オーダーと接客

料理を注文すると、注文を聞いた店員が「オーダー入りました」と厨房に告げる。「ご新規さま、ご注文いただきました」というのもあるが、店員が若い店では「オーダー」という言い方が目立つ。忙しくしている店員を呼び止めてぼく自らが「オーダーしていいですか?」などとは言わない。「注文していいですか?」か「注文を聞いてくれますか?」と、注文ということばを使う。

注文に相当する英語の“order”は多義語で、手元の英和辞典では名詞だけで21もの意味がある。もっともこれらすべてを覚える必要はなく、だいたい二つの原義さえわかっていれば文脈から意味を類推することはできる。一つ目は「順、秩序」という共通の意味を持つもの、二つ目は「命令、指令」という含みのあるものである。注文という意味のオーダーはこの二つ目から汲み取られたものだ。

ラーメン

オーダーに「注文」という日本語をあてがったのだが、オーダーそのものはある種の「命令、指令」であることに変わりはない。つまり、客であるぼくは「半トロ卵のラーメンと高菜ご飯のセット」が食べたいので、その商品名Cセットを店員に告げる。「Cセットを作って持って来い」と命令しているのである。店員は命令に従うのが使命であるから、厨房担当者に「Cセットというオーダーが入ったこと」を告げる。オーダーという注文にはオーダーという順番があり、客であるぼくに注文通りに運ばれたらオーダーという秩序が生まれる。そしてラーメンはオーダー通りに胃袋に収まる。こういう一連の流れが完了して金870円也が請求できるというわけである。


昨日のランチタイムはそのようになるはずだった。しかし、そうならなかった。ぼくに出されたのはラーメンAの単品。そのことを知るのは、Cセットについている高菜ご飯がなかなか出て来ず、店員に確かめた時点であった。ラーメンACセットのラーメンだと思い込んでいるぼくは、針金のような硬い麵を「変だなあ」と思いながら半分近く食べた。そこで店員をつかまえて聞いたのである。「これは高菜ご飯のセットでしょ? ご飯のほうがまだ来ていないんだけど……」。店員、確かめる。

すぐに高菜ご飯が運ばれてきた。食事再開ということで箸で麺をつまみ上げようとした瞬間、別の店員がラーメンを持って来た。「お客さま、お出ししたのはラーメンAでした。こちらのほうがCセットのラーメンになります」。と言うわけで、食べかけのラーメンが下げられ、熱々のラーメンが代わりに目の前に置かれた。100メートル走で50メートルまで走ってからフライングと告げられて、スタートラインまで戻された感じである。こうしてぼくは出来立てのCセットに向かい仕切り直しとなった。食べ終わったら超満腹だった。なにしろラーメンを一杯半食べたのだから。

接客マナーが重要だと言い、そのことについては、いかにも取って付けたような体裁ではあるが、まずまずできるようになった。しかし、客の欲しいものを厨房にリレーして、さらに厨房で作られた料理を注文した客に出すという基本は、マナー向上とは別のものである。その基本は一つのシステムなのであり、個の記憶と注意深さに関わるものだ。先日も、注文した焼肉が通っておらず、その後に頼んだ生ビールもなかなか出てこなかった。促されて初めて店員が気づくというケースは依然として珍しくない。伝言ゲームの多い店ほどその傾向が強く、そのつど紙に書いて✔印を入れている店ほどミスが少ない。

為替レートの話

20141222日現在、1ドルは119円、1ユーロは146円という為替レートになっている。「なっている」というのは、国際市場での各国通貨価値への、素人では読み切れない思惑ゆえの言い回しである。いずれにせよ、海外に何かを売る場合は円安が有利であり、海外から何かを買う場合は円高が有利である。ぼくたちが海外へ旅する時、円高であれば安く上がるし、円安だと高くつく。

20096月西海岸に滞在中の相場は円高であった。1ドル80円ちょっと。1ドルを買うのに今なら119円が必要だが、当時は80円で1ドルが買えた。1ドルが39円も安かったのである。わかりやすくたとえると、当時8,000円で泊まったホテル代が今だと11,900円に上昇したということだ。物価が上がったのではない。円がドルに対して価値を減らしてしまったのである。

国境を越える際には円を行き先の通貨に交換しなければならない。その交換レートが日々変動しているのである。「労働、土地、貨幣を商品視するのはまったくのフィクションである」(カール・ポランニー)という主張がある。相場によって貨幣価値は上下するが、その差益で儲けようという魂胆を戒めている(もちろん、同時に差損リスクも潜んでいる)。貨幣で買うべきは貨幣ではなく、モノでなければならないというわけだ。


過去10年でぼくはヨーロッパに5回旅している。その時々の円‐ユーロの交換レートは次の通りである。

20033月   120円台後半
200610月 140円台後半
20073月   150円台前半
20083月   150円台後半
201111月 105円前後

推移をざっと見ればわかる通り、1ユーロに対して円安と円高時には50円の差がある。

札入れに入った100ユーロ

ぼくの海外歴の中でもっとも円が強かった201111月。当時、50万円をユーロに交換した。手数料を度外視すれば4,762ユーロに相当する。バルセロナとパリに旅したのだが、カード決済もあり、手元にユーロがいくらか残っている。現在は当時よりもかなり円安だから、1ユーロにつき40円の差益が出ていることになる。もし手元に1,000ユーロあれば、4万円ほど得した計算になるのだ。

1万ユーロなら40万円、10万ユーロなら400万円……と桁数を増やしていくと、人は色めきたつ。欲望が為替相場を動かしているのである。ぼくの差益などささやかなものだが、これとて、今海外に出ればメリットがあるが、旅行にはタイミングつきものである。どちらかと言うと、ぼくは円安の時期に旅をしてきたが、別に悔しくも何ともない。円高で得した、円安で損したなどと言うが、年がら年中世界を股にしているビジネスマンにとってはそんなことに一喜一憂していては海外出張などできない。

こんなことを綴りながらも、たとえばイタリアで3年前に飲んだエスプレッソ一杯1ユーロは、今も1ユーロなのである。イタリア人がエスプレッソを飲むときにユーロ高やユーロ安などは考えない。ただうまいコーヒーを飲むだけだ。旅人は「前回は105円だったが、今は146円か……」とつぶやく。為替レートに引きずられていてはせっかくの一杯を飲む愉しみも半減する。

タレですか、塩ですか?

ことばの扱い一つが社会の文脈の中で決定的になることがある。軽い発言が思わぬ波紋を広げたり、表現が誤解されて致命傷になったりする。対話では、双方が織り成す文脈において、議論が合意に向かおうが対立に向かおうが、波長を合わせる努力は欠かせない。何についてどう感じているのか、そして何を言うのかに怠慢であってはならないのである。

なにも社会的文脈などと大仰に構えることもない。もっと身近な日々の生活、たわいもないやりとりの中でも実感する。ロジックということばを持ち出したりすると、難しい話だと思われるが、即興の会話の中でも底辺にロジックが横たわる。きみがそう言うからぼくがこう応じ、ぼくがこう応じたからきみが次にこう言う……というのは、最初の発言が前提となってつながる様子そのものではないか。即興とは特殊であり、一回きりのものである。相手が誰であるかに構わずいつでもどこでも同じことを言うのはアルゴリズムであって、そんなものは文脈を読まない音声合成マシーンか、社交辞令好きに任せておけばいい。

もっとわかりやすく言えば、相手のことばを今まさに生まれ出たことばとして取り扱わねば、自分が発することばにも〈いのち〉がこもらないのである。若者に「きみには尊敬する人がいるか?」と尋ねたら、彼は「人生、出合う人はみんな師です」と答えた。そんなことを聞いてはいない。そんな答えを返されると、それ以上ことばを継げないではないか。「尊敬する人ですか。ええ、いますよ」「それは誰?」「吉田兼好です」「へぇ、渋いところに行くねぇ。それは、またどうして?」……という具合にロジックが通ってほしい。


焼鳥屋

二十数年前になるだろうか、大阪の郊外に住んでいた頃の話。地下鉄からJRに電車を乗り継ぐ時に焼鳥屋に寄ることがあった。場末ということばがぴったりの路地裏の店である。一度目は店主の手際のよい仕事ぶりが印象に残った。二度目にはその手際の良さが客とのやりとりの中から生まれていることに気づいた。

ある客が「キモと皮を一本ずつ」と注文する。店主は間髪を入れずに返事しない。絶妙のがあって、「キモはタレですか、塩ですか?」と聞く。客が「タレ!」と発し、次いで「皮はタレですか、塩ですか?」とつなぎ、客が「塩!」と答える。三種類注文すれば、三回聞き返されるのである。

店主は「手羽はタレ? 塩?」などと手抜きせず、相手が常連なのに「手羽は塩ですか、タレですか?」とていねいに聞く。常連もちゃんと心得ている。「塩でお願いします」などと野暮は言わず、まるで合図のように「塩!」と威勢よく答える。「せせりはタレですか、塩ですか?」「塩!」……ト書きを省いて書けばこんな具合になる。これをぼくはロジックと表現したまでである。そう、ロジックにはリズムがあるのだ。

ある日、「ロジック崩し」をしたくてたまらなくなった。タイミングを狂わせたり、ことばをオーバーラップさせたりという程度のお茶目ではない。「ハートとキモ一本ずつ。ハートは塩、キモはタレで」と一人で完結するという暴挙に出たのである。店主はぼくに視線を投げ、うつろなまなざしのままフリーズした。その後の店主の調子はいつもとは違った。ロジックの崩れかたはぼくの想像以上であった。ロジックはたぶん折れたのだった。そして、その日がこの店にお邪魔した最後の日となった。

透明な‥‥‥

午前中に衣類の入れ替えを済ませた。その後、ランチも兼ねてしばらく外出した。身体が気だるく、帰宅後はごろんとしていた。衣類の片付けが済んでも、半年以上積み放題にしてきた四つ、五つの本の山はそのままである。所在なさげに山々を虚ろな視線で舐める。電源がオンのままのパソコンの画面に向き、iCloudをクリックした。

アルバム内をうろうろしているうちに、20111121日の写真に行き着く。一枚の人物写真。よく晴れわたった日ではあったけれど、陽光が眩しかったわけではない。なのに、その人物は癖のせいか陽射しを気にするようにやや目を細めている。ジーンズに半コート姿、左手をそのコートの左ポケットに浅く入れている。肩から小さなバッグを斜めに掛け、Lumixのカメラを首から吊るしている。その写真に収まっているのは、ぼく自身である。


パリよりも緯度が高いブリュッセル。少々底冷えしていた。透明感のある空気。ついでに時間も透明だった。切手がなかなか手に入らない、国際切手を置いていないところが多い……そんな話を以前ブログに書いた。

運よく切手を売っているタバコ屋があり、その店でついでに絵はがきも買った。カフェに入り、カフェベルジーノを飲みながら、ささっとボールペンを走らせた(……) 近くのパッサージュのような通りに郵便ポストがあると聞いたので、投函しに行った。
そこにあるポストは壊れかけたような代物で、無事に集配してくれそうな雰囲気がまったくない。通りがかりの学生風の男性に聞いたら、これがポストだと言う。「だけど、一日に一回、午後4時半の集配だけだから、明日になるね」と付け加えた。
時計は午後5時を回っていた。一日後の集配になるわけだし、何よりも信頼を寄せられない雰囲気のポストだ。と言うわけで、絵はがきを書いたという証明のために投函前に写真を撮ったのである。だから、消印が押されていない。

当時の様子を綴ったブログが、絵はがきを、郵便ポストを、カフェを、街角を、人の流れを彷彿とさせる。ここに先の自画像のような写真が加わって、ちょっとした回想物語を観劇しているような気分である。その後、飛行機雲の写真も出てきたし、その写真をデジタル的にアレンジした絵を一年前に作成したのも思い出した。何かしら透明なのである。けれども、「透明な」に続くことばを探しあぐねている。

飛行機雲 ブリュッセル webKatsushi Okano
ブリュッセルの飛行機雲
2013
Digital processing

ジョークの使いどころ

ある高名な国際ジャーナリストが、世界で活躍するジャーナリストに欠かせない条件を語ったことがある。言うまでもなく、筆頭は語学である。三つ目が楽器が弾けることで、これには少し驚いた。語学の力だけでいかんともしがたい場の潤い、空気の緩和にピアノかギターを奏でるといいと言うのである。なるほど。だが、ピアノやギターはどこにでもあるわけではないから、つねに携帯するなら現実味があるのはハーモニカだろう。そう考えて、ぼくはハーモニカの独習に励んだことがある。

そう、ぼくは高校と大学の一時期、国際ジャーナリストに憧れたことがあるのだ。英語ディベートを通じて語学に励んだのも、語学学校で教え研究したのもそんな動機ゆえであった。ところで、3条件の二つ目がジョーク。「ジョークに強くなれ」とは弁論術や人間関係論では古典的セオリーなのである。もちろん、どんなジョークでもいいわけではない。TPOをわきまえなければならない。と言うことは、かなりの在庫を抱えておく必要がある。だから幅広く読んだ。読むだけでは再現できないから、自分流の表現やシナリオに変えて覚えた。実は、ぼくが一番よく読んだ書物のジャンルはジョークやユーモアに関するものだ。

ジョークという芸が身を助けてくれたことがよくある一方で、こけた経験も数知れず。仕込んだネタが予想通りの笑いを誘わなければこれほど惨めなことはない。ジョークは切り出し方、話し方、間の置き方で天と地の差が出る。ぼくのジョークを誰かがそっくりそのまま使っても功を奏するとはかぎらない。けれども、話し手の技術だけでジョークは完結しない。相手の教養や想像力も反映する。これを逆用する。「ジョークを笑えるかどうかであなたがたの教養が試される」と言ってからジョークを放つと、分からなくても分かった振りをしてみんな笑う。見栄っ張りの集団では効果てきめんである。


では、一つジョークを披露しよう。あなたは試される。

脚を組む

ある日、学生と教授が雑談していた。熱弁中の先生が脚を組むとズボンの裾が上がり、靴下が目に入った。よく見れば、右足のソックスが青、左足のソックスが赤である。
学生は教授の話が途切れたところで尋ねた。
「先生、色違いのソックスなんて、ずいぶん変わってますねぇ」
問われるのに促されて、教授は左右の足元に目を落とす。
「そうなんだよ、きみ。わたしも変なソックスだと思っているけどね、家にはこれと同じものがもう一足あるんだよ」


さて、冒頭の国際ジャーナリストの話。自他ともに認めるかどうかは知らないが、自分だけの評価に限定すれば、一応ぼくは語学、ジョーク、楽器という、国際ジャーナリストの3条件をある程度満たしたことになる。しかし、二十代前半のその時点でぼくのその職業への憧れは消え失せていた。以来三十有余年を経て今に至る。語学とハーモニカは錆びつかないようにたまに口慣らしする程度だが、ジョークのねたはせっせと仕入れユーモアセンスを磨くことには精進している。よほど相性がいいのだろう。

日曜日のオムニバス

いつもテーマを意識して文章を書く。キーボードを叩き始めた今、特に明快なテーマはない。テーマはないが、動機はある。動機がなければ誰も文章など綴ろうとは思わない。ふと、先週の日曜日を振り返ってみることにした。そして、タイトルの欄に「オムニバス」と書き込んだ。

オムニバスと言えば『昨日・今日・明日』である。ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニの伊仏合作映画。初めてオムニバスということばを知った。「乗り合い馬車」という意味。転じて、いろんな断片話を組み合わせて一本にする物語の手法として使われるようになった。そうそう、そんな形式で今書こうとしている。余談になるが、この二人の名優の『ひまわり』はやっぱりいい映画だったと思う。

ムクドリたちの朝

その日曜日の朝はムクドリに始まった。ムクドリの一般的な生態などよく知らない。ぼくの知るムクドリ――つまり近場に棲息するムクドリ――は、いつも縄張り争いをしていて気性が激しい。ビルの空気孔を奪い合う。あなの数は限られているからそうなるのだ。向こう側のビルからぼくのマンションを見たら、同じような争奪合戦が見えるのかもしれない。

モール内の書店をぶらついた。数社の図書目録をピックアップする。当然無料。めったに行かない棚の前を通りかかる。目に飛び込んできたのが『太宰は女である』という書名。手に取らずに内心つぶやく、「その通りだ」。十代・二十代で近代・現代文学全集に収められていた小説はほとんど読んだ。だから『斜陽』や『人間失格』など太宰治の作品も読んでいる。女性に熱心な読者が多いのもわからないでもない。ぼくは無駄な時間を潰したと思っている。「太宰は女だったのか……そうかもしれない」と繰り返す。

「ビストロソウル」という、コンセプトのよくわからない韓国居酒屋がある。ドアに手書きポスターが貼ってあり、「キムチ、お持ち帰りできま~す!!」と書かれている。「できま~す」というゆる~い表現にダブル感嘆符(別名「二つ雨だれ」)がミスマッチなのである。店に入ったことはないが、ハートマークでよいのではないか。

彼は理性があるのに理性を発揮できないで苦しんでいる。彼は常識と良識の違いを知らない。常識というのは世間一般に属するものである。世間だから、納得するしないにかかわらず、気にしなければならない。良識とは人としての理性に基づくものである。常識に迎合するのではなく、己の理性と良識に自信を持てばいいのだ……こんなメールを送った。

二十代の終わりに一年間無職だった。その頃に書いた短編小説がどっさりと出てきた。数編読んでみたが、まあ普通の文才と言わざるをえない。大半が未完である。根気がなかった。

チップとサービス料

最近はあまり聞かないが、以前は「ローマのレストランでぼったくり!」というようなニュースをよく耳にした。イタリアには5回旅して20以上の街を訪問、幸いにしてレストランやタクシーでぼったくられたことはない。ヴェネツィアのレストランでチップを置かずに店を出ようとしたら、「チップをよこせ!」と高圧的に迫られたことが一度だけある。チップをせがんだという理由だけでぼったくり扱いできないが、彼らにとって日本人は気前のいいお客さんなのだろう。ぼったくりで生計を立てるなら、ぼくも日本人をターゲットにする。

イタリア語でチップのことを「マンチャ(mancia)」と言う。渡す側が使うと横柄に聞こえるかもしれない。テーブルチャージは「コペルト(coperto)」で、だいたいカゴに盛ったパン代になっている。これも客側はあまり使わない。サービス料は「セルヴィーツィオ(servizio)」。お勘定の「イル・コント(il conto)」と並んで、このことばは客側が使う頻度も高い

気に入ればチップを置くのをためらわない。だが、サービス料込みの食事をしたのにさらにサービス料を上乗せされるのはたまらない。だから接客係に“Il conto, per favore.“(お勘定してください)と告げた後に、”Il servizio é incluso?“(サービス料は込み?)と必ず聞く。通常は含まれていることが多いので、わざわざ聞く必要がなさそうだが、それでも聞く。やりにくい客と思われてもいい。こう聞いておけば、接客係もぼったくりしにくくなる。


と書いたものの、過剰な心配は無用。観光地の例外的な悪徳業者を除けば、イタリアの店はおおむね誠実であり店員もフレンドリーで、楽しく食事ができる。上記のサービス料のことと、あとはチップのことを少し知っておけば十分である。旅行ガイドには型通りのチップの心得が紹介され、ほとんどがチップを渡すという前提で書かれている。実は、必ずしもそうではない。

1euro italy
ダ・ヴィンチの人体図が刻まれたイタリアの1ユーロ硬貨。

たとえば、エスプレッソ一杯をテーブルで注文する。運ばれてきた時に勘定を済ませるので、飲み終えたらいつテーブルを立ってもいいわけだ。店と給仕ぶりが気に入ったら、日本円で20円か30円ほどテーブルに置けばいい。イマイチと思ったらそのまま立ち去ればいい。食事の場合はすべて終わった時点で「お勘定」と告げる。レジへ行かなくても、テーブルに着席したままカードで決済するか現金で支払う。これまた、気に入ればチップを置けばいいが、サービス料が含まれているのなら、敢えてチップをはずむことはない。

ローマのとあるオープンテラスで食事をした時、食後に「お勘定」と接客係に告げ、例によって「サービス料は込み?」と聞いた。彼は苦笑いしてうなずいた。観光地のど真ん中で元々料金設定が高いから、勘定を済ませてお釣りを受け取り、チップは置かなかった。セレブな旅行者ではないので、食事のたびに気前よく振る舞うわけにもいかないのである。

但し、チップには独特の商習慣や雇用事情が背景にある。少なくとも、過去にはあった。そのことについては別の機会に書くことにしたい。

ハイボール

ハイボール2

ウィスキーを炭酸水で割った氷入りの飲み物をハイボールと呼ぶ。

小遣い不足で喘いでいた二十代前半、先輩に場末のスナックバーによく連れて行ってもらった。先輩には仕事熱心な人が多かったので、ぼくから飲み食いをねだらなくても、仕事の話があるからと言ってよく誘ってもらったものである。

そこで「ボトルキープ」なるものを知る。金を払ってボトルを店に置いてもらうこのしくみをなかなか理解できなかった。まだウィスキーがうまいと思っていなかった頃で、「水割りでよろしいですね」と言われるまま飲んでいた。酒は飲めなくはなかったが、一杯乾して二杯目から酔いが回り始めていたから下戸の類だった。ある先輩はハイボールしか飲まなかった。一度勧められて飲んだが、水割り以上にうまいと思えなかった。ハイボールという語感もぼくには安っぽく響いた。

三十半ばで起業して付き合いも増え、徐々にウィスキーの水割りが三杯、四杯と飲めるようになる。元来ビールとの相性があまりよくなく、焼酎も水割り以上にうまいと思ったことがなかった。当時はワインもひいきではなく、消去していくとウィスキーしか選択肢がなかった。やがてバーボンが気に入るようになり、もっぱらバーボンの水割り。ストレートやロックにはめったに手を出さなかった。


かつてオヤジたちが飲んでいたハイボール。今では愛飲者の年齢も若くなった。コマーシャルのせいもあるだろう。バーボンの水割り一辺倒だったぼくも、ウィスキーと炭酸水の銘柄をあれこれと変えてハイボールを飲み比べするようになった。「とりあえずビール」という形式を好まないので、グループでの外食時も敢えて一杯目からハイボールを指名する。二十代の時に比べたら賞味力は大幅にアップしているはず。

ぬるいハイボールは困るが、冷えすぎると味が薄っぺらになる。あくまでも好みだろうが、グラスに氷を山盛り入れてウィスキーの瓶そのものをキンキンに冷やすという、S社のハイボールの作り方にはなじめない。最近、イメージキャラクターのH.Iにも共感を覚えない。炭酸を注いでからマドラーで「かき混ぜ過ぎちゃダメ」とか、「濃いめが好きな人は濃いめでどうぞ」など、余計なお世話である。強い炭酸なら少々混ぜるのもよし。それに、自分で作るのだから、薄いのが好きなら薄めで飲み、濃いのが好きなら濃いめで飲むのは当然だ。

とは言うものの、ウィスキーの銘柄以上に氷、炭酸、配分・作り方がハイボールの決め手になるとつくづく思う。AランクのウィスキーのハイボールがX店で味気なく、CランクのウィスキーのハイボールがY店で極上ということは常である。極上の店の技には及ばないが、下手な店で飲むくらいなら自分で作って飲むというのが最近のモードになっている。

旅先のリスクマネジメント(7) その他もろもろ

料理関係に著書の多い玉村豊男が、ある本でトルコ人の親切な男に抱いた心情を書いている。

数日間をともに過ごしたその男について最後まで疑念を払拭できなかったとしても、それは止むを得ないことだ、と自己弁護したくなるのだけれど、やはり胸を開いて接してくれたあのホスピタリティーに対してはこちらも全幅の信頼でこたえるべきだった。悪いことをしたと思う。 

こう書いた後に、「他人を信用し過ぎると失敗することがある。他人を信用しなければ友人はつくれない」と結んでいる。

イタリアの似顔絵.jpgフィレンツェで寄付を求められ、署名して少額だけ渡したことがある。広場に大きなテーブルを並べて数人で大々的にやっていた。結論を書くと、公式の団体だった。しかし、いつまでも騙された気分を引きずっていた。

カフェに入って店員やお客の似顔絵をスケッチしていたら、みんな悪徳的な魂胆の持ち主に見えてきた。信用するかしないかの二者択一でないことは承知している。信用度にはグラデーションがあって80とか30などの評定をするべきだ。だが、数日間の長い付き合いなどは稀だから、初対面の相手には信よりも疑から入っておくのが自己責任の取り方なのだろう。

バルセロナで遭遇した署名運動グループは明らかに詐欺集団だった。「この施設は階段しかない。年寄りや障がい者のためにエスカレーター設置運動をしている」というような調子で署名を求めてくる。記帳させると寄付金を要求するというお決まりのコース。「ノー」と突っ張ってもしばらくは数人が付きまとってくる。身の危険を感じることもあるだろう。面倒だと思うのなら、署名の時点で拒否しておくべきである。要するに、見知らぬ者とは接点と時間をいたずらに増やさないことだ。これに比べれば、メトロやバスで遭遇するスリ集団は明らかにその方面の連中だとわかるから、きちんと用心をしていれば被害を防げる。特にパリでは十代半ばの可愛い女子三人組が多いので、すぐにわかる。近づいてきたら突き飛ばせばいい。場合によっては叫べばいい。


日本でタバコを喫わなくても、旅に出るとちょっと一服したくなる時がある。パリの街角で一本喫っていたら、移民系の黒人男性が近づいてきて「火を貸してくれ」と言う。ライターで点けてやると、尋常ではないほど感謝され、「お礼のしるしだ」と言ってバッグからワインのボトルを取り出して手渡そうとする。受け取ると金をせがまれる。いや、もしかすると、ほんとうに善意なのかもしれない。だが、受け取ってはいけない。「ありがとう、でもワインは飲まないんだ」と言い捨てて場を去る。もし気持ち悪ければライターの一つでもくれてやればいい。

公共交通についてはいくつか紹介してきたが、ほとんどのリスクやストレスは異文化への無知に起因する。メトロに時刻表などない。冷静に考えれば、分刻みで発着する地下鉄に時刻表を用意しないほうが理にかなっている。扉は勝手に開閉しない。地下鉄の駅工事をしていてもアナウンスはない。お目当ての駅に停まらず通過してしまう。自ら問いを発しなければ、地上でバスの代行運転があることを知りえない。日曜日にバス停に行って初めて日・祝日が運休であることを知る。途中乗り換えのある長距離バスでは、降りたのはいいが次のバスに乗る停留所が見つからない。うんと離れていたりする。何人もの人に聞いてやっと見つかるといった調子である。とにかく、利用者や旅行客に提供される情報量が圧倒的に少ないのである。

バッグを引ったくられて警察へ届出に行けば長時間待たされる。語学ができなければさらに待たされる。置き引きの被害に保険は下りない。ぼくはミラノのホテルで置き引きに近い盗難に遭い、時間がなかったのでローマに移動してから警察で手続きをした。今だから書くが、置き引きを引ったくりに、ミラノをローマに脚色して申請したのである。

待合室は旅行者で溢れかえっている。自分のことを棚に上げて、よくもこれだけ大勢が被害に遭うものだと驚いた。半時間ほど待ってやっと警察官が入ってくる。「イタリア語または英語のできる人?」と聞くから、一番に手を挙げた。そして、一番に対応された。イタリア語で説明し書類の該当箇所を埋めたり書いたりして、スタンプをもらっておしまい。遅くやって来て一番最初に申請できたという次第。黙っていてはいけない。


危ない思い出は他にももろもろあるが、旅先のリスクマネジメントの話は今日で最終回としたい。いろいろと困り事を書いてきたが、機嫌よく旅に出ようと思い立った人を脅すつもりなどさらさらない。体験してみれば、ユニークなエピソード、しかも笑い話で振り返ることができるものばかりだ。日本にいてもどこにいても、自分の思い通りに事が運ぶことは稀である。社会にはそれぞれの文化的風習的構造というものがある。そして、真に危ういのは旅先のほうではなくて、自分中心の安全安心感覚のほうなのである。
己の無知に気づき苦笑しよう。そうして人は成長する。パッケージツアーに慣れ親しめば、人任せで楽には違いない。だが、個人旅行は酸いも甘いも見える貴重な機会を授けてくれる。何よりも自分のシナリオを四苦八苦しながらも一つ一つ実現していく旅程になることは間違いない。

旅先のリスクマネジメント(6) トイレ問題

学生の頃からの個人的な理由があって、ぼくの旅先はほぼヨーロッパ、とりわけイタリアとフランスに集中している。たわいもない理由なのでここで公にするほどでもない。何かの機会があればいつか書いてみるかもしれない。ともあれ、他の国へも少々旅はしている。イタリア語と英語はまずまずなので、語学が苦手な人に比べれば危機回避の術は少しは長けているはず。それでも、独学で少し齧ったフランス語、ドイツ語、スペイン語のほうは、絶対的なリスニング量が少ないから、たかが知れている。出掛ける直前または現地に行ってから、使う可能性の高そうな表現のみを集中的に覚えて凌いでいるのが実情だ。

旅行会話集の類は場面を幅広く網羅しているから、何もかも覚えようとしても無理である。挨拶と道や場所の尋ね方、それに料理の注文方法の3章だけを押さえておけばいい。買物好きにとっては数字の聴き取りはかなり難しいが、必須だろう。また、会う人のほとんどが初対面なので、「お元気ですか?」に出番はほとんどない。

ところで、語学はまったくダメという人でも、絶対に覚えておくべき必須表現が一つある。それは、「すみません、トイレはどこですか?」である。街中であろうとカフェやレストラン内であろうと、この言い回しの頻出機会はとてつもなく多い。
 
欧州の旅ではトイレ探しにかなりの時間とエネルギーを費やすことになる。ぼくは決して頻尿ではないが、あちらの連中に比べると日本人はトイレが近いような気がする。外出すると喉がよく渇くのは、湿度が低くて空気が乾燥しているせいかもしれない。ミネラルウォーターが安いから部屋にいてもよく飲むし、食事の折にも当たり前のようにワインと水を飲む。水分摂取は間違いなく増える。加えて、公衆便所が極端に少ない。モールやデパートでさっさと用を済ませるわけにもいかない。広い駅でもトイレの場所は一ヵ所にしかなかったりする。しかも、そのトイレの場所を探すのが一苦労なのである。探し当てたと思ったら、そこが有料トイレ。そう、だから「トイレはどこ?」とセットにして小銭をいつも携えておかねばならない。紙幣をくずすために売店で水を買って飲むと余計にトイレが近くなってしまう。
 

有料トイレのレシート.jpgこの写真は50ユーロセントと手書きされた有料トイレの領収書である。スタンプで番号を押してあるが、単なる事務処理用であって、その番号のついた便器へ行けという意味ではない。入口で当番しているおじさんかおばさんにお金を先払いし、レシートを受け取って改札を通過する。駅に改札がないくせに、トイレにはちゃんと設けてある。こんな領収書をもらっても申告できるわけでもあるまいが、いつもの癖で財布に入れてしまう。半月も旅したら56枚はたまる。なお、男性よりも女性のトイレ代のほうが料金が高い場合もある。
 
急に尿意をもよおした。長時間探しているうちに漏らしそうになる……大いにありうる話である。こうなると、フランスならカフェに、イタリアならバールに行ってコーヒーを注文するしかない。現地の人は店のどこにトイレがあるか知っているから、店に入っても飲み物を注文せずにさっさと用を済まして出て行く。旅の異邦人はそういうわけにもいかない。我慢の限界であっても、エスプレッソを頼んでぐいっと一杯飲み干し、バリスタに「トイレはどこかな?」と聞く手順を踏まねばならない。
「そこ」とか一語で指を差されて「そこ」を目指しても、推測した「そこ」にトイレが見つからないことはよくある。隠れ家みたいになっていたりする。「突き当りの左に階段がある。そこを降りて正面だよ」などと説明されるのはありがたいが、語学オンチにはこれがまた大きな負荷になるだろう。やっと無事にトイレに入ったら、今度は鍵のかけ方がわからない、水を流すボタンの位置がわからないなどは当たり前。おまけに、怪しい先客がいないかの用心も欠かせない。天井から釣り下がっている紐などを下手に引っ張るとブザーが鳴るから要注意だ。
 
有料トイレ スイスフラン.jpg
イタリア語圏のスイスの街に行った時の話。言葉は困らなかったが、トイレで困った。外出中はめったにないことなのだが、その時は便意をもよおした。トイレの場所を聞いて駆け込んだ。係はいないが、ドアのノブの下に硬貨を入れて中に入る有料トイレだった。数字が書いてあるので、ユーロ硬貨を入れるが返却口に戻るばかりで、ドアは開いてくれない。ノックをしたが中はどうやら空いている。血迷った眼でよく見たら、ユーロではなくフランだった。そうか、イタリア語圏だけれど通貨はスイスフランなんだ……。
 
限界を感じながらも息せき切って両替カウンターへ走り込み、50ユーロ紙幣を差し出してフラン紙幣に替えた。その紙幣を握りしめて売店へ行き、キャンディか何かを買って小銭でお釣りを受け取った。再びトイレに戻り、震えの来ている指先をもどかしくも制御して硬貨をつまみ、投入口に狙いを定めて放り込んだ。ドアが開いた。まるで「開けごま」と祈る思いであった。スイスフランなど手元にあっても仕方がないから、乗り物と飲食に使いきった。手元に残ったのがこのコインである。帰国後しばらくは、このコインを見るたびに条件反射的に便意を催したものだ。