何人かの「あの人」たち

「あの人」。親しい人をそう呼ぶ場合もあるが、ぼくが「あの人」と言う時は、おおむね遠い関係にあり、あまり感情移入することもなく、少し離れて観察している人を指している。過去形の人物だが、何かがきっかけになって時々ふと浮かぶ。

👤 あの人は「何か問題がないかね?」とニコニコしながらやって来た。そして「特にありません」と言うと、急に物足りなさそうな顔をして寂しそうに去るのだった。あの人は問題が生じるのを楽しんでいた。問題を解決することが自分の使命だと思っていた。だから問題がないことが不安。本来問題でないものまで問題に「格上げ」する人だったので、仕事場はつねに有事の様相を呈していた。

👤 「ぼくは青二才なんですよ。いや、幼稚というほうが当たっているかな」とあの人は言った。あの人が話す文の主語はつねに自分だった。知り合ってからかなり年月が経っても本心がよくわからなかった。交流会などで名刺を交わして一言二言会話をしただけで「意気投合した」と見なすような人だった。話し方も話すこともタテマエっぽかったが、もしかするとホンネだったかもしれない。

👤 あの人はすべてのことに理由があると考えていた。仮に理由がないことに気づくと咄嗟に理由を後付けしたものである。「よく食べますね」と聞くと「好きだからねぇ」と答える。「○○はあまり食べませんね」と聞くと「嫌いだからねぇ」。理由と好き嫌いは相性が悪いはずなのに、好きだ嫌いだと言ってけろりとしている。好き嫌いは「さが」ではないのか。それを判断基準の根底に置かれては話が続かない。

👤 雑談の場で尊敬している人物がいるかどうかという話になったことがある。「誰を尊敬してるの?」と聞いたら、あの人は「人生、みな師です」と答えた。いつも会話がすれ違った。波長が合わなかった。

👤 あの人は「当社の経営理念? 社会貢献です!」ときっぱりと言った。社会貢献が経営理念とは……。ぼくはつい言ってしまった、「悪いけど、それは経営理念ではなく、あなたの経営情念・・ですよ」。気分を害したのだろう。その時を最後にあの人とは会っていない。