が始まった。ローマから列車で北へ2時間、2000年に世界遺産に登録された聖地である。緑溢れる平野を抜けた丘陵地帯の小村、その自然の一部を大聖堂が借りているかのような風情であった。

IMG_5619Katsushi Okano
Assisi
2004
Pigment liner, watercolors, pastel

他人と違うことを考える

書くことと考えること」と題して書いてから三日間、考えることについて少し考える機会があった。

「考える」ということばの頻度は高い。企画書を見ながら「きみ、ほんとに考えた?」と聞けば、相手も「ええ、考えました」という具合。「よく考えよ」とか「深く考えよ」と言われて「はい」と答えているが、よく分かっているのか深く分かっているのかは分からない。それにしても、「広く浅く考えよ」とあまり言わないのは、考えることには深さが想定されているせいかもしれない。

考える人2

若い頃に考えることを意識するきっかけになったのはロダンの『考える人』だった。考えるというテーマの芸術作品に新鮮味を感じた。後年、あの作品名が元々『詩人』だったと知り、考えるは考えるでも高尚な哲学ではなさそうだと思うようになった。この作品は世界に30ほどあって、鋳造だからすべてオリジナルである。三年前、パリのロダン美術館の『考える人』をじっくりと見た。「前かがみ気味に座り顎に手を当てている時、人はまず考えてなどいないだろう」というのがぼくの結論である。


聴いたり読んだりする時に思いやイメージが巡る。話したり書いたりする時にも思いやイメージが動く。言語的行為が活発であることと頭の働きは関係している。だから、話しもせず書きもしていないこの考える人が、「沈思黙考」しているように見えて、案外脳内は茫洋としているだけかもしれないと思うのである。

さて、この考えるということ自体である。どこかに書いてあったことを読んだまま誰かに伝えても考えたとは言わない。中継したと言う。わからないことを調べた結果わかったとしても、まるで考えてなどいないし、読書しながら「うんうん、そうそう」というのも考えていない。なぞったり共感したりしただけに過ぎない。では、人と同じことを考えるのはどうか。同じことを考えるのに二人も三人もいらない。一人だけ考えていれば十分で、あとの連中は考えることなどなく、ただ共有すればいいだけの話である。二番煎じで考えることを考えるなどとは呼ばないのである。

考えることには独自性がなければならない。他の誰かと違うことを考えるということだ。その本質にはありきたりでないこと、場合によっては非凡や異端やアンチテーゼの特徴を備えていなければならない。他人が考えていることと違うことを考える……つまり、新しいことを、異なることを編み出す過程なのである。考えるとは、つねに「他人と違うことを考える」ことにほかならない。

書くことと考えること

電話や訪問客に邪魔されずに考える時間を持ちたいと思うことがある。何かについて集中的に考えたい時に一人の時間を作ろうとするのは常套手段のように思えるし、実際にそうしている人も少なくないはずだ。はたして、一人のほうが思考がはかどるのだろうか。

書考同源

いや、一人であるか複数であるかは問題ではない。一人であろうと複数であろうと、考えているつもりが、実は考えてなどいないことがほとんどなのである。考えようとするだけでは記憶の引き出しは開いてくれないし、考えようとしているテーマに関連したアイデアもそう易々とひらめいてくれはしない。単にイメージが湧き何かが脳内でうごめいたような気がするだけである。手を、口を動かさずに腕を組むだけでは、思考はめったに起動しない。

では、いっそのこと調べよう。考えがまとまらないなら外部からの刺激を受ければいい? そうはいかない。情報が膨れてしまうと、まとまるものもまとまらなくなる。考えの芽を摘まんでしまうという、悪循環が始まりかねない。


文学者が文章というものを大切にするという意味は、考える事と書く事との間に何の区別もないと信ずる、そういう意味なのであります。まずく書くとは即ち拙く考える事である。拙く書けてはじめて考えていた事がはっきりすると言っただけでは足らぬ。書かなければ何も解らぬから書くのである。文学は創造であると言われますが、それは解らぬから書くという意味である。あらかじめ解っていたら創り出すという事は意味をなさぬではないか。(小林秀雄「文学と自分」)

ここでの話は文学に限定されるものではない。ぼくたちは話す行為や書く行為以前に思考があると思っているが、その思考の明快性や輪郭が表現抜きでしっかりしている保障などない。言語は思考を前提としない。考えたことを話す、考えたことを書くなどという手順の胡散臭さに気づくべきだ。話す相手がいなければ書くしかない。書いてはじめて分かることがある。書くからこそ思考が触発されるということがある。考えることと書くことは一体であり同根なのである。

下手な文章を書いているときは下手に考えているのだと言われてみれば、思い当たることがあるだろう。その下手な文章に筋が通っておらず、語彙表現も適切でなく落ち着かない。もう一度推敲してみる。推敲しているうちに適所適語が見つかる。そうか、自分はこういうことを考えようとしていたのかということが、何度も書き直した文章を通じて見えてくる。

そぞろ歩き

夏場になると歩く距離が短くなる。加えて、出張時には現地でもタクシー移動が多い。大阪にいる時も自宅とオフィスの往復30分程度の歩き。身体がなまってくる。無性にそぞろ歩きしたくなるが、暑さと闘う気力が湧き上がらない。昨日、講義でコンパクトシティに触れた際にフィレンツェの話をした。ふとがむしゃらなそぞろ歩きのことを思い出した。

七年前、一週間フィレンツェに滞在した。日が暮れて夕闇が迫りくる時間帯。変な表現だが、「軽快な虚脱感」と「神妙な躍動感」がいっしょにやってくる。人の顔の見分けがつきにくくなり、「そ、彼は」とつぶやきたくなる時間帯を「たそがれ」と呼んだのは、ことばの魔術と言うほかない。

当てもなく街の灯りと陰影を楽しみながら、足のおもむくまま移ろってみる。気がつけば同じ道や広場を何度も行ったり来たり。そんなそぞろ歩きを”passeggiata”(パッセジャータ)と呼ぶ。まったく重苦しいニュアンスや深い意味はなく、「ぶらぶら一歩き」のような軽やかさがある。散歩まで義務や日課にしてしまってはつまらない。

ルネサンスの余燼が未だ冷めやらない街。いや、余燼という形容は正しくない。ルネサンス時代のキャンバスの上に現在が成り立っているのがフィレンツェだ。ここは至宝で溢れるアートの街。たたずめば感化されて絵心がよみがえる。よみがえり……これこそが再生、ルネサンス。

アルノ川Katsushi Okano
アルノ川の夕景(ポンテヴェッキオから)
2007
Pastel, watercolors

毎月26日

今日は826日。毎月26日が何の日であるかを知ったのは今年5月の下旬だった。よく通り過ぎる最寄りの区役所前ののぼりが目に止まった。ずっと以前からあったに違いないが、その日初めて気づいたのである。

この国には語呂合わせの好きな人が多い。日本語の特性が語呂合わせにおあつらえ向きだからである。英語で0から9までの一桁の数字で何かシャレを作ろうとしても限界がある。音が、zeroonetwo……eightnineでは語呂を合わせにくいのだ。ところが、日本語なら、4649で「よろしく」と読めるし、3341で「さみしい」と読める。電話番号を意味のあることばや文章にするのも朝飯前である。

こういう言語風土があればこそ、「何月何日は何の日」はやりたい放題になっている。毎月29日は「肉の日」であり、毎月19日は「インクの日」であり、そして、毎月26日は「ツーロックの日」なのである。なんと英語と日本語の併せ技で読むという芸当までやってのける。


最寄りの区役所とは大阪市中央区役所である。中央区にも地域差があって、ぼくの住居周辺はかなり治安がいい。けれども、区域が広がっているから、部分的には良からぬ一部居住者あるいは良からぬ一部ビジターがいる。中央区のひったくり、路上強盗、自動車・自転車の盗難件数は大阪市内でワーストワンになっている。このうち、自転車が60パーセントを占めているという。

ツーロックの日

そこで、毎月26日を自転車に錠をダブルでかけようということから、語呂合わせで「ツーロック」と読ませてキャンペーンが始まった。当初は中央区だけの運動かと思っていたが、市内全域、それどころか他府県でもこの日にキャンペーンがおこなわれているのを知った。今日がツーロックなら、16日は「ワンロック」でいいのかと意地悪を言われかねない。

もし語呂合わせにこだわらなければ、数週間連続でやればいいし、けしからぬ者にとっては路上犯罪は年中無休なのだから、毎日ツーロックで自転車を守るべきだろう。と、ここまで考えてはっと気がついた。今年は平成26年ではないか。何のことはない、このことに気づいていれば、「今年はツーロックの年」として11日から華々しくキャンペーンしておけばよかったのである。

文化とことば

最初に聞いた「ぶんか」という音は、おそらく「文化住宅」ということばとしてだった。ぼくが子どもの頃に町内のあちこちで建ち始めた簡易な集合住宅である。文化住宅と文化が違うらしいことは、しばらく後になってわかった。文化住宅とは、実は「文明の産物」だったのである。

一語の辞典 文化

さて、ここに『一語の辞典 文化』(柳父章著)という本がある。文化ということばだけを字義的にあれこれと考察している本だ。久しぶりにページを繰っているうちに、いろんなことが脳裡に思い浮かんだので書いてみようと思う。

「哲学」「科学」「時間」などの術語は幕末以降に生まれた和製漢語であり、「文化」もその一つであった。英語やドイツ語を「やまとことば」に置き換える代わりに、二字の漢字で言い表そうとしたのである。他に、“concept”は「概念」とされたし、“information”は「情報」になった。いずれも「おもひ」、「しらせ」とはならなかった。


明治40年(1907年)発行の『辞林』に【ぶん-くゎ】という見出しで文化が収載されている。「世の中のひらけすゝむこと」とある。ついでに、英語も併せて数冊の辞書に目を通してみた。定義はいろいろである。「文明が進んで生活が便利になること」というのがあった。文化の説明に文明が持ち出されるのも妙な気がする。他に「真理を求め、つねに進歩・向上をはかる、人間の精神的活動」というのもある。これはわかりやすい。

英語の“culture”には、まず「耕作」や「栽培」という訳語が当てられ、次いで、抽象概念の「教養」や「文化」が続いた。なるほど、植物を土と光と水によって培い養うのと、人の精神を育むことに大きな違いはなさそうだ。農業を意味する“agriculture”にはちゃんと“culture”が含まれている。

さっき「文化の説明に文明が持ち出されるのも妙」と書いたが、「文明>文化」という視点を感じるからである。文化(≒culture)と文明(≒civilization)の間には一線を引くべきだ。二つの概念はまったく違うのだから。文明開化という時の文明にぼくなどはテクノロジーやエンジニアリングを感知してしまう。ゼネコン的で公共的で巨大インフラ的なものをである。河川を工事したり巨大都市を建設したりするのが文明なのだ。

文明に比べれば、たしかに文化などみみっちくて卑小に見える。だが、芸術や工芸や芸道をピラミッドの前景に配して強弱や優劣を語ることにほとんど意味はない。文明はハードウェアであり文化はソフトウェアである。ハードとソフトはコンピュータにおいては一体的な協同関係にあるが、生活世界においては文明と文化は二項対立的な共存関係にある。どんな関係か……たとえば、スカイツリーやあべのハルカスを背景にして一句をひねってみれば、そのことが実感できるかもしれない。

一冊の本に出合う

本と聞いて読書を連想するのは自然である。自然ではあるが、ありふれていてちょっと物足りない。書店や図書館に並ぶ本、手が届くところにある本、買って本棚に立ててある本、出張時に鞄に入れる本……すべて本であるけれども、読むとはかぎらない。

ぼくの場合、読書を連想する前に、本と遭遇するのであり、本そのものの装幀を見、本を買うという行為がある。そして何よりも、本とは、読書に先立つことばであり文字なのである。読む読まないにかかわらず、本とは文字を紙に印刷して整えたものなのである。

「一冊の本と出合う」などと題すると、自分の人生を変えたこの一冊、生涯座右の書となったこの一冊を想像してしまうかもしれない。一冊の本で目からウロコが落ちたことはある。思考軸が揺れたこともある。大いに鼓舞されたこともある。けれども、可愛げがないが、コペルニクス的転回を強いられた本は一冊もない。何千冊も読んできてそんな本に出合っていないのは、ろくでもない本ばかり読んできたからだろうか。いやいや、かなり良書を読んできたつもりである。


ほどよく刺激を授けてくれ、ほどよくゆるやかに成長を促してくれた書物はいくらでもある。劇的な一冊との出合いはなかったものの、一冊ずつを連綿とつないでみれば、ぼくはいい読書体験ができていると思うのである。「この一冊」を挙げることはできないが、「読んでよかった一冊」に恵まれてきたと言えるだろう。主宰している書評会で取り上げてきた二十数冊の本の大半はそんな一冊であった。

わだばゴッホになる

仕事に出張に多忙で心身ともに極限の疲弊を何度か経験した。そのうちの二度は偶然出張先で開催されていた棟方志功展で癒された。棟方の作品には「生」がある。この一文字にルビを振るなら、生粋の「」であり「ちから」であり「たましい」である。棟方の作品は「生と板」で創作されている。ちなみに、棟方は版画ではなく「画」と書く。板の性質をきちんと使って生かすためと言っている。

板画作品に優るとも劣らず文章が読者を揺さぶる。飾らない朴訥とした話しことば……虚勢を張らない、見栄がない、素直である、文が今を生きている……。

自分の力で仕事をするという自分の世界から、いや自分というものほど小さく無力なものはない、その自分から生まれるものほど小さなものはないという、自力とは全然別な他力普遍な世界というものに動かされ始めていました。

この棟方のことばは、自力や独力の否定ではなく、諦観もしくは悟りだろう。主観を超えて人間の共通感覚という、基本にして融通性の大きな境地に近づいたのである。こんな神妙な境地から万物を見据えながら、他方で棟方の口調は軽やかであった。本書の最後の一文は「ロートレック、バン・ゴッホ、ベートーベンの好きな棟方志功の私の『履歴書』の大団円です。バイバイ。」という調子である。

書名になっている『わだばゴッホになる』は棟方の小さい頃からの口癖だった。ゴッホのことを本で知るのは18歳の時だったが、それ以来、どんな絵かもろくに知らずに「ゴッホになる」と言っていたらしい。明けても暮れてもゴッホ。別の本に次のようなくだりがあった。「(わだばゴッホになると言い続けていたが)棟方はゴッホにはなれなかった。しかし、世界のムナカタになった」。励みになる至言である。バイバイ。

チップとサービス料

最近はあまり聞かないが、以前は「ローマのレストランでぼったくり!」というようなニュースをよく耳にした。イタリアには5回旅して20以上の街を訪問、幸いにしてレストランやタクシーでぼったくられたことはない。ヴェネツィアのレストランでチップを置かずに店を出ようとしたら、「チップをよこせ!」と高圧的に迫られたことが一度だけある。チップをせがんだという理由だけでぼったくり扱いできないが、彼らにとって日本人は気前のいいお客さんなのだろう。ぼったくりで生計を立てるなら、ぼくも日本人をターゲットにする。

イタリア語でチップのことを「マンチャ(mancia)」と言う。渡す側が使うと横柄に聞こえるかもしれない。テーブルチャージは「コペルト(coperto)」で、だいたいカゴに盛ったパン代になっている。これも客側はあまり使わない。サービス料は「セルヴィーツィオ(servizio)」。お勘定の「イル・コント(il conto)」と並んで、このことばは客側が使う頻度も高い

気に入ればチップを置くのをためらわない。だが、サービス料込みの食事をしたのにさらにサービス料を上乗せされるのはたまらない。だから接客係に“Il conto, per favore.“(お勘定してください)と告げた後に、”Il servizio é incluso?“(サービス料は込み?)と必ず聞く。通常は含まれていることが多いので、わざわざ聞く必要がなさそうだが、それでも聞く。やりにくい客と思われてもいい。こう聞いておけば、接客係もぼったくりしにくくなる。


と書いたものの、過剰な心配は無用。観光地の例外的な悪徳業者を除けば、イタリアの店はおおむね誠実であり店員もフレンドリーで、楽しく食事ができる。上記のサービス料のことと、あとはチップのことを少し知っておけば十分である。旅行ガイドには型通りのチップの心得が紹介され、ほとんどがチップを渡すという前提で書かれている。実は、必ずしもそうではない。

1euro italy
ダ・ヴィンチの人体図が刻まれたイタリアの1ユーロ硬貨。

たとえば、エスプレッソ一杯をテーブルで注文する。運ばれてきた時に勘定を済ませるので、飲み終えたらいつテーブルを立ってもいいわけだ。店と給仕ぶりが気に入ったら、日本円で20円か30円ほどテーブルに置けばいい。イマイチと思ったらそのまま立ち去ればいい。食事の場合はすべて終わった時点で「お勘定」と告げる。レジへ行かなくても、テーブルに着席したままカードで決済するか現金で支払う。これまた、気に入ればチップを置けばいいが、サービス料が含まれているのなら、敢えてチップをはずむことはない。

ローマのとあるオープンテラスで食事をした時、食後に「お勘定」と接客係に告げ、例によって「サービス料は込み?」と聞いた。彼は苦笑いしてうなずいた。観光地のど真ん中で元々料金設定が高いから、勘定を済ませてお釣りを受け取り、チップは置かなかった。セレブな旅行者ではないので、食事のたびに気前よく振る舞うわけにもいかないのである。

但し、チップには独特の商習慣や雇用事情が背景にある。少なくとも、過去にはあった。そのことについては別の機会に書くことにしたい。

バイアスから呪縛へ

火災と報知器

真夜中に火災警報が町内に鳴り響き、はっきりと内容が聞き取れるほど大音量でアナウンスが何度も流れた。「火事です! 火事です! 12階で火災が発生しました。安全に注意して避難してください」。

ウワァ~、ウワァ~、ウワァ~、ウワァ~と、ちょっと耳慣れない警報音の後にアナウンスが続く。アナウンスの後は再びウワァ~である。これが10分以上続いただろうか。

昨日の午前245分、ほとんどの人が眠りについている時刻。ぼくの居住するマンションの裏、一本路地をはさんだ新築マンションでの出来事だ。鳴り響き始めた直後に北側のベランダに出て様子をうかがった。非常階段に人気はなく、12階を見上げても何事かが起こっている気配はない。

およそ5分後にようやく下層階の住人が何人か廊下に出てくるのが見えた。そのうちの一人が12階の方へと階段を上がって行くのも見えた。マンションとマンションの隙間に、おそらく消火機能のない、小型の消防車らしきものが到着する。最初の警報が鳴り始めてからすでに15分経過していた。しばらく見守っていたが、どうやら火災報知器の誤作動だったようである。


災害発生直後、人は取らなくてもいいのに不可解な行動を取ることがある。他方、取ってしかるべき自然な行動を取らないことがある。たとえば、マンションで警報ベルが鳴っても、ほとんどの居住者は「何かの間違いだろう」と考え、誤作動だと決めつけて動こうとしない。これを〈正常性バイアス〉と専門家は呼ぶ。バイアスとは「誤謬を招く偏見や先入観」のことだ。無意識のうちに「これは異常ではないんだ。何かの間違いなのだ」と、正常の顔を立ててしまうのである。仮に何かが起こっていたとしても、管理人か別の誰かが処置するか消防署に通報するだろうと期待する。

突発的な災害時には、もう一つ、〈多数派同調バイアス〉という状況が生まれやすい。マンションの他の多数の住民が何もしていないことにならって、自分もじっとするのが安全だと都合よく判断してしまう。このバイアスに「誰かが何とかするだろう」という期待が重なる。もし、誰かが階下や階上で動き始めた気配を感じれば、今度はそれに同調して自分も動く。

もっと恐ろしい心理状態がこの後にやってくる。これは間違いなんだと自らに言い聞かせ、みんなに合わせようとした結果、無思考状態に陥り凍りついたように身動きできなくなるのだ。マンションの住民はそれぞれ独立した居住空間に住んでいる。にもかかわらず、マンションというくくりの集団に属している。ふだんは都合よく自分だけで生きているくせに、非常事態が発生すると個別心理を集団心理にシフトする。

以上のような心理状態は非常事態に固有のものではない。よく考えてみれば、平時でもよく似た気質や行動が見られるではないか。「みんなと同じであろうとすること」や「誰かに期待をかけること」は日常茶飯事的な性向なのである。標準意識、安全神話、甘えの構造が根を張っている。しかも、一難去って教訓残らずの憂いありだ。裏のマンションの連中、もう忘れているだろう。結果オーライで済ませてはいけないのである。

名画と自宅の壁に掛ける絵

蒐集家でないぼくたちが鑑賞する名画のほとんどは、美術展や図録内での作品である。レンブラントの、たとえば〈テュルプ博士の解剖学講義〉は日常からかけ離れた鑑賞の対象であり、美術館所蔵的な「遠い存在」と言ってもいい。

この名画を自宅の日常的な空間の壁に掛けるとする。その絵は食卓からも見える。来客の目にも入る。テレビを見るたびに、視野の隅っこに見えるかもしれない。昼夜を問わず、在宅しているかぎり、その絵は見える。さて、それでもなお、これまでの遠い存在として抱いていた憧憬が変わらずに持続するだろうか。今や身近な日常的存在としてそこにある絵は、芸術価値を湛えた名画としてあり続けるのだろうか。レンブラントの絵が気に入っていることと彼の名作の一点をリビングに飾ることは、決して同じことではない。

光と闇の魔術師レンブラントの絵画は、古色蒼然とした城の壁に似合うかもしれない。だが、ぼくの住む安マンションでは息が詰まりそうだ。もちろん、作品は不相応な場に飾られて大いなる役不足を嘆くに違いない。しかし、生意気だが、ぼくの方からもお断り申し上げる。どんな絵がよいのか……鑑賞するならどの絵で、飾るのならどの絵なのか……。議論してもしかたがない。月並みだが、好きな絵がよい絵なのである。ぼくはレンブラントの価値を云々しているのではない。資産価値を度外視するならば、自宅の壁にレンブラントを掛ける気分にはなれないと言っているにすぎない。


Antoni_Gaudi_1878

スペインはカタルーニャの人、アントニ・ガウディは地域性(または風土)と芸術性・合理性について明快な私見を有していた。彼は、自分の、そしてカタルーニャに代表される地中海の気質を誇らしく思い、ヨーロッパの他の地域との個性差について次のように語っている。

われわれ地中海人の力である想像の優越性は、感情と理性の釣り合いが取れているところにある。北方人種は強迫観念にとらわれ、感情を押し殺してしまうし、南方人種は色彩の過剰に眩惑され、合理性を怠り、怪物を作る。

ガウディは「本当の芸術は地中海沿岸でしか生まれなかった」と言い切った。この言を受けて、「しかし、北ヨーロッパにもレンブラントやファン・ダイクのような立派な画家がおりますが……」と知人が指摘すると、ガウディは「あなたの言っているのは、ブルジョアの食堂を飾るにふさわしい二流の装飾品にすぎない!」と激しく北方芸術をこきおろした(『ガウディ伝―「時代の意志」を読む』)。地中海主義に比べればレンブラントの絵は暗鬱だと言わんばかりである。

では、レンブラントと同じオランダ人のゴッホをどう説明するのか。ゴッホはフランスのアルル地方の影響を受けて明るいコントラストと力強い画風を確立したではないか。しかし、元を辿ってみると、実はゴッホ自身もオランダ時代には貧民の働く姿をグレー基調で暗く描く作家だった。そして、後年もオランダの暗さと光を称賛していたという。

ところで、ガウディが南方人種として批判しているのは誰なのか。同じスペインでも最南端のマラガ生まれのパブロ・ピカソは標的の一人なのか。晩年のピカソは色彩の過剰に眩惑されていた傾向があるが……。