自分はアナログ、他人はデジタル

自分のことはわかりづらいとも言えるし、自分のことなのだからわかりやすいとも言える。ことばで示せなければわかっていないという前提に立てば、自分のことを分かっている人は極端に少なくなる。では、ことばで自分を言い尽くせばわかったことになるのか。いや、それでも、どこまでわかっているかが問われる。

自分の認識や理解のしかたはかなり身勝手である。ギリシア時代の哲学者プロタゴラスが「人間は万物の尺度である」と語った時、その人間とは平均的な人間のことではなく、また万人のことでもなかった。一人の個人、つまり、ぼくやあなたのことであった。個人の尺度なのだから、誰にでも通用する基準という見立てではない。

今さら言うまでもないが、人間は自分の意識や感覚をおおむね漠然と捉えている。何から何まで定規で測ったようにわかっているわけではない。ある意味で、自己認識と自分理解はざっくりとアナログ的なのである。自分事だから、いちいち几帳面にアイデンティティを確認する必要がないからだろう。


ところが、アナログ的存在とも言える自分が、いざ他人を理解しようとすると根掘り葉掘り探り、分析的になる傾向が強くなる。たとえば、一挙手一投足から意味を読み取ろうとするし、他意のないことばのあやから真意を推論しようとする。他人をデジタル的に測ろうと目論むのである。

アナログは現象や推移を大まかに捉えるが、デジタルのほうは位置や有無を正確に表わす。アナログな自分がデジタル的に他人を認識すればどうなるか。ルーズな自分のことはさておき、他人のルーズさにはうるさく言うようになる。自分は適当なことば遣いをしているくせに、他人の一言一句には敏感に反応し、理解しづらければ神経をぴりぴりさせ、揚げ足を取って愚痴を言う。

「他人をデジタル的に測ろうと目論む」と書いたが、目論みがうまくいく保証はない。デジタルは理解のための方便として持ち出されはするが、そもそも人間という尺度はデジタルとの相性が良くない。実際は、自分のことをアナログ的に捉えると同時に、他人をもアナログ的に捉えている。どう転んでも、認識や理解には甘さが残る。厄介だが、だからこそ人間らしいという見方もできる。

知っていること、知らないこと

何もかも知ることはできない。知っていることは限られている。限られている上に、知りたいことや知っておくべきことを絞るものだから、知っていることなどたかが知れている。あまりものを知らない他人と比べて自分は博覧だと思いがちだが、だいたいが五十歩百歩。誰の博覧も、その意味に反して実は「狭い」のである。

魚屋であれこれ品定めし値踏みして、捌きたてのたらを買うことにした。その横に同じく「タラ」と書いてある、鱈とは思えぬ姿の一品を見つけた。どうやら内臓らしい。聞けば「タラの子」と言う。「えっ、タラコ?」「うーん、スケトウダラのあのタラコではなく、マダラの卵巣ですよ」「これって鍋用ですか?」「いいえ、煮つけ用です」……正確には覚えていないが、ともあれ、こんなやりとりを交わして、これも買って帰ってきた。

鱈と言えば、銀ダラの粕漬けを焼き、マダラを鍋にし、フィッシュ・アンド・チップスなどでたらふく食べてきた。タラコも明太子もだ。しかし、この鱈の生の卵巣(別名「助子すけこ」)が売られているのは初めて見た。これまでにこの原形から調理して食したことは一度もない。


鱈も卵巣も知っている。しかし、鱈の卵巣の姿は見たこともなく、触って調理するのは今日が初めてである。この状態を知っていると言っていいものか。名前を知っている、聞いたことがあるなどというのは「真知しんち」の域には及んでいない。であるなら、「知らないこと」に振り分けておくのが妥当なのだ。

知っていることや知っているつもりの領域に知らないことがおびただしく紛れ込んでいる。ふるいにかけてみれば残るのはわずかな知。ぼくたちはほとんど何も知らないということになるだろう。一つのことを知るまでには深い縁と長い時間を要するのだ。今日のぼくの鱈の卵巣との出合いがそのことを象徴している。

さて、グロテスクな卵巣の煮つけが出来上がった。見た目は鯛の子の煮つけに似ている。今夜はこれをあてにして日本酒を少々。もちろんその後に鱈ちりをたらふく食らうつもりである。

ホモ・エレクトゥス

昨日も今日もそれぞれ約5キロメートル二足歩行した。週末には一日10キロメートル近く歩く。ホモ・エレクトゥスならではの行動である。明日もホモ・サピエンス的な仕事のためにホモ・エレクトゥスを生きることになる。

原人はある日突然二足歩行したわけではないだろう。昨日まで四つん這いだったが、今日突然立ち上がる赤ん坊は稀にいるが、かつての原人が突然一斉に二足で歩き始めたとは想像しづらい。おそらく時間をかけて遺伝子と行動習慣によって二足歩行を実現し子々孫々にリレーしてきたはずである。原人とぼくたちが直接繋がっているかどうかは知らない。ともあれ、人類は歩くことを選択して、それを第二の天性にした。

歩けば車や列車では体感できないものに触れることができる。車や列車もゆっくり走らせば歩行に近い視野が得られる。しかし、つねに視覚の内にとどまる。足底が地面に接地してはじめて体感できることがあり、それが見えるものと一体になる。歩かないとわからないことがいろいろあるのだ。


オフィスや書斎に閉じこもっても、おいそれとアイデアは出てこない。むしろ街中や公園の木立の中や川岸沿いに散策するほうがかなりひらめきやすい。散歩好きだった偉人たちは口を揃えてそう言ったり実践したりしていた。カントしかり、西田幾太郎しかり、アインシュタインしかり。

とは言え、散歩をアイデアのための手段にしてしまっては精神が卑しくなる。散歩前に散歩の目的があってはならない。散歩後に散歩のおまけが勝手に生まれる。おまけとしてアイデアが生まれることもあるし、印象的な写真が手元に残ることもあるし、雑念が取り払われてすっきりすることもある。金品を拾うというおまけの体験が一度もないのは、確率の低さを物語っている。つまり、そこらじゅうに落ちてはいないのだ。

散歩しない人生は機会損失である。せっかく二足歩行ができるのであるから、それを一つの特権と見なしたい。齢を重ねていけばそれもままならない時が来るだろうが、歩けるうちは歩くに限る。二足方向と道すがらのファンタジーを放棄する理由が見当たらない。ところで、自宅から300メートルの所にあるコンビニに車で行く知人がいるが、ぼくは彼をホモ・エレクトゥスとして認知していない。

読書という難問

他人が連ねた文字列を読んで意味を解する。実は、驚嘆に値する行為である。もう慣れてしまったから平然とこなしているが、はたして文字に込められた誰かの意図を意味としてあぶり出しているか、かなり怪しく、心細い。読むという行為は人それぞれ、読書論も十人十色。読んだ気になるのも読んだ振りをするのも、とりあえず読了にしておける。

本と読書にまつわる名言を集めたことがある。すべてに納得し実践しようとすれば矛盾にまみれてしまう。ノートからいくつか書き出してみる。

「反論し論破するために読んではならない。信じて丸呑みするためにも読んではならない。話題や論題を見つけるためにも読んではならない。ただ熟考し熟慮するために読むのがいい」
(フランシス・ベーコン)

「君の読む本を言いたまえ。君の人柄を言い当ててみよう」
(ピエール・ド・ラ・ゴルス)

「書物から学ぶよりも、人間から学ぶことのほうが必要である」
(ラ・ロシュフーコー)

「新しい書物の最も不都合な点は、古い書物を読むのを妨げることだ」
(ローラン・ジューベール)

「地上の楽園は、女の胸と馬の背中と書物の中にある」
(アラビアの諺)

一つにまとめると、「読書は考える素材であり……本は人柄を作り……しかし、人から学ぶことが先決で……仮に読書するにしても、新刊書ばかり読んでいると古典を読まなくなり……などと言うものの、書物の中に入ればそこは楽園である……」ということになる。


手に入れる書物には本陣の本と外濠そとぼりの本があるとかねて考えてきた。本のテーマが自分と何らかの関わりがあると判断したり直観したりして買うのが本陣の本、他方、自分との接点を感じることがないままに、好奇心にそそのかされて衝動買いするのが外濠の本である。

夏場に古本屋でまとめ買いした本はすべて外濠だった。たとえば、動物や昆虫に関する本は仕事の守備範囲ではない。しかし、書棚に並ぶその数は十冊や二十冊では済まない。そういう類いの本を意外と読んできたのだ。では、別の日に本陣の本をせっせと買い込んでいるのかと言えば、決してそうではない。本陣がいったい何なのか、ぼくは未だよくわかっていないのだ。冷静に読書人生を振り返れば、何もかもが外濠だったかもしれない。

読書の秋と世間で言う。最近は拾い読みばかりで、熱が入らない。さて、ルノワールの『読書する女』のように読み耽ってみようと書棚から数冊取り出したが、読書への意識が些事への意識を封じることはできるだろうか。

「確かに見た」の不確かさ

言った言わないでもめることがあるように、見たか見ていないかでも相違が生じる。逃げて行く男を双方が見た、しかし、一方がスーツ姿、他方が普段着だったと証言することがある。誰しも自分の見たものは確かだと思い、見たものが他人と違っていたら、正しいのは自分で、他人のほうが間違っていると主張する。

「百聞は一見にしかず」の諺が示すように、見ることを聞くことの上位に置くのが常だ。ところが、視覚もあまり威張れたものではない。「この目で確かに見たこと」を疑うとは、自らの確かさの否定を意味する。

「見たまま聞いたままのことを信じるのではなく、そう見え、そう聞こえるという事実を可能にしている〈可能性の次元〉に立って考え直す(……)」
(御子柴善之『自分で考える勇気』)

見た聞いたはある種の経験である。その経験を棚上げにして考えるには勇気を要する。「それはお前の勝手な考えだ。ちゃんと見て聞いてからものを言え」などと注意されかねない。地動説を知らず天動説だけで考えている時に、「もしかしてこれは……」と想像する感覚はほとんどありえないように思われる。勇気があったとしても、仮説が思うように立てられない。


ひとまず今見ている事柄を「真理」だと判断するしかないのだが、それが認識の限界なのである。なぜなら、「確かに見たこと」が結果的に不確かだったことが後々にわかるからだ。仮に確かに見たのだとしても、真理は未来に更新され、今日の真理が書き換えられる。見たはずの真理は常にモデルチェンジを余儀なくされるのである。

しかし、真理更新の日々にあって、今ここで見たことに基づいて何らかの意見を成すことが無意味であるはずがない。未来に明かされる真理を待っていれば何一つ語ることができないではないか。手持ちの材料によって――そして、それが確かであるという前提で――推論しなければならないのである。推論というのは仮の話にほかならない。

真理の枠組で考えるのではなく、〈可能性の次元〉に足を踏み入れて精一杯背伸びして考えるしかない。明日ヴェールを脱ぐかもしれない真理のことを気にしていたら、人は未来永劫考えることなどできないだろう。「確かに見たこと」の確からしさを保留しながら考える。いや、不確かかもしれないと謙虚になるからこそ考えることができる。何もかもが確かならもはや考える必要などないのである。

変わらない方法

ある種の確固たる考えがあって、意識的に今の自分を変えないということがある。この話はそうではない。本当は自ら変わりたいと熱望している。にもかかわらず、変わることができない。つまり、「変えない方法」ではなく、「変わらない方法」の話である。

ある対象との関係において、変わりたいのだが変われないのなら、いっそのこと対象のほうを変えてしまえばいい。それで関係はいくらか変容する。関係が変わることによって自分が変わったような気にはなれる。たとえば、読み応えのある本を読みやすい本に変えれば、変われたと錯覚できる。言うまでもないが、自分は変わっていない。


人は環境に適応して生きていく。環境と適応を天秤にかければ、環境よりも適応のほうが重要なのは言うまでもない。生まれ育つ環境が人に与える影響は大きいとよく言われるが、環境を選べる条件に恵まれているからにほかならない。もし選べないのなら――そしてその環境以外に選択肢がないのなら――適応するしかないではないか。

環境適応には負の側面がある。現在に適応しようしているうちに、観念構造そのものから自発性(もしくは創発性)が失われてしまうという点である。たとえば、自力で考えたり工夫したりする前に、即効的に役立つ情報に飛びつく習性が身につきかねない。ハウツー本などがその最たるものだ。一度ハウツー本に染まってしまうと、考える出番は少なくなる。読みやすい文章と内容は、やめられない止まらない。やがて役に立つかどうかわからない古典などに親しむ時間が惜しくなる。

これではダメだと反省しても、無意識のうちに何年も培われてきた観念構造が変わってくれない。意を決して新しい習慣を始めても、異国の旅に出ても、座禅を組んでも、ちょっとやそっとで変われない。観念構造をそのままにしているかぎり、身についた「変わらない方法」はびくともしないのである。

本を読まないという方法

思考の振幅をもう一回りも二回りも広げたい、現状を乗り越えて新たな創意工夫と改革に考える力を生かしたい……この願いに理不尽はない。問題は、それをどう成し遂げるかだ。

考え方が変わった、考えが深まったなど実感はできるだろうが、何が作用したのかを突き止めるのは容易ではない。たとえば、昨日の考えが今日少し深まった、あるいは次の段階に上がったと感じるとする。ぼくの場合、昨日やらなくて今日やってみたことは何かと思い起こす。たとえば、昨日は紙に書かなかったが、今日は書いた……そうそう、自問自答もいくつか試みたなどとビフォー・アフター分析をする。

自問自答を紙に書く行為は思考力強化に即効性を発揮する。とりとめのない思いや考えに「問う」という刺激を与えれば、条件反射的に「答え」を編み出そうとするからだ。腕を組んでぼんやりと思い巡らすよりはよほど脳の働きを後押ししてくれる。行き詰まったら、問うのである。問わずに答えだけが勝手に出てくることはない。

「答えと問いは一体で、答えは問うところにある」(禅語録)、また、「およそ問いが立てられるのであれば、この問いには答えることができる」(ヴィトゲンシュタイン)。禅僧や哲学者でないのなら、しっかりと明文化しておくことだ。


ぼくたちがもっとも依存するのは経験的思考である。言語を通さずに、身体と精神でからめとる固有の経験が考えるベースになる。しかし、経験は偏る。また、何でも経験できるわけではない。だから、不足を他人に依存して補う。対話的思考や交流的思考である。他人とのやりとりや関係によって、思考の受容器は大きくなる。自分にない思考パターンを吸収することができる。

一人の人間の経験などたかが知れている。他人との対話や交流にしても、何百人、何千人を相手にできることはめったにない。経験にも人脈にも限度があるのだ。ここに読書的思考の出番がある。本を読めば、経験外の知識や発想、人脈外の頭脳の力を借りることができる。

本を読むのは荷が重いという人がいる。よく考えてみればいい。どこかに出掛けて何かを経験したり、直接他人と会って意見を交わす面倒に比べれば、実に安上がりで手っ取り早い方法ではないか。本を開いて少々辛抱しながら読み進めれば、望外の知やひらめきに出合う。それは実際の経験以上に価値ある疑似体験になることさえある。

気に入らなければ読み始めた本を途中で閉じるという方法も読書体験の内にある。本を開くのだから閉じることもできる。本には読むと読まないという両方の方法がある。読書でなければ得られない経験があると同時に、惰性でも読めてしまうのが本というもの。読書的思考が功を奏さないこともよくある。そんな時、一ヵ月ほど読書をシャットアウトしてみるのだ。本を読まない日々が続くと、経験と他人だけでは思考の振幅が狭まることがわかってくる。読書断食である。これが読書の方法を整え、それまでとは違う世界に目覚めさせてくれる。

ルネサンスの知

ルネサンスの草分けとなったイタリアではルネサンスと言わない。「リナシメント(Rinascimento)」と呼ぶ。ルネサンスという響きに慣れ親しむと、リナシメントには違和感を覚える。諸説あるが、イタリア・ルネサンスが栄えたのは15世紀初頭から16世紀半ばである。

過去に類を見ない知が炸裂した時代だが、ルネサンス期の人々は歴史に詳しかったわけではない。たとえばポンペイがヴェスヴィオ火山の大噴火によって滅んだのは紀元79年だが、ルネサンス人はこのことを知らなかった。

ポンペイに遺跡らしいものがあるとわかったのは16世紀の終わり、発掘が始まって遺跡の全貌がおおよそ明らかになったのがようやく18世紀半ば。レオナルド・ダ・ヴィンチが活躍した1500年前後から250年も後のことである。


無知だったのはポンペイの遺跡だけではない。ルネサンスに先立つ中世のイタリア人は、祖先が築いたローマ文明についてもさほど知らなかった。古色蒼然とした遺跡を日々あちこちに見ながらも、彼らの知識は現在のぼくたちの足元にも及ばなかった。

ところで、古代ローマはギリシア文明の影響を大きく受けている。ざくっと言うと、紀元前にはイタリアはギリシアの植民地のような存在だったのだ。

実は、ギリシア文明らしきものが存在したとわかったのは、1096年から200年間続いた十字軍の聖地エルサレムの奪還戦争中だ。ギリシアの英知はまずアラビア人に伝えられた。イタリアでギリシア文明が知られたのはアラビア語文献を通じてなのである。

ギリシアのヒューマニズムに触れたのがルネサンスのきっかけになった。決して古代ローマの知と直結していたわけではない。当時の神を絶対信仰するという軸が、ルネサンスという人間復興の軸に置き換わった。ルネサンスにはギリシアから受けたインスピレーションが基底にあり、それが人間と芸術の復興劇をもたらしたのである。

空間の話

空間ということばをわざわざ辞書で調べた記憶はない。ある程度イメージができているし、今さら辞書を引くことなどない。と思ってみたものの、気になるので広辞苑を引っ張り出した。「物体が存在しない、相当に広がりのある部分。あいている所」と書いてある。この「あいている」は、「空いている」であって「開いている」ではない。

この定義は、空間が閉じているか開いているかに言及していない。何もなくて空っぽであれば空間と呼べそうだ。空間とは、そらあいだではなく、いているである。引っ越しの荷物が搬出されて、何もなく空っぽになった部屋の状態。閉じているが、れっきとした空間だ。結構広かったんだなあと述懐する。窓を開けて見慣れた景色に別れを告げる。目の前にはビルに囲まれた更地が見える。天に開いているが、あれも空間。

空間を最初に哲学したのは老子だ。老子は何を哲学したか。「うつわが有用なのはその中が空っぽだからである」と言った。たしかに。そのうつわは空っぽだが、そこにお茶を注げばお茶碗になる。コーヒーカップではない。お茶を飲み干してから、コーヒーを入れたらコーヒーカップ。それも啜り終えたら、空っぽになる。その瞬間、そのうつわは有用度を増す。


老子は次のようにも言う。

部屋が有用なのもその中が空っぽだからである。

昔の家には「何でも部屋」のような一室があった。普段は片隅に箪笥が置いてある程度で、ほぼ空っぽの和室。そこに卓袱台を持ち込めばにわか応接間になった。それ以外に、その一つの部屋が居間、食堂、書斎、寝室、裁縫室、娯楽部屋に変化した。片付けてしまえば、何にでも化けることができる有用な空っぽの部屋に戻る。

うつわにしても部屋にしても囲まれた有形である。しかし、中空ちゅうくうの構造を持つ。有形のものが使い勝手がよく有用であるためには、無形の構造という条件を満たさねばならない。

ところで、広辞苑の定義には「相当に広がりのある部分」という記述があった。だからと言って、広大な宇宙を想像してはいけない。空間というのは広いから認識しやすいというものでもないのだ。大きい家、大きい部屋だが、空間の広がりを感じない場合もある。一方、まったく狭さを感じさせない小さな家、小さな部屋がある。広がりのある小ささは簡素で洗練された空間の理想形なのだろう。ル・コルビュジェが設計したレマン湖畔の〈母の家〉はその最たるものである。

「かつ」と「または」

3日前「あれもこれも」と「あれかこれか」について書いた。その折りに、論理学の基本用語の“and”“or”のことがよぎった。論理的ということについては諸説あるが、基本は文章の明快さのためのルールや法則に適っていることだ。「~は~である」もそうだし、「~は~ではない」もそうである。他に「すべて・・・all)といくつか・・・・some)」や、そして「かつ・・and)とまたは・・・or)」も論理的文章を書く上で欠かせない。

X and YXかつY)は「セット」という感覚。ケーキセットを注文すればケーキとドリンクが出てくる。ケーキが付いていない、あるいはコーヒーが付いていないならandの条件を満たしていない。「印鑑と運転免許証持参のこと」とあれば、両方を持っていかなければならない。

X or YXまたはY)はセットではなく、いずれか一方を満たせばよい。「運転免許証またはパスポート」とあれば、両方持って行く必要はなく、いずれか一つで身分証明の要件を満たせる。当たり前のことだが、「ケーキセットにはコーヒーか紅茶が付きます」とは、コーヒーと紅茶の両方は飲めないという意味である。


X and YX or Yに否定が絡んでくると、論理学の初心者には厄介である。「机の上に鉛筆と消しゴムがあった」の否定はどう言えばいいのか。よく間違われるのが「机の上には鉛筆も消しゴムもなかった」である。

あなたは危険な居酒屋に入った。この店では赤と白のグラスワインを差出して一言を添える。ところが、その一言はつねに虚言なのだ。いったん否定して真実を探らねばならない。

「赤ワインにも白ワインにも毒が入っていないよ」
こう言われたら、「赤ワインには毒が入っていない。かつ、白ワインにも毒が入っていない」と読み替える。そして、この文章を否定する。つまり、「赤ワインに毒が入っている。または、白ワインに毒が入っている」。否定する時、「かつ」を「または」に変えるのがポイント。一方が毒入り、他方が毒入りでないということになる。確率は五分五分だが、安全なのが赤か白かはわからない。

「赤ワインか白ワインのどちらかには毒が入っていないよ」
こうコメントされた。「赤ワインに毒が入っていない。または、白ワインに毒が入っていない」と読み替えて、否定する。「赤ワインに毒が入っている。かつ、白ワインに毒が入っている」となる。「または」を否定すると「かつ」に変わる。両方が毒入りであるから、たとえただでも飲んではいけない。

「赤ワインか白ワインのどちらかに毒が入っているよ」
こうつぶやかれたら、「赤ワインに毒が入っている。または、白ワインに毒が入っている」と読み替える。これを否定すると、「赤ワインに毒が入っていない。かつ、白ワインに毒が入っていない」となり、どちらを選んでも安全ということになる。


「かつ」と「または」を含む文章の否定形を作るには、次の変換法則を覚えておけばいい。

XYは~である」→3つの要素に分ける→「Xは~である」「かつ」「Yは~である」→(それぞれの要素を否定する)→「Xは~ではない」「または」「Yは~ではない」。

XYのいずれかが~ではない」→3つの要素に分ける→「Xは~ではない」「または」「Yは~ではない」→(それぞれの要素を否定する)→「Xは~である」「かつ」「Yは~である」。

こんな論理図式に出番などなさそうだが、「論点Ⅰ論点Ⅱから結論が導かれる」という主張を覆すのに論点Ⅰと論点Ⅱの両方を検証否定する必要はなく、いずれか一つを否定できればいいことがわかる。