対話に「あれもこれも」は禁物

「インターネットで飛び交う情報は過去のものばかり」と主張する場面があった。なるほどその通りだろう。しかし、もし「だからインターネットの活用には限界がある」と続けたら、これは勇み足になってしまう。議論における主張をどこで締めくくるかというのはかなり重要だ。調子に乗って弁舌を走らせてしまうと切り返されてしまう。

冷静に考えてみれば、インターネットに限らず、情報はすべて過去のものであることがわかる。書物だってそうだ。会話など交わされた直後に過去形に転じる。経営方針などの計画や天気予報や競馬の予想を未来形の情報のように錯覚してしまうが、未来をテーマとして扱っている過去の情報にすぎない。


閑話休題。昨日、第2回のディベートカフェを主宰した。第1ラウンドが「朝青龍のガッツポーズの是非」。この論題を11で議論する。第2ラウンドは33で議論する「脱インターネット宣言」(こちらのディベートで冒頭の主張がひょっこり顔を出した次第である)。

いずれも即興である。午後5時に論題を発表、若干の資料も配付。その場で発表されたチームの中で小一時間作戦を練る。ディベートフォーマットは肯定側の「立論」で始まるが、即興ディベートではこれを中途半端に作ってしまわずに、論点だけをメモしておく程度がいい。なぜ即興でやるのかにはいろんな理由があるが、第一義は「よく交叉接合する当意即妙の議論」を楽しみたいからである。

ところが、ディベートカフェのメンバーはほとんど即興ディベートの経験がない。数ヵ月前に論題を公示され、その論題に関して肯定側と否定側の立場から調査して証拠を集め、事前に肯定側の立論をきっちりと構成したり否定側の反駁戦略を立てたりしてディベートに臨んでいたのだ。このような「正規のディベート」では議論を「あれもこれも」と欲張り、論点が多岐にわたることが多くなる。議論も複雑になる。

かぎりなく生きた対話を目指す即興ディベートでこの癖が出るとまずい。即興には幕の内弁当は向かないのだ。むしろ、「あれかこれか」で一品を選ぶアラカルト型が好ましい。余計な枝葉を捨て去り、複雑なからめ手も避けて、単刀直入に論題に切り込むのがわかりやすい。「見方によって違う」とか「ケースバイケースだ」などの姑息な答弁は減点対象にしなければ、即興ゆえの議論のスリルが湧き上がらない。

「ディベート脳」については賛否両論あるが、「死んだ演説」ばかりではなく、時には「生きた対話」に向き合ってみるべきだろう。

歩いて知ること、気づくこと

長期連休あり、渋滞あり。長蛇の順番待ちあり、閑散としたレストランあり。悲喜こもごものゴールデンウィークである。他人が出掛けるときは出掛けない流儀なので、ぶらぶら散策するコースは交通量も少なく人出もほとんどない。大阪を南北に走る主要な谷町筋や堺筋はある種の歩行者天国である。御堂筋ですら、信号無視気味に横断できた。

堺筋本町から北浜へとゆっくり北上。堺筋の東側を歩くか西側を歩くかによって景観はまったく異なる。「あ、あんな店が……」という場合は、たいてい道路を挟んだ反対側を見ていての発見だ。店の前を歩いていても看板が目線より高いと見過ごしてしまう。


北浜の交差点南西角に碑が建っている。このあたりを通って中之島界隈までよく歩くので、記念碑の存在は以前から知っていた。ただ、いつも交通量の多い場所だから、碑の前でひたすら信号待ちしてひたすら公会堂、市役所方面へと歩を進める。今朝は立ち止まって読んでみた。「大阪俵物会所跡」とある。延享元年(1744年)にこの会所がスタートしたという。長崎と中国(当時は清)の海外貿易時に金銀銅が大量に流出するため、当時の輸出特産品である俵物を代用にあてたという旨が書かれている。

その俵物が、フカヒレ、干しなまこ、干しあわびと知って驚いた。こんな昔から中国で日本の乾燥海産物が珍重されていたのだ。三百年近くもブランドを保持しているとは……。高品質がブランドイメージを随えることの何よりの証明である。

肥後橋まで歩いていくと、橋の真ん中まで堂島から長い列ができている。連休最終日、ロールケーキ目当てに朝から並ぶ忍耐と根性はどうだ。噂にちょくちょく聞いていたし目撃もしていた。口にしたことがないので何とも言えないが、ぼくには考えられない「待ち」である。ことグルメ系の食べ物に関して列を成してまで並ぶ必要性をまったく感じない。それがどんなに美味であれ、誰かに頼まれたにせよ、何時間も待つ価値を見出だすことはできない。空腹で死にそうなときに炊き出しに並ぶとは思うが、ロールケーキを求めて並ぶことは絶対にない!


『安藤忠雄建築展 2009――水がつなぐ建築と街・全プロジェクト』の割引き優待券があったので一枚もらってきた。安藤忠雄に文句はない。しかし、チラシのタイトル「対決。水の都 大阪 vs ベニス」は滑稽である。「対決」と「vs」を生真面目に考えずに受け流せばいいのだろうが、対決させてどうなるんだと皮肉りたくなってしまう。大阪とベニスの航空写真を上下に並べて類比しているつもりなのだろうが、水路があるという事実以外に両者には類似点など一切ない。大阪は現代的な車の社会であり、ベニスは近世を残す人の社会である――このたった一つの理由だけで、両者を「対決」や「vs」で向き合わせるようなきわどいアナロジーには無理があるのだ。

水都大阪プロジェクト、大いに頑張っていただきたい。だが、何十年経っても、大阪はベニスにはなれないだろうなと確信した。ベニスになるためには、江戸時代末期の風景をそのまま残しておかねばならなかったのだ。それは叶わぬ夢である。それでもなお、秩序なく林立する高層ビルと、その谷間に申し訳なさそうに生き長らえる大正・昭和の古い建造物と、独特の水路系が織り成す大阪を歩く。週末にこの中途半端な街を散策するのが嫌いではない。

たまには出典不詳が愉快

詠み人知らずには、真性の不詳である場合と匿名希望という場合があるそうだ。講演や研修では、知りうるかぎり出典や著者名を極力示すようにしている。ところが、誰からともなく入ってきた情報や入手経路不明な知識のほうが圧倒的に多いのが現実。どこでどう身につけたのか知らないが、持論をトレースしていくと不確かな情報源に辿り着くのかもしれない。

自力で考えたと思っていたことが、丸々受け売りだったり。拝借したのではなく、偶然にして偉人の言と一致していることもあるだろう。ぼくはメモ帳からふと落ちてくる新聞の切り抜きや、割り箸の袋に走り書きした文言を見つけて、時々楽しんでいる。覚えていることもあるが、忘れていることのほうが多い。十中八九、出典は書いていない。出典がないのはオリジナルなアイデアだから? それとも、引用だったが出典を記さなかっただけ? もはやわからない。


こんな紙の切れ端があった。「できることをしないのは怠慢であり、できないことをできると言い張るのは欺瞞である。」 誰かの名言なのだろうか。ぼくが何かの拍子にメモしたのだろうか。出典不詳、記憶消滅である。

こんなジョークもある。「神経のことを英語で”ナーブ”と言います。だから、イライラすることは神経に障るので”ナーバス”と言うんですね。ナーブが傷つくと大変です。だから薬が必要になります。ナーブを治す天然の薬、それが”ハーブ”なんですね。でも”ハーバス”ということばはありませんから、ご注意を」という具合。ただのダジャレだ。その時はたぶん何かの弾みでおもしろく感じたのだろう。出典不詳も、もしかしたらぼくの作品なのかもしれない。だとすると、ちょっとセンスが悪い。誰かがハーブの形容詞形でハーバスと言ったので、ほんとうは”ハーバル”だよと教えてあげた記憶もない。

抜き書きメモ。これはうっすらと記憶に残っている。「交渉とは知的力学の応用である。交渉力を構成するのは、情報、時間、力。譲歩は投資の量に比例する。ゆえに、失うものがない者は交渉に強い。」 この下線部はぼくの持論となっていて、あちこちでこの話をする。手元に本がないので確かめられないが、これはハーブ・コーエンの交渉の本の部分要約に違いない。

こちらは最近のメモ。「カラダ・バランス飲料DAKARAの余分三兄弟のコマーシャル。余分とは脂肪、糖分、塩分の肥満の三要素。これを”ヒーマン・ブラザーズ”という。」 もちろん”リーマン・ブラザーズ”のもじり。これはぼくの創作である。しかし、それに続く一文「糖分と天海あまみは仕込まれたコードか?」はネット上かどこかで目についたメモだ。それは覚えているのだが、出典不詳。ご存知ない方のために説明すると、このコマーシャルの主役は女優の天海祐希であり、甘味をかけている。

出典や信憑性に左右される日々、たまにはそんなものから解放されて、「人類の知恵はみんなの知恵」と精神を奔放にさせればいい。 

思い立ったが吉日

「思い立ったが吉日」は、「思い立つ日が吉日」という表現もあるように、思いついた日をよき日として物事に着手せよという意味。その昔、仕事や生活も現在とは比べようもないほどゆっくりだったから、「日」でよかったに違いない。今なら、「思い立つ その瞬間が 吉時間」と、時・分・秒のアレンジが必要だ。


一昨日、昨日と特急内で難しい本を読み耽っていた。昨日、大阪梅田経由で帰りがけに書店に立ち寄り、『続・世界の日本人ジョーク集』(早坂隆)を見つけた。前作は3年前に読んでいる。他にも同じ著者のジョーク集を3冊ほど拾い読みしている。「こいつ、本ばかり買って……」という己の自戒のつぶやきもあったが、疲れているせいか、一笑いしてみたらという慰労の声も聞こえた。本を手に取らずに迷っている。そして決めた、適当に開いたページのジョークがよければ買おうと。結果、思い立ったら吉日とばかりに買ってしまった。そのジョークがこれ。

日本人がアメリカ人に言った。
「最近、新しいジョークを仕入れたんだ。もう君には言ったかな?」
「どうだろう。そのジョークは面白いの?」
「ああ、とても面白いよ」
「そうか、じゃあ、まだ聞いてないな」


笑えなかった人、ゆっくり話を追い直してみよう。わかったけれど、さほどおもしろくなかった人、「ごめんなさい」。大笑いした人、「そこまで笑うことはないかも」。

さて、一昨日の講座。話が来月の講座『ことば――技巧の手法』に脱線したとき、「ボキャブラリーの質量と自分の世界が比例する」という話を紹介した。正確に言えば、「私の言語の限界とは私の世界の限界を指している」という命題番号5.6の話だ。これはウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』からの引用。ふつうの人には難解すぎて歯が立たない。ぼくもその一人だが、「ことばと論理」は企画の仕事と講座テーマには欠かせないので一応勉強はする。

目の前に座っていたKさんが、即座にメモして聞き取りにくかったウィトゲンシュタインの名前を確認された。「またいつか」ではなく、その場でチェックする。Kさんがこの超難解なユダヤ人哲学者の本をひもとくのかどうかはわからない。しかし、思い立ったこと同様に、気になったことは聞く、またはメモする。こういう吉日志向の人にぼくは老若問わず敬意を表する。


リスクがないのなら、「思い立てば即実行」がまずいはずはない。仮にリスクがあっても自分一人でどうにか回避したり面倒を見れるならば、案ずるより実行を取るべきだろう。しかし、例外もある。リスクを回避してくれ、また差し迫ったマイナスにならないのなら、「検証中につきしばらく留保」という手がある。いくら思い立ったが吉日と言っても、理性ある大人の世界にあっては「無思考即実行」では話になるまい。

時間、寛容、自由の3点セット

つい「もったいない時間を過ごした」とつぶやいたが、まんざら悪い気もしていない。今朝、本来なら30分で済んだかもしれない打ち合わせが3時間になってしまった。脱線、見直し、小言などであっという間に時間は経過した。半時間で終わる予定が3時間になった―3時間要してしまったのだが、見方を変えれば、3時間注げる余裕があったということでもある。別の約束があったり期限を妥協なく設定しておけば、予定通りに終わった、いや終えることができたはずである。

サラリーマン時代の話。もう25年くらい前になるだろうか。縁故で商談に出掛けていた上司が帰社してぼくにこう言った―「紹介してもらった人は部長だったけど、2時間も話を聞いてくれた。たぶん、あまり仕事のできない、閑職にある人なんだろう。暇人でなければ、そんなに時間は取れないからな」。会ってくれた相手にそんな言い方はないだろうとぼくは思った。その部長は多忙にもかかわらず、寛容の精神で接してくれたかもしれないではないか。風呂敷のたたみ方を知らぬ上司のほうこそ仕事のできない暇人ではなかったか。

暇人だから時間に融通がきくとはかぎらない。たしかにそんな御隠居さん的ビジネスマンもいる。しかし、「忙中閑あり」も真実だ。人は多忙だと思っているわりにはゴミ時間も消費している。逆に、時間がたっぷりあると油断していると、あっという間に一週間や一ヵ月が過ぎてしまう。忙と閑をうまく使い分けて時間管理をきちんとしていれば、時間に対して寛容になれる、つまり「あなた時間でいいですよ」と言えるようになる。


アポイントメントを取るとき、月日は双方合意で決めるのは当たり前。その後の時間決定の段になると、ぼくは原則として相手に時間指定権を譲る。こちらから出掛けていってお邪魔するときも、相手に来てもらって迎えるときも同じである。「その日は終日空いています」とか「夕方以外は午前、午後いつでもいいです」というふうに自由に時間を選んでもらう(もともと欲張って分刻みの約束はしないし、できるかぎり一日のアポイントメントは一件、せいぜい二件までにしている)。

「あなた時間」で決めたからといって自分が束縛されたり窮屈になるものではない。「あなた時間」に「自分時間」を合わせることができる―これこそが真の自由時間だと思っている。暇であるか多忙であるかという状態と、時間が自由であることはあまり関係がない。先行して段取りさえしておけば、多忙であっても自由時間は持てる。後手後手に回ると、暇であっても時間は自由にならない。

時間だけではない。時間以外の諸条件も相手の主張をできるかぎり呑むことによって自由が生まれると思っている。自由が欲しければ、まず寛容にならねばならないのだ。

「時間? お任せしますよ」と言えるようになってはじめて、時間をコントロールできたことになる。いつでも自分時間で動けるのは、一見マイペースのように見えるが、「その時間帯」以外が窮屈ということだ。「この時間でなければならぬ」という人物は、可哀想に自由がないのである。その人たちの手帳は屑みたいな約束とゴミ時間の印で埋められていることが多い。

はつはるの雑感

一年前の元日の朝、冷感を求めて散歩に出た。徒歩圏内の大阪天満宮にも行ってみた。まるで福袋を求めて開店前のデパートに並ぶ客気分。参拝にも時間がかかったが境内から脱出するのにも苦労した。

今年はごく近くにある、中堅クラスだが、由緒ある神社に行ってみた。ちょうどいい具合の参拝客数。都心にもかかわらず喧騒とは無縁の正月気分。運勢や占いにあまり興味はないが、金百円也でおみくじを引く。三十六番。これは、ぼくと同年代とおぼしき男性が直前に引いたのと同じ番号であった。


初夢は超難解だった。画像がなく文字ばかり。大晦日に読んだ超難解な哲学書の影響なのだろう。「知っていることを歓迎し、知らないことを回避するのが人間」というお告げ(?)である。目が覚めてから少考。「わかっていることを学び、わかっていないことを学べないのが人間のさが。たとえば読書。ともすれば、自分の知識の範囲内に落ちてくれる内容を確認して満足している。異種の知を身につけるのは大変だ」という具合に展開してみた。


徒歩15分圏内の職住接近生活をしているので、オフィスまで年賀状を取りに行く。自分が差し出している年賀状の文字が二千字に近く、受取人に大きな負担をかける。逆の立場ならという意識を強くして、いただく年賀状は文章量の多寡にかかわらず一言一句しっかりと目を通すようにしている。

年賀状を二枚出してきた人がいる。宛名がラベルであれ印字であれ、何か一語でも一文でも直筆を加えれば誰に書いたのかはうっすらと記憶に残るものである。二枚差し出すというのはパソコンデータに重複記録されていて、そのことに気づいていないという証拠だ。そんな人が今年は二人いた。

数年前にも二枚の年賀状をくれた人がいた。その人には出していなかったので早速一文を書いて年賀状を送った。しばらくしてその人から三枚目の年賀状が届いた。「早々の賀状ありがとうございました」と書かれてあった。


景気に対して自力で抗することができない。そのことを嘆くのはやめて、しっかりと力を蓄える。一人で辛ければ仲間と精励する。今月から有志で会読会を開く。最近読んだ一冊の本を仲間相手に15分間解説する。テーマの要約でもいいし、さわりの拾い読みでもいい。口頭で書評し、そして他人の書評を聞く。すぐれた書評は読書に匹敵する。新しくて異種なる知の成果にひそかに期待している。

おおつごもり雑感

年内四日、年明け四日の八日間、仕事は休業である。仕事はしないが、自宅の本棚を片付けると、ついつい本を読んでしまい、整理がはかどらない。気がついたら仕事のネタを探している。さて、今日からは超難解な哲学の本を毎日数時間読むことに決めていた。ゆるんでアバウトになりそうな脳に気合を入れるため。哲学なんて正月早々無粋な話だが、テレビを観ておせちを食らって初詣もいまいち芸がない。


欄干橋虎屋藤右衛門、唯今は剃髪いたして円斎竹しげと名のりまする、元朝がんちょうより大晦日おおつごもりまで各々様のお手に入れまするは此の透頂香とうちんこうと申す薬……。

外郎売ういろううり』の冒頭である。透頂香とは気つけ、二日酔い覚まし、食い合わせ、喉に効くオールマイティな妙薬。これが昼夜を問わず毎日売れて売れてしかたがない。だから元朝(元旦の朝)から365日間商売繁盛というわけである。妙薬は無理だが、妙案をひねり出すべく見習わねばならない。


本棚に見つけたのは岩波の『いろはカルタ辞典』。「いろはカルタ」なのに五十音順で検索する。それもそのはず、「いろは順」で引ける世代が圧倒的に少なくなっているのである。カルタに採用される諺・慣用句などの語句は大きく上方系と江戸系に分かれるらしい。しかし、驚いたのは「い」だけであるわあるわの18種。てっきり「犬も歩けば棒に当たる」か「石の上にも三年」くらいしかないと思っていた。

急がば回れ。一を聞いて十を知る。一寸先は闇。井の中の蛙大海を知らず。居食いぐいをすれば山でもむなし。砂子いさごも遂にいわおとなる。石臼箸で刺す。石原で薬罐やかん引く。医者の不養生。一心岩をも通す。芋の煮えたもご存知ない。いやいや三杯。祝いは千年万年。鰯の頭も信心から。言わぬは言うに勝る。

最初の四つは「なるほどあるかもしれない」と納得もするが、その他はなかなか教養を要するではないか。いろはカルタ侮るべからず。「ろ」以下にざっと目を通して、レベルの高さに驚いた。決して子どもオンリーの遊びでなかったと見当がつく。


この辞典の最後は「わ」である。

我が田へ水を引く。我が身をつめって人の痛さを知れ。わからず屋に付ける薬はないか。禍は口から。

ややネガティブで教訓的なものが続いたあと、やっと定番が登場――「笑う門には福来たる」。嫌というほど見慣れ聞き慣れした常套句だが、しかめっ面する奴よりも笑っている人間のほうが福に恵まれる可能性は大きい。やっぱり難しい哲学など読み耽らずに、お笑い番組で正月気分に浸るのが正解か。  

師走の候、古典に入(い)る

幸か不幸か、師走になると出張がめっきり減る。地元での講演や研修も12月は少ない。と言うわけで、オフィスにいる時間が長くなる。「幸か不幸か」と書いたものの、決して「幸」とは言いがたい状況かもしれない。唯一の慰めは、多忙期に備えて知のインプットができるという点だろうか。

「知のインプット」などと洒落こんだ言い方をしてみたが、何のことはない、日頃腰をすえて読めない本や資料に目を通すだけの話である。今年は古典を読み直している。源氏物語ブームであるが、古典イコール文学ではない。一昔前の思想ものや歴史・文化だって古典になりうる。わざわざ本を買いにはいかない。かつて一度読んだものをなぞったり、買ったけれども未だ読破できていない書物に挑んだりしているところだ。

加速する情報化時代、昭和までの著作は古典という範疇に入れてもいいかもしれない。では、なぜ古典なのか? 実は、11月に高松で数年ぶりに再会したY氏の古典への回帰の話に大いに刺激を受けた。退職されて数年、六十歳も半ばを過ぎた今、ビジネスや時事関連の本をすべて処分し、書斎をそっくり読みたい書物に置き換えたとおっしゃる。食事をしながら、シェークスピアや小林秀雄を高い精度で熱弁される。大いに感心し、啓発された。

仕事柄、時々の話題や最新の動向にはある程度目配りせねばならない。でなければ、時代に取り残される。しかし、新作ものばかりでは焦点が定まらない。新刊を休みなく追い求めるのは、煽られて次から次へと新しいサプリメントを求める心理に似ている。これに対して、一時代を画した古典は大きくぶれない。価値の評価は上下したとしても、生き残っている古典は継承されてきたのであり、継承されたということはいつの時代も選ばれるに値したのである。サプリメントとは違って、こちらは身体によいおふくろの手料理みたいなものだ。


1219日は今年最後の私塾の日である。以上のような環境にいるぼくなので、私塾スペシャルの今回、心底古典講座にしたかった。それは、しかし、5月の約束を破ることになる。すでに「マーケティング」でテーマは決まっているのだ。

「失われた十年」からの数年間でマーケティング理論は激変した。激変のみならず、諸説入り混じり、何をお手本にすればいいのかわからない状況だ。こうなった最大の要因はインターネットである。「売買」という概念は牛を呼び売りした三千年前から変わったわけではないが、メディアの多様化とともに売買関係や売買心理は新しい領域にぼくたちを誘った。

すでに決まっているテーマとぼくの関心事が相容れないわけではない。一計を案じるまでもなく、マーケティングと古典を単純につなげばいいのである。題して“Marketing Insight Classic”。敢えて日本語のタイトルにしない。理由は、“Classic”には古典という意味以外に、「最高、一流、重要、模範、決定版」などのニュアンスがあるからだ。

サブタイトルはわざと長ったらしく「マーケティングの分野に足跡を残した古典的思想に知と理を再発見して今に甦らせる」とした。何と切れ味のない文章なんだ! と自己批評はしたが、ぼくが今まで「幅広く勉強してネタを仕込み、じっくりコトコト煮込み濃縮してきたエキス」だし、そんな名前のスープもあるくらいだから、これでいこうと決断した次第。

ユーモアの匙加減

ユーモア、ジョーク、エスプリ、ウイット、パロディ、ギャグ……「愉快学」の専門家はニュアンスを峻別して見事に使い分ける。この関係の本は若い頃から百冊くらい読んできたので、ぼくもある程度はわかっているが、今日のところは「ユーモア」ということばにタイトルの主役を務めてもらった。

「ひきこもごも」という熟語がある。断るまでもなく、「ものすごく引きこもる」ことではない。このことば、「悲喜交交」と書く。人生には悲しいことも喜ばしいこともある、社会には悲しむ人がいる一方で喜びに満ちた人もいる、悲しみと喜びは入り混じって人間模様や人生絵図を描く……まあ、こんな意味である。悲悲交交ではたまらない。できれば、毎日一生、喜喜交交がありがたい。

世の中、おもしろい人間とそうでない人間がいる。ぼくの周辺にもバランスよく半々で棲息している。どちらかと言うと、ぼくは悲劇よりも喜劇をひいきし、泣きネタよりは笑いネタのほうを好む。もちろん、このことは単純な楽観主義者・楽天家を意味しない。もらい泣きはしないが、もらい笑いはする。儀式としての作られた泣きは許せるが、本気モードでない作り笑いは許せない。

涙は国境を越える共通価値をもつ。だから、ぼくには悲劇はことごとくステレオタイプに映る。スピーチでは身の上の不幸や苦労話を語っておけば大失敗はない。講演会場に悲しみの空気を充満させるのはさほど難しくないのだ。他方、普遍性がないわけではないが、喜劇はおおむね個々の土着文化に根ざす。この場所・この街でおもしろいことが、少し離れたあの場所・あの街で笑いを誘わない。笑いは成功するか失敗するかのどちらかで、成否明白ゆえに挑戦的である。したがって、おもしろさの査定には「満点大笑」と「零点不笑」さえあれば十分、わざわざ「大笑」「中笑」「小笑」を加えて5段階評価にする必要はない。


雨降りの日に百円引きしている蕎麦屋がある。空を見上げれば雨模様だ。店に入る直前ポツポツと降り始めた。傘はない。こんな時、百円引きに目がくらまず、さっさと入店するのは粋かもしれないが、そこに愉快精神はない。やっぱり、蕎麦屋の隣のビルに潜んで土砂降りになるのを待つ姿のほうがユーモラスである。

明けても暮れても冗談ばかりでは周囲が疲れる。生真面目とユーモアのバランスを取るのは容易ではない。こういう文章にしても、真摯に綴っていけば生真面目な空気が充満して息詰まってくる。それに耐えられなくなると照れてしまう。そこで自ら茶化す。ユーモアで生真面目ガスを抜きたくなる。もちろん、こうなるのはぼくの特性であって、世の中には何時間も生真面目を語り書き続けられる人もいる。一度たりとも他人をクスッと笑わせもせず、読ませ聞かせ続ける力量には驚嘆する。

ここで昨日の年賀状の話を続ける。ぼくが年賀状にしたためる文章は、自分なりには本質論であり真摯な意見であると思っている。しかし、シャイな性分ゆえ、どこかでユーモアを小匙一杯加えたりシニカル系愉快を仕掛けたりしないと気がすまなくなるのである。ただ問題は、年賀状を手にする人たちすべてが、ぼくの匙加減の味になじんでいるとはかぎらないこと。したがって、人を小馬鹿にしてけしからんとか正月早々冗談はやめろとかの怒りを感じる方には申し訳ないと言うしかない。

しかし、もっと気の毒なのは、ユーモア味にまったく気づいてくれず、メッセージの全文を生真面目に受け止める人たちである。彼らは「おもしろい年賀状があるよ」とは言わず、「ためになるよ」と言って社内回覧したり清く正しく朝礼のネタにする。ある意味で、悲劇である。

年賀状という「年一ブログ」

年賀状準備の時期になった。当たり前のことだが、年賀状というものは、投函する前にまず書かねばならない。書くにせよラベルを貼るにせよ印字するにせよ、宛名・住所は面倒である。しかし、もっと面倒なのは裏面の原稿である。

ぼくが作成する年賀状は、社名で差し出す一種類のみである。公私の隔てはなく、仕事と無縁な知人や親類にもこの年賀状を出す。創業当初の数年間は現在とは異なるスタイルだったが、1994年から15年間現在の「型」を継続している。

ぼくの年賀状を受け取ったことのない人はさっぱり想像がつかないだろうが、裏面には謹賀新年から始まり文字がびっしり印刷されている。だいたい二千字前後である。正月早々これを読まされるのは大変だと思う。したがって、ごく一部の熱狂的なマニアを除けば、たぶん読んではいない。後日、年賀状の話題が出たときに読んでいないとばつが悪いので、一月中にぼくと会う可能性のある知人は、キーワードくらいは覚えておくのだろう。


ハガキサイズにぎっしり二千字。もはや「小さな」という形容では物足りないフォントサイズになっている。「濃縮紙面」とでも呼ぶべき様相を呈している。だから、友人の一人などは、このハガキをコンビニへ持って行きA4判に拡大して読むそうである。ありがたい話だ。なお、原本はA4判なので濃縮したものを還元していることになる。

市販の定番年賀状を買えば宛名と住所だけで済ませられる。実際、そうして送られてくる年賀状が2、3割はある。誤解しないでほしい。そのようなまったく工夫のない年賀状をこきおろしているわけではない。むしろ、差出人にのしかかる負担と抑圧の少ない年賀状が羨ましいのである。いや、ぼくにとって、ほとんどすべての年賀状がぼくのものよりも文章量が少ないという点で羨むべき存在なのだ。

干支をテーマにしておけばさぞかし楽に違いない。なにしろ干支は毎年勝手にやってきてくれる。いきおい文字や図案に凝ったり写真を散りばめたりする方面にエネルギーを注げる。ところが、ぼくの場合、毎年11月中旬頃から数週間ずっとテーマを考える。テーマが決まると、二千字で文章を綴るのは一気だ。たぶん半日もかからない。但し、印刷・宛名とその後の作業がせわしくなるので、デザイン要素は最小限にとどめる。こうして文字だらけの年賀状が刷り上がる。


スタイルの踏襲は意地の成せる業か。15年という歳月にわたる継続は、簡単にスタイルの変更を許してくれない。「毎年楽しみにしています」というコメントをくれる十数人を裏切ってはいけないという、一種の情が働くのか。スタッフも全員、ぼくの手になる年賀状を社用で利用する。醸し出すべき個性と社風の両立も難しいが、テーマ探しとスタイルの継承が精神的負担になり抑圧になる。

今年は負担と抑圧が例年より大きい。なぜだろうとよく考えたら、わかった。年賀状はぼくにとって、年に一回したためるハガキ判のブログだったのだ。それが、今年6月から本ブログを始めたために、意義が薄まったような気がしてならないのである。振り返れば、ブログ習慣というのは、二日に一回のペースで年賀状を書いているようなもの。あらためて一年ぶりの更新に戸惑っている。

負担、抑圧、苦痛に耐えて何とか平成21年度の年賀状の構想が仕上がった。今日一気に書き上げる。ちなみに、平成20年の今年に差し出した年賀状を紹介しておく。

08newyearcard.jpg