蒼ざめる彼がいた

地下鉄の車内。ぼくの前、一列の座席に6、7人が座っている。そのうちの半数が携帯電話を触っている。車内をざっと見渡せば、34割が画面を見ているようだ。メールかゲームかツイッターかのいずれかに違いない。リベラルに考えるほうなので、マナーがどうのこうのと目くじらを立てない。一人で移動中なら本を読むのも瞑想するのも携帯を操るのも大差はない。

少々残念に思うのは、家族連れなのに、子どもそっちのけでメールに没頭している親の姿。それに、二人でいるのにそれぞれが携帯を眺めているという光景。会話することもないのなら、一緒にいる必要などないだろう。かく言うぼくは、出張で長距離・長時間の車中ではほとんど読書をするか何かを書いている。時々うたたねをし、時々携帯で将棋をする。しかし、アプリの対戦相手であるコンピュータは上級モードでもあまり強くないので、すぐに飽きてしまう。

相談をよく受ける。ぼくから招くことはほとんどなく、たいて相手から相談事があると言ってオフィスにやってくる。ほんの半時間のうちに相手の携帯が二度三度と鳴る。メールの音、着信の音。「ちょっとすみません」と言って部屋を出て応答しても、ぼくは顔色一つ変えないで戻るのを待つ。着信音が鳴り遠慮して応答しなければ「電話に出てくださいよ」と促す。話に熱が入って予定の時間を過ぎると、相手は部屋の時計にちょくちょく目をやる。おそらく次の予定の時間が迫っているのだろう。「今ここに集中できない、気の散る人だなあ」とは思うが、知らん顔している。


電源オフかマナーモードに設定するのを失念して、講演や研修の最中に携帯を鳴らせてしまう人もいる。案外多いもので、三回に一回の割合だろうか。こんな時もポーカーフェースで話し続ける。携帯の音に負けないようにほんの少し地声のボリュームを上げる。と、こんな話を知人にしていたら、その知人もほとんどの場合意に介さないと言う。ぼくも知人も寛容の人なのである。但し、この知人は同一人物に対しては二度までしか許容しないと付け足した。

業者さんの一人で、若手だがなかなか見所のある男がいたらしい。気に入ったので応接室に招き、談話をした。かかってきた電話にその彼はそのつど応対したらしい。知人は別に何とも思わなかったと言う。次に会った時にランチに誘った。その時も一度だけだが、席を立ってレストランの外へ出て電話に応答したようだ。ランチの最中に数分間中座したので、「食事に誘われていながら……」とは思ったが、「まあ、いいか」と思い直した。

後日。いい仕事もしてくれるので、行きつけのちょっと高級感のある小料理店に連れて行った。知人は極力仕事とは関係のない世間話や自分の経験談を肴にした。若い男も料理の三品目くらいまでは問いかけたり身の上話をしたりしたそうだ。しかし、ふいにスマホを取り出して、「すみません、ここは何という店ですか?」と尋ねてツイッターをし始めたというのである。三度目の正直、知人は切れた。「顧客と飯食って会話している時に、携帯に触るな!」と一喝した。状況を飲み込めず、呆然と蒼ざめる彼。

その後の取引関係がどうなったのか知らないが、知人は「過去形」で語っていたので、だいたいの見当はつく。ぼくは同じような場面でこのような一事が万事の行為をめったに取らないが、知人の対応に理不尽を唱えることはできない。いや、むしろ共感する次第である。携帯やスマホが悪いのではない。「心ここにあらず」が目の前の人に失礼なのだ。

エレベーターの話、二題

もう10年近く前の話である。「エレベーターには不思議な法則があるんですよ。ビル内の二基のエレベーターは、たいてい仲良く並んで上下します。若干の差があるにしても、一基が5階、もう一基が6階というふうに動くのです」と知人がつぶやいた。「そんなバカな!」とぼく。「いつもとは言いませんが、だいたいそうなんです。それに……」と言って、もう一つの法則を示した。「1階から乗ろうとしたら、二基のエレベーターがいずれも地下へ向かっているか、7、8階あたりで並んでいます。」

エレベーターに意思があるはずもない。左側と右側の二基が結託しているとも思えない、また、いつ何人の客がどの階でボタンを押して乗ってくるのかをエレベーターが予知する必要などない……と適当に聞き流しておいた。しかし、その直後からエレベーターを利用するたびに知人の法則をつい思い出すようになった。そして、驚いたことに、ほとんどの場合、彼の法則が当てはまっていたのである。

しかし、意識してから数日も経たないうちに法則は心理的なものであることがわかった。少し待って乗る時や1階にちょうどエレベーターが止まっている時、ぼくたちは苛立たないし、二基のエレベーターの現在位置に注意を向けない。但し、1階から乗る時にエレベーターがちょうど1階に止まっている確率は低い。ゆえに待つ。待っているあいだに目線が二基のエレベーターの位置ランプに向く。たまに二基が並んでいたりすると、「一方が上層階、他方が下層階になるようにすればいいのに……」と少し苛立つ。以上が事の次第である。すぐに乗れない時の心理を法則化しているにすぎない。


よく利用していたJR駅にエレベーターがあった。地上階と改札口を単純に行き来するだけのエレベーターである。途中階はない。きわめてのろまな動きをするので、おそらく階段を利用するほうが早い。

ご丁寧にもこのエレベーターは音声アナウンスする。地上階で乗り「閉ボタン」を押すと、「ドアが閉まります」と女の声で告げてドアが閉まる。のろまなこいつはなかなか動かないが、利用者はエレベーターが自動的に改札口に向かうはずなので、しばし待つ。すると、再び女の声でこいつが言う、「行き先ボタンを押してください」。

「おい、他に行くあてでもあるのか? 行き先は決まってるだろ!」と条件反射してしまう。ボタンを押した瞬間、ドアを閉めてさっさと2階の改札口へ向けて出発すればいいではないか。恥ずかしながら、もしかして改札口以外に行き先のオプションがあるのだろうかと、ぼくはエレベーター内のありとあらゆる表示をチェックしたことがある。今はこの駅を利用していないが、「このマニュアル女!」と擬人化して苛立っている利用者がいるに違いない。

公開される偏差値

情報公開の時代である。ぼくが関わる領域では、行政職員の研修講師として市民に公開されることがある。簡単なプロフィールと研修タイムテーブル、研修のねらいなどがPDFになっている。やがてこのような公開情報が加速すると、ランキングや通信簿が掲載されても不思議ではない。そんなに下手くそではないと自負しているので怯えはないが、時給報酬が丸裸にされてはたまらない。

二年前にロサンゼルス近郊のコストコに行き、レジで勘定を済ませた。目の前の壁に大きな貼り紙がしてある。「会員サービス優秀従業員一覧」がそれだ。レジで処理する個数、スピード、ミスの少なさなどに基づいてランキングを毎日更新して発表しているのである。

Costco.jpgランキング上位ならいいが、実名で下位に名を連ねるとさぞかしつらいだろう。レジで名札を見れば、その社員がどんな成績か一目瞭然である。アメとムチという表現があるが、上位者にとってもこの成績発表はアメとは思えない。明日はわが身、誰にとってもムチなのではないか。

日本で大手のウェアハウスやメガマーケットに出掛けることはないので、類例があるのかどうか知らない。仮にあるとしても全名簿の全成績はちょっと考えにくい。あったとしても、おそらく上位数名の表彰にかぎられるのではないか。

☆     ☆     ☆

そんなふうに思っていたが、3月上旬にデジタルカメラの新機種を求めて家電量販店に行ったところ、貼り出されている通信簿を見つけたのである。携帯電話会社の一角、「お客様サービス満足度ランキング」と題して1位から17位までの全員が発表されている。お目当てはデジカメだったが、この機会を逃してはならぬとばかりに、スマートフォンに興味を示す振りをして近づいた。説明を担当してくれた三十代半ばの男性はスマートに説明してくれた。少しマイペースに過ぎる話しぶりだったが、まずまずの満足度。後でランクを見たら4位だった。

こうなると最下位チェックをしてみたくなる。名前はSだ。ちょうどいいタイミングでスマートフォンにちなむイベントが始まった。三十人近い客が説明役のコンパニオンを囲む。客の群れの周辺には数名のスタッフがスタンバイしている。コンパニオンの説明をそっちのけで、少しずつ場所を移動して最下位のSを探しあてた。「ちょっといいですか」と声を掛け、「別会社の携帯を法人契約しているのだけれど、たとえばナンバーポータビリティで法人契約のままスマートフォンに切り替えられますか?」と尋ねた。でっち上げの質問ではなく、現実に関心のあった質問である。

とても人あたりのいい表情のSは「ちょっとお待ちください」と言って走り出し、先輩風のスタッフと一言二言交わしてから戻ってきた。4位に比べればたどたどしい話しぶりだが、悪くはない。次いで別の質問をしたら、明快ではないものの答えが戻ってきた。「なるほどね」と言ってぼくが黙っていると、Sも笑みを浮かべて黙っている。次なる質問を待っているのである。その後もぼくがリードする形でやりとりをした。この彼が最下位とは、さぞかし他のスタッフの水準は高いのだろうと推測した。もしかすると、これはSという標準クラスをわざと最下位に置いた戦略ではないのかと思ったりした。

帰路、冷静に振り返ってみた。はたしてSは合格か不合格か? 二者択一ならやっぱり不合格なのである。最下位になるかどうかは客全体の総評で決まるだろうが、ぼくの評定は失格だった。自ら問いかけのできない顧客に対してSはおそらく非力に違いない。顔の表情や話の上手下手などどうでもいい。接客担当者は何よりもまず、自らコミュニケーションをリードしなければならない。問いのないところに分け入るタイミングと話題づくりにおいてSは何もしなかった。あれから3ヵ月が過ぎた。さて、順位が下がりようのないSのランキングはどうなっただろうか。もしかすると、名前が消えているかもしれない。

「みんなやっている」

「みんな」とは「みな」のこと。みなさんや皆様のように「さん」や「様」をつけるのならいいが、単独で「皆」は使いにくい。「皆の者」や天皇陛下の「皆の幸せ」などを連想するからである。「みな」と言えるような立場ではない、と思ってしまう。いきおい誰もが「みんな」という言い方をするようになった。「みんな」イコール「すべての人」。誰もかも。ぼくもあなたも彼も彼女も。複数にすれば、ぼくたちもあなたたちも彼らも。「みな」が「みんな」に変わるような変化は専門的には〈撥音はつおん化〉と呼ばれる。

みんなと言えば、古くは「赤信号 みんなで渡れば 怖くない」(ビートたけし)。歩行者による信号無視は始末が悪いが、大勢なら大胆にやってしまっても罪に問われにくいというふてぶてしい心理か。みんなが集まることによって、強がることができる。シェルター効果もある。自分一人でありながら、全体でもある便利さ。英語の“everybody”もそう。単数扱いながら、この語は複数の人々を念頭に置いている。あの「みんなの党」にも同じようなニュアンスを感じてしまう。

だいぶ前になるが、大阪の路上駐車違反をテーマにした総理府の広報ビデオがよく流れていた。買物から停めていた車に戻ってきたおばちゃんに警察官が違法駐車のチケットを切る。速攻の条件反射でおばちゃんが、詭弁を並べてまくしたてるのである。そのセリフが「みんなやってるやんか! 私だけちゃうやん!」だった。「みんなやっているでしょ! 私だけじゃないわ!」という標準語に翻訳しておく。


この一件だけを例外として認めさせないぞという力が「みんな」には備わっていそうだ。口実にもなるし自己正当化にもなる。しかも、説明もせず理由も示さずに説得する力も秘めている。「こちらの商品ですね、皆さん、よく買われていますよ」「こちらの料理は当店人気ナンバーワンです」(これ、すなわち「みんなの御用達」)、「どなたも、これをお土産にされています」……こんな常套句に騙されてなるものかと思いながらも、気がつけば、みんな買っている、みんな食べている、みんな土産にしてしまっている。

『世界の日本人ジョーク集』(早坂隆)という本から、一つジョークを紹介しよう。

ある豪華客船が航海の最中に沈みだした。船長は乗客たちに速やかに船から脱出して海に飛び込むように、指示しなければならなかった。船長は、それぞれの外国人乗客にこう言った。

アメリカ人には「飛び込めばあなたは英雄ですよ」

イギリス人には「飛び込めばあなたは紳士です」

ドイツ人には「飛び込むのがこの船の規則となっています」

イタリア人には「飛び込むと女性にもてますよ」

フランス人には「飛び込まないでください」

日本人には「みんな・・・飛び込んでますよ」

今では知る人ぞ知るジョークになった。それぞれの国民性が見事にワンポイントで表されている。ヒーロー、紳士の心得、規則遵守、もてる男、アマノジャクが米英独伊仏でそれぞれ象徴されている。そして、日本人と「みんな」の相性の良さ! 「自分でも特定の誰かでもなく、みんなに従う日本人」は、世界の人たちの目に滑稽に映っているのだ。「みんな」は日本人に対して〈不特定多数の匿名的権威〉という確固たるポジションを築いているようである。

いつもルネサンス

軽薄は論外だが、ざっくばらんな会話を慎まねばならない雰囲気がそこかしこにある。めったに神妙にならない彼や彼女にとってはいい機会になっている。つねにふざけるのもつねに生真面目であるのも窮屈だ。ぼくたちは笑ったり泣いたりし、はしゃいだりがっかりする。喜怒哀楽とはとてもよくできた熟語である。

悩める「彼」に今朝一番にメールを送った。「自然に突き放され見捨てられ、呆然とするしかない災害の地。復興不可能と思われるこの状況から、人々は自浄し始め、やがて自立する。過去の歴史で、それができなかった時代は一度もない。人間は立ち上がれるようになっている」という書き出し。このあと数十行書いて送信をクリックした。「どんな状況にあっても人はまだまだ救われている」というぼくの信念を届けた。

ふと古代遺跡ポンペイを思い出す。都市構造、政治形態、生活様式などどれを取っても、近代の街とほとんど変わらぬ先進都市だったイタリア南部のポンペイ。紀元6225日、激しい地震が襲った。一般にはこの地震と同時にポンペイが埋もれたと思われているが、そうではない。ポンペイは大打撃を受けたが、着実に再生・復興に尽力していた。ポンペイが消失するのはこの17年後、紀元79824日である。ヴェスヴィオ火山が火柱を吹き上げ、火砕流がまたたく間に街ごと舐め尽くした。千数百年間、ポンペイは後世に知られざる存在となった。9年前のちょうど今頃、ぼくはポンペイの遺跡に佇んでデジャヴのように郷愁を覚えた。


千数百年も経ってしまえば、もはや再建に未練などない。あの遺跡はタイムカプセルから取り出された二千年前の街の姿そのものである。文明の度合いはさておき、人々の文化的生活は古今東西ほとんど変わっていない。いや、むしろ自然との調和的暮らしぶりということになれば、現代人は古代人に大いに学ぶべきだろう。巨大都市を構築するのが文明的進化である。環境にとって人類にとって、その収支決算をしてみるべきではないか。

とても幼稚で単純だが、文明と文化にはぼくなりに意味区分をつけている。前者は公的で土建的、自然利用である。人類と自然の闘いでもある。後者は私的で土壌的で自然共生的である。文明的であるとは超大なまでに発展的に生きることであり、文化的であるとはゆっくりと持続可能的に生きることである。繁栄の上に胡座をかくと人は文明的に生きようとする。時々文化的生活を思い出すのがいい。車に乗らずに歩く――ただこれだけでいい。

〈ルネサンス〉とは過去の単純な再現ではない。物的な意味合いよりも精神性・文化性が強いこのことばは、すぐれたものの進化的な刷新をも意味している。古代ギリシア・ローマの芸術と文芸の精神を引き継ぎながら、その単純再現だけにとどまらず、創生へと向かったのが本家ルネサンスだった。今日は昨日の、そして過去のルネサンスの日である。明日は今日までのルネサンス。日々ルネサンス。こう思うだけで毎日ワクワクする。こんな調子だから、青二才と揶揄されるのも納得がいく。

自然の摂理に思うこと

世の中の事件や動きに同期して書くことはあまりないけれども、今回ばかりは無言で居続けるわけにはいかない。

311日午後246分、大阪のオフィス。座っている椅子が誰かにゆっくりと揺さぶられるように動いた。次いでビルそのものが横に揺れ始めた。立ち上がって別室へ行く。立っているだけで、脳が眩暈めまいの症状を訴え始めている。大阪にいても感じるその後の余震は数回。ぼくは少々の揺れにも過敏な体質なので、日曜日の今も目の奥が重く、船酔いしたような感覚が残っている。

しばらくしてからテレビをつけると、大津波が大小の船をまるでプラモデルを扱うように岸壁に放り上げていた。怒涛の海水が街を襲っている。その凄まじさをしのぐような猛スピードで今度は水が引いていく。おぞましい、戦慄すべき光景。偶然だが、『方丈記』を再読しようと思って一週間前にダンボールから出したところだった。

行く川の流れは絶えずして、しかも もとの水にあらず。淀みに浮ぶ うたかたは、かつ消えかつ結びて、久しく止まる事なし。世の中にある人と住家と、またかくの如し。

この有名な出だしから数段後に次の文章が現れる。

おびただしき大地震おおないふること侍りき。そのさま世の常ならず。山崩れて、川をうずみ、海はかたぶきて、陸地くがちをひたせり。土さけて、水湧き出で、いはお割れて、谷にまろび入る。渚こぐ船は、浪にたゞよひ、道行く馬は、足の立處をまどはす。都のほとりには、在々所々ざいざいしょしょ、堂舍塔廟たふべう、一つとして全からず。或は崩れ、或は倒れぬ。ちり灰立ち上りて、盛んなる煙の如し。地の動き、家の破るゝ音、いかづちに異ならず。家の中に居れば、忽ちにひしげんとなす。走り出づれば、地割れ裂く。翼なければ空をも飛ぶべからず。龍ならばや雲にも登らむ。おそれの中におそるべかりけるは、たゞ地震ないなりけりとこそ覺え侍りしか。

元暦の大地震(1185年)の様子である。山紫水明の四季折々の風情に旬の食材の恵みと、ぼくたちはこの風土に育まれてきた。同時に、この国土特有の自然の振る舞い――人から見れば災害――を、いつの時代も覚悟せねばならない。八百年前の鴨長明の文体は古めかしいが、描写された自然の猛威は今もまったく同じである。


11日に帰宅すると自宅の電話に留守電が入っていた。安否を気遣うアメリカからの声だった。彼らにすれば、カリフォルニア州と同じ面積の日本だから、東北地方と大阪の距離感などあまりない。実際、その通りで、この国の地震を都道府県別に色分けしている場合ではない。すべての災害は自分の災害と認識すべきだ。一つの自治体や行政機関がまるごと壊滅する現実を突きつけられたかぎり、市町村主体の災害対策を再考せねばならない。

昨晩からずっと考えている。誰かが言った、「この世に神も仏もいないのか!?」 どうやらいないようだ。醒めた口調で言っているのではない。鹿児島に向かった一月末のあの日、直前に噴火した新燃岳の巨大な噴煙の真横を飛行機で飛んだ。あのとき、46億年前に誕生した地球の中でマグマがまだ燃え続けているエネルギーをあらためて思い知った。神仏さえも抗えない自然の力。

この世界に存在するもの・存在関係があるものは、自然、自然と生命、人間どうしの三つなのだろう。そして、忘れてならないのは、人間がこの世界を支配などしていないという真理である。人間は自然の摂理に従って生きる諸々の生命体の一つにすぎない。そして、自然はほとんどの場合、人間にありとあらゆるものを与えてよく面倒を見てくれるのである。しかし、摂理の一つとして「自然は振る舞う」。振る舞いは天罰でもなければ、人を裁くものでもない。ただ摂理である。自然のルールの中では、人間どうしが知恵を出し合って生きていくほかない。

一面だけでなく、新聞のほぼ全紙面には凝視するのがつらい大きな見出しが並ぶ。テレビの災害報道もしばらく続くだろう。知人はみな無事だったが、それとは別に、さっき耳にした万人単位の行方不明の報道に気も力も抜けてしまった。それでもなお、アメリカの新聞が見出しに書いた“sturdy”の一語に救われ励まされる。厳しい自然の振る舞いをも受容してきたぼくたちを「不屈」と形容しているのである。

続・万年筆のサバイバル

万年筆のペン先は紙質にうるさい。もちろんペンが紙に対して優位ではないから、紙側からすれば万年筆を選ぶということになる。しかし、ペンと紙の相性は両者だけで折り合うのではない。媒介となるインクの存在が欠かせないのだ。インクの色合いや「液性」について豊富な表現力を持ち合わせないが、さらっとしたインク、やや粘りのあるインク、粒子の微細なインクなどがあることくらいは、長年書いてきたからわかる。

「このインクの色がぴったり」と確信しても、文具売場の照明と自宅やオフィスの照明が違う。ペン先の硬さによってはインクの出方や滑り方が違うし、紙質によっても色はデリケートに変化する。ましてや、ここに紹介するような下手な写真では数分の一も写実的に再現できない。それでも貧困な語彙を補う足しになればと思ってお見せする。

Fountain pen ink.JPG濃いめのセピアは栗色に近い。こげ茶とは違うが、よく目を凝らしてもわからない。同じ栗でも赤ワインに近い色を買った。実際は紫がかってはおらず、文字の書き終わりのかくで濃い赤が出る。このペンはセーラー。
Kobe INK物語の「長田ブルー」と生野区の加藤製作所の万年筆という、ディープな組み合わせ。だが、ブルーグレーとも言うべき繊細な色だ。
パイロットの月夜というインク。万年筆はペリカン。
モンブランの万年筆にペリカンのロイヤルブルー。


黒インクはカートリッジで持っているが、ほとんど使ったことがない。黒しか使わなかった時代もあるが、今は青。現在はボトルで5種類あるが、すべて違う。先にも書いたが、ペンと紙を変えれば、インクの色が変化する。

ぼくは18歳のときに英文タイプライターを使い始めた。そのくせ、万年筆でも英文をよく書いていた記憶がある。日本語のワープロを使い始めたのが1987年。つまり、それまでは公私ともに書くときは手書きだった。仕事では原稿用紙も使っていたし、若い頃からの習慣であるノートはすべて手書きである。手書きを少しも苦にしないが、1990年頃からは画面に向かってキーボードを打つほうが多くなった。刷り上がりと同じ体裁で見えてしまうために、文の完成度の高さと錯覚してしまう。やがて推敲に手を抜くようになる。

最近は原点に戻って、コンセプトの出発点はすべて手書き。論理から離れて偶発的なアイデアを期待するときは万年筆。そして、色を変えることによって気分や発想を変える。証明などできないが、つねに同じ形で現れるフォントとは違う文字の形、その文字のインクの滲みが、これから書こうとする表現に影響を与えそうな予感がする。いや、それは表現などではなく、思考そのものを誘発しているのかもしれない。

大した文章を書けるわけではないが、万年筆を使う時はこの一文字を軽んじてはいけないと気が引き締まる。カーソルで不要な文字を消すのとは違って、書き損じに抹消の線を入れるときも文字を挿入するときも、人を扱っているような気になってくる。万年筆そのものの重さに加えて、紙に滲むインクを通じて文字の重みが掌から伝わってくる。

万年筆のサバイバル

「紙の本ははたして生き残ることができるか否か」という議論が現実味を帯びてきた。他方、ペーパーレスが叫ばれてからも紙のドキュメントはオフィスから消えていない。それどころか、社内でやりとりしたメールをわざわざ紙にプリントアウトして打ち合わせしている始末。紙は根強く執拗に生き長らえている。いや、死滅することはないと断言できそうだ。少なくともぼくは、紙と電子をうまく併用していこうと思う。

仮に千年前にUSBCDなどの記憶メディアが開発されていたとしよう。度重なる戦争や略奪を経てもなお、そこに記録された情報は無事に現在まで持ち堪えているだろうか。インフラはデータを守りきってくれただろうか。紙の場合はどうか。おびただしい文書が散逸したとは思うが、幸いなことにぼくたちは古代からの書物を今も読むことができる。幾多の戦乱期を経た古文書の類を今も読むことができる。これに比べると、ぼくたちが依存している電子メディアはたかだか四半世紀ほどの保存力しか証明していない。電子メディアには一触即発で消えてしまう怖さがある。

紙に印刷された事柄のほうが、画面から頭に入ってくる情報よりも、よく記憶に定着する。これはぼくの実感であるから、普遍化するつもりなどない。ぼくは紙の威力をひしひしと感じている。紙がITに追放されることなく、それどころか、十分に併存できているのに比べると、紙と一番相性がいいはずの万年筆は頼りない存在になった。このクラシックな筆記具が奇跡的に復活して、キーボードに拮抗できる見込みなどとうの昔に消えてしまったかのようだ。


長く愛用してきたシェーファーの万年筆を20年前に紛失してから、主に水性ボールペンを使い、ここ数年は書き味なめらかな油性ボールペンでノートやメモを書いている。10本ほど持っている万年筆の出番はきわめて少ない。気に入った万年筆を折々に買ってきたが、メーカーがいろいろ。つまり、インクカートリッジが違う。メーカーによってはインクまで指定される。これに、黒いインク、ブルーのインク、ブルーブラックなど好みに応じて取り揃え、インクを変えるたびに手入れをするのも面倒だ。

万年筆と言いながら、結構ケアせねばならず、万年にわたって使いこなすのはむずかしいのである。山田英夫『ビジネス版悪魔の辞典』では、【万年筆】は「調印式のために、出番を待ち焦がれている筆記具」と位置付けられている。また、別役実『当世悪魔の辞典』では、「手に合ったものになるまでに時間がかかるから、たいていその間に失くしてしまう。失くさずにたまたま持っていると、手に合ったものになったとたん、寿命がくる」。いずれも、万年筆の使用場面には言及しておらず、惨めな身の上話になっている。

決して安っぽい存在ではない。高価かつ高級品である。知的な筆記具として他を寄せつけない存在だ。それなのに、あまりにも軽い扱いしか受けていない。とても不憫である。10本の万年筆を前にしてぼくはノスタルジックになった。小学校か中学校卒業のときに買ってもらった万年筆。今は手元にあるはずもないが、あの時の大人になったような知的高揚感は今も忘れない。サバイバルすら危うい万年筆にもはやリバイバルはないのだろうか。

ぼくは自分一人の万年筆復活プロジェクトを起ち上げた。きっかけは、色と滲みの再発見。大したプロジェクトではないが、一歩踏み出して手持ちの万年筆を再活用することに決めた。この話の続きは一両日中に書いてみたい。

二つの対処法

謹賀新年

元旦の早朝、散歩がてらにいつもの神社に行っておみくじを引いた。「置渡す露にさがりをあらそひて さくかまがきの朝がほの花」という歌が書いてあった。「小凶」とある。この神社に「吉」の神占があるのかと怪しむも、怒らず騒がず、「奢らずに慎み深く生きなさい」というメッセージとして拝読し、備え付けの紐に結んで境内を後にした。

外出の前に、窓を開けたら風が冷たい。部屋が必ずしも暖かいわけではないが、外気との温度差は優に10℃はあるはずだから、窓枠にもガラス面にも結露がびっしりの状態。大晦日の昨日はたぶんもっと寒かった。寒風の中を一路卸売市場へと向かった。午前10時過ぎには小雪が舞い始めた。実は、十二月中旬に塾生の一人から、大晦日の日に正月用の食材を買い出しに行かないかとの誘いがあった。拒否する理由がないので快諾した。てっきり車に乗せてもらえると思っていたら、「自転車で行きましょう」と言う。

彼の自宅から拙宅までは自転車で半時間弱だから、何ということはない。けれども、風の強い日の自転車はきつい。大晦日の前日の天気予報を見たら、「午前中の最高気温4℃、雨から雪に変わりそう」とあった。「明日は自転車日和ではなさそうだが」と伝えたが、悪天候でも決行の決意は変わらなかった。と言うわけで、ある程度寒さに耐えられる格好でサドルにまたがった。拙宅は彼の自宅と目的地のほぼ中間なので、ぼくの往復走行距離10kmに対して彼はその倍近くを走ったことになる。


さて、平均体温が1℃下がると免疫力が30数パーセントダウンするなどと、体温と免疫力の関係が昨今注目される。体温を上げたり保ったりするには大晦日や元旦は自宅で温まっておくのがいいのだろう。理屈ではそのほうが免疫力もつくはず。体温を下げないことは防寒対策、ひいては風邪引き対策にもなるに違いない。ぼくらのように、わざわざ寒い外気の中へ飛び出して風をまともに受けてペダルを漕ぐことなどないのである。

しかし、暖かい部屋で過ごすことと体温を上げることは同じではないだろう。寒いからといって暖房のきいた室内に閉じこもっていたら、逆に免疫システムが甘やかされるのではないか。これは、暑いからといって冷房をガンガンきかすのと同じだ。ぼくの場合、まったく逆の、寒気を迎え撃つ方法を選択することが多い。寒ければ、寒いほうへと舵を取るのである。だから昨日もそうしたし、今朝も億劫にならずに2時間以上外気に触れた。暖房していない部屋に戻ってきても、数時間は身体が温かいのである。

寒さを防ぐか寒さに馴れるか。これはもちろん窮屈な二者択一ではない。いや、いずれか一方だけに偏るのは免疫によくないだろう。あるときは防寒、別のときは耐寒という対処法を上手に選択すればいいのである。と、ここまで書いてきて、これは頭脳の使い方のアナロジーになっていることに気づく。適度な負荷がかかるからこそ、知的満足感も膨らむというわけだ。

番狂わせへの期待

ブログを書いているくせに、あまりインターネットで検索しない。必要がある時はもっぱら各種辞典で調べている。従来から仕事の現場ではよほどのことがないかぎり調べない。仕事の一つである講演や研修の最中に調べていたら奇妙である。オフィスにいても同じことだと思う。仕事とはアウトプットすることにほかならない。調査が本業でもないかぎり、仕事中にインプットしているようでは修行が足りぬ。なので、めったに調べものをしない。辞書類や参考文献は自宅のほうが充実している。インプットは人目につかぬようにするものだろう。

「番狂わせ」の語源が気になった。四の五の言わずにウィキペディアを手繰れば書いてあるのかもしれないが、こういうことに関してぼくはいささか保守的である。知らないことについて調べるのだから、当然初見の情報に出くわす。知らないのだから信憑性を問える力も資格もない。がせねたに騙されるかもしれない。同じ騙されるのなら、匿名的ウィキペディアよりも編集責任者が明記されている辞典類のほうがましである。「ウィキペディアにこう書いてあった」と紹介して間違っていたら恥さらしだが、「広辞苑によれば」と言っておけば、仮に怪しげなことが後々に判明しても、岩波書店の責任にしてしまえばよい。

と言うわけで、気になった「番狂わせ」を広辞苑で引いてみた。「①予想外の出来事で順番の狂うこと。②勝負事で予想外の結果が出ること」とあった。この程度の定義なら想定内、わざわざ調べるまでもなかった。関心はこの表現の語源なのだが、他の辞書でも見当たらない。いまこうしてブログを書きながら、画面の上のほうのグーグルバーで検索したら、さぞかし諸説がぞろぞろ出てくるだろうとは思う。だが、触手を伸ばさない。知らなければ知らないでいいのだ。知らなければ、脳トレを兼ねて類推すればいい。

広辞苑にもあるように、番狂わせの「番」は「しかるべき順番や順位」のことだろう。つまり、その順通りであることが秩序(または正統)、その順が狂うことが混沌(または異端)。ちなみに、英語では混沌・混乱のことを“upset”と言うが、まさにこの「アップセット」が、試合やゲームでの予想外の敗戦や結果を意味している。番狂わせとは、正統派にとっては「あってはならないことが起こってしまうこと」であり、異端分子にとっては「絶対にありえない功を成し遂げてしまうこと」なのである。


勝つことを絶対視されている側が、番狂わせに期待を抱くはずがない。番狂わせを歓迎するのは、負けて当たり前の弱者、愉快・痛快を求める傍観者、あるいは秩序崩壊によって利に浴することができるギャンブラーたちである。先のワールドカップでの番狂わせと言えば、スイス対スペインの試合が真っ先に浮かぶ。シュート24本を乱れ打ちしたスペインが0-1で敗北したあの試合である。そのスペインが優勝したのだから、たしかに大番狂わせのレッテルは正しい。あの試合の前に「番狂わせはない」と言えば、それは疑いもなくスペインがスイスに「万有引力の法則」ほど確実に勝つことを意味したはずだ。しかし、リンゴは木から落ちずに空へと上がってしまった。

実は、番狂わせはぼくたちの想像以上によく起こっている。なぜなら順番や順位や優劣評価が本来ファジーだからである。あるサッカー通が言った、「サッカーというのはそういうゲームなんだ。他のスポーツに比べて、番狂わせが起こりやすい」と。先日の日本対アルゼンチンもそうだったのか。と同時に、基礎体力もなくシュートも打たなければ番狂わせはありえないだろうとぼくは思うのだ。実際、スペインの3分の1ではあるが、スイスは8本もシュートを打ったのだ。そのうちの一本が決まったという次第である。

実社会での仕事の場面はスポーツ以上に状況が複雑である。だから、番狂わせの頻度が高まる。しかし、サッカーの「基礎体力とシュート」に相当するものを決定的に欠く弱者に番狂わせは絶対にやってこない。この二つに相当する資質だけはつねに磨いておかねばならないのだ。言うまでもなく、この二つは職業ごとに異なる。

ところで、番狂わせの概念などまったく持ち合わせていない、冷徹な存在がいる。彼にとっては番狂わせも何もない。ただひたすら勝つべき者が勝つと予告する。何を隠そう、あのドイツのタコ「パウル君」のことである。