また別の機会に……

まとまった休みを前にして、おそらく世間の誰もがそうするように、ぼくもあれをしようこれをしようと前もって行動を定める。この日に何々などの無理算段は決してしないが、5日間なら5日間でやってみようと思うことを大まかにスケッチはしてみる。ところが、夏真っ盛りの盆休みも年末年始の正月休みも、そして昨日までの大型連休も、季節は変われどもいっこうに変わらぬ自分がいる。毎度毎度、想定したほどの行動をやり遂げることはめったになく、成果もせいぜい七、八分止まりなのである。

そんな後味の悪さを残すくらいなら、何も考えずに、いっそのこと無為徒食を決め込んで居直ればいいのに、その勇気さえ持たない。予定を立ててもしっくりいかないていたらくなのだから、行き当たりばったりの惨状は推して知るべしだろう。結果が思惑違いになろうが、弱い精神の持ち主にとっては何がしかの小さな計画は一敗地にまみれないためのせめてもの抵抗なのである。

と言いつつも、悔やんでも悔やみきれない休暇を過ごしたわけではない。読もうと思って手元に置いた本にはだいたい目を通したし、自宅から東西南北すべての方向へと数時間ばかり散策もしてみた。うまいものも食った。人混みに辟易してすぐに帰ってきたが、ある日の午前中には行楽地へも出掛けた。『不思議の国のアリス』の原本との違いと連動性を確かめるべく、3Dではないが『アリスインワンダーランド』も観てきた。ついでの力を借りてルイス・キャロルの『不思議の国の論理学』も再び拾い読みしてみた。予定した以外の時間にもそれなりにやっただけの意義はあったかもしれない。


「また別の機会」はめったにないと思っている。いま疑問に思ったことを調べなければ、明日以降に調べてみようと思い立つ確率は間違いなく小さくなる。食べたいものは食べたいときに口に運ぶべきで、チャンスを逃すと永遠の先延ばしスパイラルに陥ってしまう。調べものも食事も、その他すべてにおいてこのことわりは生きている。

とある本に、本題から脱線した話が出てきた。その脱線話を途中まで書き綴っておきながら、著者はふいに閑話休題として話を元に戻す。このエピソードはおもしろいのだが、これ以上語り続けると、この文章のテーマから外れてしまうから、また別の機会に譲りたい、と著者はやめてしまうのだ。おいおい、それはないだろう、そこまで言っておいて読み手を興味津々にさせながら、別の機会とかわされては困る。いったいぼくは別の機会にあなたが書くであろうその話にどうすれば巡り合えるのか。あなたの書くエッセイをずっと追い続けるのは非現実的ではないか。

読書の世界で別の機会はないだろう。読んでみたいという衝動をいま満たさずして、後日縁があればお読みいただきたいでは納得がいかない。そう言えば、「この話は別のところでも書いたので繰り返さないが……」という言い回しにもよくお目にかかる。悪いけれど、あなたの本をそんなにたくさん読んでいるわけではないから、けち臭いことを言わずに概略でも繰り返せばいいではないか。熱心な読者ばかりではないのだ。

この話をもっと書きたいが、「また別の機会」にしたい。こうぼくが書いてもさほど問題はない。今のところ、ぼくの駄文発表の本拠地はこのブログだけであるから、近いうちに続編をお読みいただけるはずだ。「近いうちに」も「またの機会に」も同じことかもしれないが、書店に行ってぼくの著作を探さなくてもよい分、こういう逃げ方はさほど罪深くはないだろう。 

ぼくは恐いおじさんである

久しぶりにまずまずの陽射しに恵まれた先々週の土曜日、いつものように散歩に出掛けた。くねくね歩き続けているうちに、とある雑貨店の前に出た。店の前にいわゆる「ママチャリ」が止めてあって、その傍らに幼稚園児らしき女の子が固まったように立っている。不安そうにも見えた。こういう状況に出くわすと、知らん顔できない性分なのである。

「何歳くらいかな? 6歳くらい?」と聞くと、首を振り「5歳」と答えた。「6歳くらい?」と尋ねたのは、その子が大柄だったからだ。「5歳だったら、幼稚園でも大きいほうだね」と言えば、うなずいた。その表情には緊張感が走っている。とは言え、不安そうな緊張感はぼくが店に近づく前から遠目にうかがえた。「お母さんはお店の中?」などと確かめる。どうやら買うものが決まっている母親が、少々の時間外で待たせておいたような雰囲気である。ぼくは店に入り、商品を物色しながらもしばらくその女の子を気に止めていた。

その雑貨店で何かを買おうと思ったわけではないが、店内を奥へ進めばアロマコーナーがあった。時々ヒーリングインセンスなるお香を部屋で用いるものの、アロマポットは持っていない。驚くほど安いアロマポットが置いてあり、買うことにした。アロマオイルも何種類もあるので、テスターを順番に嗅いでいた。ちょうどその時である。店の外で堰を切ったような女の子の泣き叫びが轟いた。間髪を入れず、「どうしたの!?」という母親の響く声。たとえわずかな時間とはいえ、一人店外で母親を待つ不安でいっぱいだったのだ。泣くのはしかたがない。ともあれ、母親の買物が終ったようで一安心だ。


外の様子はぼくには見えなかったが、泣きじゃくる娘に話しかける母親の声はよく聞えてきた。耳を傾ければ、どうも様子が変なのである。「誰かに何か言われたの!?」とか「何か変なことされたの!?」と詰問しているではないか。そんな時間が数十秒続いただろうか、やがて女の子の泣き声は遠ざかっていった。この時点でぼくは合点がいったのである。

女の子は一人にされて母親を待つことにこわばっていたのではない。ぼくが遠目に見た女の子の不安な表情は、女の子がぼくを遠目に見た結果だったのである。陽射しが強かったその日、ぼくはサングラスをかけていたのだ。このサングラスは他人が見れば濃いのだが、ぼくが見る景色や物などの色合いは肉眼とさほど変わらない。帰宅しても普段の眼鏡に替えないでそのままかけていることさえあるほどだ。ぼくは自分がサングラスをかけていることをすっかり忘れていた。

女の子は遠目に見たサングラス姿のぼくを恐いおじさんと感知したのである。ぼくに限らず、サングラスはどんなひょうきん顔でもコワモテに変貌させる。ぼくには恐いおじさんのアイデンティティはないはずだが、その子にはそう見られた。誰にどう見られても気にしないほうだが、ここはそうも言っておれない。人は見かけによらないし、人は見かけ通りであったりもする。人は一つのスタンスで生きているつもりながら、他者からは多種多様なスタンスの人間に見られている。

この小さな一件はなかなか意味深長である。子どもは正直に喜怒哀楽を表してくれるが、大人は人間関係上我慢してノーをイエスと言っている。「恐いおじさん」や「変なやつ」と思っていても、ふいに泣き出したり逃げ出したりしないから、状況不変だからといって安心してはいけない。大人の世界では泣きや怒りはなかなか顕在化しないのである。

「一生に一度は」という軽さ

先週、久しぶりにTBS『世界遺産』を見た。劣化が著しかった壁画『最後の晩餐』。その大修復は1999年に完了した。要した歳月はなんと22年! しかも、その修復を手掛けたのはたった一人の女性であった。その女性が歴史上の名画誕生と再生のエピソードを語った。

教会の壁画のほとんどは漆喰の上に顔料を塗って仕上げるフレスコ画で描かれる。半永久的に保存可能だ。但し、漆喰が乾ききる前に手早く絵を描かねばならず、また色の種類にも制約がある。レオナルド・ダ・ヴィンチは遅筆だったため、フレスコ画を苦手としていた。しかも、丹念に多色を重ねられないのも彼の嫌うところだった。したがって、当時としては珍しく晩餐をテンペラ画で描いたのである。見る人すべてを唸らせる名画になりえたが、手法的には完全に失敗だった。描いてから数年後には絵具が剥がれ始めたのである。

番組を見ていて、200610月のミラノを思い出した。『最後の晩餐』見たさにサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会まで足を運び、案の定「予約なしでは入れない」と断られた話。本ブログでもその話を書いた。番組で女性ナレーターが「一生に一度は見ておきたい名画」とさらりと言うではないか。その通り、今度ミラノに行く機会があれば、準備万端何ヵ月も前に日本で予約しておこうと思っている。


と同時に、別のことも頭をよぎる。そのような「一生に一度は」と修飾すべき体験の数々を強く願いながら、どれだけ未体験のままにしてきたことか。怠慢もあるだろう、時間不足もあるだろう。いや、そんな一生に一度の願いが分不相応に多すぎるのだろう。事は、世界遺産クラスの対象ばかりではない。一度は訪ねておきたい、一度は食しておきたい、一度は見ておきたい、一度は読んでおきたい……数え上げればキリがなく、歳を重ねるごとにそのような願望が増え続けるばかりである。

トランジットしたことはあるが、ぼくは上海の街を訪ねていないし、ドリアンなる果実を食べていない。『モナリザ』は見ているが、『最後の晩餐』を見ていないし、ドストエフスキーの『罪と罰』を読んでいない。こんなことを言い出すと、訪ねていない、食していない、見ていない、読んでいないほうが圧倒的に多いから、途方に暮れてしまう。加えて、「一度きりでほんとうにいいのか」と問いかけてみれば、「できれば、もう一度」という願望も膨らみ続けていることがわかる。「一生に一度体験」と「一生にもう一度体験」を足してみれば、一生ではとても足りないのである。

好奇心は飽くなきまでに「せめて一度」を求める。そして、そのような体験を望みながら、既決ボックスの件名数を未決ボックスの件名数が凌駕していくのを傍観している自分がいる。気がつけば、貴重な時間を費やすべき価値ある「一生に一度」がとても軽くなっているではないか。一生に一度という最上級の評価が安値になってしまっているのである。五万とある一生に一度の願望をうんと目の細かいフィルターにかけて、希少体験を絞り込むべきなのだろう。

 そうしてみた時、それでもぼくは『最後の晩餐』の鑑賞へとおもむくだろうか。

学びの場、ジャパニーズスタイル

大阪市内にあって、自宅もオフィスも歴史にゆかりのある一角にある。もちろん立ち並ぶ建物はことごとく近代化しているのだが、大川には八軒家浜の船着場の跡があり、少し西へ行くと旧熊野街道が南北に通っている。大阪の由来となった「大坂」――文字通り、大きな坂――はオフィスのすぐそばだし、5分も歩けば大阪城の大手門にも到る。テナントとして入っているこのビルは、その昔両替商だったらしい。

ここから南の方へ少し下ると、坂のある路地が細く入り組んだ古い街並みが残っている。広い敷地の旧宅をそのまま生かしたギャラリーや蕎麦屋もある。長屋続きの町家も随所に点在していて昔を偲ばせる。仕事に役立つかどうかわからないが、そんな町家を一軒借りて、一見遠回りな講話をしたり対話をしたりする私塾を主宰してみたいとずっと考えてきた。これまた近くに残っている緒方洪庵の適塾が特徴とした輪講なども人間力鍛錬にはいいだろうなどと構想を練ってきた。しかし、なかなかいい物件が見つからず今に至っている。今年の私塾大阪講座は老舗のホテルでの開催になった。

ぼくの私塾を〈岡野塾〉と命名したのは京都の知人である。自分の姓を表看板にするほど実力も知名度もないが、言われるままにそうさせてもらった。以来数年が経ち、当初ほど違和感を抱いてはいない。かつての談論風発塾同様に、ぼくの私塾のイメージは「和風」を基底にしている。「まさか、冗談でしょ? 講座のテーマはほとんど洋風じゃないですか?」とチクリと言われそうだが、精神は根っから和風なのである。ついでなら、場も空気も和風にしたいと本気で考えている。


飲食しながら即興で知技と遊芸を競い合う、不定期の集まり〈知遊亭〉を近々開く運びになった。「ちゆてい」と読む。ぼくが席主となるが、入門に小難しい規定はない。「知遊亭○○」と号なり芸名を名乗り、毎回自前の飲食代だけ払ってもらえればよろしい。趣意書も出来上がっているが、定例開催の場所が決まらない。和の条件を満たす場探しにしばらく時間がかかるかもしれない。決まれば、本ブログ上で趣意書を公開して門下生を募りたい。なお、お題は当日来なければわからない。ぼくを感心させぼくから笑いを取るたびにポイントを加算して、知遊ランキングを上げていく。

ところで、研修や講演を和室でおこなった経験がないわけではない。傑作だったのは、洋風研修の最たるディベートを旅館の大広間で実施したことだ。主催者がディベートに不案内のまましつらえた結果だが、お座敷では京ことばや琴の音は似合っても、白熱の激論というわけにはいかなかった。なにしろ、座布団に座って向き合い、「エビデンスをお持ちですか?」などと問うのだから、力が入らない。旅館側のお節介な配慮によって、卓袱台には湯飲みと茶菓子まで置いてあった。講演するぼく自身も寄席の講談師のようであった。

研修所では小さな和室での少人数研修というケースも何度かあった。ご存知の通り、旅館のような和室には押入れがあり、その押入れの襖の柄が入室する扉の襖の模様と同じであったりする。研修担当者がそろりと襖を開け、会釈して入室し参観する。しばらくして、座ったまま静かに後ずさりし立ち上がって、音を立てぬよう襖を開ける。ところが、開けた襖の向こうには重ねられた布団! そう、出入の引き戸と押入れを間違えてしまうのだ。静寂が破れて大笑い。ジャパニーズスタイルの学びの場には、ハプニング性の滑稽と可笑しさが潜んでいる。それがまたたまらない。 

昨日と同じ今日はない

電車通勤片道45分の生活から職住近接の生活にシフトしてから4年が過ぎた。地下鉄の駅間隔で言うと、一駅半くらいの距離。早足の徒歩で13分~15分。二つの長い信号と三つほどの短い信号の待ち時間次第で、2分の時間差が生じる。例外的な豪雨の日のみ地下鉄を利用するが、ほぼ毎日往復歩いている。こんな距離と時間でも、ふだん車に乗り慣れて歩かない人には、遠距離で長時間に映るようだ。

塾生のKさんの足は車である。おそらくゴルフ場と町内の食堂にランチに出掛ける時以外はめったに歩かないだろう。彼は思い出したようにオフィスにやって来てぼくをランチに誘い出す。すでに店じまいをしてしまったが、歩いて2分弱のところに十割蕎麦の店があった。「近くの蕎麦屋に行こう」とぼくが言い、その店を目指して歩き始めた。店まであと30メートルかそこらの地点で、彼は口を尖らせて「どこまで行くのですか?」と不満そうに聞いた。どうやら彼には2分の距離が遠かったようである。

たとえ徒歩15分の距離でも、歩くルートのバリエーションは一桁の数ではない。東西南北を数十本の道が走っているのだから、何百何千通りの道程がありうるだろう。同じ道は飽きるから、真っ直ぐ行くところを手前の角で右折したり、右折してすぐの道を左折したりしながら、時には迷路を楽しむように、しかし当然オフィスの方向を目指して足を運ぶ。ぼくには手段や作業はもちろん、些細なことをするにあたって、同じするなら一工夫して楽しもうとする癖がある。この癖が嵩じると厄介な凝り性につながってしまう。


道すがらにこれまた廃業した米穀店兼クリーニング店があった。店舗面積の80パーセントを閉じ、今ではクリーニングだけを扱っている。どんなルートを選んで歩いても、だいたいこの場所の前を通ることが多い。そして、米穀店を営業していたつい先月半ばまで、ぼくはその店の婆さんの「日課」をずっと目撃し続けていた。毎朝時前後に路肩に置いてある植木のそばに米粒を一握りほど蒔くのである。待ち構えていたスズメが一斉に電線から降りてくる。餌蒔きの直前は、頭上からの糞に注意せねばならなかった。

ところが、もはや米屋は存在しない。ゆえにばら蒔く米もない。いや、住居も兼ねている様子なので自宅用の米はあるだろうが、シャッターが閉まってからのここ半月、婆さんを見かけない。つまり、長年にわたって餌付けされてきたスズメが朝食にありつけなくなったのである。スズメはどうしているのかというと、今もなお、ぼくが通り過ぎる時間帯に何十羽も電線に止まって米粒を待ち構えてピーピーと啼いているのだ。

実を言うと、前に住んでいたマンションには広いルーフテラスがあって、ぼくも好奇心からスズメに餌付けをしたことがある。ところが、糞を散らかすわ鳩までやって来るわで、近所にも迷惑がかかりそうなのでやめた。だが、やめてから何ヵ月も彼らが学習した習慣は続いた。スズメの体内時計は狂わずに決まった時間に餌をねだり餌にありつこうとする。昨日と同じ習慣が今日も正確におこなわれるのだ。婆さん不在の異変をよそに、餌中心のぶれない日々と言えば、なかなかカッコいい。しかし、彼らはまだ知らない、ある日突然、昨日と違う今日が、今日と違う明日がやって来ることを。何だか、ともすればノーテンキに生きてしまうぼくたちへの教訓のように思えてきた。    

雨中のハプスブルク展

先週の土曜日は雨だった。雨降りが多いのを実感する今年の2月と3月だ。梅雨の季節と同じく、雨が続くと日々の変化を感じにくくなってしまう。せっかくの休日の土曜日、会期終了間際ということもあって、ハプスブルク展を目指して京都国立博物館に行くことにした。実は、6年前にウィーン美術史美術館を訪れているので、今回の展覧会をパスしようと思っていた。と言うのも、その美術館所蔵の作品が多いからである。しかし、ブダペスト国立西洋美術館所蔵の展示作品も揃っていると知り、少なからぬ興味は持っていた。

七条駅から地上へ出ると少し肌寒い。雨の中を人がやけに大勢歩いている。駅員さんが教えてくれた、前売券を販売している書店兼タバコ屋では数人が並んでいる。「ほほう、最終週になるとこんな具合なのか」と気楽に構えていた。驚きはこの後で、博物館に着くと入口に「待ち時間90分」の表示が出ているではないか。本家のウィーン美術史美術館やピカソ美術館では待ち時間ゼロ、ヴェルサイユ宮殿はわずか10分、ルーヴル博物館でも5分も並んでいない。正直、とても1時間半も待てないと思った。手元の前売チケットを誰かに買ってもらおうかとすでに算段し始めてもいた。

しかし、思い止まった。何をそんなにいている? と自問し、正午を少し回ったところなので、近くのうどん屋に入って腹ごしらえすることにした。待ち時間が増えるのか減るのかはわからない。博物館前で案内をしていたアルバイトの青年に聞いても、団体観光客が押し寄せているので判断がつかないと言う。「午後2時過ぎなら待ち時間が短縮されているだろう」という自分の希望的推論に賭けて、七条通を挟んで向かいの三十三間堂の門を20年ぶりにくぐることにした。国宝三十三間堂を時間潰しに使ったらバチが当たりそうなので、きわめて神妙かつ真剣に見学した。


博物館に戻ったら、待ち時間が60分になっていた。一応賭けはうまくいったようである。雨も上がった。とは言うものの、行列の並ぶ店を敬遠するぼくにとって1時間は長い。そこで、館外の常設ギャラリーで本を買うことにした。ハプスブルク関係は数冊あったが、品定めをして『ハプスブルク帝国』を買った。税別650円の一番安価な文庫本だったが、安いからではなく読みやすそうだったから求めたまで。待ち時間60分の表示はほぼ正しく、本も第3章まで読めたのであっと言う間に時間は過ぎた。

中世から近世にかけての西洋絵画の最大のテーマは宗教と人物である。宗教画と肖像画が圧倒的な数を誇る。ぼく自身は絵画の解説をヘッドホンで聞くオーディオサービスを受けたことがない。しかし、宗教画と肖像画を鑑賞するときだけは説明付きのほうがわかりやすいだろう。歴史の背景や人物の身上を通してこそ絵の見方が深みを増すことはたしかだ。たとえば、さほど有名でもない「フランドルのある青年」というタイトルの絵なら素通りする。しかし、肖像画が「マリア・テレジア」であり、彼女がオーストリア系ハプスブルク家の女帝であり、かのマリー・アントワネットの母君であることを知っていれば、あるいは神聖ローマ帝国や当時のヨーロッパの勢力地図の知識が少しでもあれば、単なる一枚の肖像画としてその前を通り過ぎることはないだろう。

いや、絵画は気に入るか気に入らないかがすべてだ、色使いや構図やタッチが好みに適い、鑑賞していて楽しければそれでいいではないか、という考え方もある。何を隠そう、ぼくなどはそういう意見に強く与するほうなのだ。だから、キリストや聖書を知らないと理解しづらい宗教画にはあまり関心がない。どの教会にも掲げられている「受胎告知」を見るにつけ、「あなたは妊娠しましたよ」と天使が余計な世話を焼くものだと思っているくらいである。ぼくの好みの絵画は街の風景で、理屈はいらないし、気ままに時代や生活を偲びながら楽しむことができる。なお、三十三間堂の千体観音や観音二十八部衆像も宗教がらみ、さすがに歴史の予備知識がないと厳しい。   

成功事例の学び方

座右の銘ほど頻繁に使うわけでもない。また、ここぞというときの伝家の宝刀でもない。おそらく誰もが発しそうな、どこででも耳にしそうな格言。実際に使われているかもしれないが、一応ぼくの自作。「人は人からもっとも多くを学ぶ」というのがそれ。人物にひれ伏すように学ぶことではない。「偉人伝」に書いてある、いいことづくめで成功物語に酔いしれるのではなく、人物の功罪を学ぶという意味である。

平均的ビジネスマンがひも解く程度に企業と製品の成功事例や人物の成功秘話を研究したことがある。成功には最大公約数的な法則もうかがえるが、すぐれて顕在化する共通要素は少ないということがわかる。つまり、ほとんどの成功事例はそれぞれ固有であり特殊なのである。もちろん範とすべきビジネスモデルや理想の人物像は存在するだろう。しかし、長い歴史から見れば、普遍的な評価に浴するのは一握りであって、ほとんどは一過性の現象に終わる。また、世界を視野に入れれば、成功法則には軽視できないほどのバラツキがある。ケーススタディは一筋縄ではいかない。

近年成功美談にうつつを抜かすことはなくなった。懐疑的とまではいかないが、ほどほどに感心した後は丁重に流しておく。決して過度に思い入れをして秘訣を探って何とか生かしてやろうなどとは思わない。あまりいいたとえではないかもしれないが、ローヤルゼリーとプロポリスが蜂にとってスグレモノだからという理由で、蜂ではない人間が何かに憑かれたように摂取するのは考えものだ――という具合。蜂の成功、必ずしも万物の成功に通じず、である。


昨年12月にテレビで視聴した番組に成功事例につながる話題が二つあった。一つは、九州のDIYホームセンター。知る人ぞ知る「ムダな品揃え」を売りにしている企業である。どんなニーズにでも対応する覚悟の背景には強い顧客へのコミットメントがあるに違いない。顧客の欲しいものや必要なものが、たとえ量的に捌けなくても、たった一人のニーズに適うならば一個でも仕入れるという。頭が下がる思いだが、こうして「あの店に行けば必ず何かがある」という心理が顧客のマインドに醸成されていく。とは言え、この成功事例がそっくりそのまま活用できるとは考えられない。二番煎じというそしりを受けて真似をしても、多様化する顧客ニーズのすべてを満たすことなど常識的にはありえない。

もう一つの例は、「『できない』と言わない」を掲げる畳店の話だった。ぼくの見た場面は、ある居酒屋が注文した畳替えだ。畳替えはある種のリフォームである。店舗規模の大きい居酒屋が畳替えをしようと思えば、通常一日や二日の臨時休業を強いられる。だが、この畳の専門会社の売りは24時間対応。ものの見事に深夜の閉店時刻から翌日の開店時刻までの間に仕上げてしまう。旅館や料亭の大広間の畳の縁飾りもオリジナルなニーズにきめ細かに応える。感心ひとしきりのサービス精神である。

いずれの事例でも独創的な経営精神が余すところなく発揮されている。実際、顧客に向き合う商いの魂にぼくは強く鼓舞されもした。だが、正確に言うと、精神と道は違う。精神にならうことはできても、取るべき道には現実的にできることとできないことがある。少なくとも、ぼくのような企画業や講師業で身を立てる者がありとあらゆるニーズを満たすことなど不可能なのである。すなわち、ぼくの限界が市場の限界。えらく弱気なように響くかもしれないが、これまで持ち続けてきた諦念たいねんの一つだ。自らが得意とするところと「できないこと」を慎ましく明示してこそ、存在が意味を持つ。

二つの成功事例からぼくが学んだのは、顧客満足のための具体的方法論などではなく、何事も徹底する精神のほうであった。

能力について考えた一週間

ブログにはコメントをいただく。「ブログ上にコメントしにくい」という人たちは、メールや口頭で意見を寄せてくれる。この一週間は、まったく偶然なのだが、人および人の能力について考察する機会が多かった。言いっ放しにしておかないで、余燼が熱いうちにアトランダムに少し振り返っておこうと思う。


昨日の、アイデア不足を精神主義でごまかす話にコメントをいただいた。企画性の高い仕事をしている人なら誰もが経験するだろうが、アイデアは出ないときにはどんなに足掻あがいても出ない。現ナマの札束を目の前に置かれようと何十発の鞭に打たれようと、どうしようもない。焦る。焦ってどうするかというと、内からの叱咤激励系のコトバの鞭、すなわち「何が何でもやるんだ! 頑張るんだ!」で身体を打つ。もちろん効果などない。精神主義とは、ある意味で玉砕的であり「自爆テロ的」であることを知っておくべきだろう。アイデアが出ない時、ぼくは着実な作業に打ち込む。精神に向かわず現実に向かう。一年前のレジュメを書き直したりパワーポイントのフォントや色をいじったり。とにかくコツコツ作業を積み重ねる。アイスブレークの最良の方法は単純作業か、散歩だと思っている。


先週の金曜日に「ぼくは決して遅れない。足りない才能を納期遵守力でカバーするタイプである」と書いたら、「そんな心にもないことを」と言われた。「足りない才能なんて思ったことはないでしょ?」という意味である。いやはや、謙遜でも何でもないから、困った。人が一度読めばわかることを二度読まねばならないし、断片的で雑多な知識はまずまず持ち合わせているが、体系的に知を組み立てるのは苦手である。「かく仕上げたい」と思う方向に文章も書けていないし、仕事も運べていない。企画をしていながら、私塾のコンセプトを伝えるのは不器用である。ぼくは理想とする才能への道未だ険しと痛感しているのである。但し、確実にできることはその日のうちにやり遂げる。その一つが「期限を守る」なのだ。あり余る才能があっても、期限を破ればすべておしまい。ゆえに期限を守る。


「あ、この人、自分がわかっていないなあ」と感じることがないだろうか。たとえば、自分のことを笑わせ上手だと信じきっている人がいる。ジョークを言ったりはしゃいでみたり、タイミングを見計らっては笑わせようとする。また、間違いなく笑わせることができると確信している。もちろん彼は自分自身をおもしろい人間だと思っているから、ナルシストよろしく自分のネタにも笑う。やむなく周囲も苦笑い。こうして、彼は「オレは笑わせ上手」を生涯疑うことがない。他者が描く像と自画像の間には認識相違パーセプションギャップがある。自分はこうだと思っているほど、他人の眼にはそう映ってはいない。よく自戒しておきたい。


いろんな会社を見てきた。いろんな経営者も見てきた。成功法則はわからない。無策でもうまくいくし、諸策万全にして潰れていく企業もある(逆も真なり)。水が方円の器に随うように、人材は組織の大小やカラーに柔軟に適合するわけではない。水も固体、液体、気体と大きく変化したり多様な顔を見せるが、人材の多様性はそれどころではない。つくづく「十人十色」とはうまく言ったものだと思う。企業システムと人材には相性がある。あるシステムにどんな人材も適応するようなら、そのシステムそのものは平凡で、十人一色的特徴を持っているのだろう。システムから入るのではなく、人から入る。ぼくは「企業は人なり」よりも「人が企業なり」に分があると思っているので、人間の勉強をする。システムの勉強には熱心ではない。

新年早々、雑感と予感

大晦日、夕方から惰性でテレビを視聴。自宅の会読会で残った日本酒を一杯、二杯目にウィスキーをジンジャーエールでハイボールにして飲んだ。11時頃までもぐもぐとつまみを口にしていた。酒豪とはほど遠く、毎日酒を嗜むなどという習慣とも無縁だが、大晦日だけはここ十年ほどそのような過ごし方をしている。元旦の昨日、午前7時に目が覚めて、窓を開ける。この冬一番の寒さだった。透き通った冷たい空気に肌が瞬時に反応した。

昨年もブログ始めは12日。とある神社で引いたおみくじは三十六番だったのを覚えている。今年もその神社に行くことにした。ついつい日当たりのよい道を探し求めてしまう。神社方面は通りのこちら側なのだが、敢えて朝の陽射しを求めて通りの向こう側を歩く。神社ではセルフだが御神酒を振る舞っている。小ぶりな柄杓で樽からすくってコップに注ぐ。昨年のおみくじが三十六番だと覚えているのはほかでもない。直前に引いた男性が三十六番で、続いて引いたぼくのも三十六番だった。筒をしっかり振ったにもかかわらず、同じ番号が出た。

巫女さんに「去年は三十六番だった」と言えば、「よく覚えていますね」とにっこり。今年は同じ番号を引くまいと念入りに筒を振る。そして、適当に「十二番!」と予告すれば、驚くなかれ、十二番のみくじ棒が出てきた。こんなときは、だいたい「凶」と出るのが相場である。案の定、凶であった。縁起でもない! などと立腹せずに、メッセージを拝読。「自惚れたり過信するとよくないぞ」というようなことが書かれてあったので、ありがたく受け止めることにした。


足を伸ばして名のよく知れた別の神社を通り抜け、さらに南下して、これまた有名な名門の寺をくぐった。神仏の熱心な信者でもなく有神論者でもない日本人の多くは、このように神社仏閣のハシゴができるのである。年中行事的には教会も加わるから、まことに都合よく神仏を活用するものだ。

ところで、おみくじの十二番。もしあの番号が昨年と同じ三十六番だったら、別の驚きを覚えたに違いない。三十五番か三十七番なら、「おっ、去年と一番違い」と驚き、一番や七番や八番だったらそれぞれに縁起を感じようとしたに違いない。確率論を学んでいた頃によく感じた不思議がある。三桁の000から999までの数字のどれかが出る確率は同じ。たとえば169777のどちらも千分の一の確率で出てくるのだが、なぜ同じ数字が三つ並ぶと驚いてしまうのか。確率にではなく、数字が揃うことに感動しているのである。

もう一つの驚きは予感や想定と一致することによるものだ。十二番と考えたから十二番に驚くわけで、何も考えていなければそんなことに注意は向かない。何事かの前に予感を膨らませたりイメージを掻き立てたりすることは楽しい。外れてもショックはないが、当たると直感の冴えに喜びを覚えることができる。この通りのあの角を右へ曲がれば愛らしい小犬がいるなどと想像して、ほんとうにそうであるケースはめったにないが、その通りであったらもうたまらない。あれこれと雑感を膨らませればわくわくする予感も芽生え、予感のいくつかが的中して快感につながる。

「決め」の時、年末

その年が良くても悪くても、時は流れて年は変わる。カレンダーがあるかぎり、節目と決別することはできそうもない。何はともあれ、今年の舞台に幕を降ろさねばならないし、降ろすや否や新しい舞台の幕が開く。うやむやの幕切れは新年に憂いを持ち越すから、反省も含めた気持の決算、近未来を見据えての気持の決心をしっかりしておくに越したことはない。そう、「決め」ておかねばならない。

決めと言えば、野球のピッチャーなら「決め球」と答えるだろう。ご承知の通り、全球が決め球だと決めの効果がない。一人の打者に決め球は一球のみ。いや、勝負どころでは1イニングに一球ということすらあるかもしれない。早すぎる決め球は功を奏さない。また、遅すぎる決め球というのは存在しない。決め球は一球しかなく、その一球で決められなかったら、その後はない。「決められなかったので、もう一度決めます」という言い逃れもありえない。決めるとなれば、決めるしかないのだ。

格闘技なら「決め技」ということになる。そうそう、「決め台詞ゼリフ」というのもある。特定の場面で何度も繰り返され、観客が心待ちにしているフレーズも決め台詞と言うが、「そろそろ出るぞ」と予感でき、かつ「待ってました!」とワクワクするようなら、決め台詞などではなく「決まり文句」と呼ぶのがふさわしい。座右の銘に近いものは決め不足なのだろう。決め台詞にはタイミングと、場合によっては、即興性がなければならないと思う。


年越しそばなどいつ食べても同じはずなのに、晦日に食べるとなると「決めそば」になる。年越しそばには、これにて打ち止め、以上、終わりというようなニュアンスが出てくる。しかも、タイミングは絶対条件だ。クリスマスの日に年越しそばは落ち着かない。ところで、そんなに押し詰まってからの食事ではなく、ぼくには日々、今日のランチは「これしかない」という、「決めランチ」がある。もちろん、決めランチと言うくらいだから、毎日あってはいけない。多くても週に一回、できれば月に二回くらいが望ましい。

たいてい前日の夕食後に「明日のランチはこれだ!」と浮かぶのが決めランチ。あるいは当日の朝食後に「今日のランチは、つべこべ言わずに、あれで決まり!」という具合。前の週に「来週の金曜日はビフカツ」というインスピレーションが湧き立つ時さえある。決めランチの日の午前中に誰かから電話があって、別のランチを食べる破目に陥ることもある。決めランチを楽しむのは基本的に一人なので、誰かと一緒になればそこまで意地を張れない。「ランチ? いいよ。でも、今日は絶対○○を食べるつもりだから、それでよければ一緒に行こう」などと注釈つけるのは大人げない。

決めランチのつもりで店におもむくのだが、店のほうで出すメニューがぼくの期待に応えて見事に決めてくれるとはかぎらない。だが、これはやむなし。先週か、昨日か、今朝に、あの店であのメニューを食べようと決めにかかったぼくの責任である。自慢するわけではないが、ぼくが決めランチをして訪れる店はだいたい寿命が長い。つまり、そのような店はおおよそ評判がいいのである。惜しいことに、よく決めそばをしていた蕎麦屋が閉店を決めた。勝負に出る決めとは違って、勝負を諦める決めには哀愁が漂う。