“Retrospect”という発想

インドの切手.JPGタイトルの“Retrospect”は「回想」とか「回顧」であって、どうひねって解釈してもそこから「発想」という意味などは出てこない。けれども、発想にしても何かを前提にしているはずではないか。何かを起点にして新しいことを考えるのが発想ならば、その何かに過去を振り返ることがあってもいいだろう。回想を「時を越えた脳内情報のシャッフル作業」ととらえてみたい。

机の引き出しから使用済みの切手が出てきた。すべてインドの切手だ。自分のものだから、もちろんどのようにして手に入れたか覚えている。時は大阪万博が開かれた1970年、ぼくは大学一年だった。英語研究部に所属した直後から万博会場に足を運び、パビリオンのコンパニオンに強引に話しかけて英会話の武者修行をしようと思い立った。結果的には、開催期間中に18回も訪れたのである。
ある日、チリのパビリオンに入館した。その際に話しかけたコンパニオンはインド人女性だった。彼女の父親はチリのインド大使館員であり、彼女もチリに在住していた。応募して受かり大阪万博会場に派遣されたのである。ところで、初対面の外国人と特段のテーマもなく話しかけて会話を続けるのは決して簡単ではない。話などすぐに尽きてしまう。だから、月並みだが、趣味について聞く。彼女の趣味は切手蒐集だった。ぼくの切手蒐集は中学一年に始まって数年で終わっていたが、しっかりコレクションをしていたので、次回訪れるときに交換しようと申し出ておいた。

切手蒐集の経験があればわかるが、ぼくの中高生時代、わが国ではシート単位で買う人が多かった。そして、未使用のほうが使用済みよりも価値が高いのが常識である。ところが、ぼくが彼女からもらったインドの切手はすべて消印のある使用済みであった。ガンジーやネールの顔は見慣れていたが、その他のものはすべてなじみのない絵柄。まっさらな切手を差し出し、汚れた切手を受け取ったとき、正直言ってガッカリだった。そして、おもしろいことに、彼女にとっては未使用切手にはほとんど価値がなかったのである。第三者から見れば、苦笑いしながらの切手交換光景だったに違いない。
万博も閉会した後日、もらった切手を眺めながら考えていた……ぼくのコレクションしている切手は発行枚数が劇的に増えた東京オリンピック以後のものである、どこででも買えるだろうし誰でも持ちうるものである、だが、彼女からもらった切手はインドの家族や知人からチリに住んでいる彼女に送られてきた世界に一つの手紙に貼られスタンプを押された固有のものである……そうでなくて、彼女が買い求めて収集したものだとしても、彼女はお金持ちの令嬢である、もしかすると目の飛び出るような価値の切手かもしれない……こんなことを思い、手元に残し、40年間取っておいたのである。
懐かしい切手にまつわる体験を回想しているうちに、高度成長期の日本、生活、事変が甦る。知らず知らずのうちに、今の自分、今の日本と当時の自分、当時の日本を比較している。一冊や二冊の新書を読むのとはわけが違う質と量で、ぼくは過去を読んでいる。そして、そうすることが明日への洞察に相当力を発揮するのではないかと思うのである。回想は発想の一つなのだろう。そして、点の寄せ集めにしか思えない小さな体験が一つの線に変化していく手応えを感じる。

ブリュッセルからの絵はがき

20111121日。午前10時過ぎ、パリ北駅から特急タリスに乗ってブリュッセルへ。日帰りの旅だ。

パリと同じくらいの温度だったが、少々底冷えしていた。すぐに電車やバスに乗ると身体が温まらないから、こんな時ほど歩くに限る。街の中心街の歴史地区までは地下鉄に乗ったが、あとは数時間あちこちをそぞろ歩きした。

これに先立つ1週間前のバルセロナ、さらに3日前にパリに着いてからも絵はがきを書いていないことに気がついた。友人や親類には書かないが、海外に出ると、留守番をしているスタッフには便りをするようにしている。ここまではがきを投函しなかったのは、他でもない、切手が買えなかったからだ。


ブリュッセルからの絵はがき.JPG

切手などどこででも売っていそうなものだが、実は、スペインでもフランスでもワインを買うよりもむずかしい。もちろん郵便局で買い求めればいいが、郵便局があちこちにあるわけではない。ふつうはタバコ屋で買う。だが、国際切手を置いていないところが多い。

運よく切手を売っているタバコ屋があり、その店でついでに絵はがきも買った。それでカフェに入り、カフェベルジーノを飲みながら、ささっとボールペンを走らせた。たわいもないことしか書いていないので、クローズアップされると恥ずかしい。近くのパッサージュのような通りに郵便ポストがあると聞いたので、投函しに行った。

そこにあるポストは壊れかけたような代物で、無事に集配してくれそうな雰囲気がまったくない。通りがかりの学生風の男性に聞いたら、これがポストだと言う。「だけど、1日に午後4時半1回きりの集配だけだから、明日になるね」と彼は付け加えた。時計は午後5時を回っていた。翌日の集配になるわけだし、何よりも信頼を寄せられない雰囲気のポストだ。と言うわけで、絵はがきを書いたという証明のために投函前に写真を撮ったのである。だから、消印が押されていない。

この絵はがき、投函日の4日後には大阪に着いていたらしい。つまり、集配してから3日後というわけだ。みすぼらしくて頼りないポストだったが、ブリュッセルの郵便局、案外しっかりしているではないか。