旅先のリスクマネジメント(2) 駅構内、列車、切符

テルミニ駅.jpgローマ・テルミニ駅(写真はコンコース)。映画『終着駅』でおなじみの、イタリア最大級の国鉄駅である。”テルミニ(termini)”は英語なら”ターミナル(terminal)”。国内線も近郊線も国際線もここに停まる。しかし、終わりは始まり、終着駅は始発駅でもあるから、地下鉄で行けない郊外や都市へ出掛けるにはこの駅が起点になる。

フィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ駅もミラノ中央駅も、テルミニ駅に匹敵する規模を誇る。このような鉄道の基幹となる駅につきもののトラブルがいくつかある。
 
まず、テルミニ駅が22番線あるように、列車が出発する番線が多いこと。東京駅とほぼ同数で東京駅ほど構造が複雑ではないから間違えようがないように思える。しかし、あちらの駅では出発間際まで番線が表示されないことが多いのである。コンコースの中央あたりにある大型掲示板をつねに見ておかねばならない。また、延着や出発遅れもアナウンスされないから、このパネルを随時チェックする必要がある。フィレンツェだったと思うが、パネルには17番線発とあったからそのあたりで待っていたら、出発するはずの列車が到着する気配がない。荷物を引っ張りながら移動して掲示板の前まで行けば、1番線に変わっていた。まあ、こんな具合なのである。リスクマネジメントの大部分は自己責任に委ねられる。
 

 次に、切符にまつわるトラブルがいろいろある。切符売場の窓口はだいたい混んでいるから、早めに並ぶことは当然だ。言葉の問題もある。ミラノからスイスのルガーノへの日帰り旅行の朝、知らずに国内線に並んでしまった。自分の順番が来ても売ってくれない。交渉の余地はなく、あらためて国際線切符売場に並び直した。これを機に、旅程が決まっていて変更の可能性がないのなら、長距離移動の際の切符は日本で予約するようにした。日帰り切符は自販機が便利だが、クレジットカードでの購入は少々面倒である。英語版画面で無事買えたとしても、券面がすべてイタリア語表示だから号車や座席がわかりにくいかもしれない。
 
さて、切符を買った。番線もわかった。テルミニ駅でも他の駅でも、いわゆる改札というものがない。自動改札口も有人改札口もない。切符を手にしたままプラットホームに入れる。しかし、そのまま列車に乗って、万が一車掌が検閲に来たら無賃乗車扱いにされて高額の罰金を支払う破目になる。プラットホームのあちこちにタイムレコーダーのような機械が設置されているので、そこに切符を差し込んで日付と時間を自分で刻印しておく必要があるのだ。これでやっと列車に乗り込めるが、それでもなお、向かう行き先が終着駅ではなく途中駅ならば、ほんとうにそこに停車するのかどうかの確認がいる。
 
乗ったら乗ったで油断はできない。座席探しにうろうろしていると可愛い女の子が二、三人近づいてきて親切に案内し、前後に挟まれてファスナーを開けられる。だから、肩にかけるバッグのポケットは身体側に向けておかねばならない。大きなトランクは座席まで持ち込めず、乗車口近くの荷物棚に置くから頑丈なチェーンで棚のバーにくくりつける。目的地以外の停車駅に着く前に見張りに行くことも必要だ。なお、車内アナウンスはほとんどない。次に停まる駅は新型列車なら電光表示されるが、古い型の列車なら駅に入線するたびにホームの駅名表示をチェックする。新幹線内のように熟睡などできないのである。

旅先のリスクマネジメント(1) 街路での声掛け

凱旋門.jpg本ブログでもフェースブックでも欧州旅行時の華やかな写真をずいぶん投稿してきた。写真だけを見れば、旅の印象的な思い出がいっぱい詰まっているように映るだろう。しかし、旅先ではかき捨てる恥と並んでリスクがつきものである。ぼくのような個人旅行者にはパッケージツアー客にはない主体性と裁量があり、路地一本深く入るような経験も味わうことができる。他方、あなた任せの気楽さとはほど遠い危険や不安につねに向き合わねばならない。
 
実際にそんな経験をするのは半月の旅で一度あるかないかだろう。だが、日本ではリスクらしいリスクなどほとんど感じることはないから、それに比べればパリやローマでの身に降りかかるリスクの高頻度は尋常でない。街歩きしたりメトロやバスで一日を自由に過ごしたりできるけれども、スリ、置き引きに引ったくり、ぼったくり、詐欺などへの警戒神経はいつもピリピリしている。ちょっと珍しい経験を一つ紹介しよう。範疇としては「親切詐欺」とでも言うのだろうか。
 
その日はパリ郊外のサンジェルマン・アン・レーという小さな街に出掛ける予定でアパルトマンを出た。メトロに乗ったものの、凱旋門に昇ってみようと思い途中下車してシャンゼリゼ通りをぶらり歩いていた。視線を落とすと前方3メートルほどの溝にキラッと光る金属がある。近づいて手に取ろうとしたら、すっと大きな手が右方向から出てきて、その光る金属をつまみ上げたのである。手の先を辿ると身長190センチメートルはあろうかという大男が立っている。そして、ぼくを見てにこりと笑うのである。つまみ上げた金属は金の指輪だった。
 

 言うまでもなく、気配は不気味である。ぼくのフランス語は聴くのも話すのもカタコト程度だが、こういう状況になると危機意識からか普段聞き取れない音声が聞き取れるようになる。大男は最初はフランス語だったがカタコトの英語も交え、指輪をぼくに差し出して「これはきみが先に見つけた。拾ったのはオレだが、先に見つけたきみのものだ」と言っている。いらないというジェスチャーをして立ち去ろうとしたら、後ろから付いてくる。なにしろ大男である。腕をつかまれてねじ上げられたらひとたまりもない。受け取っても受け取らなくても面倒そうなので、手のひらに指輪を乗せさせ「オーケー、メルシー」と言って歩き出した。
 
これで終わるはずもなく、大男は付いてくる。周囲に人がほとんどいないので、まずは早足で人がいる方向へ歩いて行く。突然、大男はぼくの行く手に立ちふさがってこう言ったのである。「オレはコソボから来た。とても腹が減っているんだ」。コソボ。何とドスのきいた出身地なことか。ところで、先に書いておくが、ぼくは大枚やクレジットカードの入っている財布とパスポートはスリも手が届かないよう、上着のファスナー付き内ポケットに入れ、小銭入れはズボンのポケットに分けて入れている。そして、アパートで鞄にスナックかパンを入れて出掛ける。朝から肉や野菜をふんだんに食べるので、場合によってはランチをパンで済ませるようにしているのである。
 
大男が「腹が減っている」と言うから、鞄からパンを取り出した。当然小馬鹿にされたと思うだろう、大男は首を横に振り、「そうじゃない、マネーだ」と言う。精一杯のフランス語と英語で「マネーよりもパンのほうがすぐに食べれる」とか何とか言いながら男のほうへ差し出した。「違う、マネーだ」と大男。これも想定内なので、しかたがないという顔をして小銭入れから2ユーロ(当時で320円見当)を取り出して渡した。「足りない。もっとくれ」としつこいが、幸いなことに小銭入れには1ユーロ硬貨は入っておらず、5セントや10セントがいくつかあるだけだった。残り全部を大男の手にぶっちゃけて「後は何もないぞ、一日乗車券だけだぞ」とポケットの中まで引っ張り出して見せた。
 
後ろから殴りかかられないように、距離を開けて歩き出し、人がたむろしている近くまで急いだ。大男は付いて来てしばらく何やら叫んでいたが、あきらめて別の方向に去って行った。おそらく大男のポケットにはおもちゃの金の指輪が何個もあるのだろう。獲物を見つけた瞬間、溝に指輪を仕掛ける手口である。小銭合計で500円分もなかったので、安上がりなリスク回避だった。あの指輪、たぶん自宅のどこかの引き出しに入っているはずである。店で買う安物のキーホルダーよりはいい記念品だと思っている。

Pizza a credito(ツケでピザを)

マルゲリータ+海の幸 web.jpg去る4月、ナポリのとあるピザ専門店がお持ち帰りのピザを「ツケ」で売り始めた。言うまでもなく、ツケとは誰々に何々を売ったことを帳簿に付けておき、その場では代金を徴収せずに、後でまとめて支払ってもらう方法だ。客側にとっては買い掛け、店側にとっては売り掛けになる。

金に困った男が拳銃強盗をして家族のためにピザを4枚盗んだという事件が発端となった。イタリアの長引く不景気は、ここまで庶民の懐を苦しめているのか。「そんなバカなことをするな、うちの店に来たらツケで食べさせてやるから」というのが店主の思い。もっとも、ツケがきくのは顔見知りのみ、しかも一人につき1回一枚限り。支払いを済ませないと次の一枚を売らないのか、8日後に払いさえすれば毎日でもツケで売るのかは不明。
ピザの名店が並ぶナポリならではの試みだが、実は1930年から30年間にわたって同じようなツケ販売がおこなわれていたという。これを「8日後払い」と呼んでいた。今回も同じ支払い期限を設定しており、現地の新聞はMangia la pizza oggi e paghi tra otto giorni.”(今日ピザを食べて8日以内に支払いする)という一文で記事を書き始めている。

日本でピザを食べると、安くてもナポリの2倍、通常は3倍の値段になる。価格を押し上げているのはチーズである。チーズをトッピングしない、トマト―ソースだけのマリアーナならナポリも日本も値段に大差はない。ナポリ380円に対して、ぼくが大阪で行く店はランチタイムなら最安値で500円だ。ところが、モッツァレラチーズを乗せるマルゲリータになると1,000円は下らない。これがナポリなら450円未満だから、いかにチーズが安いかがわかるだろう。
それはともかく、500円もしないピザをツケで売るのは、ほんとうに家計事情の反映なのか、それともピザ屋の話題づくりなのか。少額をツケにして8日後に自分で払うのと、ン万円分の飲食代をツケにして月末に社費で支払うのとは同じではない。給料前にピザを食べたくなったが、手元に小銭がない、だからツケで食べる? いやいや、ナポリ人なら給料日とは無関係にピザを常食しているではないか。彼らが8日に一枚のピザで我慢できるはずがないんである。
一ヵ月でツケ売りしたのはおよそ60枚と予想より少なかったらしい。この「制度」を、困っているからではなく、お試しに利用した住民もいるのだろうが、別の日には別の店で金を払ってピザを食べているに違いない。実は、この記事を読んで、イタリア映画『自転車泥棒』を思い出した。あの時代ならピザのツケもありえただろう。今時、ツケの3ユーロを8日後に払うのは現実的ではない。仮に毎日ツケにすれば、8日後からは毎日3ユーロ払わねばならないのだ。ぼくならピザを食べずに、自宅でパスタを作る。たぶん1ユーロもかからない。

お勘定の話

二十代半ばになって自分のお金で飲食して会計し始めた頃、たとえば寿司屋で「おあいそ」などと告げるのが心地よかった記憶がある。このことばには、どう好意的に解釈しても、ちょっと威張った客目線が見え隠れする。

三十過ぎになって「お勘定してください」と言うようになった。こっちのほうがいいと思ったからである。しばらくして、「おあいそ」は店側が発することばであることを知った。「せっかくのお食事のところ、勘定の話で愛想づかしなことですが……」が転じて「おあいそ」になったらしい。「ご馳走さま、お勘定してください」と客が言い、「おあいそですね。ありがとうございます」と店が返す、調子のよいやりとりが定番なのだ。

ところで、お勘定にはぼくたちの想定する以上に間違いが起こる。たとえば、注文していない料理が運ばれてきて、「それ、頼んでいないけど……」「あ、すみません。あちらのテーブルでした」というやりとりの後は要注意だ。会計時には明細をレシートでチェックしておくのがよい。すでに注文が記入されていて、アルバイトの店員が訂正忘れしていることがありうる。これまで何度もそんな経験をした。


 イタリアやフランスに旅するようになってから、わが国との会計の違いがいろいろあることに気づいた。イタリア語では“il conto”(イル・コント)、フランス語では“l’addition”(ラディショォン)と告げるが、席に着いたまま勘定を済ませるのがふつうである。現金であれクレジットカードであれ、テーブル上で支払う。ぼったくられそうになったことはあるが、勘定間違いされたことはない。そもそもレジを見掛けない。なお、バールやカフェにはレジがあるが、ほとんど先払いである。
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【写真はトリップアドバイザー提供】


ひときわユニークな会計をしていたのが、パリの有名レストラン『シャルティエ』だ。数字を書き込んだ紙はレシートではない。エンボスの入った紙製のテーブルクロスである。ウェイターやウェイトレスは注文を受けるのも料理を運ぶのも同一人物で、いくつかのテーブルを担当している。そして、料理を一品ずつ運んでくるたびに、テーブルクロスの端に直接ボールペンで品名と金額を書くのである。まだ出されていない料理と金額は記入されないから、間違いようがない。料理のすぐそばに見えているので、客もいつでもチェックできる。何よりも客が数字をごまかすことも不可能である。

日本ではかなりの高級店でも、客が帰り支度をして勘定書きを手にしてレジへ向かい、そこで機械的な処理を受けて支払う仕組みになっている。食べたり飲んだりする場をレストランと言うが、これは本来「休息の場」という意味だ。客どうしの会話もさることながら、料理人や店員とのやりとりももてなしの一つである。お勘定にも人間味があってもいいと思う。

体験とこだわり

こだわりは「拘り」と書く。漢語的に表現すると「拘泥こうでい」。近年このことばは、たとえば職人らの固有の思い入れを良好なニュアンスで使うようになった。スープにこだわるラーメン店、秘伝と称してタレにこだわる鰻屋、卵の鮮度にこだわるパティシエなど、とりわけ食材の品質やレシピに関してよく用いられる。

以前、生パスタにこだわるイタリア食堂のオーナーシェフがいた。ところが、場違いなアニメのフィギュアが飾ってあって、「店に合わないねぇ」とつぶやくと、「でも、好きなんですよ」と強いこだわりを示した。生パスタへのこだわりはぼくにも便益があるが、フィギュアは趣味のわがままな発露に過ぎない。このタイプに「こんな雰囲気じゃ足が遠のくよ」と冗談の一つでもこぼすと、「じゃあ、来なくていいですよ」と言いかねない。実際、軽めの皮肉だったのに、彼はぼくに対してあらわに不快感を示した。当然ぼくも不快だから、行かなくなった。

こだわりとは、他人から見ればどうでもいいことに自分一人だけがとらわれ、そのことを自画自賛よろしく過大に評価することだ。いいだろう、ここは一つ譲るとする。それでも、自慢を秘めておくのがプロフェッショナルではないか。こだわりについて長々と薀蓄してもらうには及ばないし、それなくして物事が成り立たないかのように吹聴するのは滑稽である。


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取るに足らないこと、たとえばビニール傘にこだわる男がいる。仮にNと呼んでおく。ある雨の日、彼とカフェに行った。カレーランチを注文したあと、Nが小さなテーブルの角にビニール傘の柄を掛けているのに気づいた。カレーがテーブルに運ばれ、テーブルが狭くなる。傘もぶら下がっているから余計狭苦しい。案の定、柄が滑って床に傘が倒れた。「きみ、傘立てに置きなさいよ」とぼくは諭した。「傘立てに置くと持って行かれるんです。過去に何度もあったんですよ」と言いながら、Nは気の進まない顔をして傘立てに持って行った。
 
別の日。また同じカフェに行った。大雨だった。この前のことがあるから、Nは入口で渋々傘立てにビニール傘を入れた。食後お勘定に立ち、ぼくが自分の傘を手に取った直後、Nは「あ~あ、やられた」とつぶやいた。その情けないつぶやきは自分にではなく、明らかにぼくに向けられていた。「だから、テーブルの手元に置くことにしているんですよ」と言いたげだ。
 
「きみ、ビニール傘なんてみんなでシェアしているようなもんだから、自分のを持って行かれたら、別のを持って行けばいいじゃないか」とぼくは言った。こんな大雨の日に手ぶらで来る人などいない、だから、ビニール傘を間違えても足りなくなることはないんだ……そこまで執着するなら、自分の傘にシルシを付けるか名前を書いておけばいい……と言いながら、こう言わねばならない自分がちょっと情けなくなった。
 
Nはビジネス上の大事にはあまり引っ掛かることはなく、むしろパーソナルな些事のほうに強くこだわる。長い人生で傘を間違えられたのは二、三度に過ぎないだろう。それでも、確率のきわめて低い体験が刷り込まれて、みっともないこだわりを露わにしてしまう。些細なことに囚われたりこだわったりしていては人間そのものが小さくなる。百や千に一つの、そんなつまらぬ体験などさっさとリセットしてしまえばいいのだ。

価格と価値

半額値引き.jpgかつて「世にも不思議な物語」が存在したのは、常識であること・変わらざることが当たり前の時代にごく稀に起こったからである。最近、ぼくたちはちょっとやそっとの出来事では驚かなくなった。いろんな価値観が氾濫しているし、かつて珍しかったものも珍しくなくなっている。どうやら発生頻度において、非常識が常識といい勝負をするようになってきたらしい。

つまり、当たり前なことと当たり前でないことの線引きがしにくくなってきたのだ。ぼくたち自身も鈍感になってアンテナの感度を悪くしているのかもしれない。氾濫する奇妙な現象をちっともおかしいと思わなくなっている。だから、時々メンテナンスのつもりで、日々の暮らしの視点から価値観念をリセットしてみることが必要なのだろう。
 
自宅から徒歩10分圏内に同じチェーンのスーパーが二軒ある。土・日の午後、たとえば散歩の帰りや書店を覗いた後の午後4時頃にたまに立ち寄ることはある。以前から、午後6時以降に食品(とりわけ弁当、惣菜、揚げ物、寿司、刺身、サンドイッチなど)が値引き販売されることを耳にしていた。値引きタイムの直前になると、空っぽのカゴを提げてうろうろし始め、値引きシールが貼られるのを待つ客が増えるらしいのである。自称「現場監察派マーケッター」であるぼくだ、現実をこの目で見るために、オフィス帰りの午後6時以降、日を変え時間帯を変えて何度か足を運んでみた。

いるわいるわ、商品を手に取るわけでもなく、お目当てのコーナーに時々流し目をしながら、あっちへ行ったりこっちへ行ったりする人たち。まだ買物客と呼ぶにふさわしくない、値引きシールが貼られるのを待つ人たちだ。午後6時過ぎ、手にラベルを携えた店員が現われ、30%引きシールを矢継ぎ早に貼っていく。カラアゲや惣菜などがみるみる値を下げ始める。次いで寿司や刺身。チャーハンに焼きそば、カレーライスなどはいきなり半額という日もあった。
 
観察が目的だから、原則長居はしないので、つぶさに現象把握できているわけではない。ただ、たまたま買物がてらに寄った午後8時頃には「焼肉用ロース」が半額になっていた。毛ガニが半額になっていた日もあった。半額ラベルの常連はスーパーの戦略も心得ているようで、ピンポイント時刻にやって来ては安く買って帰る。ぼくなどは、午後8時までに夕食を終えるので、お得な食材にはありつけない。
 
午後559分に500円だったものが、1分後に350円になり、その時点から2時間後には250円になってしまう。こんな急激な価格変動は、かつては大晦日の市場の値引き交渉以外にはありえなかった。消費者が納得する価値にふさわしい価格を付けたはずだが、価格が下がれば実感する価値が反比例するように大きくなるのだろう……そんなふうに考えていた。だが、はたしてそうなのか。とある日の午後6時、いきなり680円の弁当に半額ラベルが貼られたことがあった。しかも、ぼくの目の前で。それを一つ取ってカゴに入れたのは言うまでもない。価格と価値の関係? そんな難しい話ではなかったのである。

年賀状と喪中はがき

2013年賀状.jpgこれは2012年の年賀状である。謹賀新年という文字以外にこれといった季節感は漂っていない。干支の話題もイラストもない。ぼくたちの仕事に関わる考え方の話が中心であって、何かのヒントにしていただければ幸いという思いで書いている。

企画の仕事の敵は外部環境にはいない。闘う相手はつねに内なる敵である。どんな敵か。発想的には固定観念であり常識への安住であり、言語的には陳腐な常套句である……こんなことに思いを巡らしながら、毎年、いくつかのキーワードを拾い上げる。そして、自省の意味も込めて、ありきたりなテーゼに対してささやかなアンチテーゼを投げ掛ける。弱者のつぶやきに過ぎないが、かなり真剣で本気だ。もう二十年近くこのスタイルを続けてきた。2013年度の年賀状は、何度も推敲を繰り返して、先ほど校了した。

さて、年賀状に取り掛かるこの時期、喪中のはがきも手元に届く。齢を重ねるにつれ、年々数も増えていく。今年もすでに十数枚にはなっているだろう。どなたが亡くなったのか明記していないのもあれば、義兄だったり叔母だったりもする。どこまでの親族に対して喪中や忌中とするのかよく知らないし、マナー本を開いてみようとも思わない。ただ、ここ数年、いただくのは喪中はがきばかりで、年賀状を久しくもらっていない人もいる。
親族が多くて高齢化してくると、年賀状と喪中はがきを隔年投函するようなことも稀ではなくなる。人が亡くなっておめでたいはずはない。知らぬ人であってもお悔み申し上げる。だが、縁あって一度だけ会い、お互いに義理堅く年賀状をやりとりしてきたが、その人自身もよく知らない関係なのに「義母が亡くなった」というはがきをいただいても、正直言ってピンとこないのである。
喪中はがきの差出人にもぼくは年賀状を出す。謹賀新年で表される良き年を迎えていただきたいからである。ついでに拙文にも目を通していただくかチラっと見ていただくかして、「相変わらず青二才だなあ」と思ってもらえればよい。かねてから喪中はがきの慣習に首を傾げる立場だが、人それぞれの考え方に寛容でありたいと思う。だが、自分が喪に服すことと年賀状を出すことが相反するはずもない。マナーの専門家が何と言おうと、前年にどんな不幸があろうと、お互いに新年を祝い多幸を祈ればいいのではないか。

エレベーターよもやま話

エレベーター.jpg直近のニュースを持ち出すまでもなく、便利で身近なエレベーターにも時々悲劇が起こる。便利と慣れにかまけて、エレベーターへの注意がなおざりになってしまうのも事故の原因の一つだろう。

狭小な閉じた空間であることとボタン一つで上下に移動することをあらためて認識してみれば、エレベーター内および乗降時に油断してはいけないことがわかるはずだ。但し、今日の記事は、悲劇や危険にまつわる深刻なものではなく、ぼくたちとエレベーター利用につきまとう日常的な考察に基づくよもやま話である。

1.ニアミス
一昨日マンションのエレベーターが1階に着き、ドアが開いて出ようとしたら、5階のがさつな三十代男性住人とぶつかりそうになった。ドアが開いた瞬間、男がぼくに気づかず乗り込もうとしてきたからだ。ぼくは透明人間ではないから、前方に目をやれば見えたはずである。エレベーターは電車と同じで、中から外へ出る動作が優先される。つまり、ぼくが出るのを見届けてから男が入るのである。
なお、エレベーターも車もボートも、「有事ゾーン」の移動手段とされているので、レディファーストのしきたりに従うならば、乗る時は男が先に乗ってから女性を導き、降りる時は先に女性を降ろす。
2.よく起こると実感すること
エレベーターというものは、急いでいる時には乗ろうとしている階の近くにはないものである。たとえば1階から乗って上層階へ行こうとするとき、2基が備わっている場合でも、2基の両方が上層階へと動いていることが多い。
3.矢印の意味
エレベーターホールには〔▲〕と〔▼〕のボタンがある。この矢印についてぼくは説明を受けたことがないが、今いる階よりも上に行きたければ▲、下に行きたければ▼を押すことを承知している。つまり「願望ボタン」なのである。
しかし、教わったことがないのであるから、高齢者の中には「命令ボタン」だと思い込んでいる人がいる。〔▲〕が「この階に上がってこい」、〔▼〕が「この階まで下りてこい」という意味だと思っているのである。どちらを押してもエレベーターはその階へやってくるが、そのまま乗ると、下へ行きたいのに上へ行ってしまうなどということが起こってしまう。
4.
昔のエレベーターには「釦」という一文字の漢字が書かれていた。小学生頃まで何のことかわからず、また知ろうともせずに乗っていた。「ボタン」と読むのだとわかったのは中学生になってからである。
5.アメリカンジョーク的クイズ
高層マンションの23階に住んでいる男がいる。朝、自宅を出るとき、彼は1階まで直通で下りる。しかし、帰宅時は21階でいったん降り、そこから2階分だけ階段を上る。なぜだろうか?
〈答え〉降りる時の押す1階のボタンは低い位置にあるが、昇る時に押す23階のボタンの位置は高い。男は背が低く、23階に手が届かず、ギリギリ届く21階のボタンを押す。

スリという稼業

かつて植木等が「 サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ」(ドント節)と歌った。ありきたりなことを書けば、気楽なサラリーマンもいれば、過労死に追い込まれるサラリーマンもいる。稼業が気楽かどうかは本人が決めるものだ。ぼくはと言えば、楽に収入を得た仕事がなかったわけではないが、「気楽な仕事」に巡り合わせたことは一度もない。

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スリは漢字で「掏摸」と書く。まず書けそうもないが、ふつう読める人もあまりいないだろう。「掏」とは他人が身に付けている金品を気づかれないように取ることであり、「摸」は手探りすることだ。現実的には、時間をかけて手探りしていては気づかれてしまうから、軽快かつ敏捷でなければスリという稼業は務まらない。

全国ニュースにはなっていないと思うが、紹介する一件はスリ稼業の「 わかっちゃいるけど、やめられない」(スーダラ節)を象徴している。新聞記事によれば、住所不定・職業不詳の姉80歳と妹72歳がペアで現金をかすめ取ろうとしたところを現行犯で逮捕された。二人合わせて152歳。ぼくが記者でもこれを見出しにする。もう50年以上の「キャリア」があるから、捜査員とも顔なじみ。苗字の一字から「駒姉妹」と呼ばれていたという。明らかに「こまどり姉妹」をもじっている。

姉は「デパートの店内を見ていただけ」と容疑を否認し、妹は姉をかばって「一人でやった」と容疑を認めた。年齢的にはテクニックのピークも過ぎ、発覚の確率も高まっていたはず。それでもなお、この稼業で食うしかない。スリ側に共感するはずもないが、悲哀が浮き彫りになる話ではある。

かつては商売人が多かった大阪にスリが多く、技術も際立っていたという。上着に入れていた鎖のついた金時計の蓋を外し、中の金製文字盤だけを抜き、蓋を閉めてポケットに戻したという、スゴ技のエピソードもある。警察に届けを出した被害者に、「この仕事をしたスリの腕は見事だが、これだけの手探りをされても気づかなかったあんたもすごい」と刑事が言ったらしい。この話、確か桂米朝の落語のまくらで聞いた記憶がある。

スリは人口過密都市でなければ成り立たない犯罪だ。満員電車、混雑するデパートが標的になる。ヨーロッパでも地下鉄やバスにスリが出没するが、だいたいは集団犯罪である。ふつうに注意していればそれとわかる。自慢してもしかたがないが、器用さにおいてわが国のスリはパリやローマの同業者の比ではない。ただ、二人合わせて152歳などではなく、あちらのスリは合わせても40歳代にしかならないあどけない女子三人組が多い。しかも例外なく可愛い。テクニック不足をそのあたりでカバーしているのである。旅行する人、油断禁物。

見巧者であれ

サラリーマン時代は、今のようにランチタイムを自分なりにフレックスに過ごせなかった。わずかな昼休憩の間にコーヒーも飲みたいから、仲間と出掛けてはそそくさとランチを平らげ、喫茶店に場を移して雑談したものだ。

ある日、行きつけの喫茶店が混んでいたので、店探しに少し足を延ばした。通りがかった喫茶店の前で同僚のTが立ち止まり、「ここにしよう」と残りの三人を促した。見ればドアに「夏はやっぱり愛す♥コーヒー」とマジックインクで書いた紙が貼ってある。

Tさん、ここはないでしょ。この店構え、貼紙の文言や文字のセンスを見たら、完全にアウトですよ」とぼくは言った。だが、「時間もないし……」とTは譲らず、先導して店に入ってしまった。結論だけを書くと、店に入るなり埃の匂いがした。置いてあるソファは赤で場末のスナックから運んできたような代物だった。ソファのスプリングが不良で、座ればドーンと背中まで埋もれてしまった。見るに堪えない夜の化粧のオバサンが一人。アイスコーヒーは……愛すどころか、口に運ぶのも勇気がいるような味だった。

この一件から、「やむをえないという理由で選択肢を広げて妥協などしてはいけない」という教訓を得た。まったく不案内なことについて、ぼくたちは判断しなければならないときがある。蕎麦屋でも喫茶店でもいい、まったく知らない街で二軒の店があり飯を食うかお茶を飲もうとするとき、店のたたずまいや店名など、ごくわずかな情報から優劣判断をするものだ。どんな判断をするにしても、優劣がつけば優の格付けをした店に賭ける。しかし、二者択一ではないから、「劣劣」と思えば消去法的に選ぶことなどないのだ。義務も義理もない。


ジャズとお好み焼き.jpg

先月、「ジャズとお好み焼き」を謳い、コテをモチーフにしたチラシが貼ってある店の前を通り掛かった。かつての同僚Tなら喜々として立ち寄る店だ。ジャズと蕎麦の店にはぼくも行ったことはある。しかし、演歌の流れるフレンチには行かない。ジャズとお好み焼きはぼくの感覚域には属さない。コテを手にして熱々のお好み焼きを頬張りながら、どんなふうにジャズを聴くというのか。しかも、生演奏なのである。聴くほうのセンスも疑うが、演奏する者のセンスにも異議ありだ。

見巧者みごうしゃ〉なる演劇の表現がある。上手に観劇する力のある観客のことだ。舞台は演じる者の技量だけで成り立つのではなく、観劇者にも同等の観賞眼が求められるのである。芸術一般の鑑賞にも当てはまり、店や料理にも広く敷衍できるだろう。上手は一方によってのみ存在せず、上手の本質に呼応する他方があって初めて生かされる。

下手は下手どうしで持ちつ持たれるの関係を続けるだろうが、上手と出合いたければ自らも上手の眼を養わねばならない。見巧者への道は試行錯誤の連続だが、日々の小さな判断力の積み重ねがやがて暗黙知を授けてくれるようになる。とは言うものの、店選びに関しては今も10回に一、二度は騙されてハズレを引く。