考えること少なき者は過つこと多し

中学を卒業するまでは手習いをしていた。好きも嫌いもなく、親に勧められるままに書道塾に通い、師範について6年間指導を受けた。しかし、実は強く魅かれていたのは絵のほうだった。受験勉強そっちのけで絵ばかり描いていた時期がある。まったくの我流だったけれど、書道で教わった筆の運びが少しは役立ったようである。

絵描きになりたいと本気で思ったこともあったが、高校生になって筆を置き、鑑賞する側に回った。やがて天才ダ・ヴィンチに憧れるのもやめた。憧れるとは「その人のようになりたい」であるから、憧れから畏敬の念にシフトしたのは我ながら賢明な判断だったと思う。

ルネサンス期に芸術家列伝を著したジョルジョ・ヴァザーリや19世紀のポール・ヴァレリーなどの高い評価もあって、レオナルド・ダ・ヴィンチは「万能の天才」として人口に膾炙した。そして、最たる天才ぶりは絵画においてこそ発揮されたとの評論が多い。空気遠近法や輪郭を描かないスフマート法などを編み出し、いずれの作品も世界遺産級の至宝だ。それでも、37歳で他界したラファエロの多作ぶりに比べれば、ダ・ヴィンチは寡作の画家と言わざるをえない。作品は20あるかないかだろう。そのうち、幸運なことに、『受胎告知』と『キリストの洗礼』(いずれもウフィツィ美術館)、『白貂を抱く貴婦人』(京都市美術館)、『モナ・リザ(ラ・ジョコンダ)』(ルーブル博物館)をぼくは生で鑑賞している。


ミラノで『最後の晩餐』を見損なったことには後悔している。悔しさを紛らせるためにレオナルド・ダ・ヴィンチ国立科学技術博物館を訪れた。晩餐に比べたらおやつ程度だろうと覚悟していた。結果は、期待以上だった。博覧強記を裏付ける草稿や実験スケッチと記録、設計図等の足跡が所狭しと展示されていた。音楽に始まり、科学から軍事の構想まで、あるいは発明から解剖に至るまで、好奇心のまなざしを万物に向けたことが手に取るようにわかる。数々の業績のうち絵画こそダ・ヴィンチの最上の仕事という通説でいいのか……博物館に佇みながら、ぼくは別の才能に目を向け始めていた。それは、思考する力、そしてそれを可能にした言語の才である。

レオナルド・ダ・ヴィンチ.jpg岩波文庫の『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』は、今も繰り返し読む書物の一つだ。ものの考え方や処し方について、色褪せることのない普遍的な名言がおびただしく綴られている。これぞというのを選んで、怠け癖のある若い人たちに薀蓄したこともある。「ぼくの言うことなど聞いてもらえないだろうが、歴史上の天才の声に真摯に耳を傾けてはどうか」と持ち掛けるのだ。その一つが「考えること少なき者はあやまつこと多し」である。深慮遠謀してうまく行かないこともあるが、ほとんどの失敗は思考不足もしくは浅はかな考えに起因する。

いつの時代もどこの国でもそうだが、物事がうまくいかなくなると「理性に偏るな、下手な考え休むに似たり」などという声が高らかになる。人が人として成り立っている唯一とも言うべき理性と思考を、悪しきことや過ちごとの責任にしてしまうのである。そこで、ぼくは問いたい。それは理性を十全に発揮し限界まで考え抜いてこその恨み節でなければならないのではないか。浅瀬の一ヵ所で考えて引き返してくる者に思考の無力を述懐する資格はない。ここは素直にダ・ヴィンチの言葉に従いたい。願わくば、だらだらと一つ所で深掘りばかりして考えずに、複眼的に見晴らしよく考える癖をつけたいものである。

引用 vs うろ覚え

引用.jpg企画業のかたわら、三十代後半から人前で話をさせていただいてきた。「浅学菲才の身」という、心にもないへりくだりはしないが、我流の雑学しかやってこなかったから、知識の出所についてはきわめてアバウトである。しかし、そうだったからこそ、思うところを語れてきたし、二千回を超える講演や研修の機会にも恵まれて今日に到ることができた。学者の方々には申し訳ないけれど、つくづく学者にならなくてよかったと思っている。

学者にあってぼくにないものは専門性である。深掘りが苦手だ。その欠点を補うために異種のジャンルを繋げることに意を注いできた。これには、新しい問題の新しい解決を目指す企画という仕事を志してきた影響が少なからずあっただろう。何よりも、奔放にいろいろなテーマに挑めてきたのは、個々の精度にとらわれず、学んだことをうろ覚えながらもアウトプットしてきたからだ。もちろん、そんなぼくでも読んだ本を極力正確にノートに引用してきたし、観察したことや見聞きした事実などは固有名詞を踏まえてメモしてきた。それでもなお、うろ覚えの知識もおびただしい。だが、確かな知からうろ覚えの知を引き算していたら、生涯書いたり話したりなどできないと腹をくくった。
学者は、参考文献の出所や出典を明らかにして、該当箇所を正しく引用することを求められる。引用間違いをしたり書き写し間違いをしたりすると困ったことになる。引用符内の文章を故意に歪めてはならず、また、故意でなくても誤って間違うとみっともないことになってしまう。どの文献だったか忘れてしまったときに「たしか」では済まされないのだ。これにひきかえ、ぼくなどは立場が気楽である。デカルトにいちゃもんをつけた哲学者ヴィーコよろしく、身勝手に「真らしきもの」をおおよそ真として語ることができる。今こうしているように、書くこともできる。

納得できない人もいるだろうが、さらに批判を覚悟の上で書こう。
「ぼくの経験」を語ることの信憑性と、「たしかこんな本に次のようなことが書いてあった」という信憑性にどれほどの違いがあるのか。学術的には精度が低くても、聞き手に伝えたいこと、教訓として知っておいてほしいことがある。まったくでたらめなフィクションではないが、経験であったりうろ覚えであったりする。それをぼくはネタにしてきた。精度を重んじるあまり、口を閉ざすにはもったいない話はいくらでもあるのだ。間違いかもしれない引用、あるいは読み間違いや聞き間違い、場合によっては勘違いかもしれない。しかし、「それらしきこと」や「見聞きして覚えていること」を話さないのは機会損失である。
 
何かの本で読んだことは間違いない。ある程度話を覚えもしている。その本は探せば書棚のどこかにあるはずだ。学者はその本を探し当てて正確に引用せねばならない。しかし、ぼくはおおよその記憶を頼りにいちはやく話し始める。
 
「理髪店に行くと、何かが変わる」という一文を読んだことがある。たしか、「まずヘアスタイルが変わり気分が変わる」ようなことが書いてあった。そして、「もしかすると、魂が変わり、ひょっとすると、髪型だけではなく顔も変わるかもしれない」というようなことが続いた。しかし、現実に変わるのは髪型と気分だけで、それ以外は変わらない。変わると思うのは妄想である……と書いてあったような気がする。理髪店は妄想の時間を提供してくれる。だから、最後にシャンプーで妄想を洗い流す……これが一文の結論だった。理髪店で発想を変えようというような話だったのである。
 
ぼくはどの本にそんな話が書いてあったのか思い出せないまま、敢えて勇み足をしたことがある。引用文はまったく正しくないだろうが、紹介しようとしたプロットがでたらめではないという確信があった。ところで、先日本棚を整理し、以前に読んだ本をペラペラとめくっていたら、薄っぺらな文庫本に付箋紙が貼ってあった。ロジェ=ポル・ドロワ著『暮らしの哲学――気楽にできる101の方法』がそれ。なんと付箋紙を貼ったページに上記の話を見つけたのである。ぴったり当たらずとも遠からず。ただ、原文は理髪店ではなく美容院だった。先に洗髪することが多い美容院ではこの話は成り立たないと考えて、ぼくは無意識のうちに理髪店に話をアレンジしていたという次第である。

ローマとラテン語のこと(下)

ローマ名言集に編まれている諺のほとんどは古代に起源をもつ。ラテン語で書かれているが、これを日本語対訳で読んでみて驚く。かつて英語で覚えた諺や格言の多くと見事に一致するのである。
 
セネカの『人生の短さについて』で紹介されている“Ars longa, vita brevis.”はヒポクラテスのことばとして有名だ。「芸術は長く、人生は短し」という意味である。英語にも同じ表現があって、“Art is longlife is short.”として知られている。「少年老い易く学成り難し」を「人は老いやすく芸術は成りがたい」と言い換えて見れば、ほぼ同じ意味になる。
 
おなじみの「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」(英語では“A sound mind in a sound body.”)は風刺詩人ユウュナーリスのことばで、こちらも元はラテン語だ。“Orandum est ut sit mens sana in corpore sano.がそれ。余談になるが、下線部のmensは精神という意味。これを類義語のanimaに変えればAnima Sana In Corpore Sanoとなり、5つの単語の頭文字をつなげば靴メーカーのASICSになる。同社の社名はここに由来している。
 

ところで、いま紹介した二つの格言は長い歴史の中で曲解され意味が変わってしまった。
 
「芸術は長く、人生は短し」は、「芸術(作品)が長く歴史に名を残すのに比べて、人(アーティスト)の生は短い」と解釈されることが多い。しかし、ラテン語のarsは、芸術という意味に転じる前は「技術」だった。英語でもartには「技」という意味が根強く残っている。しかも、医学の祖であるヒポクラテスの言であることも踏まえれば、「技術(医術)を習得するには年月を要するのに、われわれの人生は短い」というのが原義に近かったことが類推できる。
 
「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」のほうは、原語の前の数語を省いて引用したために意味が変わった。身体を鍛錬して健康になるほうが精神の健全さに先立つかのように都合よく解釈されされるようになったのである。肉体派が「ほら見てみろ」と薄ら笑いを浮かべて、精神派や知性派を小馬鹿にしているかのようだ。元はと言えば、「願わくば」という話である。思い切り意訳するならば、「欲望に振り回されるくらいなら、せめて身体の健康を願いなさい。きみたちはおバカさんなんだから、つつましく『元気な身体にこましな知恵が生まれること』をよしとしなさい」ということになるだろう。
 
ローマの格闘競技場コロッセオの博物館に碑文が展示されている。この碑文の言語は現代言語と大いに異なっている。現代のアルファベット26文字に対して、当時は21文字しかなかった。また、子音と子音の間に“V”の文字が頻繁に出てくる。これは“U”に近い発音なのだが、古ラテン語のアルファベットには“U”の文字がなかったのである。この伝統を意識的に守っているのが、例のBVLGARIだ。

ローマとラテン語のこと(上)

ローマに関する本.jpgのサムネール画像のサムネール画像〈ローマのパッセジャータ〉というシリーズでフェースブックに写真と小文を投稿している。ローマにはこれまで4回足を運んでいるが、最後の訪問からまもなく5年半。その時はアパートに一週間滞在して街をくまなく歩き、当てもなく同じ道を何度も行ったり来たりした。

イタリア語ではこんなそぞろ歩きのことを「パッセジャータ(passegiata)」と呼ぶ。イタリア人にとっては夕暮れ時の日々の習慣だ。

ところで、西洋絵画に刺激されて十代の頃によく絵を描き、ついでにルネサンスや古代ローマなどイタリアの歴史や美術や言語についてなまくらに独学したことがある。いろんなことを知った。そして訪れてみて、「すべての道はローマに通じる」や「永遠の都ローマ」などが言い得て妙であることがよくわかった。なにしろローマという街は古代からの「直系」であり、たとえ現代を語るにしてもどこかに歴史のエピソードがからんでくる。過去を切り離しては、たぶん今のローマは成り立たないのだろう。
 

ローマに関する本を雑多に拾い読みすると、必ずと言っていいほど古代ローマの名言やラテン語に巡り合う。話が少しそれるが、カタカナで表記される外来語に対してぼくは寛容である。わが国では、明治時代から欧米の概念を強引に日本語に置き換え始めた(恋愛、概念、哲学、自由などの術語がそうである)。いま日本語と書いたが、実は、やまとことばへの置き換えではなく、ほとんどが漢語への翻訳だった。現在でも、外国固有のことばを無理に母語や漢語で言い換えてしまうと曲解や乖離が起こる。それなら、最初からカタカナ外来語のままにしておいてもいいとぼくは思うのだ。
 
仕事柄、マーケティング、コミュニケーション、コンセプトなどの用語をよく使うが、手を加えて日本語化することはない。ラテン語源のちょっとした知識を持ち合わせれば、これらのカタカナ語の本質を理解しながら地に足をつけて使うことができる。ぼくたちがふだん使っているカタカナ語の大部分はラテン語に起源をもつ。ギリシア由来のものも少なくないが、それらもラテン語を経由してヨーロッパ諸言語に広がった。だから、ラテン語の語源をちょっと齧っておくとおもしろい発見があったりする。
 
たとえば、英語のマーケット(market)は現代イタリア語ではmercatoであり、ラテン語mercatusにつながっている。「商品を持ち寄って売る」というのがマーケットの意味だったことがわかる。フランス語のマルシェ(marche)もここに由来する。なお、コミュニケーションは伝達というよりも「意味の共有」、コンセプトは別に小難しい用語ではなく、「おおまかな考えやアイデア」というのが原義である。
《「下」に続く》

腕組みより読書

形ばかりのお盆休みの前に古本を10冊買い、仕事の隙間を見つけては形ばかりの読み方をしていた。さっさと読む〈斜読しゃどく〉、適当に頁をめくる〈拾読しゅうどく〉、複数本を同時に見渡すように読む〈眺読ちょうどく〉や〈併読へいどく〉などを繰り返していた。
鍼灸治療院の帰りの古本.jpg
本をまとめ買いしてから数日後、いつも思うことがある。狙いすまして買った本をろくに手に取りもせずに、ついでに買った本のほうに興味を覚えたりするのだ。今回も、他の9冊よりも、キリよく10冊目に手にした『偽善の季節』(1972年初版)が一番おもしろく、かつ考えるきっかけを作ってくれた。ためになるよりもおもしろいほうが健全な読書だとぼくは思っている。
著者のジョージ・マイクスは「自分を現実以上によく見せようとすること」を偽善と考える。これに従えば、ぼくたちはめったに自分をわざと現実以下に見せることはないから、みんなある種の偽善者だと言える。偽善が極論だとしても、ちょっとした背伸びや上げ底は日常茶飯事だろう。こういう行為のすべてが必ずしも相手を欺くことにつながるとは思えないが、ナルシズムの温床になっていくことは否めない。おっと、買った本の書評をするつもりではなかった。

最近、企画研修で口を酸っぱくして受講生に諭すことがある。腕組みをして沈思黙考しても、アイデアなど出てこないということ。アイデアはどこからかやってくるのではなく、自分の脳内に浮かぶ。だから、考えようと腕組みする態勢を取る瞬間から、アイデアが自然に湧くと錯覚してしまうのだ。仮にそうしてアイデアが浮かんだとしても、脳内のおぼろげなイメージをどう仕留めて仕事に生かすのか。
どんな課題であれ、考えるということは明示化することにほかならない。明示するもっともいい方法は外からの刺激や強制である。誰かと対話をするか、誰かの書いた本を読むか、このいずれかが手っ取り早い方法だ。但し、課題突破を手助けしてくれるような対話相手が周囲にいくらでもいるわけではない。いつでも思い立った時に、思考の触媒となってくれるのは読書のほうである。すぐれた対話のパートナーはめったにいないが、すぐれた本なら苦労せずとも見つかる。
困ったら腕組みするな、考えるな、むしろ本を読め、とぼくは主張する。考えてもひらめかないのなら、活字に目を通してみるのだ。困りごとで相談にやってくる人たちはほとんど、何で困っているのかすら説明できない。つまり、言語の次元に落とし込めていない。それでも、彼らは考えたつもりになっている。実は、思考と言語は切っても切れない関係なのだ。行き詰まりは言語で突破する。読書の他に、書いてみるという方法もある。腕組みをする時間があるのなら、本を読みノートを取り出しておぼろげなものの輪郭をことばにしてみることである。

読むことと書くこと

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年が明けて三週間。かなり遅めの「初ブログ」になってしまった。書けなかったわけではないが、結果的には書かなかった。考えてばかりいてはいけないと思う。考えようとして考えられるケースはめったになく、書くことによって思考を誘発せねばならないとあらためて痛感した。というような理由から、本稿の「読むことと書くこと」について書こうと思った次第。
 
オフィスの一角に蔵書の一部を引っ越しさせようと思い立ってから一年近く経つ。そう思いついてからも本を買い漁ってきたので、自宅の書斎はもうパンク寸前になっている。間に合わせの片づけをしてはみたが、破綻は時間の問題である。これまでの蔵書から何百冊かセレクトし、それにこの一年買い集めてきた書物を加えて、3月末までに「文庫」を作るつもりだ。
 
さて、写真は「古本初買い」の13冊。すべての本を完読などしていないが、ざっと目を通したところでは、脳内に手持ちの「星々」と本の「星々」とを愉快な線で結べそうなものがある。独自の星座が見えてきそうだ。実社会に出た人間にとっては、読書という行為は書物内情報の自分への移植などではない。試験でチェックされることもない。忘れてしまってもいいし、どうしても覚えたければ再読すれば済む。読書は自分を高める触媒でありヒントなのである。

それでもなお、自力で考えることのほうが重要であって、読書はその補助にすぎない。本を買って読むことなど威張れた話ではなく、やむをえない行為だと思っておくのがいい。ぼくにとって読書は「道楽」だ。道楽だから関心のあるなしにかかわらず、ピピっと縁を感じたらとりあえず買っておく。買って気が向いたら拾い読みする。もちろん、しっかり読むものもあるが、知的刺激を楽しむことに変わりはない。何かの役に立てようなどという下心を捨ててこそ、じわじわと知の枠組みが広がっていく。
 
読むこととは対照的に、書くことは思考を触発し起動させる「闘争」である。ぼくたちは腕を組んで考えているようで、実は思考と程遠い行為であることがほとんどだ。時間を費やしてはみたが、結局は考えていなかったということが後でわかる。おぼろげな心象を言語で表現してみる、あるいはわけのわからぬまま書いてみることによって思考が具体化し知識になってくる。要するに、「書かなければ何も解らぬから書くのである」(小林秀雄)。
 
プロの著述家の話をしているのではない。書いて初めてわかることがあり、書くことによってのみ脈絡が生まれ断片的な知識が統合されることがある。ぼくの周辺に関するかぎり、若い人たちは書かなくなった。一過性の会話で饒舌に語ることはあっても、書かないから考えも浅く筋も通らない。だから、書かない人に会うたびに書くことを強く勧める。どうせ書くなら、ツイッターの文字数程度ではなく、原稿用紙二、三枚単位で書きなさいと言う。書くことの集中は読書の精読にもつながることは明らかなのである。

併読術について

アリストテレス「哲学のすすめ」.jpgのサムネール画像年半近く続けてきた読書会〈Savilna 会読会〉が昨年6月を最後にバッタリと途絶えてしまった。別に意図はない。何となく日が開き、主宰者であるぼくがバタバタし、そしてメンバーからも再開してくれとの催促もないまま、今日に至った。ついに今夜から再開する。何でも「新」を付けたらいいとは思わないが、リフレッシュ感も欲しいので〈New Savilna 会読会〉と命名する。

それぞれ自分の好きな本を読んでくる。文学作品以外はだいたい何でもいい。そして、書評をA412枚にまとめて配付し、さわりを伝えたり要約したり、また批評を加える。「この本を薦める」という、新聞雑誌の書評欄とは異なり、「私がきちんと読んで伝えてあげるから、この本を読む必要はありません」というスタンス。カジュアルな本読みの会ではあるが、根気よく続けていれば一年で数十冊の本の話が聴けるという寸法である。

昨年までは毎回7~10人が発表していた。久々のせいかどうかは知らないが、今夜の発表者は4人と少ない。実は、ぼくは写真左の『身近な野菜のなるほど観察録』を書評しようと思っていた。おびただしい野菜が紹介されているが、夏野菜に絞って話をし、ついでに書評者自身の夏野菜論を語ろうと思っていた。しかし、4人とわかって、それなら少し骨のあるものをということで、写真右の『アリストテレス「哲学のすすめ」』を選択した。骨があると言っても、『二コマコス倫理学』などに比べれば入門の部類に入る。


読書についてよく考える。本を読む時間よりも本を読むことについて考える時間のほうが長いかもしれない。自分の読書習慣についてではなく、誰か他の人から尋ねられて考える。どんなことかと言えば、「どのように本を読めばいいか?」という、きわめて原初的な問いである。たいして熱心に読書してきたわけでもないぼくに聞くのは人間違いだ。もちろん歳も歳だから、ある程度は読んできた。だが、ノウハウなどあるはずもなく、いつも手当たり次第の試行錯誤の連続だった。

本ブログを書き始めて4年が過ぎたが、その間、読書についてあれこれと書いてきた。最近では、一冊一冊読み重ねていって〈知層〉を形成しようとするよりも、複数の本を併読して〈知圏〉を広げるほうがいいと思っている。一冊ずつ読んでもなかなか知は統合されない。一冊を深く精読することを否定しないが、開かれた時代にあっては「見晴らし」のほうが知の働きには断然いい。

複数の、ジャンルの異なる本を手元に置いて併読している。「内容が混乱しないか?」と聞かれるが、ぼくたちのアタマは異種雑多な知を処理しているではないか。現実に遭遇する異種雑多な情報や課題や問題を取り扱うのと同じように本も読む。精読や速読ばかりでなく、併読術も取り入れてみてはどうだろう。

『考えるヒント』のこと

「考える」ことも「ヒント」を授けられるのも三度のメシよりも好きなわけではない。だが、これら二つがくっついて「考えるヒント」になると、俄然目の色が変わってくる。うまく言い表せないが、仕事柄、この言い回しと語感に色めき立つ。自覚などしないが、もしかすると知への憧れとコンプレックスが錯綜する結果なのかもしれない。

文芸評論家の小林秀雄に『考へるヒント』という著作がある。受験必読書だったはずで、60年代末から70年代初めにかけて読んだ記憶がある。最近では「へ」から「え」に変わって『考えるヒント』として文春文庫から出ている。数年前に久々に読んでみたが、かつてさっぱりわからなかったことが普通に読める。四十年間のうちに少しは年季が入ったのかもしれぬと勝手に思っている。

『考えるヒント』の「言葉」というエッセイの冒頭にこうある。

本居宣長に、「姿ハ似セガタク、意ハ似セ易シ」という言葉がある。(……)ここで姿というのは、言葉の姿の事で、言葉は真似し難いが、意味は真似し易いと言うのである。
唐突に読むとわかりにくいが、ことばとその意味を比較すれば、「ことばが第一、意味はその後」ということだ。「ことばはマネできても意味までマネできない」という常識的な見方に対して正反対のことを主張しているからユニークなのである。このエッセイを再読した頃はちょうどソシュールも勉強し直していたので、大いに共感した。本居宣長の言語と意味への洞察に関心したものの、1978年に小林秀雄が日本文学大賞を受賞した『本居宣長』を読まずに現在に至った。そこまでは手が回らなかった。

小林秀雄がある講演で自著に触れた。決して安くもない単行本、しかも通常の教養程度ではちょっと読んでもすぐさま理解できる内容でもない。もっと言えば、本居宣長に関心がなければ読むはずもない本である。ぼくの回りを見渡しても、本居宣長に通じている知性はほとんどいない。
この本が著者と出版社の予想をはるかに超えるほど売れた。何万部も売れたと出版社から知らされた小林本人が驚く。そんなに売れるのはおかしいじゃないかと言わんばかりである。行きつけの鰻屋に行ったら、女将が「買って読んでいますよ、先生」と聞かされてたまげたらしい。
数か月前、これを古本屋で見つけた。貼ってある小さなラベルに300円とある。買ってそのままにしていたのは、これを読む前にもう一度『考えるヒント』『考えるヒント2』『考えるヒント3』などに目を通しておこうと思ったからである。と言うわけで、遅ればせながら読んでみようと思っているが、他にも読みたい本が何冊もあるし併読型飽き性でもあるので、どうなることやら……。

続・食にまつわる語義と語源

今年に入ってからのテレビ番組だったと思う。分子生物学者で農学博士の福岡伸一が「もし宇宙人がはるか彼方から地球を眺めたら、地球の最大勢力をトウモロコシだと推論するだろう」というような話をしていて、強い興味を覚えた。コメやムギ同様、トウモロコシはイネ科の穀物だ。そして穀物の中で最大の生産量を誇る。地球外生命からすれば、トウモロコシこそが人類や家畜を支配しているという構図である。
さて、食養生を強く意識してからおよそ二ヵ月が経つ。ひもじい思いをしているわけではないが、上記のような食糧や食生活にまつわる知識への関心が別次元にシフトしたような気がする。先週、このブログで『知っておきたい食の世界史』からいくつかエピソードを拾って紹介した。読了して別の本を併読しているが、このまま通り過ごすには惜しい話があるので少々書いておきたい。

【オリーブ】 ジェラート専門店でバニラを注文した。店主が「オリーブオイル」を垂らしてみませんか?」と言うから、好奇心のおもむくままうなずいた。経験上明らかなミスマッチだが、悪くはなかった。イタリア料理でもスペイン料理でもふんだんにオリーブオイルを使う。健康オイルとしてのイメージと相まって、ぼくたちの食生活にもずいぶん浸透し和食に用いられるのも珍しくなくなった。
ギリシア語でオリーブは“elaia”、油は“elaion”という。ほぼ同じ語根もしくは語幹である。オリーブオイルこそがオイルだったという証だそうだ。英語の“olive”のほうはラテン語の“oliva”から派生した。オイル(oil)はこれが訛った呼び名という説がある。そうすると、オリーブオイルは「オリーブオリーブ」または「オイルオイル」という冗長な言い回しをしていることになる。
なます】 なますと言えば、大根と人参の酢の物というイメージが強い。魚へんの「鱠」という漢字もあって、この場合は細く切り刻んだ魚の身も入れた。しかし、通常、なますを漢字にすると、にくづきの「膾」である。「あつものりて膾を吹く」というとき、この膾は生の肉を意味している。熱いスープで痛い目に遭ったから、冷たいものでもふぅふぅするという意味だから、生の肉でなければならない。
膾はもともと肉だったのである。その名残が韓国の「肉膾ユッケ」だ。古代中国では生の細切りの焼き肉が人気で、誰もがよく食べた。よく食べるということはよく知られたということだ。ここから、広く知れ渡るという意味の「人口に膾炙する」という表現が生まれた。この熟語の膾炙は「炙り肉」のことである。

食にまつわる語義と語源

知っておきたい食の世界史 web.jpg数日前、食に関する本を10数冊そばに置いて、気の向くままにページをめくっていると書いた。まだ途中だが、昨夜はこの本の第一章と第二章を興味深く読んだ。

食の話が楽しいのは言うまでもないが、ことばの由来に並々ならぬ関心を抱くぼくとしては、著者の語義と語源の薀蓄に何度も「へぇ、なるほど」を繰り返していた。知っていて損はないので、いくつか紹介しておくことにする。

【塩】 英語でsalt、ラテン語でsalである。ソーセージ(sausage)もサラミ(salami)もsal語源で塩漬けを意味している。なお、サラダ――フランス語でsalade――も塩なんだそうである。
【ピラフ】 トルコ語で「一椀の飯」を意味する炊き込みご飯である。この変形がイタリアのリゾットであり、スペインはバレンシア地方ではパエリャに変化した。
【サーロイン】 この知識はぼくの雑学に入っていたが、エピソードがおもしろい。17世紀の英国のジェームズ1世がある宴で風味豊かな牛肉を口にして感激した。「どの部位か?」「腰の背側の肩からももにかけてのロインloin)でございます」「ようし、その部位に貴族の称号サー(sir)を与えよう」……いうことになり、サーロイン(sirloin)。
【ポタージュ】 人類の食文化を一変させたのが加熱。粘土で壺を作って水分と食材の加熱が可能になった。これを「セラミック革命」と呼ぶ。壺を意味するポット(pot)から濃厚なスープ「ポタージュ(potage)」が派生した。