カテゴリー: エピソード
切り落とし
一見わかりにくい写真だが、これはカステラの切り落としである。地域によっては「切れ端」や「端っこ」と呼んでいるらしい。肉の場合はだいたい切り落としと命名されているようだ。国産黒毛和牛のロースの切り落としなどと書いてある。もちろん、本体のブロック部分を切り分けたものよりも価格は安く設定されているが、切り落としでもグラム800円などというのはざらにある。
実録「生肉を喰らう」
実録なので、デフォルメしない。淡々と事実と意見を書くことに徹する。
焼肉店ではユッケや牛刺しを出さなくなった。先週の土曜日、6人で焼き肉を食べに行った折、注文係のK氏はレバ刺しと生のセンマイを頼んだ。焼肉店では内臓の刺身なら出すくせに、赤身の刺身を出さない。発端となった例の「食中毒事件」の経緯など諸般の事情を理解しつつも、解せない話である。
焼肉用のロースやカルビを買ってきて、自宅で細かく切ってユッケのように仕立てて食べるのは自由だろう。これを禁止する条例はなく、自己責任のもとで食べればよい。「これはいい肉である」と判断したら、ぼくは焼かずに適量を生で食べる。何事も起こったことはない。
よく行く焼肉店も、例の事件前までは、焼肉用の心臓を注文すると、必ず「生でもいけますよ」と付け加えていたものだ。ましてや熟成赤身肉の上とくれば、ほとんど生で食べるのが暗黙の了解のようになっていた。その日も、半分ほど生食するつもりで熟成赤身を注文した。
焼肉はワイワイガヤガヤと賑やかにというイメージだが、ぼくの持論は違う。じっくりと肉質を見ながら絶妙に焼き、そして静かに食べるべきものだと思っている。しかし、その日は、少々お酒も飲み話も弾んでいた。箸でつまむ熟成赤身肉をろくに見もせずに、一切れをワサビで、もう一切れを塩で食べたりしつつ、「おや、いつもと少し違う食感……」と思っていた。そして、三切れ目をつまんだ瞬間、それが注文した熟成赤身肉でないことに気づいたのである。
よく見れば、それはツラミだった。繊維が少なくて赤身に少しよく似た、上ツラミだった。結論から言うと、店が熟成赤身を上ツラミと間違えたのである。聞き間違いするには発音が違い過ぎる。何のことはない、別の客の注文と混線したという次第だ。それはともかく、初めて上ツラミを生食し、気づいた時には二切れはすでに胃袋に収まっていた。
上ツラミの生の味は格別であった。そして、腹痛も中毒も起こらなかった。
焼肉店でユッケを禁じるのは理不尽であり滑稽な話である。しかし、文句を言ったり逆らったりする暇があったら、スジや脂身の少ない良質の肉を買ってきて、自宅で調理して食べればいいだけの話だ。同じ値段で店で食べる量の3倍はいける。
昨年11月23日、パリ滞在中のアパートでの食事。右下に見えるのがバスティーユの朝市で買ったハラミ。ユッケよりも大きくぶつ切りにして200グラムほどたいらげた。ハラミの生肉は日本ではまず賞味できない。
買う、忘れる、見つける、喜ぶ
財布に一万円札が入っているとする。当たり前のことのようだが、よくよく考えるとありがたいことである。だが、ありがたいことではあるが、うれしくて感極まってしまうことはないだろう。
では、その一万円を失くしてしまったらどうか。がっかりである。がっかりするが、容易に諦めきれないから、当然家のそこらじゅう、たぶん机の上や引き出しの中、封筒の中までも探すはず。ぼくのようなマンション住まいなら、共用部分の廊下や踊り場、それにエレベーター、今帰ってきた道中をしばらく逆に辿るかもしれない。いや、きっとそうする。だが、探すのに疲れておそらく諦めることになる。やがて月日が流れて、忘れる。
しかし、天災と朗報は忘れた頃にやってくる。何かの拍子に、その一万円札を本と本の隙間に見つけてしまうのだ。そして、はしゃぐように喜ぶ。最初から財布に入っている一万円札を見つけるのとは天と地ほど違って、狂喜のあまり小躍りしても不思議ではない。
☆ ☆ ☆
怠けているわけではないが、「今度の週末こそは……」と先送りしているうちに、二ヵ月以上が過ぎた。土産物だけは手渡したが、バルセロナとパリで買った本や絵葉書、集めてきた資料やパンフレットに入場券や切符、それに写真の類はほとんど帰ってきた時のままで、手つかず状態である。
少し反省したのが一昨日の日曜日。手始めにB4サイズほどの紙袋の中を整理しようと、ガサっと取り出した。ずしりと重く手のひらにあたったのがこのガウディの図録である。もちろん買ったのを覚えているから、失くした一万円札を見つけるときほどの驚きはない。
しかし、ページを繰ってみてあらためてガウディの天才ぶりに驚嘆した。写真が鮮明で、とてもきれいな図録である。
海外でこの種の図録を買うとき、語学ができるできないにかかわらず、ぼくは現地語バージョンを記念に買う。バルセロナで買ったこの図録、当然スペイン語(カスティーリャ語)でなければならない。ところが、ミラ邸のギャラリーでスペイン語版は売り切れていた。それならば英語にしておけばいいものを、ぼくはバルセロナの公用語であるカタルーニャ語版を買い求める暴挙に出たのである。
それでも、固有名詞を頼りに読んでいくと三分の一くらいは何となくわかる。もちろん、「何となくわかること」と「はっきりわかること」は全然違う。それでも、写真を中心にカタルーニャ語を追うだけでも、値打ちがあるように感じる。そう、買って、忘れかけていたが、袋の中に見つけて大いに喜んでいるのだ。最近どうも感動が足りないと思うのなら、いったん忘れるか失くしてしまうことをお勧めする。
ブリュッセルからの絵はがき
2011年11月21日。午前10時過ぎ、パリ北駅から特急タリスに乗ってブリュッセルへ。日帰りの旅だ。
パリと同じくらいの温度だったが、少々底冷えしていた。すぐに電車やバスに乗ると身体が温まらないから、こんな時ほど歩くに限る。街の中心街の歴史地区までは地下鉄に乗ったが、あとは数時間あちこちをそぞろ歩きした。
これに先立つ1週間前のバルセロナ、さらに3日前にパリに着いてからも絵はがきを書いていないことに気がついた。友人や親類には書かないが、海外に出ると、留守番をしているスタッフには便りをするようにしている。ここまではがきを投函しなかったのは、他でもない、切手が買えなかったからだ。
切手などどこででも売っていそうなものだが、実は、スペインでもフランスでもワインを買うよりもむずかしい。もちろん郵便局で買い求めればいいが、郵便局があちこちにあるわけではない。ふつうはタバコ屋で買う。だが、国際切手を置いていないところが多い。
運よく切手を売っているタバコ屋があり、その店でついでに絵はがきも買った。それでカフェに入り、カフェベルジーノを飲みながら、ささっとボールペンを走らせた。たわいもないことしか書いていないので、クローズアップされると恥ずかしい。近くのパッサージュのような通りに郵便ポストがあると聞いたので、投函しに行った。
そこにあるポストは壊れかけたような代物で、無事に集配してくれそうな雰囲気がまったくない。通りがかりの学生風の男性に聞いたら、これがポストだと言う。「だけど、1日に午後4時半1回きりの集配だけだから、明日になるね」と彼は付け加えた。時計は午後5時を回っていた。翌日の集配になるわけだし、何よりも信頼を寄せられない雰囲気のポストだ。と言うわけで、絵はがきを書いたという証明のために投函前に写真を撮ったのである。だから、消印が押されていない。
この絵はがき、投函日の4日後には大阪に着いていたらしい。つまり、集配してから3日後というわけだ。みすぼらしくて頼りないポストだったが、ブリュッセルの郵便局、案外しっかりしているではないか。
立つか座るか
ブログを始めてから3年半。これまでは最長でも5日ほどしか空かなかったが、初めて1ヵ月もごぶさたしてしまった。海外に出てiPadからアップすればいいと気軽に思っていたが、思ったほどうまくタッピングできない。そもそも長い記事を書くタイプなので、2、3行書いて「ハイ、おしまい」で片付けられない。億劫になって、手軽に投稿できるfacebookのほうを重宝した。
帰国後ずいぶん反省して一念発起したのだが、それからすでに1週間以上も経っている。ネタ不足か、行き詰まりかと自問するも、そうでもない。書きたいことや少考してみたいことはいくらでもあるのだ。よくよく考えて、どうやら息の長い文章を綴る習慣が元に戻らないという結論に落ち着いた。徐々に取り戻そうと思うが、同時に、この機会にあっさりと書くスタイルに変えてもよさそうな気もしている。
閑話休題。イタリアでもフランスでもそうだが、喫茶店(バールやカフェ)でコーヒーを飲むときに、立って飲むか座って飲むかという選択肢がある。カウンター内のバリスタに注文し、カウンターの上に出されたエスプレッソやカフェラテをその場で飲むのが立ち飲み。座って飲むのは、日本の通常の喫茶店のスタイルと同じ。まず気に入ったテーブルに座り、注文して運んでもらう。
同じものを飲んでも、座って飲めば料金は立ち飲みの2.5倍か3倍になる。テーブルでは席料が加算されるシステムなのだ。観光名所近くのカフェに入ると、強引に観光客にテーブル席を勧めてくる。店にとっては当然の作戦。カウンターで飲めば180円ほどのカフェ・クレームがテーブルでは520円になる。というわけで、よほどゆっくりとくつろぐ気がないときは、ぼくはカウンターに直行して注文する。
パリ3区のボーマルシェ通りに面したカフェの看板。最初の行には「カウンターでのプチ・デジュネ」とあって2ユーロ。ホットドリンクとトーストとジュースのモーニングセットをカウンターで飲んで食べれば210円とは格安だ。トーストがクロワッサンかブリオッシュに、ジュースが搾りたてのオレンジに少々格上げされるものの、ほとんど同じメニューをテーブル席で注文すると6ユーロと3倍になる(ちなみに一番下の8.9ユーロのメニューはビュッフェ、すなわち食べ放題)。
毎日同じカフェにやってくる常連は、仕事の前にさっと立ち飲みして1ユーロ前後を置いて出ていく。観光客やカップルはだいたい座っている。座って通りを眺めたりお喋りしたり本を読んだりしても、普通のカフェなら250円か300円だから、日本の喫茶店よりもだいぶ安い。なお、チップを置いていくという習慣もここ数年でだいぶ薄れてきたような印象がある。
人口爆発!
ぼくが生まれ、小学低学年時代を送った1950年代、日本の人口は世界5位だった。社会科で教わった中国、インド、アメリカ、ソ連、日本という順位をよく覚えている。現在に至るまで、上位の三国は変わっていない。ソビエト連邦が解体してからはインドネシアがずっと4位。ブラジル、パキスタン、バングラデシュ、ナイジェリアなどが追い越し、日本は現在10位である。ランキングマニアはどう言うか知らないが、ぼくはこの数字を見てすごいと思っている。FIFAのランクより上だ。
初めて「人口爆発」を耳にしたときは物騒な表現だと感じたものの、人間の数など一気に増えるものではない、仕掛けた爆弾が爆発するのとはわけが違うという受け止め方だった。ところが、産業革命の頃からではなく、有史以来からのグラフを見てみると、「右肩上がり」などは悠長な表現であることがわかる。ぼくの生まれた1950年代から急激に垂直と言ってもいいほどの方向に向かい始めているのだ。
そして、ついにと言うべきか、予想通りと言うべきか、わずかこの半世紀で2倍以上に膨らんだ人口が、2011年10月31日に記念すべき70億人に達したのである。少子化の懸念が強いわが国にしても昭和初期から見れば倍増している。予測では7、80年後にはその水準に戻るらしいが、それでも現在のフランス、イギリス、イタリアなどと同じ6,000万人前後だ。そうなる頃、これらの国の人口はさらに減少しているはずである。
西暦1800年の頃の世界人口は10億人だったそうだ。二百年で7倍である。紀元前、人口が1 億人増えるのに要したのは2500年。ところが、今では10億人増えるのにわずか12年という爆発ぶりである。人類が70億人をカウントした翌日の11月1日の午前8時、すでに25万人近くが増えていた。人口増加とは「誕生者-死亡者」であるから、実際はもっと大勢の赤ん坊が生まれていることになる。
文化の日の昨日の午前8時には70億にプラス61万人だった。その翌日の今日の午前中に見たら、80万人を超えていた。明朝には100万人を超えているはずである。関心がおありなら、http://arkot.com/jinkou/を覗かれるといい。〈世界人口時計〉なるものだ。その時々の心理によるが、刻々と増えていく数値を見ていると不思議な気分になってくる。また、何事かを考えようとしている自分に気づく。
なお、人ではなく、お金が湯水にように流されていく刻一刻を体感したければ、こちらの〈日本借金時計〉。馬鹿らしさを通りすぎて笑ってしまうだろう。http://debt.blogp.jp/
苦情の語調
十日前に焼鳥屋の日替りランチを食べた。ランチの話題はふつう味云々ということになるのだろうが、そうではない。もう一度書くが、食べたのは日替りランチである。カラアゲ定食ではない。ぼくと知人男性の二人で行った。知人はカラアゲが好物である。その日替りランチを注文した。鶏のカラアゲ、豚肉とオクラの炒めもの(スパゲッティ添え)、コロッケの三品がワンプレート。これに小鉢一品。もちろん、ご飯と味噌汁とお新香もついている。以上がプロット。
ぼくたちの2、3分後に入店してきた男性3人が隣のテーブルにつき、同じ日替りを注文した。しかし、ランチは彼らに先に配膳された。時間差なくサーブされる可能性があるので、まあいい。これくらいのことで文句は言わない。言わないでよかった、ほどなくして日替りが来たから。しかし、持って来たのは一人前のみ。ぼくの前に置いた。同じものを頼んだのだから、当然すぐに来ると思い、「じゃあ、お先」とゆっくり食べ始めた。
だが、待つこと数分、あと一人分が来ない。「よし、ここで一言しておくか」と思ったちょうどその時に来た。女性店員は知人の前にランチを置いてそそくさと去る。その盛り付けを見て呆れた。キャベツの上にカラアゲが寂しそうにポツンと1個ではないか。ぼくのは3個だ。メニューの日替りランチの内訳の一つ目にカラアゲと書いてある。味噌汁の多少ならともかく、カラアゲの個数を人によって変えてはいけないだろう。これで三度目、店員を呼びつけようとしたら、知人がぼくの殺気を感じたのか、「あ、自分で言います」とつぶやいたので、任せた。
後ろを通りかかった別の店員を呼び止め、人のいい知人はまだ手をつけていないカラアゲ1個を指差して、「すみません、これちょっと少ないんですけど……」と言った。とても上品だが、こんな文句の言い方では話にならない。間髪を入れずに、「同じランチを注文して、こっちがカラアゲ3個で、今来たのが1個というのはおかしいだろ!?」とぼくが追い打ちをかけた。店員の顔に「しまった」と「どうしよう」が錯綜した表情が浮かんでいる。
結論から言うと、厨房の男性が小皿にカラアゲ2個を持って来て詫びた。「なんでこんなことになるんでしょうね?」と知人は怒る様子もなく、ぼくにつぶやく。「店ぐるみの準確信犯だよ、これは」とぼく。「その時間ごとにおかずの増減が起こるから、グループが違えばおかずの量を調整する。カラアゲが足りなくなって1個にした。その穴埋めのつもりで、きみの豚肉とオクラの量を多めにしたんだろう」。
同じグループだが、何かの拍子に厨房への注文が別扱いになった。運んできた店員は一人客だと思っていたが、二人連れで、しかも先に一人前がサーブされているのに気づいた。だが、カラアゲ1個はやばいと思いながらも、そのまま置いていったに違いない……というようなことを知人に話したら、「ただの凡ミスではないですかね?」と鷹揚である。物分りがよすぎるのも困ったものである。
店員の顔には、「カラアゲ1個はまずいが、ええい、ままよ! 何か言われたらその時はその時」という表情が明らかに浮かんでいた。「きみね、クレームのつけ方が穏やかすぎる。化け物のようなクレーマーになってはいけないが、毅然とした語気の強さを欠いてはいけない」とぼくは知人に言った。「これちょっと少ないんですけど……」はない。学校給食と違うんだから。店を出る頃、店の対応よりも知人の対応にぼくは苛立っていた。
時には見て見ぬふり
バッグが落ちた。「堕ちぶれたバッグ」ではなく、文字通りの「落ちたバッグ」。しかも、他人のバッグ。特急列車に乗ると、膝の前あたり――つまり前席の背面――に網袋がある。上部の口がゴムになっているから、ペットボトルや雑誌をはさんでも落ちてこない。弁当をタテにしてはさむこともある。最近の弁当箱は細かく仕切りられているので、おかずの位置はあまり乱れない。
たいていの特急は通路をはさんで左右が二席ずつ。進行方向に向かって、左から窓側A、通路側B、通路側C、窓側D。その日座ったのはD席だった。しばらくして、二十代前半らしき女性三人組が乗ってきた。二人が通路向こうのA席とB席、そしてもう一人がぼくの隣のC席に座った。最初の数分間、彼女らは通路をはさんで楽しそうに話していたが、通路向こうのどちらかが「私、寝ようっと」と言ってからは静かになった。
ぼくは読書に集中していた。隣の女性(仮にC嬢)はしばらく携帯でメールをしていた。別に携帯ディスプレイを覗き見したわけではない。否応無しにぼくの視界に入ってくる。なにしろ、本の左ページの端とC嬢の右手の距離はほんの30センチほどしかない。突然、C嬢は携帯を閉じて膝の上に置いていたバッグに入れた。そんな動作すらわかってしまう。バッグはマチのない柔らかそうな皮製で、おそらく40×50センチくらいの大きさだ。もう一度書くが、ぼくは何一つ細かく観察などしていない。隣人の動作が勝手に視界に入ってきたのである。
C嬢は前方の網袋に、絶対入り切りそうもないそのバッグを挟んだ。挟んだだけなので、全体の8割ほどがゴムの口の上方にはみ出ている。バッグをそんな状態にしたまま、C嬢はトイレに立った。列車は揺れる。案の定、ほんの10秒も経たないうちにバッグが床に落ちた。ぼくは通路向こうのA嬢とB嬢のほうに目をやったが、二人ともすでに安眠態勢に入っていて、気づくはずもない。
自分の前を歩く人が財布を落としたら、その財布を拾って歩み寄り「落ちていましたよ」と言える。しかし、この場合、バッグは落ちたが本人がそこにいない。隣の見知らぬ男がそのバッグを拾い上げて、座席に置くとしよう。戻ってきたC嬢は本を読み耽っているように見えるぼくを怪しむに違いない。最悪は、バッグを手にしているちょうどその時に目撃される場合だ。どんなに正当な理由をつけようとも、言い逃れはできない。
拾って座席に置いてあげても、C嬢が戻ってきたら自分から状況説明するしかない。「あなたが席を離れた後にバッグが床に落ちました。拾って座席に置いておきました」とわざわざ言うのか。ただ隣に座っているだけの、見も知らずの男のそのような言をぼくなら信用しない。要するに、本人不在のこのような状況で落ちたバッグには絶対に触れてはいけないのである。ゆえに、ぼくは見て見ぬふりをして本を読み続けていた。戻ってきたC嬢は落ちているバッグを見て、その後にぼくの横顔を睨んだに違いない。当然バッグの中を丹念にチェックしていた。やむをえない。ぼくだってそうしただろう。
あることを知りながら気づかなかったふりをするのは耐えがたい。だが、これしかすべはなかった。「見て見ぬふり」はけしからんと思っていたが、やむをえない自己防衛なのかもしれない。ぼくの中ではややすっきりしないものが残っているが、「知らなかったくせに気づいていたふりをする」よりはましかもしれない。
ビジュアルインパクト
本を読んでいてすっとアタマに入る文章はビジュアル的だと言える。イメージを促してくれるという理由だけで必ずしもいい文章とは言い切れないが、疲れているときの読書ではありがたい。これに対して、難解な文章はイメージと連動しにくいから、概念を自分で組み立てなければならない。組み立て間違いをするとイメージが完成しないので、さっぱりわからなくなってしまう。だから逆説的に言えば、時々難解な本を読んで頭脳鍛錬する必要があるのだ。
自分で書いたノートにも同じことが言える。なんでこんなにこね回して書いていたのだろうと怪訝に思う箇所に再会する。理解するのに時間がかかる。めげずに「自分が書いた文章じゃないか」と思い直して読んでみても、いっこうに意味が鮮明になってこない。それもそのはず、十年も前の自分はもはや今の自分ではなく、ほぼ他人と呼ぶべき存在なのだから。
そんな昔のノートを読んでいて、気づくことがある。文章で「夕焼けが美しい」と書いてもイメージが湧くとはかぎらない。「青い空に青い海」などと当たり前のように言われても、脳は絵を描いてくれないものである。むしろ、「ご飯に梅干し」と言ってもらうほうが、即座にイメージが浮かんでくる。実物のビジュアルインパクトが強くても、文章化すると平凡になることもあるのだ。どうやら文章のビジュアルインパクトの強弱は話題と強く関わるらしい。
文章で読んだ話にもかかわらず、画像や動画として編集されリアルに再生される。実に不思議である。
そこで懐かしい話題。ぼくのアタマに刷り込まれていて、いつでも物語を再現できる、偽札づくりの話だ。結果的にその達人は逮捕されたのだが、尋常でない手先の器用さに驚嘆した。達人は一万円札を半分に切る。左右半分、上下半分などにカットするのではない。表と裏に切るのである。つまり、0.1ミリほどの厚さの一万円札から「福沢諭吉の表面のみを剥がす」のである。表を剥がせば、一万円札は表と裏に分かれる。
新聞記事でこのくだりを読んでいるとき、ぼくのアタマではカッターナイフ片手に一万円札を剥がそうとしている自分がいた。一緒に万札偽造をしていたのである。次いで達人は、あらかじめ裏面だけをカラーコピーした薄い紙に本物から剥がした表面を貼る。表面をコピーした薄紙には本物の裏面を貼り合わせる。こうして一万円札が二枚に化ける。
あれだけ薄いお札の「表皮」を剥がし、コピーした薄い「台紙」に貼り合わせることができるだろうか。これは芸術的器用さというような次元の話ではなく、超能力的な匠の技を要する。ぼくは想像を馳せながら、この仕事はおそらく日本で一番労力と根気を要する一万円の儲け方だと思った。金箔工芸の分野なら即戦力になるではないか。勝手にぼくのアタマで短編映画になって何度も上映されるほど、この話題はビジュアルインパクトが強い。そして、想像するたびに、適所と適材を間違ってはいけないと痛感するのである。