旅先のリスクマネジメント(5) 陸・海・空

venezia canale.jpgヴェネツィアには二度行ったきりであるが、景観は言うまでもなく、街の構造にも格別な印象が残っている。車は一台もない。外から乗り入れることもできない。海産物はアドリア海から水揚げされるが、その他の食材などは本土側から船で運び込まれる。水路は水上バス「ヴァポレット」という船で移動する。バリアだらけの島内は歩くのみ。年寄りには決してやさしくない街である。なお、他の街に比べて治安はいいほうだろう。

ヴェネツィアは島であり、観光の中心となるのはサンマルコ広場。そこから徒歩56分のホテルに4泊したことがある。対岸の本土側はメストレ呼ばれる地区で、島内よりも料金がだいぶ安い。メストレのホテルに一晩だけ泊まったのが13年前。ホテルのバーで食後酒のグラッパを舐めるようにちびりちびりと飲んでいたら、バーテンダーがタバコを一本、二本と差し出してくれた。当時、普段タバコを喫っていなかったが、頂戴することにした。午後9時頃バーを後にしてホテルの外に出た。一見して、何も目立ったものがない土地柄だとわかったが、周辺をちょっと歩いてみようと思った。人通りはほとんどなかった。

そうだ、タバコを一箱買ってバーテンダーにお返ししようと思い、自販機を探しがてら歩き、路地をちょっと入ったところに見つけた。ポケットからリラの紙幣を出す(ユーロに切り替わる前年だった)。その自販機の扱いに少々苛立ったが、まず欲しい商品のボタンを押してから金額を投入するタイプだと飲み込めた。タバコを一箱手にして振り向くと、若い男三人が数メートルのところに立っている。一人が「日本人? 日本語を話すか?」とイタリア語で聞いてきた。瞬時に危機を察知した。咄嗟に「イタリア語は話せない」と、まずいことにイタリア語で返してしまった。
 
すると、日本語で「こんばんは」と言い、次いでイタリア語で「ちょっと話してもいいか?」と追い打ちをかけてきたのである。英語で「イタリア語で知っているのは、チャオとボンジョルノと『イタリア語は話せない』という三つだけ」と適当に釈明し、三人の中を割って広い通りに出た。三人はポカンとしている。特に悪そうな連中ではなかったが、チャオと言って足早にホテル方面へと退散した。後で気づいたことだが、彼らはヴェネツィア大学の日本語学科の学生で、ぼくを見つけて日本語で会話しようと話し掛けてきたのかもしれない。もしそうだったら、大人げない態度を取ったものだ。けれども、夜間に声を掛けてくる連中と関わらないのは鉄則である。
 

 それから5年後のヴェネツィア。帰路は、水上バスでサンタルチア駅で降り、そこからバスに乗ってマルコポーロ空港へ行き、パリのシャルル・ド・ゴール空港でトランジットしてから関西空港というルートだ。午前5時前に起床しホテルをチェックアウトして、まだ真っ暗な細道や路地をくねくねと10分ほど歩いて水上バス乗り場へ向かった。船から地上に降り立ち、やっとこさバス乗り場を見つけて無事に空港に着いた。ひと時も安心などしていられない1時間だった。
 
機内持ち込み手荷物がかさばるのを好まないので、なるべくラッゲージのほうに詰め込んで身軽になった。カウンターでチェックインし、そのラッゲージを預ける。この時、重量超過かどうかはメーターに出るが、メーターに表示が出るか出ないうちに荷物が奥へと搬送されてしまった。そしてチケットを渡されたのである。そのチケット、重量超過の追加料金請求書だったのだ。「ちょっと待って。オーバーなら、中身を減らして手荷物にするから」と言っても、後の祭り。もう手続きが終わってしまったの一点張り。がっかりして別のカウンターで何万円だかをクレジットカードで切った。これまではどの空港でも超過などしなかったし、稀に超過していたら減らすように助言してくれたものだ。
 
帰国してからエールフランスに旅券のコピーとクレジットカードの控えを同封して異議申し立ての英文の手紙を書いた。一言注意を促して荷物を減らしてから手続きをするべきではないのか、あのグランドスタッフの顧客への対応はエールフランスとしてあるまじき行為ではないのかと綴った。十日後に返事があった。「おっしゃる通りでスタッフは重量超過をあなたに伝えるべきだった……しかし、券面の裏には重量超過については自己責任と書いてある……今回のことは料金を負担させ申し訳なかったが、当社としては責任を負えない……次の旅でもまたエールフランスをご利用願いたい」と、表現はきわめて丁重、しかし、再考の余地がないという厳しい結末となった。
 
二度と乗ってやるものか! と腹を立て、翌年はルフトハンザでフランクフルトからフィレンツェへと旅した。しかし、関空からだと便利なので、その後の二回の旅では懲りずにエールフランスを利用した。そして、二年前にはダブルブッキングという痛い目にも合った。しかし、ぼくも学習した。転んでもただでは起きない。そのダブルブッキングでは、現地で粘り強く交渉し旅費分の補償金取戻しに成功したのである。

旅先のリスクマネジメント(4) 買物とレシート

ショッピングにもトラブルはつきものである。トラブルに遭遇して損がなくケリがつけばいいが、自分に責任がないのに必要以上に金銭の持ち出しがあってはたまらない。

パリのカフェ.jpgエスプレッソを飲みにイタリアのバールに行くとする。カウンターで飲めば一杯120円が、室内やテラスのテーブルに座るとおよそ3倍になる。それを了承しているなら、店に入って黙ってテーブルに就けばいい。カメリエーレ(ウェイター)がやって来て注文を取ってテーブルに運んでくれる。出る時に皿の上に10円か20円ほど小銭を置いて出ればよし。チップは別に置かなくてもいい。
もしカウンターで立ち飲みするなら、店に入ってすぐにレジでコーヒーの代金を先払いしてレシートを受け取る。そのレシートをカウンターでバリスタに手渡せばコーヒーを作ってくれる。コーヒーを差し出すと同時に、バリスタはレシートを指にはさんで少し破って客に戻す。「取引終了」の印である。
 
 ジェラート店でも同じ。シングルかダブルディップかを決めて先にレジで代金を支払い、レシートを持って好みのジェラートを注文する。この順番を間違い、しかも万が一その店がたちの悪い店だとするとどうなるか。注文通りにコーンにジェラートを盛ったうえに、注文してしないトッピングや飾りつけまでされて商品を手渡される。それをレジで見せて後付けで支払えば、何倍もの料金をぼったくられる。豪華なジェラートを先に手にしてしまったら後の祭り。クレームをつけると、下手をすれば恐いお兄さんが出てくるかもしれない。

スーパーマーケットではレシートが命綱になることがある。くれぐれも軽率に捨ててはいけない。
 

南イタリアのレッチェという街でスーパーマーケットで買物をした。普段は商品の価格を見て暗算しながら概算を頭に入れてレジに並ぶが、その日はそれを怠ってしまった。この店のレジの女性はどの係も無愛想そうで商品の扱いも粗雑だった。画面表示に40ユーロくらいの金額が出たが、ちょっと高いなあと思ったものの軽はずみにお金を渡し、商品とレジ袋と釣銭とレシートを受け取った。数メートル離れたテーブルで商品を袋に詰めながら、レシートの金額の間違いに気づいた。

引き返して、次の客の精算中に割って入り計算間違いだと告げた。おばさんは頑として受け付けない。袋に入れた商品を見せレシートと一品ずつ照合し始めたら、「あなたはこの場をいったん離れた、商品をどこかに隠したんだろう」などと言うのである。おいおい、たまったもんじゃない。少々騒々しいやりとりにエスカレートしたのを見て男性スタッフがやってきた。事情を説明し、袋の商品とレシートを示し、ついでに服のポケットの中をチェックさせ、やっと一件落着した。語学が身を救った例である。

 ローマはテルミニ駅構内のスーパーマーケットで万引きと間違えられる危機一髪の事態に遭遇したことがある。高額商品を精算せずに持ち出すとセンサーが鳴るタイプの出入り口ではない。代わりにプロレスラーのような黒人ガードマンが立っている。その入口から店に入り買物をした。レジはその入口から一番遠い奥にある。そこで精算してレシートを受け取ってそのままレジ裏の出口から出る構造になっている。しかし、そこから出ると、駅の外の道路を迂回して元の位置に戻らねばならないので、店内を逆流してさっき入った入口から出ようとした。
 
普通に出られると思ったのが甘かった。案の定、ガードマンに止められ商品をチェックされ、レシートを見せろと言われた。さらに甘かったのはレジで精算を済ませた後に、少額の買物だったのでレシートをテーブルに置いてきたのだった。で、そう説明したら、ガードマンは「じゃあ、そこへ戻ろう」と言って、ほとんど連行状態でぼくを従わせた。「お前を担当したレジ係は誰だ?」と尋ねる。担当したレジの女性の顔は覚えていたが、その女性はそこにいない。どうやら交代したようだった。それで、そう言ったら、「じゃあ、置き捨てたレシートを探せ。オレはレジ係を探してくる」と厳しい口調。えらい災難である。レシートも見当たらず、レジ係もこんな客を覚えていないと証言したら万事休すだ。
 
ぼくはどう凌いだか。ガードマンが目を離した隙にレジ裏の出口から勢いよく外へ飛び出し、まっしぐらに逃走したのである。ガードマンが追いかけてきたのかどうかは知らない。しかし、無事にトラブルから逃れた。その後小一時間ほどは心臓がパクパクしていたのを覚えている。語学ではなく、逃げ足が身を救った例である。

旅先のリスクマネジメント(3) さらに切符の話

今日はイタリアでの体験を書く。結論から言うと、大きなリスクにつながったわけでもなく、単に無知ゆえに起こった小さなエピソードばかりである。日本の懇切丁寧で過剰とも言える説明に慣れきってしまうと、この国での利用者への案内はつねに言葉足らずに思える。だが、「知らないのは本人の責任であって、説明を怠った側のせいではない」という姿勢が基本なのだろう。「自分のことは自分でやれ、わからなければ聞けばいい」という調子なのである。まさに「郷に入っては郷に従え」(いみじくも、この諺の本家はイタリアで、「ローマではローマ人のように生きよ」というラテン語に由来する)。

フィレンツェは人口35万人で、イタリアとしては大きい都市の部類に入るが、歴史地区は高密度でコンパクトだからどこへ行くにもたいてい歩ける。それでも、短時間であちこちへ移動したければ市内循環バスが便利だ。写真の切符はフィレンツェ滞在中に利用したバスの切符。時間内なら乗り降り放題の70分チケット一枚で4回分の回数券になっている。たとえばバスで15分の場所へ行き、そこで下車して20分ぶらぶらしたり見学したりして再乗車できる。

70分チケット.JPGバスでは乗車券のチェックはほとんどないから、時間制限があるものの、乗客はかなり大雑把に利用しているようである。もし時間オーバーに気づいて不安なら、次のバス停で降りればいい。その日、ぼくは、回数券ではなく一回限りの70分チケットでバスを利用していた。
とあるバス停でバス会社職員が乗り込んできた。めったにない検閲に遭遇してしまったのである。慌ててポケットの切符を取り出してチェックする。ドキッ! なんとパンチを入れてから70分どころか90分以上も過ぎているではないか。何が何でも次のバス停で降りねばならない。後方座席だったので、検閲の時間がかかることを祈った。祈りが通じた。不安の中の悪運とでも言うべきか、真ん中あたりにいた学生風の男性がチケットを持たずに乗っていた。彼は次のバス停で職員と一緒に降りる。目の飛び出るような罰金が言い渡されたはずである。
 

 トスカーナのある街へ宿泊地から日帰りで出掛けたことがある。観光客がいないわけではないが、小さな街である。各停か準急しか停まらない、列車の本数も少ない駅だったので、着いた時点で帰りの時刻をメモしておいた。中世の街並みを歩き、たしか店でピザを買って公園で食べた記憶がある。お目当ての列車が出る10分前に駅に行き、自動券売機に10ユーロか20ユーロ札を入れた。ところが、切符は発券されたが、お釣りが出て来ない。もう一枚、切符と同じサイズの紙がある。レシートだろうと思ってろくに見なかった。受け取るべきお釣りは運賃の34倍の金額だから、泣き寝入りするわけにもいかない。列車の時間も近づいていて焦った。
 
窓口へ向かったが、二つあるうちの一つしか開いていない。前には二人が並んでいる。イタリアでは駅員が他にいても、こちらに一瞥するだけで立ち上がってもう一つの窓口を開けることはめったにない。焦ったが、ようやく順番が回ってきた。釣銭が出ないことを伝えたら、小馬鹿にしたような顔をして両手の親指と人差し指で長方形を作り、「カードを出せ」と言う。カード? 何のことかとっさにピンと来なかった。あ、レシートみたいなあれか……。それを差し出した。お釣りが手渡される。そう、この駅の券売機では釣銭が出ずに、釣銭の金額を表示したカードが出てきて、それを窓口で換金する仕組みだったのである。
 
最後は斜塔で有名なピサでの話。フィレンツェからピサまでは列車なら1時間か1時間半で行ける。駅に着けば、そこから斜塔まではバスに乗る。あいにくの雨だったので足早に斜塔を見学して、その周辺だけを歩いてみた。小さな土産を少し買い、バールでエスプレッソを飲んだ。バスの本数はいくらでもあるから慌てる必要はなかった。
ところが、バス停へ行ったものの切符売場がわからない。イタリアではタバッキ(タバコ屋)でも切符を売っているが、店が見当たらない。道路の路肩に券売機のような機械を見つけたので小銭を入れた。券が出てきた。よく見れば、その券はパーキングの切符だった。ぼくは車に乗らないから、こういうことには疎いのである。バスの切符を買い直した。駐車券は今も手元にある。あれから7年。ピサに車を駐車しっぱなしの気分でいる。

旅先のリスクマネジメント(2) 駅構内、列車、切符

テルミニ駅.jpgローマ・テルミニ駅(写真はコンコース)。映画『終着駅』でおなじみの、イタリア最大級の国鉄駅である。”テルミニ(termini)”は英語なら”ターミナル(terminal)”。国内線も近郊線も国際線もここに停まる。しかし、終わりは始まり、終着駅は始発駅でもあるから、地下鉄で行けない郊外や都市へ出掛けるにはこの駅が起点になる。

フィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ駅もミラノ中央駅も、テルミニ駅に匹敵する規模を誇る。このような鉄道の基幹となる駅につきもののトラブルがいくつかある。
 
まず、テルミニ駅が22番線あるように、列車が出発する番線が多いこと。東京駅とほぼ同数で東京駅ほど構造が複雑ではないから間違えようがないように思える。しかし、あちらの駅では出発間際まで番線が表示されないことが多いのである。コンコースの中央あたりにある大型掲示板をつねに見ておかねばならない。また、延着や出発遅れもアナウンスされないから、このパネルを随時チェックする必要がある。フィレンツェだったと思うが、パネルには17番線発とあったからそのあたりで待っていたら、出発するはずの列車が到着する気配がない。荷物を引っ張りながら移動して掲示板の前まで行けば、1番線に変わっていた。まあ、こんな具合なのである。リスクマネジメントの大部分は自己責任に委ねられる。
 

 次に、切符にまつわるトラブルがいろいろある。切符売場の窓口はだいたい混んでいるから、早めに並ぶことは当然だ。言葉の問題もある。ミラノからスイスのルガーノへの日帰り旅行の朝、知らずに国内線に並んでしまった。自分の順番が来ても売ってくれない。交渉の余地はなく、あらためて国際線切符売場に並び直した。これを機に、旅程が決まっていて変更の可能性がないのなら、長距離移動の際の切符は日本で予約するようにした。日帰り切符は自販機が便利だが、クレジットカードでの購入は少々面倒である。英語版画面で無事買えたとしても、券面がすべてイタリア語表示だから号車や座席がわかりにくいかもしれない。
 
さて、切符を買った。番線もわかった。テルミニ駅でも他の駅でも、いわゆる改札というものがない。自動改札口も有人改札口もない。切符を手にしたままプラットホームに入れる。しかし、そのまま列車に乗って、万が一車掌が検閲に来たら無賃乗車扱いにされて高額の罰金を支払う破目になる。プラットホームのあちこちにタイムレコーダーのような機械が設置されているので、そこに切符を差し込んで日付と時間を自分で刻印しておく必要があるのだ。これでやっと列車に乗り込めるが、それでもなお、向かう行き先が終着駅ではなく途中駅ならば、ほんとうにそこに停車するのかどうかの確認がいる。
 
乗ったら乗ったで油断はできない。座席探しにうろうろしていると可愛い女の子が二、三人近づいてきて親切に案内し、前後に挟まれてファスナーを開けられる。だから、肩にかけるバッグのポケットは身体側に向けておかねばならない。大きなトランクは座席まで持ち込めず、乗車口近くの荷物棚に置くから頑丈なチェーンで棚のバーにくくりつける。目的地以外の停車駅に着く前に見張りに行くことも必要だ。なお、車内アナウンスはほとんどない。次に停まる駅は新型列車なら電光表示されるが、古い型の列車なら駅に入線するたびにホームの駅名表示をチェックする。新幹線内のように熟睡などできないのである。

旅先のリスクマネジメント(1) 街路での声掛け

凱旋門.jpg本ブログでもフェースブックでも欧州旅行時の華やかな写真をずいぶん投稿してきた。写真だけを見れば、旅の印象的な思い出がいっぱい詰まっているように映るだろう。しかし、旅先ではかき捨てる恥と並んでリスクがつきものである。ぼくのような個人旅行者にはパッケージツアー客にはない主体性と裁量があり、路地一本深く入るような経験も味わうことができる。他方、あなた任せの気楽さとはほど遠い危険や不安につねに向き合わねばならない。
 
実際にそんな経験をするのは半月の旅で一度あるかないかだろう。だが、日本ではリスクらしいリスクなどほとんど感じることはないから、それに比べればパリやローマでの身に降りかかるリスクの高頻度は尋常でない。街歩きしたりメトロやバスで一日を自由に過ごしたりできるけれども、スリ、置き引きに引ったくり、ぼったくり、詐欺などへの警戒神経はいつもピリピリしている。ちょっと珍しい経験を一つ紹介しよう。範疇としては「親切詐欺」とでも言うのだろうか。
 
その日はパリ郊外のサンジェルマン・アン・レーという小さな街に出掛ける予定でアパルトマンを出た。メトロに乗ったものの、凱旋門に昇ってみようと思い途中下車してシャンゼリゼ通りをぶらり歩いていた。視線を落とすと前方3メートルほどの溝にキラッと光る金属がある。近づいて手に取ろうとしたら、すっと大きな手が右方向から出てきて、その光る金属をつまみ上げたのである。手の先を辿ると身長190センチメートルはあろうかという大男が立っている。そして、ぼくを見てにこりと笑うのである。つまみ上げた金属は金の指輪だった。
 

 言うまでもなく、気配は不気味である。ぼくのフランス語は聴くのも話すのもカタコト程度だが、こういう状況になると危機意識からか普段聞き取れない音声が聞き取れるようになる。大男は最初はフランス語だったがカタコトの英語も交え、指輪をぼくに差し出して「これはきみが先に見つけた。拾ったのはオレだが、先に見つけたきみのものだ」と言っている。いらないというジェスチャーをして立ち去ろうとしたら、後ろから付いてくる。なにしろ大男である。腕をつかまれてねじ上げられたらひとたまりもない。受け取っても受け取らなくても面倒そうなので、手のひらに指輪を乗せさせ「オーケー、メルシー」と言って歩き出した。
 
これで終わるはずもなく、大男は付いてくる。周囲に人がほとんどいないので、まずは早足で人がいる方向へ歩いて行く。突然、大男はぼくの行く手に立ちふさがってこう言ったのである。「オレはコソボから来た。とても腹が減っているんだ」。コソボ。何とドスのきいた出身地なことか。ところで、先に書いておくが、ぼくは大枚やクレジットカードの入っている財布とパスポートはスリも手が届かないよう、上着のファスナー付き内ポケットに入れ、小銭入れはズボンのポケットに分けて入れている。そして、アパートで鞄にスナックかパンを入れて出掛ける。朝から肉や野菜をふんだんに食べるので、場合によってはランチをパンで済ませるようにしているのである。
 
大男が「腹が減っている」と言うから、鞄からパンを取り出した。当然小馬鹿にされたと思うだろう、大男は首を横に振り、「そうじゃない、マネーだ」と言う。精一杯のフランス語と英語で「マネーよりもパンのほうがすぐに食べれる」とか何とか言いながら男のほうへ差し出した。「違う、マネーだ」と大男。これも想定内なので、しかたがないという顔をして小銭入れから2ユーロ(当時で320円見当)を取り出して渡した。「足りない。もっとくれ」としつこいが、幸いなことに小銭入れには1ユーロ硬貨は入っておらず、5セントや10セントがいくつかあるだけだった。残り全部を大男の手にぶっちゃけて「後は何もないぞ、一日乗車券だけだぞ」とポケットの中まで引っ張り出して見せた。
 
後ろから殴りかかられないように、距離を開けて歩き出し、人がたむろしている近くまで急いだ。大男は付いて来てしばらく何やら叫んでいたが、あきらめて別の方向に去って行った。おそらく大男のポケットにはおもちゃの金の指輪が何個もあるのだろう。獲物を見つけた瞬間、溝に指輪を仕掛ける手口である。小銭合計で500円分もなかったので、安上がりなリスク回避だった。あの指輪、たぶん自宅のどこかの引き出しに入っているはずである。店で買う安物のキーホルダーよりはいい記念品だと思っている。

Pizza a credito(ツケでピザを)

マルゲリータ+海の幸 web.jpg去る4月、ナポリのとあるピザ専門店がお持ち帰りのピザを「ツケ」で売り始めた。言うまでもなく、ツケとは誰々に何々を売ったことを帳簿に付けておき、その場では代金を徴収せずに、後でまとめて支払ってもらう方法だ。客側にとっては買い掛け、店側にとっては売り掛けになる。

金に困った男が拳銃強盗をして家族のためにピザを4枚盗んだという事件が発端となった。イタリアの長引く不景気は、ここまで庶民の懐を苦しめているのか。「そんなバカなことをするな、うちの店に来たらツケで食べさせてやるから」というのが店主の思い。もっとも、ツケがきくのは顔見知りのみ、しかも一人につき1回一枚限り。支払いを済ませないと次の一枚を売らないのか、8日後に払いさえすれば毎日でもツケで売るのかは不明。
ピザの名店が並ぶナポリならではの試みだが、実は1930年から30年間にわたって同じようなツケ販売がおこなわれていたという。これを「8日後払い」と呼んでいた。今回も同じ支払い期限を設定しており、現地の新聞はMangia la pizza oggi e paghi tra otto giorni.”(今日ピザを食べて8日以内に支払いする)という一文で記事を書き始めている。

日本でピザを食べると、安くてもナポリの2倍、通常は3倍の値段になる。価格を押し上げているのはチーズである。チーズをトッピングしない、トマト―ソースだけのマリアーナならナポリも日本も値段に大差はない。ナポリ380円に対して、ぼくが大阪で行く店はランチタイムなら最安値で500円だ。ところが、モッツァレラチーズを乗せるマルゲリータになると1,000円は下らない。これがナポリなら450円未満だから、いかにチーズが安いかがわかるだろう。
それはともかく、500円もしないピザをツケで売るのは、ほんとうに家計事情の反映なのか、それともピザ屋の話題づくりなのか。少額をツケにして8日後に自分で払うのと、ン万円分の飲食代をツケにして月末に社費で支払うのとは同じではない。給料前にピザを食べたくなったが、手元に小銭がない、だからツケで食べる? いやいや、ナポリ人なら給料日とは無関係にピザを常食しているではないか。彼らが8日に一枚のピザで我慢できるはずがないんである。
一ヵ月でツケ売りしたのはおよそ60枚と予想より少なかったらしい。この「制度」を、困っているからではなく、お試しに利用した住民もいるのだろうが、別の日には別の店で金を払ってピザを食べているに違いない。実は、この記事を読んで、イタリア映画『自転車泥棒』を思い出した。あの時代ならピザのツケもありえただろう。今時、ツケの3ユーロを8日後に払うのは現実的ではない。仮に毎日ツケにすれば、8日後からは毎日3ユーロ払わねばならないのだ。ぼくならピザを食べずに、自宅でパスタを作る。たぶん1ユーロもかからない。

お勘定の話

二十代半ばになって自分のお金で飲食して会計し始めた頃、たとえば寿司屋で「おあいそ」などと告げるのが心地よかった記憶がある。このことばには、どう好意的に解釈しても、ちょっと威張った客目線が見え隠れする。

三十過ぎになって「お勘定してください」と言うようになった。こっちのほうがいいと思ったからである。しばらくして、「おあいそ」は店側が発することばであることを知った。「せっかくのお食事のところ、勘定の話で愛想づかしなことですが……」が転じて「おあいそ」になったらしい。「ご馳走さま、お勘定してください」と客が言い、「おあいそですね。ありがとうございます」と店が返す、調子のよいやりとりが定番なのだ。

ところで、お勘定にはぼくたちの想定する以上に間違いが起こる。たとえば、注文していない料理が運ばれてきて、「それ、頼んでいないけど……」「あ、すみません。あちらのテーブルでした」というやりとりの後は要注意だ。会計時には明細をレシートでチェックしておくのがよい。すでに注文が記入されていて、アルバイトの店員が訂正忘れしていることがありうる。これまで何度もそんな経験をした。


 イタリアやフランスに旅するようになってから、わが国との会計の違いがいろいろあることに気づいた。イタリア語では“il conto”(イル・コント)、フランス語では“l’addition”(ラディショォン)と告げるが、席に着いたまま勘定を済ませるのがふつうである。現金であれクレジットカードであれ、テーブル上で支払う。ぼったくられそうになったことはあるが、勘定間違いされたことはない。そもそもレジを見掛けない。なお、バールやカフェにはレジがあるが、ほとんど先払いである。
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【写真はトリップアドバイザー提供】


ひときわユニークな会計をしていたのが、パリの有名レストラン『シャルティエ』だ。数字を書き込んだ紙はレシートではない。エンボスの入った紙製のテーブルクロスである。ウェイターやウェイトレスは注文を受けるのも料理を運ぶのも同一人物で、いくつかのテーブルを担当している。そして、料理を一品ずつ運んでくるたびに、テーブルクロスの端に直接ボールペンで品名と金額を書くのである。まだ出されていない料理と金額は記入されないから、間違いようがない。料理のすぐそばに見えているので、客もいつでもチェックできる。何よりも客が数字をごまかすことも不可能である。

日本ではかなりの高級店でも、客が帰り支度をして勘定書きを手にしてレジへ向かい、そこで機械的な処理を受けて支払う仕組みになっている。食べたり飲んだりする場をレストランと言うが、これは本来「休息の場」という意味だ。客どうしの会話もさることながら、料理人や店員とのやりとりももてなしの一つである。お勘定にも人間味があってもいいと思う。

体験とこだわり

こだわりは「拘り」と書く。漢語的に表現すると「拘泥こうでい」。近年このことばは、たとえば職人らの固有の思い入れを良好なニュアンスで使うようになった。スープにこだわるラーメン店、秘伝と称してタレにこだわる鰻屋、卵の鮮度にこだわるパティシエなど、とりわけ食材の品質やレシピに関してよく用いられる。

以前、生パスタにこだわるイタリア食堂のオーナーシェフがいた。ところが、場違いなアニメのフィギュアが飾ってあって、「店に合わないねぇ」とつぶやくと、「でも、好きなんですよ」と強いこだわりを示した。生パスタへのこだわりはぼくにも便益があるが、フィギュアは趣味のわがままな発露に過ぎない。このタイプに「こんな雰囲気じゃ足が遠のくよ」と冗談の一つでもこぼすと、「じゃあ、来なくていいですよ」と言いかねない。実際、軽めの皮肉だったのに、彼はぼくに対してあらわに不快感を示した。当然ぼくも不快だから、行かなくなった。

こだわりとは、他人から見ればどうでもいいことに自分一人だけがとらわれ、そのことを自画自賛よろしく過大に評価することだ。いいだろう、ここは一つ譲るとする。それでも、自慢を秘めておくのがプロフェッショナルではないか。こだわりについて長々と薀蓄してもらうには及ばないし、それなくして物事が成り立たないかのように吹聴するのは滑稽である。


ビニール傘.jpg

取るに足らないこと、たとえばビニール傘にこだわる男がいる。仮にNと呼んでおく。ある雨の日、彼とカフェに行った。カレーランチを注文したあと、Nが小さなテーブルの角にビニール傘の柄を掛けているのに気づいた。カレーがテーブルに運ばれ、テーブルが狭くなる。傘もぶら下がっているから余計狭苦しい。案の定、柄が滑って床に傘が倒れた。「きみ、傘立てに置きなさいよ」とぼくは諭した。「傘立てに置くと持って行かれるんです。過去に何度もあったんですよ」と言いながら、Nは気の進まない顔をして傘立てに持って行った。
 
別の日。また同じカフェに行った。大雨だった。この前のことがあるから、Nは入口で渋々傘立てにビニール傘を入れた。食後お勘定に立ち、ぼくが自分の傘を手に取った直後、Nは「あ~あ、やられた」とつぶやいた。その情けないつぶやきは自分にではなく、明らかにぼくに向けられていた。「だから、テーブルの手元に置くことにしているんですよ」と言いたげだ。
 
「きみ、ビニール傘なんてみんなでシェアしているようなもんだから、自分のを持って行かれたら、別のを持って行けばいいじゃないか」とぼくは言った。こんな大雨の日に手ぶらで来る人などいない、だから、ビニール傘を間違えても足りなくなることはないんだ……そこまで執着するなら、自分の傘にシルシを付けるか名前を書いておけばいい……と言いながら、こう言わねばならない自分がちょっと情けなくなった。
 
Nはビジネス上の大事にはあまり引っ掛かることはなく、むしろパーソナルな些事のほうに強くこだわる。長い人生で傘を間違えられたのは二、三度に過ぎないだろう。それでも、確率のきわめて低い体験が刷り込まれて、みっともないこだわりを露わにしてしまう。些細なことに囚われたりこだわったりしていては人間そのものが小さくなる。百や千に一つの、そんなつまらぬ体験などさっさとリセットしてしまえばいいのだ。

価格と価値

半額値引き.jpgかつて「世にも不思議な物語」が存在したのは、常識であることや変わらざることが当たり前の時代にごく稀に起こったからである。しかし、近年、ちょっとやそっとの出来事では人は驚かなくなった。いろんな価値観が氾濫しているし、かつて珍しかったものも珍しくなくなっている。どうやら発生頻度において、非常識が常識といい勝負をするようになってきたらしい。

つまり、当たり前なことと当たり前でないことの線引きがしにくくなってきたのだ。現代人はみな鈍感になってアンテナの感度を悪くしているのかもしれない。氾濫する奇妙な現象をちっともおかしいと思わなくなっている。だから、時々メンテナンスのつもりで、日々の暮らしの視点から価値観念をリセットしてみることが必要なのだろう。
 
自宅から徒歩10分圏内に同じチェーンのスーパーが二軒ある。土・日の午後、たとえば散歩の帰りや書店を覗いた後の午後4時頃にたまに立ち寄ることはある。以前から、午後6時以降に食品(とりわけ弁当、惣菜、揚げ物、寿司、刺身、サンドイッチなど)が値引き販売されることを耳にしていた。値引きタイムの直前になると、空っぽのカゴを提げてうろうろし始め、値引きシールが貼られるのを待つ客が増えるらしいのである。「現場監察派マーケッター」を自称する手前、現実をこの目で見るために、オフィス帰りの午後6時以降、日を変え時間帯を変えて何度か足を運んでみた。

いるわいるわ、商品を手に取るわけでもなく、お目当てのコーナーに時々流し目をしながら、あっちへ行ったりこっちへ行ったりする人たち。まだ買物客と呼ぶにふさわしくない、値引きシールが貼られるのを待つ人たちだ。午後6時過ぎ、手にラベルを携えた店員が現われ、30%引きシールを矢継ぎ早に貼っていく。カラアゲや惣菜などがみるみる値を下げ始める。次いで寿司や刺身。チャーハンに焼きそば、カレーライスなどはいきなり半額という日もあった。
 
観察が目的だから、原則長居はしないので、つぶさに現象把握できているわけではない。ただ、たまたま買物がてらに寄った午後8時頃には「焼肉用ロース」が半額になっていた。毛ガニが半額になっていた日もあった。半額ラベルの常連はスーパーの戦略も心得ているようで、ピンポイント時刻にやって来ては安く買って帰る。ぼくなどは、午後8時までに夕食を終えるので、お得な食材にはありつけない。
 
午後559分に500円だったものが、1分後に350円になり、その時点から2時間後には250円になってしまう。こんな急激な価格変動は、かつては大晦日の市場の値引き交渉以外にはありえなかった。消費者が納得する価値にふさわしい価格を付けたはずだが、価格が下がれば実感する価値が反比例するように大きくなるのだろう……そんなふうに考えていた。だが、はたしてそうなのか。とある日の午後6時、いきなり680円の弁当に半額ラベルが貼られたことがあった。しかも、ぼくの目の前で。それを一つ取ってカゴに入れたのは言うまでもない。価格と価値の関係? そんな難しい話ではなかったのである。

年賀状と喪中はがき

2013年賀状.jpgこれは2012年の年賀状である。謹賀新年という文字以外にこれといった季節感は漂っていない。干支の話題もイラストもない。ぼくたちの仕事に関わる考え方の話が中心であって、何かのヒントにしていただければ幸いという思いで書いている。

企画の仕事の敵は外部環境にはいない。闘う相手はつねに内なる敵である。どんな敵か。発想的には固定観念であり常識への安住であり、言語的には陳腐な常套句である……こんなことに思いを巡らしながら、毎年、いくつかのキーワードを拾い上げる。そして、自省の意味も込めて、ありきたりなテーゼに対してささやかなアンチテーゼを投げ掛ける。弱者のつぶやきに過ぎないが、かなり真剣で本気だ。もう二十年近くこのスタイルを続けてきた。2013年度の年賀状は、何度も推敲を繰り返して、先ほど校了した。

さて、年賀状に取り掛かるこの時期、喪中のはがきも手元に届く。齢を重ねるにつれ、年々数も増えていく。今年もすでに十数枚にはなっているだろう。どなたが亡くなったのか明記していないのもあれば、義兄だったり叔母だったりもする。どこまでの親族に対して喪中や忌中とするのかよく知らないし、マナー本を開いてみようとも思わない。ただ、ここ数年、いただくのは喪中はがきばかりで、年賀状を久しくもらっていない人もいる。
親族が多くて高齢化してくると、年賀状と喪中はがきを隔年投函するようなことも稀ではなくなる。人が亡くなっておめでたいはずはない。知らぬ人であってもお悔み申し上げる。だが、縁あって一度だけ会い、お互いに義理堅く年賀状をやりとりしてきたが、その人自身もよく知らない関係なのに「義母が亡くなった」というはがきをいただいても、正直言ってピンとこないのである。
喪中はがきの差出人にもぼくは年賀状を出す。謹賀新年で表される良き年を迎えていただきたいからである。ついでに拙文にも目を通していただくかチラっと見ていただくかして、「相変わらず青二才だなあ」と思ってもらえればよい。かねてから喪中はがきの慣習に首を傾げる立場だが、人それぞれの考え方に寛容でありたいと思う。だが、自分が喪に服すことと年賀状を出すことが相反するはずもない。マナーの専門家が何と言おうと、前年にどんな不幸があろうと、お互いに新年を祝い多幸を祈ればいいのではないか。