再生のために解体は必然か

オフィスから徒歩3分、大通りに面した一角で古いビルが解体されている。かなりの資産家のビルで、このあたり一帯の土地と複数のビルを所有していると聞く。古色蒼然としたあのビル、今も解体途中なのか、それとも新しいビルの基礎工事が始まっているのか、囲われているのでわからない。見えるのは、囲っている壁に掲げられた「解体は再生の一歩」という企業スローガンのみ。

そのスローガンをネットで調べてみたら、あるブログに行き当たった。「再生の意味の一つは、衰えまたは死にかかっているものが生き返ること……解体はばらばらにすること、壊すこと……さあ、衰えたもの、古いもの、いらないもの、すべて解体して再生しよう……」などと書かかれている。「解体は再生の一歩」を心にぐっと来たことばとして大絶賛している。

こういう発想が、建てては壊し、壊しては建てるという、戦後高度成長時代から続く「土建立国」としての発展を助長してきたのは間違いない。単純に欧米と比較できないのは、欧と米がまた違うからだ。経済大国であるアメリカと日本は建造物の新陳代謝によってGDPを底上げしてきたふしがある。


解体ということばからアメリカの詩人カール・サンドバーグの『シカゴ(Chicago)』という散文詩が思い浮かぶ。かつてシカゴが悪名高き都市であった頃に紡がれた詩である。その一節。

(……)
Shoveling,
Wrecking,
Planning,
Building, breaking, rebuilding
(……)

「掘る、解体する、設計する、建てる、壊す、再び建てる」。建造物の解体と構築の無限連鎖を思わせる。くだんのスローガンもブログの一文も、再び建てることを再生と名付けているようだ。建物を取り壊して更地にしてそこに新しいビルを建てる。もし新しいビルの建築を再生と呼ぶなら、その前提に解体を置くのは当然だろう。しかし、この発想が寄り掛かっている精神は、実にさもしい。

衰えさせたり死なせたりする建築思想への反省がまったくない。再生とは衰え死にかけた建物を修復して生かすこと、あるいは、ルネサンスということばにあるように、元の姿を復活させることではなかったのか。再生の前提に保全を置いてきたのがヨーロッパ的な考え方であった。解体するしかないと踏ん切りをつける前に、修復保全の可能性を徹底的に追求するのである。そのような情熱を持ち合わせもせず、土建的経済主義を優先させて、保全価値などないと見切るのは現代による身勝手な過去の裁きにほかならない。

バルセロナの修復工事2

バルセロナはゴシック地区のサンタ・クレウ・イ・サンタ・エウラリア大聖堂の修復現場を見学したことがある。何一つ解体されてはいなかった。修復して再生するから解体の出番がない。もっともこれは由緒ある教会、寺院、神社では当然のことであり、わが国でも希少遺産については正しい意味での「再生」をおこなっている。

重要なことは、庶民のアパートであれ商業施設であれ、古くは中世の、近年では18世紀から19世紀の建物に対しても、ほぼ同じような扱いで保全しているという点である。衰え死に絶えた過去を安易にリセットしない。歴史に対して辛抱強いのである。遠い未来を見据えられた建造物と、たかだか半世紀程度先に焦点を合わせた建造物の大いなる違いがここにある。「解体は再生の一歩」というスローガンを都市の宿命と言いたげだ。そんな都市に馴らされてしまうと、作る、壊す、また作る、また壊す……というふうにものの考え方も生き方も変貌していくに違いない。原理がなかなか定着しない風土でぼくたちは生きている。

新聞を買う、新聞を読む

「新聞はどこで買えるの?」と訊けば、「エディーコラ」と返事され、「えんやこら」のような響きにクスっと笑いそうになったのは、ローマのホテル。

新聞を読みたければたいてい買いに行かねばならない。イタリアやフランスでは当たり前のことだ。夏の暑い朝でも冬の寒い朝でも、最寄りの駅構内の、またはバス停留所近くの、あるいは広場や街角や通りのどこかのエディーコラ(edicola)まで足を運ぶ。キオスク規模の屋台のようなイメージの店である。雑誌を華々しくディスプレイしているから遠目にもわかる。現地の人には行きつけの販売店がある。

日々のニュースはネットで十分という向きが増えたものの、わが国は依然として新聞大国である。読売、朝日、毎日、産経、日経は自宅に配達してくれる全国紙。昨年11月の読売新聞の発行部数は1,000万部弱だった。イタリアの新聞ときたら、最有力紙でさえその5パーセント程度にすぎない。


大晦日も元日も、昨日も今日も新聞は配達された。一部のスポーツ新聞を除いて、ぼくたちは新聞を「買い出し」に行くことはない。一ヵ月単位で新聞代を支払えば自宅に毎朝毎夕届けてくれる。そのつど新聞を買わないで新聞を読むのがぼくらのスタイルである。他方、イタリアでは新聞を読みたければ出掛けなければならない。彼らは毎朝小銭を支払って新聞を買ってから新聞を読んでいる。

一杯のエスプレッソを飲むついでに新聞を買う。フランスでは焼き立てバゲットと新聞を買う。さぞかし面倒だろうと思うけれど、読むにしても食べるにしても、そのつど買うという習慣になじんでいるのである。その行為が、新聞販売店のたたずまいが、街の粋な光景に見えてくるから不思議だ。何でも恵まれすぎないほうがいいのだろう。暮れから10日ほどたまっている新聞にもう一度目を通し、必要な記事を切り抜きながらふとそんなことを思い出した。

IMG_5761Katsushi Okano
Edicola, Roma
2003
Pigment liner, color pencils, pastel

氣新光照

初硯の今日、「氣新光照」を選んで書きぞめとした。説明するに及ばない、わかりやすい四字である。「あらたにひかりあきらか」と読めばいい。

氣新光照

大晦日から元旦になったからと言って、身体が一瞬にして新たに変貌することはない。気のほうは柔軟だ。気分一新ができる。気合いを入れることができる。気の持ちようで光照らすような一年にすることも不可能ではない。

☆     ☆     ☆

古来続くしきたり。喜んで守るか、嫌々守るか(つまり、縛られるか)、まったく気に留めず無視するか……人それぞれ。ぼくはと言えば、かなりアバウトだ。五十を過ぎた頃からしきたり遵守の荷を下ろした。とっつきやすいもの、苦にならないしきたりはおこない、そうでないものはおこなわない。おこなうしきたりにしても、何が何でも守らねばならないなどと肩肘を張らない。

筆を試す年もあればそうでない年もあるという具合で、かなりなまくらである。それでも、気に入った新年の賀詞が見つかれば筆と硯と半紙を取り出す。初夢などは見たくても見れないが、書きぞめのいいのは書きたければ書けるという点である。その際、手習いの上手下手はさほど重要ではない。

十歳から十五歳まで書道を習わされていた。塾をめったにさぼらなかったので傍目には熱心な学び手と見られていたが、気分はつねに「習わされている」。きちんと筆の運びを教わり、ある程度のレベルに達したのが中学三年。そこでぷっつりとやめた。以来、芸事として字を書くことはほとんどなく、冠婚葬祭時にくれ竹の筆ペンを持つ程度である。

書への情熱も薄れ、筆を手にするのも稀な現在、筆致はすっかり我流になってしまった。しかし、書きぞめは年が替わっての気分一新にはとてもいい習慣だと思っている。一年を通じて書くということを前提にしているから、「書きめ」という。にもかかわらず、ぼくにとっては一月二日が書きぞめであり、同時に「書き納め」になることがほとんどである。一枚の半紙に一期一筆で書く。たった一人の書きぞめ式である。

リンゴの種(ネタ)

リンゴ、りんご、林檎……どう表記しようか。ちょっと迷う。林檎はともかく、カタカナにするかひらがなにするか。英米人には“apple”しかなく、こんなところで逡巡しない。ひとまずカタカナにすることにした。ところで、30数年前の歯磨きのテレビコマーシャル、「りんごを齧ると歯茎から血が出ませんか?」というセリフを思い出す。台本は「りんご」か「リンゴ」のどっちだったのか。

サンふじ 巨大リンゴ

とてつもなく大きなサンふじが自宅に届いた。iPad上に二個並べられないサイズ。実に立派なリンゴだとまじまじ見ていると、リンゴにまつわる記憶がよみがえる。うろ覚えのものはちょっと調べてみた。暇つぶしのリンゴのネタ探し(ここは「タネ」ではなく、逆さ読みして隠語の「ネタ」がいい)。それはそうと、林檎の「檎」は何度覚えても忘れてしまう。どんなもんだいと書ける者も少なそうだから、カタカナかひらがなに落ち着くのもやむをえない。

英語では成句の“apple-polish”がよく知られている。日本語の「ごますり」にあたる。リンゴを磨いて先生にあげて喜んでもらうのだが、テストの点数に反映されたら贈収賄である。諺では“An apple a day keeps the doctor away.”も有名。「一日リンゴ一個で医者いらず」。リンゴ1個の箇所に、たとえばにんにく卵黄何粒などのサプリメント名を入れてみる。それで医者いらずとはいかないから、リンゴの効能も過信しないほうがいいだろう。


「リンゴと言えば?」と数人に何を連想するか尋ねると、必ずイブが出てくる。『旧約聖書』によると、イブは蛇にそそのかされて禁断の果実に手を出した。その禁断の果実がリンゴであるとは書かれていない。一応リンゴということになってしまい、それゆえにリンゴには誘惑だの不従順という、リンゴにしてみれば不本意な花言葉がついてしまった。

(……)
やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅の秋の空に
人こひめしはじめなり
(……)

島崎藤村の「初恋」の一節である。このシーンではリンゴやりんごは絶対にダメで、林檎でなければならない。なお、ここでもリンゴは誘っている。「和製イブ」の雰囲気が漂わぬでもない。

歯にあてて雪の香ふかき林檎かな    渡辺水巴

当然林檎でなければならない。リンゴのシャキッとした歯触りが伝わってくる。あの歯磨きのコマーシャルのように丸かじりなのだろうか、それともスライスした一片なのだろうか。ここは前者だからこそ香りが深く伝わってくるはず。もちろん歯茎から血が出ると様にならないから、歯周病とは無縁の健康の歯でなければならない。と言うわけで、リンゴからぼくは歯を連想することが多い。

為替レートの話

20141222日現在、1ドルは119円、1ユーロは146円という為替レートになっている。「なっている」というのは、国際市場での各国通貨価値への、素人では読み切れない思惑ゆえの言い回しである。いずれにせよ、海外に何かを売る場合は円安が有利であり、海外から何かを買う場合は円高が有利である。ぼくたちが海外へ旅する時、円高であれば安く上がるし、円安だと高くつく。

20096月西海岸に滞在中の相場は円高であった。1ドル80円ちょっと。1ドルを買うのに今なら119円が必要だが、当時は80円で1ドルが買えた。1ドルが39円も安かったのである。わかりやすくたとえると、当時8,000円で泊まったホテル代が今だと11,900円に上昇したということだ。物価が上がったのではない。円がドルに対して価値を減らしてしまったのである。

国境を越える際には円を行き先の通貨に交換しなければならない。その交換レートが日々変動しているのである。「労働、土地、貨幣を商品視するのはまったくのフィクションである」(カール・ポランニー)という主張がある。相場によって貨幣価値は上下するが、その差益で儲けようという魂胆を戒めている(もちろん、同時に差損リスクも潜んでいる)。貨幣で買うべきは貨幣ではなく、モノでなければならないというわけだ。


過去10年でぼくはヨーロッパに5回旅している。その時々の円‐ユーロの交換レートは次の通りである。

20033月   120円台後半
200610月 140円台後半
20073月   150円台前半
20083月   150円台後半
201111月 105円前後

推移をざっと見ればわかる通り、1ユーロに対して円安と円高時には50円の差がある。

札入れに入った100ユーロ

ぼくの海外歴の中でもっとも円が強かった201111月。当時、50万円をユーロに交換した。手数料を度外視すれば4,762ユーロに相当する。バルセロナとパリに旅したのだが、カード決済もあり、手元にユーロがいくらか残っている。現在は当時よりもかなり円安だから、1ユーロにつき40円の差益が出ていることになる。もし手元に1,000ユーロあれば、4万円ほど得した計算になるのだ。

1万ユーロなら40万円、10万ユーロなら400万円……と桁数を増やしていくと、人は色めきたつ。欲望が為替相場を動かしているのである。ぼくの差益などささやかなものだが、これとて、今海外に出ればメリットがあるが、旅行にはタイミングつきものである。どちらかと言うと、ぼくは円安の時期に旅をしてきたが、別に悔しくも何ともない。円高で得した、円安で損したなどと言うが、年がら年中世界を股にしているビジネスマンにとってはそんなことに一喜一憂していては海外出張などできない。

こんなことを綴りながらも、たとえばイタリアで3年前に飲んだエスプレッソ一杯1ユーロは、今も1ユーロなのである。イタリア人がエスプレッソを飲むときにユーロ高やユーロ安などは考えない。ただうまいコーヒーを飲むだけだ。旅人は「前回は105円だったが、今は146円か……」とつぶやく。為替レートに引きずられていてはせっかくの一杯を飲む愉しみも半減する。

残念な落し物

「落し物」とタイトルに書いたが、実際に落としたのかどうかわからない。どこかに置き忘れたのかもしれない。失ったかもしれないが、また出てくるなら、どこかに潜んでいるはず。いずれにしても、「それ」はぼくの手元から消えた。食事も喉を通らず、仕事も手に付かずという落ち込みようではないが、少し残念な気分である。めったにモノを失くさないぼくなのに、今年は夏場にも愛用の万年筆の一本を紛失している。見返りの拾い物は、今のところ、ない。

フィレンツェの財布

失くしたのは小銭入れだ。買った当時は紺色だったが、数年間使いこんでいたので色合いは黒に近い。円安の現在よりもさらに円安だった頃に30ユーロで買った。当時の円で5,000円くらい。まあ、金額のことはどうでもいい。実はこの小銭入れは二代目であり、茶色の初代は古物ケースの中に今も入っている。

何事に関しても、あまり残念がらない性質たちだが、少なからず残念がっている。小銭と折りたたんだ千円札が一枚入っていたからではない。なぜ残念な落し物かと言えば、ささやかな思い出も入っていたからである。


フィレンツェにはアルノ川が流れている。あまりにも有名なポンテヴェッキオはそこに架かる橋だ。そのポンテヴェッキオから北側へ少し歩いた所にソニアという店がある。20073月、ぼくはフィレンツェの南岸のアパートに3泊、シニョリーア広場に面したホテルに4泊した。街の隅々を歩き、おそらく十数軒の料理店に足を運んだ。

フィレンツェには2003年にも4泊した。めったに土産物に目をくれないが、ソニアで初代にあたる茶色の小銭入れを買った。この財布は一枚皮でできていて、丸みのある細工を凝らしてある。よく似た小銭入れは日本でも売られているが、仕上がりに不満があり、しかも1万円以上するものばかりである。初代をとても気に入って4年間愛用した。丈夫な代物だが、さすがに色褪せてきた。ところで、ぼくの初代を見た知人やスタッフが自分にも買ってきてくれということになり、色の好みを聞いて十数個の注文を引き受けた。その際に買ったのがこの二代目だった。

かなりの数の商品を買うのだから、ソニアでかなり長い時間をかけて品定めをした。店主である老婦人ともイタリア語で親しく会話を交わし値段交渉もした。しかし、これだけ大量に買うというのに1ユーロもまけてくれなかった。落胆したぼくを見て「値引きはしないけれど、サービスでつけておくわ」と言って差し出してくれたのが、皮の名刺入れと付箋紙ケースであった。名刺入れは人にあげたが、付箋紙ケースは今も使っている。

大袈裟に言えば、写真やメモやガイドブックとは別の「回想の形」になってくれていたというわけだ。小銭入れをポケットから出し入れするたびに、ちょっとしたフィレンツェ気分を味わっていたのである。二代目を失くした数日後に先代の小銭入れを手に取ってみたが、現役に復活させるのは忍び難い。というわけで、使いにくいアメリカ製の小銭入れで済ませている今日この頃である。

午前七時、西の月

午前7時の月

不思議なものである。126日にプラネタリウムを楽しんでから空を見上げる機会が少し増えた。その日は満月であった。その三日後、朝七時に西の窓を開けた。すっかり闇からほどかれた月が西の空に浮かんでいる。「ぽっかり」と言うしかない浮かびようであった。

月には「ぽっかり出る」という表現があることを思い出した。中原中也の『湖上』の一節である。

ポッカリ月が出ましたら、
舟を浮べて出掛けましょう。
波はヒタヒタ打つでしょう、
風も少しはあるでしょう。
   ( …… )
月は聴き耳立てるでしょう、
すこしは降りても来るでしょう、
われら接唇くちずけする時に

月は頭上にあるでしょう。

舟はどこに浮かんでいるのだろう。水辺と月は相性がよさそうだ。省略した「……」の部分に「沖」ということばがあるから、舟は海に浮かべるようである。なお、ぼくの見た月は少しも降りて来なかったが、聴き耳を立てているように見えなくもなかった。


月と海の関係について数冊の故事・名言・格言辞典を調べてみた。ちょっと時間がかかったが、マルタ共和国の次の諺に出合った。

月は眠っても、海は起きている。

地中海の島国ならではの、油断大敵を戒める諺である。月が眠っているように見える穏やかな時でも、海は危ないぞ! ゆめゆめ気を緩めてはいけないぞ! という意味らしい。ぼくの見た「ぽっかりの月」は、聴き耳を立てているように見えたくらいだから、ちゃんと目覚めていたに違いない。

太陽神に比べれば地味だが、ギリシア神話にもちゃんと月の神が登場する。太陽神アポロンと対比されるのは月の女神アルテミス、セレーネ。ローマ神話に転じると、それぞれがディアーナ、ルーナと名前を変える。ディアーナはイタリア語では普通名詞として暁の明星とか朝という意味でも使われる。午前七時に見上げたあの月はディアーナと呼ぶにふさわしかったようである。

ジョーカーだけのババ抜き

政治学者や政治評論家の諸説についてまったく知らないわけではないが、すべてを括弧の中に封じ込めて、自説を書いてみることにする。

選挙期間中にいつも思い出すことばがある。

「人生は一箱のマッチに似ている。重大に扱うのはばかばかしい。重大に扱わなければ危険である。」

服毒自殺で人生を終えた芥川龍之介。人生を重大に扱ったのか扱わなかったのかわからないが、結果的にはばかばかしくかつ危険だったようだ。芥川の言う人生を、ぼくは「選挙」や「投票」に置き換えてみるのである。一枚の投票用紙に候補者名や党名を書くたびに一票の軽さを痛感し、午後8時ちょうどの開票速報で自分の一票の無力をばかばかしく思う。しかし、その空しさを自暴自棄に変えてはならぬと承知しているからこそ、投票を重大事と見なして毎度出掛けて行くのである。昨日も期日前投票を済ませてきた。

マニフェストでうたう政策評価で候補者を選べというまことしやかな説がある。比例代表で党を選ぶ際には政策の吟味があってもいい。けれども、支持政党がない無党派にとっては、主要な政策の5つ、6つのすべての細部に立ち入って判断し、自分の考えに近いのはこの党だ! などと結論するのはほとんど不可能である。他方、決まった党を支持していたら、はじめに党ありきであるから、政策などは決定的な要因になるはずもない。


3 jokers

政策を十分に検討した上で比例代表の投票用紙に「X党」と書いて投票したとしよう。けれども、小選挙区にX党の候補者が立っていないのである。友人の選挙区では候補者が二人。二人とも支持政党に属していない。棄権したくないし白票も嫌だと悩み、当選して欲しくないのはどちらかと考えたと言う。

小選挙区の候補者を政策で選ぶなどというのは所詮ありえないのである。比例代表を党で選ぶのなら、小選挙区は人で選ぶということにならざるをえない……しかし、地域の土着民でない有権者は人そのものを知らないから、ごくわずかな活字情報から直感で判断するしかない……と言うわけで、投票には行かねばならないと権利を行使し責務を果たす良識ある有権者とて、確固とした根拠で一票を投じているわけではないとぼくは思うのだ。

このレストランで食事せよと決められ、そこに行けば3種類の料理しかなくて、どれもおいしくなさそうだ。食べたくないと思うなら、いただいた食券を放棄するしかない。つまり白票で投じるのである。ぼくの選挙区は3枚のババのうちどれかを引かねばならぬゲームのようであった。どのカードを引いてもババなのである。どれも引かないというのは、これまた白票投票になる。泣く泣く一人の候補者の名を書いたが、鉛筆を走らせている時の違和感が今も余韻となっていて、とても気分が悪い。

消去法で消していくと全員が消える。こんな候補者ばかりが立つ選挙区の投票率が上がってくるはずがない。そこで、当選させたい候補者がいない場合、落選して欲しい候補者を書けるしくみを提案したい。投票所には赤ペンも用意しておき、赤ペンの票数をマイナスカウントする。つまり、「黒ペン票数(獲得票)-赤ペン票数(批判票)=有効票」。きわめて情けない投票のしかただが、裁判官には「×」を付けるのだから、その変形的応用だと考えればいいのである。

原稿用紙5枚分の年賀状

大なるものに節目をつけたり、大なるものを小さなカテゴリーに分けたのは、分からないものを分かるためのようである。たとえば、一本の木を、根、幹、枝、小枝、葉、果実……と分けた。分からないから分ける、上手に分ければ分かるようになる。すなわち、分けることが分かるための方法であった。なるほど、「分ける」と「分かる」が同源だということにうなずける。但し、下手に分けてしまうと、ますます分からなくなって混乱する。

人類は何の節目もない時間の流れに印を刻んだ。一年という単位を考えて、それを365日に小分けした。一日を24時間に刻み分け、一時間を60分とし、一分を60秒とした。一年を春夏秋冬と四つに分節もした。わが国の陰暦では、四季をさらに細かく大寒、春分、冬至など二十四節気に分けた。

自然界では温暖寒冷などの変化はあっても、本来そこに1月だの8月だの12月だのと言うものはない。にもかかわらず、師走になると慌ただしいと人は言う。時はつねに一定で、12月になったからと言って、急いで流れることはない。師走に抱く観念が、人を慌ただしい気分にさせているにすぎない。「今月に入ってから時間が経つのが早いねぇ」と感じさせているにすぎない。


2014年年賀状 

師走は年賀状の文案や図案を考える時でもある。定番テンプレートの一つを選び、「賀正」、「あけましておめでとうございます」、「謹賀新年」、「初春のお慶びを申し上げます」などの、これまた定型挨拶を書き込んで、干支を配しておけば悩むことはない。毎年いただく半数の年賀状はそのような体裁のものである。それを芸がないなどと言うつもりもない。

ぼくの場合、公私両用の年賀状を同一形式で20年以上飽きずに続けている。四百字詰め原稿用紙に換算すると5枚分に相当する文字をはがきサイズにびっしり詰め込む。テーマは毎年違うが、新年の干支にちなむような内容ではなく、正月の色を醸し出すものでもない。

写真の年賀状は2014年のものである。オリジナル原稿はA4判、ワードで作成し、それを当社のスタッフがはがきサイズのデータとしてイラストレーターで仕上げる。この癖のある年賀状にはまずまずのファンがいるらしく、解読するために虫眼鏡を買ったとか、コンビニのコピーサービスでA4判に拡大するとかという人もいる。某大企業の部長などは、仕事始めの日の朝礼ネタにしているという。

本日、2015年度の年賀状原稿を書き終えた。来週早々に印刷が仕上がる。構想一年、執筆半日。テーマは読書だが、毎度バカバカしい切り口と展開である。

間違いのトポス

「なぜきみはこんなミスをしてしまったのか!?」と詰問されても、即答できるはずもない。ミスを意図したのでないかぎり、ミスしてしまった本人はうまく事を運ぼうとしたはずである。そして、うまくいったと確信している者が、ミスを指摘された直後に素早くその原因を突き止められそうもない。自ら見つけたにせよ誰かに指摘されたにせよ、ミスに対して冷静であることは難しい。

あの珈琲豆店の店主はミスに気づいているだろうか。本人が自発的に気づくことはない。気づくとすれば、注文と違う焙煎豆を手渡された客からクレームがある場合のみである。では、その客はその場でミスに気づいただろうか。自宅に帰ってコーヒーを淹れようとして気づいたのだろうか。もしかすると、未だに気づいていないかもしれない……顛末を知るすべはぼくにはない。

「間違いのトポス」とは、間違いが生じた場所のことであり、ぼくは比喩的に「原因のありか」という意味で使っている。

経緯はこうである。先々週の日曜日、珈琲豆の焙煎所で「コスタリカ産スプリングバレーマウンテン」を300グラム買った。税込みで1,560円。それに先立つ一カ月前、あるカフェで飲んだ一杯のコスタリカがとても気に入り、同じコスタリカだが、地域違いの豆を焙煎してもらったのである。「焙煎待ちがすでに三人いらっしゃいます。半時間後にお越しください」と言われたので支払いを済ませ、時間を潰してから店に戻って商品を受け取った。

モカマタリ

てっきりコスタリカ産スプリングバレーマウンテンだと思っているぼくは、パッケージに書かれた手書きの品名を確かめもせずにコーヒーを淹れ、う~ん、さすがにうまいと満悦至極であった。翌日パッケージを見て驚いた。「イエメン産モカマタリアルマッカ」。ぼくの買った100グラム520円のほぼ倍額の100グラム1,050円の豆。つまり、その店の最高額の豆を300グラム分ぼくが手にし、別の客は注文したモカマタリではなく、ぼくが受け取るはずだったコスタリカを手渡されているのである。

こんな高級な豆を買うことなどめったにないから、ぼくからこの間違いにクレームをつけることはない。ありがたくいただいている。飲みたかったコスタリカのことは当面どうでもいい。


さて、間違いのトポスはいったいどこにあるのだろうか。店主が、注文して料金を支払った客の名前を聞き、注文商品の横に名前を正しく記していたのならば、ここに間違いのトポスはない。そうすると、手渡す時に間違いが生じたことになる。

間違いのトポスは、①名前とレシートの両方で確認しなかった、②注文順に商品を並べていなかった、③(ありそうにないが)モカマタリの購入者がぼくと同姓であった……のいずれか。これらの間違いのトポスを消したいのであれば、先払いにするのではなく、商品を手渡す時点で料金を徴収するしかない。但し、間違いとは別に、注文だけしておいて取りに来ないというリスクの可能性が生まれる。

ここまで書いておきながら、それでも問題のトポスは生じるのではないかと思う。ちょうど昨日の昼のことだ。とてもお世話になった知人を高級天ぷら割烹でおもてなしした。注文したメニューの料金は分かっている。当然、食後の後払いである。知人がデザートを終えるか終えないかのタイミングを見計らってレジに立ちお勘定をお願いした。勘定書きを手にした会計の女性がぼくに告げた金額は、想定の60パーセントであった。「はい、そうですか」と言って支払えば、かなりの得になる。「それ、間違っていますね」とぼくは指摘した。相手のミスで昼食代を節約しようなどという魂胆はない。

この間違いのトポスに潜むのは一因だけではない。勘定書きの並べ方、カウンター席番号との照合、お客の顔ぶれ、注文内容の記憶など複数の原因がある。このように、〈多因一果たいんいっか〉が常であるならば、間違いのリスクはつきまとう。ミスを防ぐのは、おそらくシンプルな対策なのに違いない。王貞治の「プロはミスをしてはいけない」がずしりと響く。