学びの場、ジャパニーズスタイル

大阪市内にあって、自宅もオフィスも歴史にゆかりのある一角にある。もちろん立ち並ぶ建物はことごとく近代化しているのだが、大川には八軒家浜の船着場の跡があり、少し西へ行くと旧熊野街道が南北に通っている。大阪の由来となった「大坂」――文字通り、大きな坂――はオフィスのすぐそばだし、5分も歩けば大阪城の大手門にも到る。テナントとして入っているこのビルは、その昔両替商だったらしい。

ここから南の方へ少し下ると、坂のある路地が細く入り組んだ古い街並みが残っている。広い敷地の旧宅をそのまま生かしたギャラリーや蕎麦屋もある。長屋続きの町家も随所に点在していて昔を偲ばせる。仕事に役立つかどうかわからないが、そんな町家を一軒借りて、一見遠回りな講話をしたり対話をしたりする私塾を主宰してみたいとずっと考えてきた。これまた近くに残っている緒方洪庵の適塾が特徴とした輪講なども人間力鍛錬にはいいだろうなどと構想を練ってきた。しかし、なかなかいい物件が見つからず今に至っている。今年の私塾大阪講座は老舗のホテルでの開催になった。

ぼくの私塾を〈岡野塾〉と命名したのは京都の知人である。自分の姓を表看板にするほど実力も知名度もないが、言われるままにそうさせてもらった。以来数年が経ち、当初ほど違和感を抱いてはいない。かつての談論風発塾同様に、ぼくの私塾のイメージは「和風」を基底にしている。「まさか、冗談でしょ? 講座のテーマはほとんど洋風じゃないですか?」とチクリと言われそうだが、精神は根っから和風なのである。ついでなら、場も空気も和風にしたいと本気で考えている。


飲食しながら即興で知技と遊芸を競い合う、不定期の集まり〈知遊亭〉を近々開く運びになった。「ちゆてい」と読む。ぼくが席主となるが、入門に小難しい規定はない。「知遊亭○○」と号なり芸名を名乗り、毎回自前の飲食代だけ払ってもらえればよろしい。趣意書も出来上がっているが、定例開催の場所が決まらない。和の条件を満たす場探しにしばらく時間がかかるかもしれない。決まれば、本ブログ上で趣意書を公開して門下生を募りたい。なお、お題は当日来なければわからない。ぼくを感心させぼくから笑いを取るたびにポイントを加算して、知遊ランキングを上げていく。

ところで、研修や講演を和室でおこなった経験がないわけではない。傑作だったのは、洋風研修の最たるディベートを旅館の大広間で実施したことだ。主催者がディベートに不案内のまましつらえた結果だが、お座敷では京ことばや琴の音は似合っても、白熱の激論というわけにはいかなかった。なにしろ、座布団に座って向き合い、「エビデンスをお持ちですか?」などと問うのだから、力が入らない。旅館側のお節介な配慮によって、卓袱台には湯飲みと茶菓子まで置いてあった。講演するぼく自身も寄席の講談師のようであった。

研修所では小さな和室での少人数研修というケースも何度かあった。ご存知の通り、旅館のような和室には押入れがあり、その押入れの襖の柄が入室する扉の襖の模様と同じであったりする。研修担当者がそろりと襖を開け、会釈して入室し参観する。しばらくして、座ったまま静かに後ずさりし立ち上がって、音を立てぬよう襖を開ける。ところが、開けた襖の向こうには重ねられた布団! そう、出入の引き戸と押入れを間違えてしまうのだ。静寂が破れて大笑い。ジャパニーズスタイルの学びの場には、ハプニング性の滑稽と可笑しさが潜んでいる。それがまたたまらない。 

昨日と同じ今日はない

電車通勤片道45分の生活から職住近接の生活にシフトしてから4年が過ぎた。地下鉄の駅間隔で言うと、一駅半くらいの距離。早足の徒歩で13分~15分。二つの長い信号と三つほどの短い信号の待ち時間次第で、2分の時間差が生じる。例外的な豪雨の日のみ地下鉄を利用するが、ほぼ毎日往復歩いている。こんな距離と時間でも、ふだん車に乗り慣れて歩かない人には、遠距離で長時間に映るようだ。

塾生のKさんの足は車である。おそらくゴルフ場と町内の食堂にランチに出掛ける時以外はめったに歩かないだろう。彼は思い出したようにオフィスにやって来てぼくをランチに誘い出す。すでに店じまいをしてしまったが、歩いて2分弱のところに十割蕎麦の店があった。「近くの蕎麦屋に行こう」とぼくが言い、その店を目指して歩き始めた。店まであと30メートルかそこらの地点で、彼は口を尖らせて「どこまで行くのですか?」と不満そうに聞いた。どうやら彼には2分の距離が遠かったようである。

たとえ徒歩15分の距離でも、歩くルートのバリエーションは一桁の数ではない。東西南北を数十本の道が走っているのだから、何百何千通りの道程がありうるだろう。同じ道は飽きるから、真っ直ぐ行くところを手前の角で右折したり、右折してすぐの道を左折したりしながら、時には迷路を楽しむように、しかし当然オフィスの方向を目指して足を運ぶ。ぼくには手段や作業はもちろん、些細なことをするにあたって、同じするなら一工夫して楽しもうとする癖がある。この癖が嵩じると厄介な凝り性につながってしまう。


道すがらにこれまた廃業した米穀店兼クリーニング店があった。店舗面積の80パーセントを閉じ、今ではクリーニングだけを扱っている。どんなルートを選んで歩いても、だいたいこの場所の前を通ることが多い。そして、米穀店を営業していたつい先月半ばまで、ぼくはその店の婆さんの「日課」をずっと目撃し続けていた。毎朝時前後に路肩に置いてある植木のそばに米粒を一握りほど蒔くのである。待ち構えていたスズメが一斉に電線から降りてくる。餌蒔きの直前は、頭上からの糞に注意せねばならなかった。

ところが、もはや米屋は存在しない。ゆえにばら蒔く米もない。いや、住居も兼ねている様子なので自宅用の米はあるだろうが、シャッターが閉まってからのここ半月、婆さんを見かけない。つまり、長年にわたって餌付けされてきたスズメが朝食にありつけなくなったのである。スズメはどうしているのかというと、今もなお、ぼくが通り過ぎる時間帯に何十羽も電線に止まって米粒を待ち構えてピーピーと啼いているのだ。

実を言うと、前に住んでいたマンションには広いルーフテラスがあって、ぼくも好奇心からスズメに餌付けをしたことがある。ところが、糞を散らかすわ鳩までやって来るわで、近所にも迷惑がかかりそうなのでやめた。だが、やめてから何ヵ月も彼らが学習した習慣は続いた。スズメの体内時計は狂わずに決まった時間に餌をねだり餌にありつこうとする。昨日と同じ習慣が今日も正確におこなわれるのだ。婆さん不在の異変をよそに、餌中心のぶれない日々と言えば、なかなかカッコいい。しかし、彼らはまだ知らない、ある日突然、昨日と違う今日が、今日と違う明日がやって来ることを。何だか、ともすればノーテンキに生きてしまうぼくたちへの教訓のように思えてきた。    

雨中のハプスブルク展

先週の土曜日は雨だった。雨降りが多いのを実感する今年の2月と3月だ。梅雨の季節と同じく、雨が続くと日々の変化を感じにくくなってしまう。せっかくの休日の土曜日、会期終了間際ということもあって、ハプスブルク展を目指して京都国立博物館に行くことにした。実は、6年前にウィーン美術史美術館を訪れているので、今回の展覧会をパスしようと思っていた。と言うのも、その美術館所蔵の作品が多いからである。しかし、ブダペスト国立西洋美術館所蔵の展示作品も揃っていると知り、少なからぬ興味は持っていた。

七条駅から地上へ出ると少し肌寒い。雨の中を人がやけに大勢歩いている。駅員さんが教えてくれた、前売券を販売している書店兼タバコ屋では数人が並んでいる。「ほほう、最終週になるとこんな具合なのか」と気楽に構えていた。驚きはこの後で、博物館に着くと入口に「待ち時間90分」の表示が出ているではないか。本家のウィーン美術史美術館やピカソ美術館では待ち時間ゼロ、ヴェルサイユ宮殿はわずか10分、ルーヴル博物館でも5分も並んでいない。正直、とても1時間半も待てないと思った。手元の前売チケットを誰かに買ってもらおうかとすでに算段し始めてもいた。

しかし、思い止まった。何をそんなにいている? と自問し、正午を少し回ったところなので、近くのうどん屋に入って腹ごしらえすることにした。待ち時間が増えるのか減るのかはわからない。博物館前で案内をしていたアルバイトの青年に聞いても、団体観光客が押し寄せているので判断がつかないと言う。「午後2時過ぎなら待ち時間が短縮されているだろう」という自分の希望的推論に賭けて、七条通を挟んで向かいの三十三間堂の門を20年ぶりにくぐることにした。国宝三十三間堂を時間潰しに使ったらバチが当たりそうなので、きわめて神妙かつ真剣に見学した。


博物館に戻ったら、待ち時間が60分になっていた。一応賭けはうまくいったようである。雨も上がった。とは言うものの、行列の並ぶ店を敬遠するぼくにとって1時間は長い。そこで、館外の常設ギャラリーで本を買うことにした。ハプスブルク関係は数冊あったが、品定めをして『ハプスブルク帝国』を買った。税別650円の一番安価な文庫本だったが、安いからではなく読みやすそうだったから求めたまで。待ち時間60分の表示はほぼ正しく、本も第3章まで読めたのであっと言う間に時間は過ぎた。

中世から近世にかけての西洋絵画の最大のテーマは宗教と人物である。宗教画と肖像画が圧倒的な数を誇る。ぼく自身は絵画の解説をヘッドホンで聞くオーディオサービスを受けたことがない。しかし、宗教画と肖像画を鑑賞するときだけは説明付きのほうがわかりやすいだろう。歴史の背景や人物の身上を通してこそ絵の見方が深みを増すことはたしかだ。たとえば、さほど有名でもない「フランドルのある青年」というタイトルの絵なら素通りする。しかし、肖像画が「マリア・テレジア」であり、彼女がオーストリア系ハプスブルク家の女帝であり、かのマリー・アントワネットの母君であることを知っていれば、あるいは神聖ローマ帝国や当時のヨーロッパの勢力地図の知識が少しでもあれば、単なる一枚の肖像画としてその前を通り過ぎることはないだろう。

いや、絵画は気に入るか気に入らないかがすべてだ、色使いや構図やタッチが好みに適い、鑑賞していて楽しければそれでいいではないか、という考え方もある。何を隠そう、ぼくなどはそういう意見に強く与するほうなのだ。だから、キリストや聖書を知らないと理解しづらい宗教画にはあまり関心がない。どの教会にも掲げられている「受胎告知」を見るにつけ、「あなたは妊娠しましたよ」と天使が余計な世話を焼くものだと思っているくらいである。ぼくの好みの絵画は街の風景で、理屈はいらないし、気ままに時代や生活を偲びながら楽しむことができる。なお、三十三間堂の千体観音や観音二十八部衆像も宗教がらみ、さすがに歴史の予備知識がないと厳しい。   

成功事例の学び方

座右の銘ほど頻繁に使うわけでもない。また、ここぞというときの伝家の宝刀でもない。おそらく誰もが発しそうな、どこででも耳にしそうな格言。実際に使われているかもしれないが、一応ぼくの自作。「人は人からもっとも多くを学ぶ」というのがそれ。人物にひれ伏すように学ぶことではない。「偉人伝」に書いてある、いいことづくめで成功物語に酔いしれるのではなく、人物の功罪を学ぶという意味である。

平均的ビジネスマンがひも解く程度に企業と製品の成功事例や人物の成功秘話を研究したことがある。成功には最大公約数的な法則もうかがえるが、すぐれて顕在化する共通要素は少ないということがわかる。つまり、ほとんどの成功事例はそれぞれ固有であり特殊なのである。もちろん範とすべきビジネスモデルや理想の人物像は存在するだろう。しかし、長い歴史から見れば、普遍的な評価に浴するのは一握りであって、ほとんどは一過性の現象に終わる。また、世界を視野に入れれば、成功法則には軽視できないほどのバラツキがある。ケーススタディは一筋縄ではいかない。

近年成功美談にうつつを抜かすことはなくなった。懐疑的とまではいかないが、ほどほどに感心した後は丁重に流しておく。決して過度に思い入れをして秘訣を探って何とか生かしてやろうなどとは思わない。あまりいいたとえではないかもしれないが、ローヤルゼリーとプロポリスが蜂にとってスグレモノだからという理由で、蜂ではない人間が何かに憑かれたように摂取するのは考えものだ――という具合。蜂の成功、必ずしも万物の成功に通じず、である。


昨年12月にテレビで視聴した番組に成功事例につながる話題が二つあった。一つは、九州のDIYホームセンター。知る人ぞ知る「ムダな品揃え」を売りにしている企業である。どんなニーズにでも対応する覚悟の背景には強い顧客へのコミットメントがあるに違いない。顧客の欲しいものや必要なものが、たとえ量的に捌けなくても、たった一人のニーズに適うならば一個でも仕入れるという。頭が下がる思いだが、こうして「あの店に行けば必ず何かがある」という心理が顧客のマインドに醸成されていく。とは言え、この成功事例がそっくりそのまま活用できるとは考えられない。二番煎じというそしりを受けて真似をしても、多様化する顧客ニーズのすべてを満たすことなど常識的にはありえない。

もう一つの例は、「『できない』と言わない」を掲げる畳店の話だった。ぼくの見た場面は、ある居酒屋が注文した畳替えだ。畳替えはある種のリフォームである。店舗規模の大きい居酒屋が畳替えをしようと思えば、通常一日や二日の臨時休業を強いられる。だが、この畳の専門会社の売りは24時間対応。ものの見事に深夜の閉店時刻から翌日の開店時刻までの間に仕上げてしまう。旅館や料亭の大広間の畳の縁飾りもオリジナルなニーズにきめ細かに応える。感心ひとしきりのサービス精神である。

いずれの事例でも独創的な経営精神が余すところなく発揮されている。実際、顧客に向き合う商いの魂にぼくは強く鼓舞されもした。だが、正確に言うと、精神と道は違う。精神にならうことはできても、取るべき道には現実的にできることとできないことがある。少なくとも、ぼくのような企画業や講師業で身を立てる者がありとあらゆるニーズを満たすことなど不可能なのである。すなわち、ぼくの限界が市場の限界。えらく弱気なように響くかもしれないが、これまで持ち続けてきた諦念たいねんの一つだ。自らが得意とするところと「できないこと」を慎ましく明示してこそ、存在が意味を持つ。

二つの成功事例からぼくが学んだのは、顧客満足のための具体的方法論などではなく、何事も徹底する精神のほうであった。

能力について考えた一週間

ブログにはコメントをいただく。「ブログ上にコメントしにくい」という人たちは、メールや口頭で意見を寄せてくれる。この一週間は、まったく偶然なのだが、人および人の能力について考察する機会が多かった。言いっ放しにしておかないで、余燼が熱いうちにアトランダムに少し振り返っておこうと思う。


昨日の、アイデア不足を精神主義でごまかす話にコメントをいただいた。企画性の高い仕事をしている人なら誰もが経験するだろうが、アイデアは出ないときにはどんなに足掻あがいても出ない。現ナマの札束を目の前に置かれようと何十発の鞭に打たれようと、どうしようもない。焦る。焦ってどうするかというと、内からの叱咤激励系のコトバの鞭、すなわち「何が何でもやるんだ! 頑張るんだ!」で身体を打つ。もちろん効果などない。精神主義とは、ある意味で玉砕的であり「自爆テロ的」であることを知っておくべきだろう。アイデアが出ない時、ぼくは着実な作業に打ち込む。精神に向かわず現実に向かう。一年前のレジュメを書き直したりパワーポイントのフォントや色をいじったり。とにかくコツコツ作業を積み重ねる。アイスブレークの最良の方法は単純作業か、散歩だと思っている。


先週の金曜日に「ぼくは決して遅れない。足りない才能を納期遵守力でカバーするタイプである」と書いたら、「そんな心にもないことを」と言われた。「足りない才能なんて思ったことはないでしょ?」という意味である。いやはや、謙遜でも何でもないから、困った。人が一度読めばわかることを二度読まねばならないし、断片的で雑多な知識はまずまず持ち合わせているが、体系的に知を組み立てるのは苦手である。「かく仕上げたい」と思う方向に文章も書けていないし、仕事も運べていない。企画をしていながら、私塾のコンセプトを伝えるのは不器用である。ぼくは理想とする才能への道未だ険しと痛感しているのである。但し、確実にできることはその日のうちにやり遂げる。その一つが「期限を守る」なのだ。あり余る才能があっても、期限を破ればすべておしまい。ゆえに期限を守る。


「あ、この人、自分がわかっていないなあ」と感じることがないだろうか。たとえば、自分のことを笑わせ上手だと信じきっている人がいる。ジョークを言ったりはしゃいでみたり、タイミングを見計らっては笑わせようとする。また、間違いなく笑わせることができると確信している。もちろん彼は自分自身をおもしろい人間だと思っているから、ナルシストよろしく自分のネタにも笑う。やむなく周囲も苦笑い。こうして、彼は「オレは笑わせ上手」を生涯疑うことがない。他者が描く像と自画像の間には認識相違パーセプションギャップがある。自分はこうだと思っているほど、他人の眼にはそう映ってはいない。よく自戒しておきたい。


いろんな会社を見てきた。いろんな経営者も見てきた。成功法則はわからない。無策でもうまくいくし、諸策万全にして潰れていく企業もある(逆も真なり)。水が方円の器に随うように、人材は組織の大小やカラーに柔軟に適合するわけではない。水も固体、液体、気体と大きく変化したり多様な顔を見せるが、人材の多様性はそれどころではない。つくづく「十人十色」とはうまく言ったものだと思う。企業システムと人材には相性がある。あるシステムにどんな人材も適応するようなら、そのシステムそのものは平凡で、十人一色的特徴を持っているのだろう。システムから入るのではなく、人から入る。ぼくは「企業は人なり」よりも「人が企業なり」に分があると思っているので、人間の勉強をする。システムの勉強には熱心ではない。

新年早々、雑感と予感

大晦日、夕方から惰性でテレビを視聴。自宅の会読会で残った日本酒を一杯、二杯目にウィスキーをジンジャーエールでハイボールにして飲んだ。11時頃までもぐもぐとつまみを口にしていた。酒豪とはほど遠く、毎日酒を嗜むなどという習慣とも無縁だが、大晦日だけはここ十年ほどそのような過ごし方をしている。元旦の昨日、午前7時に目が覚めて、窓を開ける。この冬一番の寒さだった。透き通った冷たい空気に肌が瞬時に反応した。

昨年もブログ始めは12日。とある神社で引いたおみくじは三十六番だったのを覚えている。今年もその神社に行くことにした。ついつい日当たりのよい道を探し求めてしまう。神社方面は通りのこちら側なのだが、敢えて朝の陽射しを求めて通りの向こう側を歩く。神社ではセルフだが御神酒を振る舞っている。小ぶりな柄杓で樽からすくってコップに注ぐ。昨年のおみくじが三十六番だと覚えているのはほかでもない。直前に引いた男性が三十六番で、続いて引いたぼくのも三十六番だった。筒をしっかり振ったにもかかわらず、同じ番号が出た。

巫女さんに「去年は三十六番だった」と言えば、「よく覚えていますね」とにっこり。今年は同じ番号を引くまいと念入りに筒を振る。そして、適当に「十二番!」と予告すれば、驚くなかれ、十二番のみくじ棒が出てきた。こんなときは、だいたい「凶」と出るのが相場である。案の定、凶であった。縁起でもない! などと立腹せずに、メッセージを拝読。「自惚れたり過信するとよくないぞ」というようなことが書かれてあったので、ありがたく受け止めることにした。


足を伸ばして名のよく知れた別の神社を通り抜け、さらに南下して、これまた有名な名門の寺をくぐった。神仏の熱心な信者でもなく有神論者でもない日本人の多くは、このように神社仏閣のハシゴができるのである。年中行事的には教会も加わるから、まことに都合よく神仏を活用するものだ。

ところで、おみくじの十二番。もしあの番号が昨年と同じ三十六番だったら、別の驚きを覚えたに違いない。三十五番か三十七番なら、「おっ、去年と一番違い」と驚き、一番や七番や八番だったらそれぞれに縁起を感じようとしたに違いない。確率論を学んでいた頃によく感じた不思議がある。三桁の000から999までの数字のどれかが出る確率は同じ。たとえば169777のどちらも千分の一の確率で出てくるのだが、なぜ同じ数字が三つ並ぶと驚いてしまうのか。確率にではなく、数字が揃うことに感動しているのである。

もう一つの驚きは予感や想定と一致することによるものだ。十二番と考えたから十二番に驚くわけで、何も考えていなければそんなことに注意は向かない。何事かの前に予感を膨らませたりイメージを掻き立てたりすることは楽しい。外れてもショックはないが、当たると直感の冴えに喜びを覚えることができる。この通りのあの角を右へ曲がれば愛らしい小犬がいるなどと想像して、ほんとうにそうであるケースはめったにないが、その通りであったらもうたまらない。あれこれと雑感を膨らませればわくわくする予感も芽生え、予感のいくつかが的中して快感につながる。

「決め」の時、年末

その年が良くても悪くても、時は流れて年は変わる。カレンダーがあるかぎり、節目と決別することはできそうもない。何はともあれ、今年の舞台に幕を降ろさねばならないし、降ろすや否や新しい舞台の幕が開く。うやむやの幕切れは新年に憂いを持ち越すから、反省も含めた気持の決算、近未来を見据えての気持の決心をしっかりしておくに越したことはない。そう、「決め」ておかねばならない。

決めと言えば、野球のピッチャーなら「決め球」と答えるだろう。ご承知の通り、全球が決め球だと決めの効果がない。一人の打者に決め球は一球のみ。いや、勝負どころでは1イニングに一球ということすらあるかもしれない。早すぎる決め球は功を奏さない。また、遅すぎる決め球というのは存在しない。決め球は一球しかなく、その一球で決められなかったら、その後はない。「決められなかったので、もう一度決めます」という言い逃れもありえない。決めるとなれば、決めるしかないのだ。

格闘技なら「決め技」ということになる。そうそう、「決め台詞ゼリフ」というのもある。特定の場面で何度も繰り返され、観客が心待ちにしているフレーズも決め台詞と言うが、「そろそろ出るぞ」と予感でき、かつ「待ってました!」とワクワクするようなら、決め台詞などではなく「決まり文句」と呼ぶのがふさわしい。座右の銘に近いものは決め不足なのだろう。決め台詞にはタイミングと、場合によっては、即興性がなければならないと思う。


年越しそばなどいつ食べても同じはずなのに、晦日に食べるとなると「決めそば」になる。年越しそばには、これにて打ち止め、以上、終わりというようなニュアンスが出てくる。しかも、タイミングは絶対条件だ。クリスマスの日に年越しそばは落ち着かない。ところで、そんなに押し詰まってからの食事ではなく、ぼくには日々、今日のランチは「これしかない」という、「決めランチ」がある。もちろん、決めランチと言うくらいだから、毎日あってはいけない。多くても週に一回、できれば月に二回くらいが望ましい。

たいてい前日の夕食後に「明日のランチはこれだ!」と浮かぶのが決めランチ。あるいは当日の朝食後に「今日のランチは、つべこべ言わずに、あれで決まり!」という具合。前の週に「来週の金曜日はビフカツ」というインスピレーションが湧き立つ時さえある。決めランチの日の午前中に誰かから電話があって、別のランチを食べる破目に陥ることもある。決めランチを楽しむのは基本的に一人なので、誰かと一緒になればそこまで意地を張れない。「ランチ? いいよ。でも、今日は絶対○○を食べるつもりだから、それでよければ一緒に行こう」などと注釈つけるのは大人げない。

決めランチのつもりで店におもむくのだが、店のほうで出すメニューがぼくの期待に応えて見事に決めてくれるとはかぎらない。だが、これはやむなし。先週か、昨日か、今朝に、あの店であのメニューを食べようと決めにかかったぼくの責任である。自慢するわけではないが、ぼくが決めランチをして訪れる店はだいたい寿命が長い。つまり、そのような店はおおよそ評判がいいのである。惜しいことに、よく決めそばをしていた蕎麦屋が閉店を決めた。勝負に出る決めとは違って、勝負を諦める決めには哀愁が漂う。 

運勢占いのメッセージ

自分の星座が何であるかぐらいは知っている。水瓶座である。家族の星座もかろうじて言えるが、何月何日生まれが何座になるかはわからないし、星座の順番を正しく言うことはできない。ぼくはこの歳になって恥ずかしいことなのかもしれないが、干支にもあまり関心がない。正しい順番に十二支を言えるとは思うが、そらんじようとしたことは一度もない。もちろん、自分の干支は知っている。

ニュースを目当てに朝にテレビをつけることが多いが、支度と朝食をしながら聞き流す程度である。どこのチャンネルでも星座占いの時間帯があって、あなたの今日の運勢を「予知」している。最高の日であるか最悪の日であるかをきっぱりと告げているのには感心する。一昨日の朝、いつもとは違ってちょっとしっかり聞き、実際に画面上の文章も読んでみたのである。いやはや、とてもおもしろいことに気づいてしまった(熱心な星座ファンには当たり前のことなのだろうが……)。

○○○座の今日の運勢が「今日も一日笑顔で人に接しましょう」という内容であるのに対し、□□□座が「パソコン操作のミスに注意しましょう」だったのである。十二の星座すべてを同一人物が占星しているに違いない。にもかかわらず、この二つのメッセージ間の異質性は高い。前者は老若男女どなたにも当てはまる。ところが、後者はパソコンを使う人に絞ったメッセージになっている。□□□座でありながらパソコンを常習的に使わない人たちは何を占ってもらったのだろうか。


昨日と今朝も見てみたら、チャンネルによって占星術のスタイルが違うことがわかった。恋をよく芽生えさせたり失恋させたり、会議をうまく運営させたり、意外なところからお金が入ってきたりと占ってみせる。出勤前の若い女性をターゲットにしている傾向が強いと見た。関心事は金運、恋愛運、仕事運に集中している。いや、よく考えたら、それ以外に占ってもらうことなどそんなにないような気もしてくる。

毎日十二の星座を占うということは週5日としても60種類のメッセージになる。一年にすれば膨大だ。たとえ週間占い専門でも年間で数百種類に及ぶ。繰り返しのパターンやひな型があるのかどうか知らないが、それにしてもその日やその週の運勢を一、二行でコピーライティングするのは生易しい仕事ではない。察するに余りある。

人類を4種類や12種類に分類すること自体に無理があるのは誰もが承知している。八卦のほうではそのことをわきまえて「当たるも八卦、当たらぬも八卦」と謙遜するのだろうか。別に皮肉っているつもりはない。それどころか、多数のサンプルをいくつかに分類して傾向や特徴を示すのは、別に占いの世界だけにかぎらず、心理学でもマーケティングでもやっていることだ。ちなみに今日のぼくの運勢を数値化すると76点だった。一日を振り返ってみたら、ぴったり76点のような気がしないでもない。 

また一年が巡った……

先週取り上げたオフィス近くのお寺の「今月のことば」が新しくなった。そのメッセージには、おそらく誰もが「あ、イタたたた……」とつぶやき共感するはずである。

「そのうちそのうちといいながら 一年がたってしまいました」

耳が痛いどころではない。後悔と反省が身体じゅうのすべての神経を逆撫でする。「一年」、つまり365日だからこたえるのである。これが「あっという間に一時間が過ぎた」だったら平気だろう。その一時間が24倍になる一日でも、「今日は早かったなあ」でおしまい。一日や一週間の時間の流れで猛省するほど、ぼくたちはヤワではない。ヤワではないは、褒めことばではなく、「鈍感」という意味である。

話が一週間の50倍、一日の365倍になってしまうと、もはや「ドキッ」では済まない。相当やばいことであると思ってしまう。たとえば、新聞に気に入った記事があれば、その日のうちに切り抜いて手帳にはさんでおけばいいのに、明日に先延ばし。明日になれば、また明日。ええい面倒だ、今度の土曜日にまとめてクリッピングだ! こうして一ヵ月、二ヵ月分の新聞が溜まる。それでも忍耐強く記事を探して切り抜いた時期もあった。今では、そっくり処分して、「いい記事などなかったのだ」と自分に言い聞かせている。


新聞の切り抜きをサボるくらい何ということはない。しかし、この「そのうちに」という癖の伝染性は強くて、他の課題や目標にも影響を及ぼす。こうして年がら年中、「今日の一瞬一瞬」を適当に流し、明日があるさと期待して、やがて来週、来月となって「そのうちそのうち」と二度繰り返し、気がつけば一年が経っていた、というストーリーが完結する。

さらに、もっとすごい恐怖が将来にやって来る。「そのうちそのうちといいながら十年、二十年が経ちました」と意気消沈しなければならなくなるのだ。一年くらいなら年末に忘年会でスカッと忘れ、正月を迎えて知らん顔しておけばいいが、十年、二十年になるとさすがに焦る。いや、焦るなどという甘い表現では追いつかない。もはや「取り返しがつかない無念」にさいなまれる。

「悟りを求める前、一年はあっという間に過ぎ去った。悟りを求めようと努めたら、一年はゆっくりと過ぎていくようになった。やがて悟りに達したあと、一年はあっという間に過ぎ去るようになった。」

これはぼくの創作。悟っても一年があっという間に過ぎ去るのなら、悟らなくてもいいのだ――こう手前勝手に解釈してもらっては困る。悟りの前の一年に中身はない。悟りを求めているときは意識するので、一年が充実して長くなる。悟りに達したあとは、一年も永遠も同じ相に入る。いつも至福の瞬間だからあっという間に過ぎ去るのである。こんなメッセージを自作して自演するように心掛けているのだが、「そのうちに」と棚上げした事柄が少々気になる年末だ。悟りへの道は長く険しい。

少々苦心する年賀状テーマ

師走である。師走と言えば、年末ジャンボ宝くじ、流行語大賞、M1などの新しいイベントが話題をさらうようになった。昔ながらの風物詩は息が絶え、街も人心も季節性と縁を切っている様子である。忘年会は景気とは無関係にそこそこ賑わうのだろうか。ぎっしり詰まった忘年会のスケジュールを自慢する知り合いがいる。年末に10数回も仰々しい酒盛りをするとは、忘れたくてたまらない一年だったのだろう。何度でも忘年会に出るのは自由だが、その数を威張るのはやめたほうがいい。

かろうじて粘っている年代物の風物詩は紅白歌合戦と年賀状くらいのものか。いずれも惰性に流れているように見える。惰性に同調することはないのだが、年賀状をどうするかという決断は意外にむずかしい。紅白はテレビを見なければ済むが、年賀状は双方向性のご挨拶だ。自分がやめても、年賀状は送られてくる。数百枚の年賀状をもらっておいて知らん顔する度胸は、今のところぼくにはない。というわけで、年賀状の文面を考えるのは今年もぼくの風物詩の一つになる。正確に言うと、その風物詩は今日の午後に終わった。

ぼくの年賀状には10数年続けてきた様式とテーマの特性がある。四百字詰め原稿用紙にして5枚の文章量に、時事性、正論、逆説、批判精神、ユーモアなどをそれぞれ配合している。敢えて「長年の読者」と呼ぶが、彼らはテーマの癖をつかんでいるだろうが、来年初めて受け取る人は少し困惑するはずである。即座に真意が読めないのは言うまでもなく、なぜこんなことを年賀状に書くのかがわからないからである。同情のいたりである。


一年間無為徒食に過ごしてこなかったし、後顧の憂いなきように仕事にも励んできたつもりだ。だから、生意気なことを言うようだが、書きたいテーマはいくらでもある。にもかかわらず、昨年に続いて今年もテーマ探しに戸惑った。先に書いたように、逆説と批判精神とユーモアをテーマに込めるのだから、くすぶっている時代に少々合いにくい。「こいつ、時代や社会の空気も読まずに、何を書いているんだ!」という反感を招かないともかぎらないのだ。だからと言って、ダメなものをダメとか、美しいものを美しいと唱える写実主義的テーマも文体も苦手なのである。

思いきってスタイルを変えようかとも思った。ほんの数時間だが少々悩みもした。しかし、腹を決めて、昨年まで続けてきた流儀を踏襲することにした。そうと決めたら話は早く、今朝2時間ほどで一気に書き上げた。テーマを決めたのはむろんぼく自身である。しかし、前提に時代がある。自分勝手にテーマを選んで書いてきたつもりだが、このブログ同様に、テーマは自分と時代が一体となって決まることがよくわかった。

今日の時点で年賀状を公開するわけにはいかない。というわけで、二〇〇九年度の年賀状(2009年賀状.pdf)を紹介しておく。大半の読者がこの年賀状を受け取っているはずなのだが、文面を覚えている人は皆無だろう。それはそれで何ら問題はない。気に入った本でさえ再読しないのに、他人の年賀状を座右の銘のごとく扱う義務などないのである。さて、年初から一年経過した今、再読して思い出してくれる奇特な読者はいるのだろうか。